建物をつくるとはどういうことか-2・・・・うをとりいまだむかしより‐‐‐‐‐‐

2010-10-05 09:23:37 | 建物をつくるとは、どういうことか
◇私たちは「囲まれている」

今回は、図面の「白い部分」とは何か。

先回載せた前川自邸の平面図を借りて話を進めます。
ただ、話を進める都合上、原図にあった家具、棚などの類は消してあります。



この平面図の中央部にある室:居間:の南面と北面は、床までの開口:「掃き出し」です。
南は屋根まで吹き抜けで、全面開口です。北も同様ですが、吹き抜けの中途に二階の廊下:ギャラリーがあり、開口は上下に二分されています。居間への入口はギャラリーの下にありますから、そこからは北面の上部は見えません。

まだ明るい夕暮れ時、この家に暮す家人が、外出から帰ってきたとしましょう。
おそらく、黄色の線のように歩いて〇印のところまで来る。
この図面では、この室は真ん中に何もない。畳敷きなら、それもあり得ます。
そこで、畳敷きであるとしましょう。

疲れた、とにかく一休み、と床に腰をおろす。そのとき、どっちを向いて腰をおろすでしょうか。

おそらく、私だったら南の方:南側の庭の方:を向いて座ると思います。
「歩いてきた成り行き」で、北の庭の方へ向き直って座ることはないと思われます。東あるいは西の壁の方を向いて座ることもないでしょう。
  読まれている方も、試みてください。あなたならどうするか。

あるいは、この室の真ん中に、四角のテーブル:卓が室の各面に並行して置かれていたとしましょう。そのとき、私は卓のどの辺に座るでしょうか。
多分、卓の西側、右手に南庭を見る位置に座るのではないか、と思います。北庭を背にする、あるいは南庭を背にするとは考えにくい。
まして、東側に座ることはないでしょう。

卓がないときは、南を向いて座る、卓があるとそうはしない・・・、卓がある、なしで微妙に変ってしまうはずです。

もし、この家を訪ねてきた人だったらどうでしょうか。
その場合も、この家の主を尋ねてきたのか、よくある《内覧会》などで「建物を見に」きたのかによって違います。

この家の主を尋ねてきたのであるならば、〇印のあたりで、家の主の指示のあるまで待つでしょう。

「建物を見に」きたのであるならば、おそらく、いや多分、壁や床や天井・・・・を見るはずです。これは、建築《鑑賞者》の「常識的行動」。そしてまた、多くの《建築家》の「常識的行動」でもあります。
この「(多くの)建築家の常識的行動」は、先に見た「家人の行動」とはまったく異なることに注意する必要があります。
家人そして客人は、そのように「部分」をしげしげと見ることはありません。

   「立面図」を気にする建築家が意外と多い。
   ところが、できあがった建物の立面をしげしげと見るのは、建築家や建築評論家あるいは観光客。
   一般の人、あるいはその建物を普段使っている人は、しげしげと見ることもせずに通り過ぎるのが普通です。
   しかし、しげしげと見ることはなくても、その建物はイヤだ、とか好ましいとかは感じている。
   ただ、そこを使っている限り、イヤだからといって使うことをやめるわけにはゆかない・・。
   これが建物の「宿命」。押入れにしまえないのです。


さて、家人、客人、はたまた鑑賞者のどの立場であっても構いません。
〇印の所へ到達したとき、魔法がかかり、目の前にあった「平面図の黒い部分」が突如として消失してしまった場面を考えてみましょう。
つまり、そこに在るのは自分だけ。
多分、「立ちすくむ」以外にないはずです。字のとおり、「途方に暮れる」という状態。
これは、目隠しをされて何もない荒野に連れてこられ、目隠しをはずされ放って置かれたに等しい。

このとき、「白い部分」がなくなったのではありません。
なくなったのは「黒い部分」であって、言うなれば、あたり一帯すべてが「白い部分」になってしまったに過ぎない。私たちは「白い部分」の海に埋没してしまった。

このことは、「黒い部分」とは何か、示唆しています。
すなわち、
「黒い部分」とは、「私たち」が「途方に暮れない」ために、「探すか、あるいは、つくったもの」であるということです。
そこから、砂漠の民や海原に出た人たちが、天上の星を頼りにした理由、ひいては、天上に「星座」を見出した理由も分ってくる筈です。


ところで、今仮想したような、突然魔法がかかったり、目隠しをされて連れてこられる・・・などということは、私たちの日常では普通ではあり得ません。それが「日常」です。
つまり、私たちの行動は、常に、「途切れることなく連続」しています。
とかく忘れがちですが、これもきわめて重要なことです。

では、私たちの「連続した行動」は、どのように「実現」しているのでしょうか。

先に掲げた平面図に、黄色の線を書き込んであります。多分、このように歩くだろう、という「軌跡」を(私が)想定した線です。

平面図を見て分るように、平面図上に書かれている「通路」は、曲る箇所ではすべて直角に折れ曲がっています。
一方、黄色の線は、ところところで、直角ではなく、斜めに描いてあります。
それは、それぞれの所で、「その方向に歩を進めるのが自然だ」、と私が判断するだろうと思えるからです。
それは、私の目の前に広がっている「ものの集合」を見ての「咄嗟の判断」です。
すなわち、「あちら」の方へ行こうとしている自分が、目の前に広がる「ものの集合」を見て、自然と足が向く方向、それが「斜め」に結果するのです。あるいは、なるべく「近道を」、という気分が働いているのかもしれません。

   イグ・ノーベル賞をもらった「粘菌」の行動は、そういうものらしい。

これは目の見える私たちの場合ですが、目の見えない方がたも、慣れてしまうと斜めに歩けるそうですが、初めての場面ではきわめて難しい、という話をきいたことがあります。
だから、点字ブロックが直角ではなく斜めに曲るように敷設されている例を見かけますが、初めてそこに来られた目の見えない方にとっては混乱の原因になるのです。

それは、目の見えない方がたは、自分の前方と、自分の左右という直交軸でものごとを感じて自分の位置を知る、「定位」の根拠とするからだそうです。言うなれば、直交軸の交点:中心に自分が居る。
自分を中心:0点に据えた直交座標をつくっている、と言った方がよいかもしれません。

   点字ブロックを敷設さえすれば、目の見えない方がたへの「対策」が済んだ、というのは
   目の見える人の「思い込み」にすぎないのです。

しかしこれは、目の見えない方がただけではなく、目の見える私たちもまた同じです。
複雑に曲がりくねった道が多数ある村落よりも、碁盤目状の条里制の道路の街が分りやすいのは、「定位」が容易だからなのです。
私たちも、目の見えない方がたとまったく同じ「定位」の行為を日常的に行なっているのですが、それを意識していないだけなのです。

   私の住んでいる所は、初めての人はかならず迷子になります。道が微妙に曲っているからです。
   よく道を尋ねられます。遠方から来た人も隣町の人もいます。手には地図を持っています。それでも迷う。
   地図の上のどこに今いるのかが分らなくなっているからです。
     カーナビはそのためのもの、などとは言わないでください。
     「カーナビで分った」ということは「地理が分った」ことではないからです。
   昼間でさえそうですから、夜になったら迷うこと必死です。
   しかし、住み慣れると、「住み慣れた範囲ならば」、夜でも歩けます。
   それは、「日常」の暮しが、そうさせるのです。
   そして、考えてみれば、そこに暮す人びとにとって分れば、それでいいのです。
   「よその人」が分る必要はない。これがかつての村落の構造の基本だった。

くだくだと書いてきましたが、これらのことは何を意味しているのでしょうか。

それは、私たちは、「私たちを取り囲むもの」を常に(無意識のうちに)「観て」、それにより「私たちの中に生じる『感覚』に応じて行動をしている」ということを示しているのです。
私たちは「取り囲まれている」、言い換えれば、私たちは常に「私たちを取り囲むもの」の中に「居る」、あるいは「在る」のです。
そのような「もの」の海の中に居る、在ると言ってもよいでしょう。

この「私たちを取り囲むもの」を言い表す適切な言葉がありません。

通常使っているのは「空間」です。英語で space ドイツ語では raum 。
適切でない、と言ったのは、この語彙は、外国語でも、多様な意味に使われ、したがって、注意しないと混乱を生じてしまうからです。


以上ざっと書いてきたことが、私たちの「日常」の大雑把な姿です。
そして、この「日常」は、常に、「意識することなく」営まれています。

ところが、「このことを意識下に置こう」とするとき、「妙な事態」が生じるのが、これまた常です。
すなわち、
「私たちが常に“空間”“space”“raum”に居る、在る、ことは間違いない事実である」と認めた上で、
では、
「人」と「空間」とは、どのような関係にあるか、
という脱け出すことが容易ではない「議論」に陥ってしまうことが多いのです。

この「議論」は、私たちが得てして気付くのを忘れてしまう「落し穴」です。
そしてまたこれは、「建築」を論じるとき、よく陥る「落し穴」でもあります。
先回紹介した西山氏と丹下氏の「論争」もまた、この「落し穴」のなかでの「論争」であった、と私は考えています。
そして現在の多くの建築の研究の「基盤・前提」も同じです。

なぜ脱け出せない「落し穴」であるかは、すでにくだくだと書いてきたことでお分かりいただけるはずです。
このとき話題の対象にしている「人」とは、抽象的なそれではなく、「日常の生活をしている人、暮している人」のこと。
私たちの「日常」は、「空間」で営まれている、「日常」と「空間」は切っても切れない関係にあること、はすでに見てきた通りです。
したがって、一方に「人」「人の日常」があり、他方に「空間」があり、その二者の関係を論じる、という「論議」自体、成り立たないのです。
そういう「論議」は、「人の日常」は「空間」に於いてなされている、という事実を忘れてしまっているから生まれるのです。
そのような二項対立的論議は、両者をともに「抽象」したときにはあり得るかもしれませんが、
建物づくりで考えなければならない論議は、「抽象的な人(の生活・暮し)」ではなく、「日常」のそれ、すなわち「生き生きとした私たちの姿・実態」のはずです。

しかし、「近代科学」の名の下では、得てして、一方に「人」「人の日常」があり、他方に「空間」があり、その二者の関係を論じる、二項対立的なものの見方が主流を占めてきた。
1950年代の西山氏と丹下氏の「論争」は、いわばその表立っての先駆けであり、以後何等の進展がなかった点では掉尾を飾るものでもあった、と言えるのではないかと私は思います。

   今は、このような二項対立的ものの見方さえ失せてしまっているのではないでしょうか。

この二項対立的なものの見方、発想を生んでしまうのは、「一つの語に対して一概念が対応しているように見えてしまう」ということに拠るのかもしれません。
ある意味では、言語というものが必然的に持ってしまう「特徴」「性質」。とりわけ、西欧の言語:表音文字系の言語には多いようです。それに「近代の思考」が飛び付いた・・・。

考えて見るまでもなく、私たちが抱く「概念」は、必ずしもそれに「ある一語」が対応する、というものではありません。
逆に言えば、ある一語が意味するものは、とりわけ表意文字体系の一語では、きわめて「幅が広い」のです。したがって、何らかの修飾語を付したり、あるいは「文体」の中で位置付けないと、その「幅」を限定することができないのです。

しかし、ここに書いたことを忘れると、論議は滅茶苦茶な状態になってしまいます。
今の建築に係わる「研究」の多くがその「落し穴」に陥り、そしてそれが多くの不条理な「指導」を生み出している・・・。

このような二項対立的なものの見方の持つ危さについて、すでに中世になされた「鋭い指摘」を私たちは知っています。

   ・・・・
   うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく、
   鳥そらをとぶに、とぶといへどもそらのきはなし。
   しかあれども、
   うをとり、いまだむかしよりみづそらをはなれず。
   ただ用大のときは使大なり。要小のときは使小なり。・・・
   鳥もし空をいづればたちまちに死す。
   魚もし水をいづればたちまちに死す。
   ・・・・

これは、鎌倉初期を生きた道元(どうげん)が「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」に書き記している文言です。
いつの世でも、表意文字の国でも、「対象」「事象」を二項対立的に見てしまう、それによって簡単なことをも複雑にしてしまうこと、すなわち、得てして人が陥りやすい状況について、道元は問い質したのだと思います。

無機的な二項対立的論議に疑義を抱き、いろいろと考えていたとき、この文言に会いました。そのときの驚きは今でも忘れられません。
私たちは、いかんともしがたく「空間に在る」のだから、そのありのままに接しようとすることは誤りではない、そう後押しをしてくれたのです。
   
   「正法眼蔵」に「正式に」接したのは、石井恭二氏による現代語訳(河出書房新社、1996年初版)。
   初めに接したのは、学生時代、唐木順三氏の諸著作を通じてでした。

これが、昔、私がたどり着いた地点。
「私たちは常に空間に在る」。それが図の上の「白い部分」。
白い紙に、線を引くということは、だから、おそろしいこと。
それを考えることからすべてが始まる。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« The Last of the Gr... | トップ | The Last of the Gr... »
最新の画像もっと見る

建物をつくるとは、どういうことか」カテゴリの最新記事