buzz communication をこそ・・・・ある教師の苦悩

2011-04-06 21:36:19 | 専門家のありよう
[末尾に註記追加 7日 16.14]

数日前、一通のメールをいただきました。
事故原発の近くの県の、ある教育機関で教師をされている方からでした。

このような思いをされている方は、おそらく多数おられる筈です。

承諾をいただきましたので、公開させていただくことにします。
書かれた方が特定されることのないように編集してあります。


      夕暮れのクロボケです。例年より10日ほど遅い開花です。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
[語句補足:紹介者 8日 8.43][誤字訂正:紹介者 9日 17.30]

長文メールで恐縮ですが、思うところを綴りました。

私は以前より原発には反対です。
原発自体そして廃棄物の安全性に疑問を持っているからです。

自分は就職するとき、不覚にも勤務先が原発に近いということを全く思い出さずに就職を決めました。
電気料金には「原子力立地給付金」なるものがあり、小額ですが返金される仕組みがあります。これを知ったときに原発の近くに住むことを初めて意識したのでした。このお金を受け取り拒否するか本気で考えました。

自分は原発反対でいながらにして、原発に就職するものを多数輩出する学校に勤めるという矛盾を抱えている人間です。

偉い方がたの主導でいきなり原発をなくすということは、多くの人々の職を奪うことから現実的ではないとも思っています。
皆が考え直して廃止の方向に進み、このような大きな事故の起こる前に働く人々の職をいきなり奪うことなく、徐々に廃止できればいいのだが、、と願っていました。そうはなりませんでしたが。

では、無力な自分が原発廃止に何ができるか、何をなすべきか、自分なりに考えました。
結論は、
原発に就職を希望する者には、「心ある技術者」となって、いつかその危険性に気づき、内部から原発廃止の声を上げて欲しい、というものです。

「心ある技術者」のイメージを私なりに固めるのに大きな影響を与えたのは、ゴルゴ13と言う漫画の原発事故を題材にした「2万5千年の荒野」という作品の中の第三話です。

この作品は、ある評価でゴルゴ13のベスト作品になっています。
自分はこの作品を読んで本当に涙をこぼしました(ただし、ネットに書評を書いている方がたの多くとは、そのツボは異なります)。

数学を教え、全く素人のラグビー部の顧問の私が、「心ある技術者」の育成として、何ができるでしょうか。
原発に勤める親、親戚、知人を持つ学生に、
その親や親戚、知人が聞いていたとしても決してブレないことを学生に言うとしたら、
自分に嘘をつかずに何が言えるでしょうか。
何か大きなことはできそうにありませんし、気の利いた何も言えそうにありません。

この震災での非常事態を憂える被災せずにすんだ若者たちが、自分に何ができるだろうか、何か発信できないだろうか、と思うのに似ているような気がします。

自分に素直にできること、それは、まさしく学生に「2万5千年の荒野」を勧めることでした。
何の疑いも持たずに原発賛成を口にする学生には、この作品を読むことを勧めています。

かつて原発見学があったころは、この本を宣伝してクラスに置きました。
「諸君らの親御さんや親戚、知人には原発関係の方もいるだろう。世の中は原発賛成の人も反対の人もいる。
自分は原発反対だが、いきなりなくすということもできそうにない。少なくとも自分にはその方法は思いつかない。
もしも原発の仕事をしたい、という者がいるならば、その人には『心ある技術者』になって欲しいと考えている。」というような事を言いました。

今は原発見学はなくなりましたが、昨年の10月に原発に将来勤めたいというある学生に、この漫画を勧めたら、学生の間でまわし読みとなり、今私の手元にありません。

「技術者倫理」という言葉を耳にするようになってから久しくなりますが、「技術者倫理」という言葉で、私が真っ先に自分が思い出すのは「2万5千年の荒野」です。
世間で「技術者倫理」と言われるとき、その問題点は「経営者倫理欠如」に帰すべきものばかりと言う気がします。

「2万5千年の荒野」でも、原発事故の一番大きな原因は、「経営者倫理欠如」ですが、「技術者倫理」が「経営者倫理欠如」を凌駕します。
私が涙をこぼしたのはそこでした。
日頃から技術者として保身も考えずに行動し続けた技師が、最後までその姿勢を崩さずに行動し、経営者側を動かしたところに涙がこぼれたのです。
単に英雄的な行動をしたところでも、その姿勢に敬意を払うゴルゴ13がタバコに火をつけてやるところでもありません。

私の「心ある技師」には実在のモデルもいます。
原発技師ではないですが。その人は、小学2・3年の頃に原子力潜水艦にあこがれていました。
それがいつの頃からか反原発に変わりました。
「事実」と正しい「認識」があれば、そのように変わるものなのだと考えています。
その人は小型機器ではありますがが、低電圧省電力の研究をしています。そして原発関係メーカーにいながら、タバコのポイ捨ての会議中に、それよりも原発の廃棄物を考えるべきだ、と発言するような男です。

私の心の中の「心ある技師」は、原発賛成で原発に勤めた者が身近に原発に接し、危険と認識し、原発反対に変わり、世の中に広める技師。実在しない「2万5千年の荒野」の「心ある技師」バリーと、実在する私の知る低電圧・省電力研究者をもとに、私の心の中の「心ある技師」は形づくられたのです。

原発で当初行方不明が2名いると報道されました。
そのうち1名は、私の担任したクラスの学生らしいと知らされました(ネットで確認すると、操作を誤った上に逃げている、などというひどい噂もありました)。
彼に「心ある技師」の話をしたかはっきりした記憶はありませんが、卒業謝恩会のときに話をしたような記憶がおぼろげながらあります。
このような結末が待っているならば、私は特攻を勧めた教員と同罪だ、と思うと、本当に胸が痛みました。
彼がその場で、常人には考えもつかぬ防御策を講じ、無事であることを願っておりました。

教育を続けていくべきか、自分の教育で悔いが残ることは何か、という思いが混沌として苦しい日々を過ごしました。
自分がこの原発事故を前に成し得たことは、「心ある技師」になることを勧める他にも何かあったのではないかと考えました。数理論理学に携わる者として。

それは、誤った前提の上に、いくら精密な推論を重ねても、結論は無意味であることを、きちんと教育すべきこと。

自分には明らか過ぎて強調する気もないことですし、きちんとした議論ができる方なら何でもないことですが、
「研究者」と呼ばれる方には、そんなことも分っていない、としか思えない方がたがいて、更にそういう方がたに煙に巻かれてしまう現実がある。

何が危険か、ということまでは踏み込まないとすれば、「事実」をみれば、原発が危険なことは明らかです。
 0.制御できなくなった原発は危険。
 1.何かあったら原発は制御できない。
 2.「何か」は起りうる。(「想定外」の津波とか)
 3.原発は危険。
これに反論できる人はいないと思います。
論理学以前に筋道たてて考えられる人なら、反論の余地の無い議論。

ところが「結論ありき」の方は、このような話をされると決まって直接の反論はせず、「・・・だから安全」という議論に持って行きます。
例えば次の如し。
 A.今までの津波の高さは xメートル。
 B.(x+α)メートルの防波堤を作る。
 C.津波以外にも同様のことを考える(地震については耐震基準を満たしている・・)。
 D.対策は講じたので原発は安全。
こんな議論にだまされてしまう。
あるいは「専門家」自身が分っていない。
今後(x+α)メートル以上の津波が来ないと何故言えるのでしょうか。
耐震基準を満たせば安全などと、どうして言えるのでしょうか。
耐震基準を満たしたものが、いままでいくらでも壊れているというのに。

安全と言う結論を得るために、間違った前提のもとに推論を重ねる。そして事故が起きれば「想定外」。

今回の震災では、
「数値信仰」の馬鹿らしさと、「まず前提を疑う」ことの大事さを再認識させられました。
一例を挙げます。
近在では「安定ヨウ素剤」が配布されました。ヨウ素の必要量はどのように算出されたのでしょう。昔少しだけ探しましたが見つけることはできませんでした。
それにそれほど真剣に探す気もありませんでした。

被爆前に摂取すれば何パーセントの効果が期待され、被曝24時間以内なら何パーセントの効果が期待され、などというデータを目にすれば、あらかじめ被曝させられる被験者がいなければならず、[誤字訂正 9日 17.30]
原水爆の実験に際して待機させられた兵士たちが実験台にさせられたぐらいしか、自分には思いつかなかったからです。
さもなくば全くの捏造データでしょうか。
ヨウ素の摂取が効果的というのは信じられましたので、後は自分で考えようと思いました。

ヨウ素不足気味の欧米人によるデータなら、普段からヨウ素を十分摂取している日本人は少量でよいだろうと考えました。
ヨウ素を多量に含む食品も調べ、昆布、とろろ昆布であることがわかりました。子供ができたとき、妻にこれらを十分備蓄しておくように言いました。これはもう5年くらい前の話です。
このことを思い出したとき、「まず前提を疑う」「数値に頼らない」ことをまさしく行っていたのだなと思いました。
他にも放射線量と健康被害の関係も、数値の根拠に疑義があります。
何故メディアではこの数値はこういうことを根拠に決めた数値だということを言わず、X線撮影と比べるだけなのか、不思議です。

「(間違った)前提の上にいくら精密な推論を重ねても結論は無意味である」[語句補足:紹介者 8日 8.43]
「まず前提を疑え」「数値の根拠を知れ」
学生に大事にして欲しいことはいくらでもありそうです。

常人には思いつかぬ防御策を講じてどうか無事でと願っていた行方不明の2名が、既にタービン建屋で亡くなっていたことを知りました。
一人はきっと私のクラスにいた卒業生です。お二人のご冥福を祈りたいと思います。
操作ミスをして逃げて酒を飲んでいた、などとふざけたことをネットに流していた馬鹿どもと、この状況で「...今回の原子力問題についても死者は出ましたか...」などとテレビでのたまった大馬鹿評論家には、体を張って危険に立ち向かうことなど出来ぬでしょう。きっと涙の一滴も流すことはないのでしょう。

「ミツバチの羽音と地球の回転」という映画があることを以前から知っていたのですが、この震災で知人からも知らされました。
ミツバチと地球の回転は再生可能の象徴。
ミツバチの羽音は buzz communication :口コミで伝えていくことの象徴。
メディアで大きく扱われることのない「上関原発・祝島」の問題、スウェーデン電力事情、再生可能エネルギーの話を題材にしたものだそうです。
 
世の中は変わるのでしょうか。
今必要なのは、大メディアに拠るのではない buzz communication なのかもしれません。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

註記 7日 16.14 
このメールも触れている「上関原発・祝島」にかかわるドキュメンタリー映画の上映会が下記のとおり開催されるとのこと。ブログ「リベラル21」からの転載です。
お近くの方、どうぞ。

2011.04.07 ドキュメンタリー映画「祝の島」緊急上映会
■短信■

 中国電力が山口県上関町に建設中の「上関原発」に対する周辺の島民の反対運動を記録した映画「祝の島」の緊急上映会が開かれます。この工事は、福島原発事故を機に中断されています。

ドキュメンタリー映画「祝の島」緊急上映会

日時:2011年4月9日(土)14:30/18:30
トーク:14:30の回上映後 本橋成一(写真家・映画監督)×纐纈あや(祝の島監督)
     18:30の回上映後 山秋真(ライター)×纐纈あや(祝の島監督)
会場:NPO法人地球映像ネットワーク 神楽坂シアター
    地下鉄東西線 神楽坂駅(神楽坂出口)より3分
    東京都新宿区赤城下町11-1 http://www.naturechannel.jp/access.html
料金:予約 1,000円/当日 1,200円(限定各30席)
予約:ポレポレタイムス社 Tel:03-3227-3005 E-mail:houri@polepoletimes.jp
(岩)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする