宮澤賢治の作品に昭和7年(1932年)に発表された「グスコーブドリの伝記」という「童話」があります。
その一節に次のような箇所があります。特に赤枠内に注目。
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「宮澤賢治全集 第十一巻」(筑摩書房)より
宮沢賢治は一つの作品を仕上げるまでに、何度も手を入れることで有名で、発表してからさえも推敲しています。
この「グスコーブドリの伝記」も、いわばその原型を示す「グスコンブドリの伝記」がその数年前に書かれています。
「グスコンブドリの伝記」では、先の一節部分は次のようになっています。
この二つを比べて大きく変っているのは、赤枠で囲ったところです。
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「宮澤賢治全集 第十巻」(筑摩書房)より
私が知っていたのは「グスコー・・・」の方でしたから、「グスコン・・・」を読んだときは、特に赤枠内には、正直、「すごいこと書いてある」と驚いたものです。特に、おしまいの発言。
おそらく彼の「体験」がこの文言を書かせたに違いありません。
世に公刊するにあたっては、きわめて温和な表現に変えたのは何故なのか知りたくなりますが、そのあたりについては、全集の「校異」だけからは浮き上がってきません。
赤枠内のおしまいのあたりを書き写し、段落を読みやすくすると、次のようになります(仮名は旧のまま)。
「・・・私はもう火山の仕事は四十年もして居りまして
まあイーハトーヴ一番の火山学者とか何とか云はれて居りますが
いつ爆発するかどっちへ爆発するかといふことになると
そんなはきはきと云へないのです。
そこでこれからの仕事はあなたは直観で私は学問と経験で、
あなたは命をかけて、
わたくしは命を大事にして共にこのイーハトーヴのために
はたらくものなのです。」
私が「グスコン・・・」の方を初めて読んだのは、10年以上前のことですが、そのとき思わず「イーハトーヴ一番の火山学者とか何とか云はれて」いる学者に、現在の「学識経験者」の姿を重ねてしまっていました。「わたくしは命が大事」なのです。