違和感・・・・原発一個動かなくても関係ない都会!

2007-08-12 04:21:25 | 論評
 8月11日のasahi.comに、次のような記事が出ている。
 『柏崎市長「影響ない首都圏に違和感」地震の原発停止で』
 内容は、こういうこと。全文を写す。


 柏崎市長の会田洋市長は10日、「(原発の電力供給先の)首都圏の電力に影響が出るだろうと考えたが、何も影響を受けていない。上京した時、そのことに非常に違和感を持った」と述べた。
 首都圏への電力供給の最大基地である同市が震災に苦しむ中、首都圏がこれまでと変わらない生活を享受していることへの反発を吐露したものだ。会田市長は「節電に努めるなど、被災地の痛みを分かち合うところがあってもいいのではないか」と対応を求めた。


 当然の感想・思いである。
 もっと言えば、何も影響がないのならば、常に危険を内包する原発は存在しなくてもよい、ということに他なるまい。
 だいたい、原発なしだと電力生産にコストがかかる、温暖化対策にならない、だから原発、という論理は正しいか?
 原発なしだとコストがかかり、温暖化対策にならないというならば、総使用量を減らすようにすればよいではないか、使用者に請求すればよいではないか。

 要は、電力をがぶ飲みする都市のありかたの再考。超高層ビルなどが成り立つ前提を考え直すこと。それが最大の「温暖化対応策」!大量の電力を前提にした超高層ビル。そのために電力が要るから供給しよう、そのために危険を都会以外に押し付けよう、という電力会社、そして政府の「欲」と論理は、私には無意味、無用に思える。
 エレベーターが動かなくなったら、歩きなさい。エアコンが動かなくなったら、汗をかきなさい。そういうものなのだ、と思いなさい。
 なぜなら、都会人は、そういう「思い」を、常に、他のところには平気で押し付けてきたのだから・・・。

 その点、脱原発を進めるドイツは一歩も二歩も先へ進んでいて、太陽エネルギー、風力エネルギーの積極的な利用は目覚しいものがあると言い、日本の生産する太陽電池の主な提供先は、いまやドイツをはじめヨーロッパが主なのだという。ドイツでは、太陽電池の導入経費は10年で元がとれるらしい。日本では20年以上。これは先日の毎日新聞の記事。
 無資源の国・日本⇒原発依存、この浅薄な論理から脱するのが先決。
 そうすれば、使用済み燃料の廃棄場所で苦労することもない。専門家はなぜそれを説かないのか?その点、日本の「科学者」「専門家」は極めて遅れている、としか言いようがない。

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