地震への対し方-2・・・・震災現場で見たこと、考えたこと

2007-01-23 12:47:15 | 地震への対し方:対震
 
以下に、阪神・淡路地震の被災地での私の見聞を、木造建築の場合にかぎって述べる。

神戸で被災が甚だしいのは、JRよりも海側の、地盤が悪く埋立ての多い一帯である。
明治期に敷設された鉄道は、既存の居住地(開発地)を避けて通すのが普通で、神戸の場合も既存居住地の南側:海岸寄りに敷設されている。
軟弱な地盤には、余程のことでもない限り建物を建てないのがかつての常識、だから居住地にはならなかったのだ。ゆえに、この地区の建物は、ほとんど第二次大戦後、戦災復興期の建設が多い。

戦災復興期の建物には応急的建物が多く、柱も3寸5分~3寸角(仕上りで100mm角以下)で架構も簡易なものが大半を占める。
特に、「継手・仕口」を簡略化し、「横架材」を「梁間」に応じ材寸を増減した例では、建物は簡単に倒壊していた。
これらの例には大抵「筋かい」が入っていたから、基準法制定後の建設と見てよいだろう。
基準法の「筋かい」の奨励によって増えた簡易な架構では、「筋かい」を通じて増幅された地震の力で、短い枘がはずれ柱と横架材がバラバラに分解してしまったり、補強金物がむしられている例が多数あった。
ことによると、「筋かい」があるために、却って損壊を促進させてしまった例もあるのではないだろうか。

また、部材に残された痕跡から判断して、当初の応急的な建物を増改築をし、そのために架構が弱くなったと考えられる事例もかなりあった。
「筋かい」を入れた建物は、原理的に増改築は無理なのだが、やむを得ず増改築を行ってしまったからではないだろうか。
「報告書」が指摘している「耐力壁の不足」「耐力壁の不均衡配置」の多くは、無理な増改築により生じたと考えられる。

さらに目立ったのは、防火構造や断熱材の封入により木部が腐朽した例や(鉄骨の場合は錆びてボロボロ)、金物の取付けボルトによって木部が割裂した事例である。
木部の腐朽などは、保守点検が常時なされていれば手を打てるのだが、防火構造や大壁仕様は竣工後の点検が行えないため、放置されてしまうのである。

昔ながらの「土居葺瓦屋根」、「竹小舞土塗壁」の建物では、
  ア)倒壊した建物
  イ)瓦がずれたり落下し、壁も崩落しているが、倒壊を免れている建物
  ウ)まったく損傷を受けない例(先回紹介の寺の場合など)
とに大きく分かれるように思われた。
そして、イ)の例には、軸組に異常が生じた建物は先ず見当たらなかった。

この違いは、基礎と木造軸組の接続の仕方(緊結の有無)と架構の組み方、瓦の固定の仕方に関係しているようであった。

ア)の倒壊例は「土台」が「基礎」に緊結されている場合、あるいは架構が簡易な場合に見られる。
軸組が基礎に緊結されていると、地震による慣性力は、重心位置が高い瓦葺建物ではきわめて大きくなり、組み方が簡易な軸組が破損に至ったものと考えられる。
特に、瓦が野地板に固定されている場合に激しい。

イ)は地震で生じた慣性力で、土居葺の瓦が野地板上で踊ってしまい、壁も崩れてしまう場合である。
これには、a:軸組が基礎に緊結されていても架構が確実に組まれている場合、あるいは、b:軸組は基礎に緊結はされていないが、摩擦などで一定程度の抵抗を受ける場合に起きているようであった。

aは、架構が確実に組まれていたため、地震によって建物に生じた慣性力は、瓦をずらし、壁を崩落させることに費やされ、軸組の破損に至らなかったと考えられる場合である(簡易な架構ならば、一気に全体が倒壊に至るだろう)。

淡路島には、「布基礎」ではなく、「布石(「延石」:のべいし:ともいう)」に「土台」を敷き柱を立て、1階床位置に「足固め」を設けるつくりが多く、2階建ての建物全体が「布石」上を横滑りした例を多数見かけた(10cmほど滑っている)。
見た限りでは、瓦がずれたり壁が落ちる事例は皆無だった。これは、架構全体がしっかり組まれているからと考えてよいだろう。

つまり、「土台」を「基礎」に緊結せず、架構を一体に組む往年の工法による建物では、軸組が致命的な被害を蒙る例が少なかったのである(先回紹介の尼崎の例も同じ)。
そして、この場合も、摩擦など何らかの抵抗を受けて「布石」上で滑らない場合には、壁が落ち、瓦がずれる現象(上記のb)が生じるにちがいない。

このようなことから、一般に、瓦のずれ落や壁の崩落は、とかく大被害のように見られるが、軸組が安泰であるならば、瓦も壁も修復が可能であり、その意味では致命的な被害ではないと考えた方がよいのではないか。
致命的な被害とは、架構本体、つまり軸組が修復不能に陥ったときを言うべきなのだ。
 
しかし、往年の工法(「伝統工法」)による建物がすべて安心というわけではない。
私の見た例で印象に残っている事例は、3寸5分角の柱で、柱間2間半に丈が1尺2寸以上はあろうかという「差鴨居」を取付けた平屋建ての商店の建物である。
「仕口」は昔ながらに丁寧に刻まれてはいたが、いかんせん「柱の径」と「差鴨居の丈」の落差があまりにも大きすぎ、柱は仕口部で折れていた。伝統的な継手・仕口の形式的な(理屈を考えない)使用も危険なのである。
 
ところで、私が不可思議に思うのは、基準法制定以来、地震に弱いとされてきた「竹小舞土塗壁(貫下地)」が、伝統工法の見直しとして、2003年の告示で突然、当初の《基準》の2~3倍の能力を持つ耐力壁として認められたことである。
いわゆる伝統工法は耐力壁だけに耐力を期待する工法ではないから、「小舞土塗壁」をも耐力部と見なす考え方はそもそもおかしい。

しかし、それにしても、告示の仕様は基準法制定以前の一般的小舞土塗壁よりも優れたものではなく、貫厚などはむしろ劣るくらいなのだ(かつては20mmはあたりまえだったのに、告示では15mm)。

基準法制定から50余年、その間小舞土塗壁は弱い危ないと言われ続け、そのため、どれだけの左官職が転業を余儀なくされたことか!
なぜ今まで危ないとしてきたものを、今になってよしとしたのか、その整合性を問われてしかるべきだろう。
しかし、説明はもとより、「謝罪」の言葉はどこを探してもない。

先回触れたように、法令はこの50余年の間に何度も改訂され、《基準》もひっきりなしに変っている。しかし、なにごとにも「説明責任」が求められる現在、《旧基準》の「責任」については、いまだかつて問われたことがない。
もちろん、改訂は、その間の学問の進歩による、などというのは理由にはならない。
もしそうならば、《いい加減なもの》を《基準》にしてきたことへの釈明があって当然だからである。

次回は、そのあたりについて、私見を書くことにする。

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