耐震診断・耐震補強の怪-3・・・・数値で誤魔化す

2009-10-27 12:39:12 | 地震への対し方:対震
[文言追加 27日15.20][註記追加 27日 17.44][副題変更 17.57][文言追加改訂 18.03]

「耐震診断・耐震補強」は、「建築物の耐震改修の促進に関する法律(平成7年法律第123号」に基づいて制定された「国土交通省告示第184号(平成18年)」に規定された方法で行われることになっています。
そこには、「構造耐震指標:Is、Iw」(Iw は木造、Is はRC造など)なるものを計算して判断せよ、とあり、ここでは書きませんが「計算用《公式》」と計算にあたっての細かな指示が示されています(Ⅰとは、index :指標という意味)。
けれども、こと細かでありながら、実際の規定で用いられる数値は、実は、どんぶり勘定的な about なものと言ってよいでしょう。これは、これまでの耐力壁の計算にあたっての「壁倍率」においても同じです。[文言追加改訂 18.03]
細かく規定されている計算式で、about な数値で計算しておいて、〇〇以上、以下という可・不可の判断をする。しかし、この〇〇の数値自体もまた about。
about であろうが、これまでの「学的経験値」としての数値だ、というのでしょう。
職人さんたちの現場経験による直観や経験を否定しておきながら、こういうところに来ると、突然自分たちの「経験」が顔を出すのです。

第一、この「学的な経験値」というのは、先回も、そして他のところでも触れてきたように、構築物:架構は「耐力部」+「非耐力部」である、との「仮説」(?)の下で得られたもの。
この「仮説」自体がすでに実際の構築:架構を見誤っているわけですから、そこから得られた経験値もまた怪しげ、ということになります。

建築学関係での「学的な経験値」は、「物理学」のそれとはまったく比較にならないほどお粗末だ、ということを認識する必要があるのではないでしょうか。


上掲は、もう何度も掲載してきた奈良・今井町の「高木家」の平面図と断面図です。「高木家」は1830~40年ごろの建設。
この建物は、重要文化財に指定されて行われた1979年の解体修理まで、小さな改造や修理は行われているものの、全体にかかわる大修理などはなされていません。

さらに、これもすでに触れたことですが、1854年(安政元年)の「安政東海地震」「安政南海地震」(いずれもM8.4)など、何回もの地震に遭っていますが、解体修理時には、土台の腐食、蟻害はありましたが、地震によると思われる損壊等は見られませんでした(「『耐震診断』は信用できるのか・補足・・・・高木家の地震履歴」参照)。

ところが、この建物を、木造建築の「簡易耐震診断法」で「診断」すると、たちどころに「要耐震補強」、あるいは「専門家の指示を受けなさい」という「判断」が下されます。布基礎でない、桁行方向に壁が少ない・・・、からです。
閑がたくさんありましたら、お験しください。07年10月16日記事(「『耐震診断』・・・・信用できるのか?」)では、簡易診断法で計算してみています。[文言追加 27日15.20]

実は、何度も書いてきましたが、1981年以前だろうが以後だろうが、歴史のある村や町に今でも多く建っている昔ながらの工法でつくられた農家や商家は、皆、「要耐震補強」、あるいは「専門家の指示を受けなさい」という「判断」が下されてしまうのです。
しかし、各地の地震で、これらの建物に大きな被害がなかったことは、周知の事実です。

   註 聞いた話ですが、滋賀県建築士会では、
      「昔ながらの工法でつくられた農家や商家」の「耐震診断」では、
      「簡易診断法」を安易に適用しないよう、会員に周知徹底している
      とのことです。[註記追加 27日 17.44]

であるとすると、今の「耐震診断」法が適用できるのは、1950年~1981年の間に、時々の建築基準法の規定にしたがって建てられた建物の「診断」にだけ、意味がある、ということになります。


しかし、なぜこうも「数値化」に走るのでしょうか?
たしかに数値の大小は、誰が見ても一目瞭然。
しかも、数字で示されると、何となく信憑性が高いように見え、なんとなく抗いにくいという意味で《説得力》もある。
それゆえ、こういう数字も「霊感商法」に使えるのです。言うなれば、「科学的霊感商法」。「科学的」装いをとるから始末が悪い。


大分前のことになりますが、厳密とは何か、精密とは何か、について、書いた記憶があります(「厳密と精密・・・・学問・研究とは何か」

そこで、ある人の著述を紹介しました。くどくて恐縮ですが、そのなかから、再び、その一部を抜粋します。

その文中に
「この自然の構図のなかに、あらゆる経過事象(経験されてきた事象)が見込まれていなければなりません。
この見取図の視界内で、ひとつの自然の事象は、そのものとして、はじめて眺められるのです。」という一節がありますが、
この認識を欠いたいかなる「研究」も(構築物:架構は「耐力部」+「非耐力部」である、との「仮説」は、まさに、あらゆる経過事象:経験されてきた事象:が見込まれていないのです)scientific とは言えない、と私も思うからです。

そして、見誤った「見取図」すなわち[架構は「耐力部」+「非耐力部」である]との見かたの下で生まれたいかなる「公式」も、砂上の楼閣の如きものではないでしょうか。
その公式で、細密な計算をする、それを判断の神のように扱う・・・。そこに虚しさを感じませんか?

なお、抜粋部分は、読みやすいように、前回紹介のときよりも更に、原文とは異なる段落に替え、仮名を漢字に直すなど、手を加えてありますが、もちろん文意は原文のままです。

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
   ・・・・・
   今日人が学問と呼んでいるものの本質は、研究です。
   ではどこに、研究の本質があるのでしょうか。
   それは、認識することが自ら道案内として、自然であれ歴史であれ、
   存在するものの領域内で身構えるところに、成り立つのです。

   道案内とは、ここでは単に方法や手続きを言うのではありません。
   なぜなら道案内はすべて、自らがそのなかで動く或る開けた区域を、
   予め必要とするからです。
   しかし、ちょうどそのような区域を開くことが、研究の基礎工程なのです。

   これは、存在するものの或る領域たとえば自然において、
   自然現象の一定の見取図(輪郭)が描かれることによって、行われます。
   いったいどんな仕方で認識する道案内が、開かれた区域に結びつくべきか、
   ということを予め描くのが企画です。

   この結びつき方は、研究の厳密さです。
   見取図の企画と厳密さの規定とによって、道案内は存在領域において、
   その対象区域を確保します。
   最も早くから発達し且つ標準的な近代的学問(近代科学)である
   数学的物理学をみれば、このことが明らかになります。
   ・・・・・

   物理学は一般に自然の認識であり、特に質量的物体的なものを
   運動において認識することです。
   なぜなら質量的物体的なものは、それが様々な仕方にせよ、
   すべて自然的なものに直接に例外なく現われるからです。

   さて物理学が、ことさらに数学的な或るものへと形成されるとすれば、
   これは或る強調された仕方において、数学的なものを通じて、
   また数学的なものにとって、なにものかがすでによく知られたものとして、
   予め構成されている、ということなのです。
   この構成は、求められた自然の認識にとって、
   いつか、自然であるべきところのものを企画することに
   全く他ならないのです。

   すなわち、これは時間空間的に相関連する質点の自己完結的な運動連関に
   他ならないのです。
   この構成されたものとして設定された自然の構図に、
   とりわけ次の諸規定が記入されます。
   すなわち、運動は場所の移動である、いかなる運動も運動の方向も、
   他のそれらより勝っていることはない、すべての場所は他の場所と等しい、
   いかなる時間点も他のどの時間点に優先しない、すべての力はそれが運動に、
   すなわち
   再び時間単位における場所の移動の大きさという結果を伴うところのものにしたがって
   規定される、
   換言すればそれ以上でも以下でもない、などなど。

   この自然の構図のなかに、あらゆる経過事象(経験されてきた事象)が
   見込まれていなければなりません。
   この見取図の視界内で、ひとつの自然の事象は、そのものとして、
   はじめて眺められるのです。

   物理学的研究の、その問のどの歩みも、予め企画に結びつくことによって、
   自然についてのこの企画が確実さを保っています。
   この結びつき、すなわち研究の厳密さは、
   企画に沿ってそのつど独自の性格をもっています。
   数学的自然科学の厳密さは、精密さです。
   すべての出来事は、それらがおよそ自然現象として表象されるときには、
   その際予め時間-空間的な運動量として規定されねばなりません。
   そのような規定は、数と計算の助けをかりる測定において行われます。
   ・・・・・
   しかし数学的な自然研究は、
   正確な計算がおこなわれるから精密なのではなく、
   その対象領域への結びつきが精密さの性格をもっているので、
   そのように計算されねばならないのです。
   ・・・・・
    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

すなわち、[架構は「耐力部」+「非耐力部」で構成される]との見かたは、厳密ではない、ことになります。
厳密でない仮説の下で、精密な計算だけを要求される、この不条理。

文の上記以外は、前記記事をご参照ください。   

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2 コメント

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3階建て「長期優良住宅」加震実験 (praline)
2009-10-28 21:36:20
先生の記事、毎度興味深く拝見しております。

昨日11月27日に大型震動台「E―ディフェンス」を使って3階建て木造住宅を揺らし、耐震性を試す実験が行われたそうですが、震度6強で揺れに耐えると考えられた「長期優良住宅」の基準を満たす住宅が倒壊するという、耐震を研究されている方々にとってはなんとも皮肉な結果になったようです。
下記に日経の記事と動画を載せました。
宜しければ先生のご感想をお聞かせ下さい。
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20091028AT1G2703J27102009.html
http://www.youtube.com/watch?v=IJQW8fuCwDc
返信する
「皮肉な結果」 (筆者)
2009-10-28 21:53:22
情報ありがとうございます。
早速、記事を見てみました。
淡々と描写してあったので、かえって真に迫っていました。
もったいないので、知らない方々が多いのではないかと思い、以下に転載します。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「長期優良」でも倒壊 
3階建て木造住宅耐震実験 防災研

防災科学技術研究所などは27日、大型震動台「E―ディフェンス」を使って3階建て木造住宅を揺らし、耐震性を試す実験を実施した。
その結果、震度6強で、揺れに耐えると考えられた「長期優良住宅」の基準を満たす住宅が倒壊。
実験を指揮した東京都市大学の大橋好光教授は「基準に問題はない」としているが、3階建て住宅の増加もあり、同研究所は設計上の課題などを探る。

実験では同じ設計の木造3階建て住宅を2棟使用。
1棟は「耐震等級2」を満たす長期優良住宅。もう1棟は柱の接合部のみを弱くしてあり、同等級を満たさない。

2棟を並べて耐震基準の1.8倍、震度6強相当の人工地震波で約20秒間揺らした。
実験した住宅はともに耐震基準の1.44倍に耐える設計だが、実際には余裕を持たせて建築しているため揺れを上乗せした。

その結果、長期優良住宅は揺れ終わる間際に壁が崩れ横転するように倒れた。計画では、ぎりぎり倒れないはずだった。
もう一方は揺れ始めて約10秒後に柱の接合部が壊れたが、完全には倒壊しなかった。(07:00)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

大橋さんの「言い訳」が見ものですね!
彼が今、かの坂本功氏の後を受け継いで「木造」をいわば牛耳っているようです。
返信する

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