耐震診断・耐震補強の怪-2・・・・世界を救うのは強者だけ?

2009-10-23 17:49:18 | 地震への対し方:対震

[写真番号 誤記訂正 24日 2.10][文言追加 24日 2.17][文言追加改訂 24日9.28][文言追加 24日 9.35][文言追加 27日15.17]


今回は、いつも以上に長くなりますが、ご容赦を!

上掲の写真は、近くで見かけた「耐震補強」を施したRC造の学校校舎(以前にも載せたような気もしますが・・・・・⇒07年10月13日記事参照)。[文言追加 27日15.17]
ともに、ローム層の台地上に立地しています。

②の写真の、4階建て既存校舎の左端にある窓のないコンクリートの塊部分が「耐震補強」のために付加された部分です。

①は、最近多く見かける「耐震補強」のためにRCの「筋かい」を付加したRC校舎です。写真はありませんが、鉄骨の「筋かい」を付加した例もあります。
最近は、新築でも、このような「筋かい」を堂々と教室の前面に取り付ける学校を見かけます。

②を見たのは「耐震補強」が叫ばれだした初めの頃、したがって10年以上前のことです。
これを見たときの私の感想は、なぜこんな危なっかしいものが「補強」になるのか、という違和感でした。
私には、もしも地震があったら、特に校舎に直角方向:短手・梁行方向:の揺れがあったら、「既存部」と「補強部」の境:接続部で破断を起こし、結果として既存部にも影響が生じるのではないか、と思えたからです。もちろん、校舎に平行の方向:長手・桁行方向:の揺れでも異常を起こすのではないでしょうか。

①は比較的最近の例です。シートが外され、全貌が見えたとき、やはり違和感を覚えました。それは2点あります。
一つは、
イ)既存の校舎にはなかった「不均衡」、すなわち「強い部分」と「弱い部分」を、何故わざわざつくるのか、私には理解できなかったからです。
もう一つは、
ロ)新設の筋かいのある教室では、常に子どもたちの視界を斜めの線が横切ることになりますが、そういう鬱陶しい空間に変えてしまって平気でいられるというのが「不思議」だったからです。
これは、かつての日本の人びとにはなかった、きわめて粗暴な感覚です。

先ずイ)について。
先に紹介した 遠藤 新 の言葉の中に「不釣合いは不縁のもとで、不権衡は不健全である。外(ほか)の部分が弱められるか、強い打撃をうけるかに終る」という言葉がありましたが(「遠藤 新 の構造、材料についての考え方」参照)、私もまた同様に考えるからです。

私が若い頃、校舎のように同じような部屋が横並びする細長い建物の場合、短手方向の強さは気にしても、長手方向については左程問題にしないのが普通でした。

何故問題にしなかったのでしょうか。

模型で仮想実験をしてみましょう。
何階建てでもいいですが、4本の柱で支えられた直方体Aがあったとします。つまり、4本の柱でつくられた柱状の立体に床板が何枚か入っている立体です。
もう一つ、立体Aと同じ大きさの立体が数個長手に連続している直方体Bがあるとします。接続箇所では、柱を共有することになります。
たとえば4個横並びになった直方体では、柱10本で支えられ、それを貫いて床板が入っている立体になります(模型をつくって写真を撮ろうかとは考えていたのですが、間に合いませんでした。言葉で書くと面倒ですが、簡単な形ですので、姿を想像してください)。

この模型AとBを平らな板の台の上に糊付けします。そして、その板の横腹を、置かれた立体の、直角方向(短手方向)、平行方向(長手方向)にハンマーで軽く叩いた場合を想像してみてください。
たとえば、台を右から左へ向かって叩くと、立体は右側に倒れようとするでしょう。これがいわゆる「慣性」です。注意したいのは、そのとき、台に糊付けされている(固定されている)ため、模型の足元は台とともに左方向に動いていることです。後でふたたびこのことに触れるでしょう。[文言追加改訂 24日9.28]

結果は、直角方向、平行方向ともに、Bの方が倒れにくい筈です。
とりわけ平行方向(長手方向)では、かなりの差があります。
これはあたりまえすぎるほどあたりまえです。
4個のAを横並びした大きさの直方体全体で「水平力」に対応しているからです(これは、実験しなくても分る筈ですが、模型をつくって実験すればすぐに分ります。ウソだと思われる方は、実験してみてください)。
なお、直角方向:短手方向でも、集まった4個のAの大きさの立体の方が、A1個のときよりは、強くなります。

私の若い頃、この「事実」は、誰もが実験をするまでもなく、分っていた、つまり「常識」だったのです(その「常識」は、各人の「体験・経験」で培われていたのだと思います)。

では、その直方体の一部に、不均衡になる部分をつくります。
たとえば、4個のうちの3個目の床板を、天板だけ残して取り去ります。
この立体を、同じように板に貼り付け叩いてみた場合を想像してみてください。
床板を取り除いた部分で、捩れたり、潰れたりする筈です。これが「不権衡は不健全」と言う所以です。


では、何故、最近は「不健全な不権衡」が奨められるのでしょうか?
その理由は、「最新の耐震理論」にあります。

その「理論」とは、簡単に言えば、「地震の力」は主として「水平力」である。その「水平力」に対して、建物の保有する「水平耐力」が対応する、というものです。
そのとき、建物の「水平耐力」を担うのが「耐力部」、すなわち主に「筋かい」を含む「耐力壁」であり、各層(各階)にある「耐力壁の耐力」をすべて足したものがその階の保有する「水平耐力」:「保有水平耐力」である、ということになります。
そして、簡単に言えば、建物の各階の「保有水平耐力」が、地震による「水平力」に耐えられるかどうか、その「検討」が「耐震診断」であり、「保有水平耐力」が足りなければそれを補う、これが「耐震補強」、ということになります。

一見するかぎり、筋が通っているように見えます。
しかし、肝腎なことが忘れられているのです。
「耐震」を考えるあまり、「耐力部」だけしか見えなくなっているのです。
すなわち、「耐震」とは[「耐力部の耐力」vs「地震の水平力」のこと]に掏りかわり、「建物全体」が視界の外に消えてしまったのです。

すなわち、この理論の前提・根底には、[建物は「耐力部」と「耐力には無用の部分」によって構成され、「耐震」に働くのは「耐力部」だけである]という考え方があり、ゆえに[「耐力部の耐力」vs「地震の水平力」]という考え方が生まれ、「耐力には無用の部分」はもとより「全体」が見えなくなる、あるいは、見なくてもよい、という考えに至るのです。

もう一つ、肝腎なことが忘れられています。
いったい、「建物に加わる水平力」は、何ゆえに生じているのでしょうか。
ここで、以前に紹介した「在来木造建築の耐震」についての日本建築学会のパンフレットの「記述」を思い出してみてください(「現行法令の根底にある『思想』・・・・学界の木造建築観、耐震観」参照)。
そこには、
「木造軸組工法の住宅が地震にあうと、柱、はり、すじかいで地震のカを受け持って、土台、アンカーボルト、基礎、地盤と力が伝わります。」
と書かれています。
この「地震の力」はどこから現れたのでしょうか?


たしかに、地震の際、「地上に置かれた物体」には、普段は考えられない力が加わります。その主なものが「水平力」です。
けれどもそれは、a)地面に固定されている物体の場合、b)地面に固定されていない物体の場合、とでは異なるはずです。

先ほどの仮想実験は、a)に相当するもので、ハンマーで台を叩いて生じた台上の立体に起きた動きが地震にほかなりません。
このとき、台上の物体は台とともに動きましたが、同時に、あたりまえではありますが、「慣性の力」が働いているのです(先の仮想実験では見えにくいですが、「だるま落とし」を考えれば分ります)。つまり、物体が、元の位置を保とうとするために、物体の生じる水平方向の力です(バスが急発進したとき、立っている人が受ける力と同じです)。したがって、a)の場合は、台の動きによる力と慣性の力、この両者が物体に働いていることになります。[文言追加 24日 9.35]

ところが、b)の場合は、台と立体の間に摩擦がないとすれば、物体は台とともには動きません。それゆえ、物体に生じる「水平力」は、「慣性による力」だけ、ということになります。
実際には、b)の場合でも、台と物体の間に摩擦がありますから、一定程度、物体は台とともに動きますから、大きさは違いますが、物体には、台の動きによる力と慣性の力の両者が働いています。
しかし、その力は、a)の場合に比べ、はるかに小さくてすみます。そしてこれが、かつての日本の木造建築の工法だったのです。


現在の「耐震理論」は、おそらく、a)の場合しか考えていませんから、「建物に生じる地震の力=地面の動き」と見なし、「慣性により生じる力」を忘れているのではないか、と思われます。
なぜなら、もしも「慣性により生じる力」が念頭にあったならば、「耐力部」と「耐力には無用の部分」という分け方はできないはずなのです。
「慣性による力」は、「耐力部」「非耐力部」には関係なく、つまり、「理論」どおりに仕分けて生じるようなことはなく、立体各部に「平等に」生じ、その結果、不権衡部:弱いところ:に障害が生じることが分る筈だからです。
地面が揺れると(つまり地震が起きると)、建物各部には、強い、弱いは関係なく、平等に慣性による力がかかる、このことを忘れては、地震を語る資格なし、と言ってもよいかもしれません。[文言追加 24日 2.17]

そしてこれが、架構を「すべての部材を、一体化した立体にする」ことの必要な理由にほかならないのです。
すでに多くのところで触れてきましたが、かつての日本の工人・技術者たちは、このような理屈を通してではなく、幾多の現場での体験・経験を通して、架構を「一体化した立体」になることを目指してきたのです。

残念ながら、現在の「耐震理論」は、「強者」だけが地震に耐えるのだ、それ以外は不要だ、と言っているのに等しく、わが「現代社会」の縮図のような「考え方」と言ってよいでしょう。

さて、ようやくロ)にたどりつきました。
すなわち、耐震のためなら日常の不愉快など問題でない、という「考え方」の粗暴さについて。
かつての工人は、逆に考えました。
日常の暮しが第一。それをどうやって確保するか、それが「技」「技術」というものだ、と。
そのよい実例は、いかにして開口部を広くとるか、そのために工夫された「慈照寺・東求堂」です。「『在来工法』はなぜ生まれたか-4の補足・・・・日本の建築と筋かい」で紹介してありますので、参照ください。文化財建造物での唯一の「筋かい」例です。

よく、ここまでお読みくださいました。ありがとうございます。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2009-10-23 21:33:33
写真1、2が逆ですね
返信する
ご指摘、ありがとう! (筆者)
2009-10-24 02:00:29
間違えました!
ご指摘、ありがとうございます。
訂正しました。
返信する

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