地震への対し方-3・・・・「耐」震の意味するもの

2007-01-26 01:58:49 | 地震への対し方:対震
 建築の世界で使われる語には、誤解を与える語が多いように思う。
 たとえば「断熱」「断熱材」という語。
 「断熱」を字の通りに理解すると、「熱を断つ」という意。だから、「断熱材」でくるまれた空間は、外からの熱が断たれることになる。もしもこういう材料でつくられた魔法瓶:ジャーがあれば、一度入れた熱湯は永遠に熱湯の状態を維持できる。しかし、そのような材料はこの世には存在しない。
 ゆえに、「断熱」「断熱材」はいわば『誇大表示』、せめて、「保温」「保温材」と言い直すべきなのだ。
 しかし、「断熱」の語は一人歩きし、誤解をばらまいている。そしてその誤解は、一般の人のみならず、専門家にさえ蔓延している。

 「耐震」という語も同様である。
 「耐震」を字の通りに理解すると「地震に耐える」すなわち「地震に遭っても平気」という意になる。当然、一般の人は、その意に理解するだろう。
 たとえば、「震度7程度の地震に耐えるという国の規定する耐震基準を充たしている(とされる)共同住宅」に住んでいる人は、「震度7の地震に遭った後も住み続けることができる」と理解するだろうし、実際そう思っている人が多い。
 しかし、本当のところは、「震度7程度の地震に耐えるという国の耐震基準を充たしている」建物は、「震度7程度の地震に遭った後も住み続けることができる」ことを保証しているわけではなく、ただ単に「人命に損傷を与えるような破壊は生じない(だろう)」ということを意味しているにすぎない。これも『誇大表示』。
 この理解のギャップはきわめて大きいが、詳しく説明がなされているとは思えない。
 第一、「基準」自体、基準法制定後わずか50余年の間に、数回、10~20年に一度改変されていることは前回触れた。コンピュータソフトのように改訂があれば自動更新されるならばともかく、一度つくられた建物は、新耐震基準がつくられたとたん、「新・違反建築」に変ってしまうだけだ。そして、それに対しての「責任」はうやむやのまま・・。

  註 私は、今全国的に行われている「耐震補強」にかかわる
    つもりはまったくない。なぜなら、「耐震補強」策の拠
    りどころになっている「耐震」の考え方に同調できない
    からである。それによって生じるであろう結果に責任が
    持てないからである。

 これを書いているたった今、新たな構造計算偽装が発覚したというニュースが入った。
 これについても前から疑問を抱いていたから、ついでに書いてしまおう。
 いったい、ここで言われる「構造計算」とは何のことなのか?
 19世紀、微積分学とともに進展を見た材料力学、構造力学の体系化とともに、従来、技術者の経験によって裏打ちされた直観的な判断のみに委ねられていた構築物の計画を、学問的知見を駆使して事前に数値で計算し確認する、そのために生まれたのが元来の構造計算であったと私は理解している。
 正確に言えば、技術者が(直観的に)描いた構想を、そのときまでに得られている学問的知見を駆使して事前に確認してみる、それが構造計算だったのではないか。重要なのは、先ず、技術者が、自らの経験を基に(直観的に)構想する、という段階があったことだ。そこでは当然、技術者の経験で描いた構想と、計算で得られる結果との間に、いわば[壮絶な闘い]があったはずだ。
 しかし、構造計算法が生まれてから、技術者に怠慢がはびこったように思えてならない。かつて、石造のアーチをつくるとき、計画し差配した棟梁は、最後の要石を据えるとき、自ら据えた石の上に立ったという。そういう「必死さ」がなくなったのだ。
 特に、昨今の《構造計算》とは、《計算ソフトに数値を入れる》ことを意味するにすぎず、数値を入れる本人が、構築物の計画を頭に描いているとは到底思えない。単純に計算を充たせば、それでよし。何かドリルをやっているかの風情。つまり、計算することがリアリティに結びついていないのである。だからこそ、数値の改ざんが行われるのである。
 
 そして、更なる問題は、そのような「計算ソフト」の拠って立つ前提は何か、ということにある。つまり、「耐震」とは、何を言うのか?
 
 「地震に耐える」という以上、耐える相手が分らなければ耐えることはできないのは当然である。そこで、いまの《耐震理論》は、地震というものの実態を仮定して組立てられる。
 ところが、地震の実態は何かというと、これがまったく定まらない。実態が、地震ごとに全く異なる。だから、地震次第で理論も変らざるを得ない。それゆえ、大地震があるたびに基準を変えざるを得ないのだ。
 いつの日にか、地震の実態はかくかくしかじかなるものと一定に確定する日が来るのだろうか。私の答えは否。そうなることはあり得ない。
 もしも仮に、そうなる日がいつか来るとしたとしても、いつだか分らない。そのいつかが来るまでの間は、不確かなままだ。その間、そういう不確かなものを相手に、どうやって耐えようというのだ。
 つまり、今の構造計算の拠りどころは、仮定に仮定を何重にも積み重ねた《理論》の上に成り立っているのであって、それがリアリティと結びついているとの保証はまったくないに等しいと言ってよいだろう。
 

 かつて、人びとは、このような不確かなものを「人智の及ばないもの」として理解した。そう理解することを「恥ずかしいこと」「劣ること」などとは少しも思わなかった。そして身のまわりはその類のものだらけだった。地震もその一つ。しかし、その中で暮してゆかなければならない。
 日本は有史以前から地震の頻発する地域。当然、建物を建てるときには地震を考慮せざるを得なかったはず。しかし相手は「人智の及ばない」力。
 私の見るかぎり、そこで人びとが到達した結論は、「地震にまともに立ち向かうな、耐えようなどと考えるな」ということだった。
 それはつまり、まともに立ち向って死んでしまっては元も子もない、柳に風と受け流そう、という考えと言ってよいだろう。

 この考え方を具体化したのが、近世までに確立したわが国の木造技術、一言で言えば、部材を一体に組んで強固な立体にする方法である。これは通常「伝統工法」と呼ばれる。このようにしてつくられる立体格子を地面の上に置けば、地震に遭っても、立体が地面の上を動くだけで立体は壊れない。地面の上を動くにあたって何らかの抵抗を受ければ、骨組の間に充填された壁、あるいは屋根の上の瓦は振り落とされるけれども、立体は壊れない。阪神・淡路で見たいくつかの健在の実例が、このことを如実に語ってくれている。そこにこそ学ぶ点があると私は思う。

  註 ある木造建築の「専門家」は、「伝統工法」に対して、次の
    ような一文を書いている。
    「・・・・(伝統構法の木造建築は)いずれも、ある程度の
    耐震性はもっているが、きわめて強い地震に対しては不安な
    ものが少なくない。
    伝統構法は、現代的な科学技術とは無縁に発展してきたもの
    であるだけに、その耐震性の評価と補強方法はいまだ試行錯
    誤の状態であり、今後の大きな課題である。・・」
           坂本功「木造建築の耐震設計の現状と課題」
                  (「建築士」1999年11月号)
    この一文は、現代の学問では「伝統工法」を理解することが
    できない、つまり、現在の構造学の土俵の外に「伝統工法」
    はあり、ゆえに分らない、との告白と見てよいだろう。
    そのような場合、真にscientificであるならば、自らの視点
    ・視座を改め、どうしたら理解できるか考えるのが普通だが、
    そういう兆しはまったくない。

 「耐震」という言葉はなかなか勇ましい。人類が自然を制覇できるかの響きを持つ。しかしそれは所詮無理、ドンキホーテ的な考え方だ。
 そのような無謀な考えは捨て、「耐震」ではなく「対震」のしかたを近世までの古人に学んだ方がよいのではないか、と私は思っている。

  註 大正・昭和の初めにつくられたと思われる建物や土木構築物は、
    阪神・淡路の地震でも、意外と被災した例が少ない点は注目して
    よいのではなかろうか。
    その当時はまだ構造学は初期の段階にあり、それら構築物は、
    技術者の自身の判断によるところが大きかったからではないか、
    と私は考えている。
  
 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 地震への対し方-2・・・・... | トップ | 閑話・・・・最高の不幸、最... »
最新の画像もっと見る

地震への対し方:対震」カテゴリの最新記事