「第Ⅳ章-2-付録 妙喜庵 待庵」 日本の木造建築工法の展開

2019-09-04 18:01:00 | 日本の木造建築工法の展開

(「第Ⅳ章ー2-参考」より続きます。

 

付録 妙喜庵(みょうきあん) 待庵(たいあん)  1582年(天正10年)頃 利休の作? 所在 京都府 乙訓郡 大山崎町

                            国土地理院 1/25000 地形図より

 保津川(桂川、鴨川下流)、宇治川木津川が合流して淀川となる地点の北岸、天王山の山腹にある。川と山に挟まれた狭い場所に、西国への街道が通っていた。現在も、旧国道1号、東海道線、阪急、新幹線が密集しているのが眼下に見える。対岸には岩清水八幡宮

 現在は東海道線・山崎駅の駅前広場に面している。印。

 

 宇治川と木津川に挟まれたV字型の一帯の東側には、明治初頭まで、巨椋池(おぐらいけ)と呼ばれた広大な自然の遊水池:沼沢地があった(地図の街道筋の東一帯)。干拓されて現在は宅地化が進んでいる。

 現在は、山麓一帯の家混みや遠景の乱開発を隠すため、茶室南側は生垣が密になっているが、当初は、眼下に淀川~岩清水八幡が 木の間隠れに望めたと思われる。

 大徳寺・孤篷庵も、現在は南側を鬱蒼とした樹林に囲まれているが、元は船岡山を木の間越しに望めたという。

 その他にも、借景を意図した建物では(洛北・円通寺、大和小泉・慈光院など)対策に苦慮している。これらは、現代の設計・計画が、作法を持たないことを如実に示す例である。

 

 

妙喜庵書院の広縁と待庵の部分平面図  日本の美術 №83茶室より

 

妙喜庵の広縁、待庵への路地  日本の美術 №83 茶室 より     

 

待庵への路地、および待庵西面  原色日本の美術15 桂離宮と茶室 より

 

 

平面図                日本建築史資料集成二十 茶室 より

下記の茶室内の写真は、空間を極力全面収めようとするために、いずれも実際の目線よりも高い位置で撮られている。

 

 

にじり口からを見る            原色日本の美術15桂離宮と茶室 より     

 

にじり口を見返す               日本建築史資料集成二十 茶室 より

 

南面                           東面      日本建築史資料集成二十 茶室 より

 

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