建築をめぐる話・・・・つくることの原点を考える       下山眞司        

                     ☆ 2019年1月より、故人が残したものを順次、掲載して行きます。☆

続々・地震への対し方:地震(earth guake)と建物の関係

2007-03-29 19:50:31 | 地震への対し方:対震
[「日本の建築技術の展開-8」の前にまたまた飛び入り]
[補足の註を追加 9.55PM]

 たまたまTVを見ていたところ、「一級建築士」の方が、能登の地震で壊れた家屋を見聞しながら、壊れたのは、能登特有の瓦の葺き方にある、と語っていた。能登では、風が強いので、瓦を釘で下地に打ち付けるのが普通。だから瓦が崩れもしないでつぶれている、と。
 ある程度は妥当な説明ではあるが、しかし誤解を生む説明でもある。瓦葺きはだめだ、あるいは瓦を釘で打ちつけてはだめだ・・、という風評が広まってしまうことを恐れる。
 瓦だけを、部分だけを見ないで欲しい。なぜなら、同じ葺き方の瓦葺き建物でも、壊れない例があるのだから。

 TVで見たところ、瓦は最近主流の陶器瓦であった。ということは、建物の建設時期もそんなに古いものではない。ということは、布基礎にアンカーボルトで留めてある建物と見てよい(屋根がかぶさってしまい、基礎まで見えなかったので推定である)。

 そこで、地震と建物の関係を、あらためて考えてみたい。
 2月7日に、AIJ(日本建築学会)のHPから転載の《在来工法》についての解説中に、「木造軸組工法の住宅が地震にあうと、柱、はり、すじかいで地震の力を受け持って、土台、アンカーボルト、基礎、地盤と力が伝わります」という一節があることを紹介した。
 この場合、「地震の力」が加わった後の話を述べているのであって、肝心の「地震の力」は、いったい何処からやってくるのだろうか?

 私たちが今、走る電車内で立っている状態を考えてみよう。電車は今順調に走っている。つり革につかまらなくても立っていられる。
 そこへ突然、急ブレーキがかかった。私たちはどうなるだろうか。そしてどうするだろうか。
 私たちは進行方向に体が持ってゆかれ、あわててつり革をつかむか、手摺棒をつかむ。同時に多分、私たちは足を踏ん張るだろう。そのどれにも失敗したら、私の体は前方に突進してしまう。多くの場合、子どもやお年寄りがその目に遭う。
 停まっている電車が急発進したら、これと逆に、体は後に持ってゆかれる。これは日常、急発進でなくても、立っているとき、バスの走り始めによく経験することだ。
 つまりこれは、私たちは、等速で走っている状態、あるいは、停まっている状態(速度が0)を維持し続けようとするのに、立っている足元が別の動きをしてしまい、その結果、予想もしない力が身に降りかかってくる、ということだ。
 この現象を「慣性」として説明したのがニュートン、ニュートン力学の基。動くときの話だけではなく、停まっているものは、いつまでもその姿勢を保ち続ける、と考えたからこそニュートンはただ者ではなかったわけ。

 地震がある。地が震える、地面が揺れる(earth quake)。そのとき建物はどうなるか。この場合、建物はずっと停まっていたわけだから、そのまま停まり続けようとする。
 つまり、地震により建物に起きる挙動は、「慣性」によるものだ、ということ。建物にかかる力は「慣性」によって生じる、ということだ。
 つまり、「対震」を考えるには「慣性」を考えなければならない、ということになる。
 
 「だるま落し」の遊び、積み木を何段か積んでおいて、中段の積み木を横からハンマーで叩くと、叩かれた積み木だけが跳び、上に積まれていた積み木がすとんと落ちて跳んだ積み木の位置におさまる遊びを経験したことがあろうかと思う。
 この「跳んだ積み木が地面」、「すとんと落ちた積み木が建物」と考えればよいのである。
 そして、このような地面にただ置いただけの建て方がかつての日本の建て方:いわゆる「伝統工法」。言ってみれば、地面と縁を切り、地面の揺れに追随しないやり方。

  補足の註
    まったく縁が切れているわけではない。
    礎石に彫られた孔にダボが入っていたりするし、
    それがなくても礎石や布石との間の摩擦もある。
    しかし、ボルトで留めるのとは全く違う。
    つまり、基礎+ボルトに比べると、
    相対的には、縁が切れていると言える、ということ。

 この遊びで、積み木と積み木を両面テープか何かで接着したらどうなるか。ハンマーで叩いたら、上に詰まれた積み木ともども、跳んでしまう。つまり、積まれた積み木は共倒れ。
 両面テープを貼った状態、実はこれが「基礎に木造部分を緊結せよ」、と言う
現在の法律が規定している建て方:いわゆる「在来工法」。言ってみれば、地面の動きに追随し、ともに動くことを奨める工法。

 ふたたび「だるま落し」遊び。
 積む積み木の最上段を、下の段より数等「重い積み木」にして積み木を全部両面テープで貼りつける。そして下の方の積み木を横からハンマーで叩く。どうなるだろうか。
 重い分、最上段は現状位置を保とうとするから(重ければ重いほど、現状位置を保とうとする)、積み木の塔は、ハンマーの方向とは逆:後方にそったいわば弓なりになろうとして、テープが剥がれるかもしれない。つまり、塔が折れる。
 これが、基礎に緊結した重い瓦屋根の建物は壊れやすい理屈。
 
 では、先の最上段を数等「重い積み木」にして、しかし互いはテープでつながない普通の「だるま落し」ではどうなるか。
 重い分、最上段は、より強く現状位置を保とうとするから、そのまま真下にすとんと落ちる。高さ:段数が減っただけでほとんど位置が変らない。
 これが、かつての「建物を礎石に据え置いた建物」に地震のときに起きる現象。
 べらぼうな大きさの瓦屋根の西本願寺などの大寺院建築が、地震で平気なのは、多分、この理屈。
 しかし、すとんと落ちても、なぜ骨組は歪まずに平気なのだ?これが「日本の建築技術の展開」の究極の目的。
 
 長々と書いたけれども、このように考えれば、かつて工人たちがたどり着いた日本の建物づくりの技術が、現場の体験を基にいかに考え抜かれたものであったか、
それに反し、「法令が規定する木造建築の諸規定・規制」が、いかに考えが浅いか、分かっていただけるのではないかと思う。

  註 最近、木造建築の免震を説く人たち、
    業者たちが増えてきたが、
    少しは日本の建築技術に
    目を向けたらどうなのだろうか。

    そして、耐震・免震を、
    また、自らは設計をせず(考えず)
    「確認申請の許認可」を、
    商売のネタにするのは、
    「技術の本道・王道」ではあるまい。

 さて、少し寄り道をしたけれども、決して今後の話と無関係な話ではない。
 日本の工人たちがたどり着いた究極と言ってもよい技術について、「日本の建築技術の展開-8」へ続けよう。

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4 コメント

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報道には憤慨しています (bajane1515)
2007-03-29 21:20:05
はじめまして、倉敷で設計事務所を営んでいる和田と申します。私の拙ブログへのコメントを下さった方から下山さんのブログを教えていただきました。

下山さんの冷静かつ深い洞察に感動しています。

私が建築基準法や在来構法に懐疑的なのは、足元を固定したまま二階建て程度の建物を揺すったら、上へ行く程大きな揺れになるのではないかと思うからです。基礎に埋め込まれたアンカーボルトやホールダウン金物が基礎から脱却しないならば、柱が挫屈する気がします。

三木のe-defenceでの実大震動実験を伝統構法と在来構法の両方を見学しました。
伝統構法の場合は竹籠のようにゆっさゆっさ揺れて礎石の上を柱が滑りましたが、倒壊はしませんでした。
在来構法は元々「倒壊実験」だったので、耐震補強がない方は柱が挫屈して二階が落ちました。

私は伝統構法があらゆる点に於いて日本の木造建築に適していると確信しています。

しかし、頼りにしていた大工さんがご高齢の為引退され、その弟弟子の大工さんも既に70歳です。
図面を書いても施工ができる若い大工さんがなかなかいらっしゃいません。けど、現場がなければ、いつまでも経っても覚えられないので、今も一軒計画中です。

厚かましく色々教わりたいので、続けて読ませていただきます。

どうも、ありがとうございました。
Unknown (筆者)
2007-03-29 22:15:36
コメントありがとうございます。
同憂の士があちこちにいることが分かってきて、うれしく思っています。

世の中には、継手・仕口をつくれる大工さんがいなくなってきたから「伝統工法」はつくれなくなった、と言う方々(建築の関係者)が結構います。
そのとき私は、それは嘘だ、と言います。
継手・仕口を知っている設計者がいないからだ、継手・仕口を使った設計のできる設計者がいないからだ、
いなくなったのは、真っ当な設計者だ、
大工さんは、手ぐすねひいて待っている、
と言うことにしています。
これは本当です。若くても大丈夫。

もう10数年前、「建築設計資料40 木造の教育施設」(建築資料研究社 1993年刊)の巻頭で、「《専門家》のノーマライゼーション:『木造建築』があたりまえになるには」という一文を書かせていただきました。今に比べると少しトゲトゲした書き方ですが、機会があったら、読んでいただければ幸いです。

今後もよろしくお付き合いください。
教師は大工さんでした (bajane1515)
2007-03-30 18:29:50
下山さん、ありがとうございます。

建築設計資料、探して読んでみます。

恥ずかしながら、私は大工さんや材木屋さんから仕口・継手を教わりました。
設計事務所に勤務していた頃はRCがほとんどで、所長(先生)からは、木造についてなにひとつと言っていいほど教わりませんでした。

下山さんがおっしゃる通り、設計者にさえ伝統構法が本当には理解されていないのだと強く感じています。

私は架構を考えるのが一番好きです。
架構ができた時点で設計のほぼ7割は完了したと思っています。
架構をそのまま意匠にするのですが、未だになかなか満足できる架構を組む事は難しいです。

どんな名工が仕口・継手を刻んでも、一本物の材にか叶わないと思っているので、なるべく一本物で設計しようと思っています。(予算に苦しみますが)

これからも、よろしくご指導お願いします。
王様はハダカだ! (筆者)
2007-03-31 04:23:36
恥ずかしく思わねばならないのは、
当今の《専門家》《学者・学識経験者》です。
恥ずかしげもなく、
「専門家」である大工さんたちを《指導》しようとする。
そして、そういう《専門家》《学識経験者》に
唯々諾々として従う恥も外聞もない「建築士」たち・・。
そしてまた、
そういう人たちがつくった法令に
合っているかどうかだけでものごとを判断する《専門家》たち・・。
世の中、そういう構図なのではないでしょうか。

事態の打開は、
「王様はハダカ」、「王様の耳はロバの耳」と見たとおりのこと、思ったままのことを、
皆が言うことなのではないか、と思います。
そのうちに、
そう言うことさえもできなくなるかもしれません。
この頃、そうしたい人たちが急増してきましたから・・。

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