模型づくりで・・・・3の補足――遠藤 新 の「構造」「材料」についての考え方

2009-10-14 12:24:54 | 構造の考え方

これまで、たびたび、遠藤 新 が、架構・構造のありかたについて述べている旨触れてきましたが、今回紹介させていただきます。

遠藤 新は、関東大震災の翌年、耐震策として提唱された筋かいや金物補強について、批判した論を述べています。

また、他の所で、建築を立体として扱うべきである、あるいは、建築にとって材料とは、構造とは、についても論を展開していますので、それも紹介します(このほかにも、紹介したい言葉は、たくさんあります)。
いずれも、おそらく、当時の「主流」の方々からは無視された論であろうと思いますが、その論点は、的を射ている、と私は考えています。

  なお、関東大震災当日が竣工式だったという旧 帝国ホテルの構造についても
  詳しく述べた論説もあるのですが(帝国ホテルは被災していない)、
  それはあらためて紹介させていただきます。

上掲は、1924年(関東大震災の翌年)に 遠藤 新 の設計した小住宅の平面図・立面図のスケッチと解説です。
出典は「遠藤 新 作品集」。
以前に紹介した彼の「住宅論」を参照しつつご覧ください(下註)。

   註 「日本インテリへの反省・・・・遠藤 新 のことば」

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◇ 筋かいボート不適当   「婦人の友」大正十三年一月号

濃尾の地震のあった後、世間は一斉に耐震構造に腐心したらしい。

   註 濃尾地震:明治24年(1891年)10月28日に発生したM8.0の地震。
・・・・・
そこで入れられたものは、筋かいとボート・・だ。
これほど不都合なものもない。
然し地震に恐れを為している人達はこんな風に納得した。
「一体日本の家は開けひろげ過ぎる。壁にしよう。ここに筋かいだ、あそこにボートだ。これで安心して寝られる」と。
所が六月はまだよい。七月になった、八月が来た。寝られる家が寝られないのだ。蒸し暑いのだ。

   註 ボート:bolt ボルトのこと。
      彼の耳にした発音どおりに表記したらしい。

地震のほとぼりのある中は我慢もした。然し一年とたち二年となって、筋かいとボートはだんだん影をひそめた。・・・そして大正十二年(1923年)九月の一日、あの地震だ。

世間は、またうろたえた。そしてそこでもここでも耐震構造の御談義だ。所で何というかと思えば、博士から棟梁、出入りの大工さんまで筋かいだボートだと同じことをいうておる。
地震だけ進歩して、世間はちっとも進歩していない。御説に従ってまた数年暑苦しい目を辛抱するか。そしてまたやめて仕舞うか。

所で、そのやめるというのは、実際、地震のほとぼりのなくなった健忘性のためではない。事実、これは日本建築に不適当な方法なのだ。やめるしかないのだ。

その不適当な理由はどうか。
一体、日本建築は、説明するまでもない屋根と柱の家だ。開け放しの吹き抜けだ。その柱と柱の間に障子がはまって居り、雨戸が入って居り、硝子戸が立って居り、そして偶々(たまたま)薄い壁が思い出した位ついている。

筋かいというのはこの思い出した程しかない壁の所にしかつけられないのだ。それで日本の家全体が強まりっこはない、筋かいを用いろというのが無理だ。

「それでも少なくともそこだけは強くなるではないか」と、その通り。
然し建物の一部分だけが強いということは、却ってよくない。
世間に所謂(いわゆる)「不釣合いは不縁のもと」で、不権衡は不健全である。外(ほか)の部分が弱められるか、強い打撃をうけるかに終る。・・・・

   註 権衡(けんこう):秤の錘と計り竿のこと。釣合、均衡と同じ意。

・・・・・
要するに、日本建築の本性と根本的に撞着(どうちゃく)を持って居るのだ。
・・・・・
それから桁と柱の継目を強める為に、燧(ひうち)を45度に入れてボートでしめろという。一体日本建築の何所にそれをしろというのか。日本建築では、相憎(あいにく)みんな小壁か欄間になって居て、この力学の第一頁に書いてある様なことは遺憾ながら出来ないのだ。
・・・・・
接合部が弱いというのは柱が各自独立してる時の心配で、一体となっている柱にはその心配はあり得ない。
・・・・・
今は、見渡す所バラック、そのバラックをご覧ください。
法外な頬杖や、鎹(かすがい)やボートや筋かいが、乱用に乱用されてる。困ったものだ。バラックにすらこんあ風であるから、本建築になったらどんな事をするだろう。
私が、震後の建築が、必ず悪くなることを今日断言しているのは理由なくしてではない。
建物が・・・頬杖責めボート責め、筋かい責め、ありとあらゆる所謂(いわゆる)耐震責めに遇うている・・・。
・・・・・                    
               
◇立体的新建築  「建築評論」大正九年四月号

『日本の建築家は「新しい」という事許り(ばかり)考えて「正しい」という事をおろそかにした。新人の意見の不徹底がそこに因する。何が正しいか、立体建築観が正しい。

此迄(これまで)の建築家は人の心を考慮に入れていない。
心理の考慮なき建築は死人を容るるに適して生きたる心の住家とはならない。
いま有りとあらゆる建築家は棺箱を作ってそれに人を入れることを強要してる罪人だ。
建築は建築家の主観の体現だ。インホメーションばかり漁っている連中に建築家を求めたって居ない。』

『壁は壁で階段は階段で人間と何等の交渉もなく冷やかに配置されてあるという従来の態度をよしたい。
従来の壁に手摺りをつけて「是が階段というものだから構わず上ってゆけ」という態度をよして階段を上る時の心持を汲みとって、手摺のかわりに壁で温かくかこんでみた。

廊下から室にはいる時も低い六尺位の天井をつけて先ず室にはいる前の気を順備せしめる様にした、電燈の配置や植木鉢の置き方までも温かにやらなければならぬ。
天の橋立を遠くから眺めて美しいとか何とかいう態度をよして実際に松林の間を通った時の気持ちを表そうというのである』云々。

◇材料が先きに立つということ
   「アルス美術講座」(昭和二年刊) 「建築美術」より
・・・・・
材料が主であるということ、とって置きの意匠があって、その為めに、材料を切りさいなむで造るのでなしに、初めに、自然の材料があって、その材料に引きずられる様にして、人間がものをつくるということ。
そこには、いうべからざる力が美と共に居る。

工夫(こうふ)がレールを片づける、二本の枕を置いてその上にのせる。単純な構架に、極めて不用意な一無造作な自然がある。
私はあれを見る度、「ああいい建築があるぞ」と思う。
この無造作な構架が少し変形して鳥居になった。更に変化すれば、染物屋の干台にもなった。祭の時の小屋掛、正月のしめかざりを売る歳の市の小屋にもなった。

此等の構架には、人間をぐんぐん引きずって行く力づよさが見える。
勿論、人間の方には目的がある、然しその目的を叶えさして貰う為に、人間が一所懸命おとなしく材料のいいつけをきいている様な趣きがある。
自然らしい美と、原始的な力が其所に湧き溢れて居る。

然るに、建築を大きくばかり造っても、其所に材料の持つ大きさが出て来ないと意気地がない。
今日の構造学には、こゝな用意がない(尤も構造学というものは、いつになってもそんな用意を知らないものだが)。

そして、建築は材料に引きずられずに構造学に引きずられる。
そこで、建築が意気地なくなる。
思いつきや、利口さや、小手先やの細工は、更にも建築を弱く、小さく、意気地なくする。

文化の爛熟の間にも、一脈の単一至純な原始的な力が潜んで居るようでなくてはいけない。
私は、いつも、建築場の簀囲い(さく・がこい)を見て、その、力ある表現に驚く、鉄骨の組み立てを見て、そこにある建築美に打たれる。
そして出来上って建築が、いつも、この囲いと鉄骨とを裏切ることを悲しむのである。
・・・・・
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