[追記:2.30AM]
日本の古代の建築には、大陸:中国の工人の技術が移入されている、というのが通説である。
そこで、中国の木造建物を。ただし、実物は観たことがない。
上掲の写真・図は、中国で現存する最古の木造建物とされる山西省、「五台山仏光寺」の建物である。857年の建立というから、唐代の後期にあたる。日本では平安時代中期か。
しげしげと眺めていると、いろいろと面白い。
たとえば部材の名称。「虹梁(こうりょう)」は「月梁」。
屋根勾配は緩い。日本で現存する建物では「新薬師寺本堂」がこの勾配に近い。当初、奈良時代の建物はどれも緩勾配だったようである。後に勾配は急になる。日本の風雨に対する改良と思われる。
移入・導入される異国の文化・技術が、どのように消化されていくのか、興味深い。忘れてはならないのは、そのときの自国の文化・技術が何であったのか、ということ。
これを忘れると、文化は《高いところ》から《低いところ》へ流れる、たとえば、文明・文化の発祥はギリシャ・・・などという「一方向文化論」「ルーツ論」になってしまう。ちょっと考えれば、では「ルーツのルーツはどこにあるの?」という話になるのは自明なのに!
「図像中国建築史」を通観してみたけれども、丸太を使った「桔木」方式はないようだ。だとすると、これは独自の発案か。もしかすると、それは「民間」のアイディアだったのではなかろうか。