昨日の続き。
「化粧」で表面・表情をつくるのは、比較的容易。また面白い。上はそのいくつかの例。
一方で、何か違和感は常に感じていた。
たとえば、一番上の写真に見える円柱。中に細い鉄骨がある。それが構造体。つまり、この柱は張りぼてのつくりもの。これでは舞台のセット、書割りではないか。構造体と空間の乖離。これでいいのだろうか。
もっとも、今ではこういう設計が普通らしいが・・・。
その頃から、構造がそのまま空間となる、空間を支える構造が空間構成要素の一部となる、それが建物づくりの本来の姿ではなかったか、とあらためて考えるようになった(「浄土寺・浄土堂」に惹かれるのは、まさにそれを具現しているからだ⇒10月20日、11月29、30日)。構造体の柱を、ときには横材も、表しのままとする日本の建物づくりの技術が新鮮に見え出した。
また、日本の建物づくりは、仕事の進め方にも無理がないことにも気が付いた。
たとえば、天井。ごく普通の竿縁天井、これをつくる場合、下向きの姿勢で仕事ができる。先ず竿を渡し、天井板を載せる。これで仕上がる。
こういったことを、学び直す必要を感じ、その頃から後の設計は少しずつ変ってきた。
註 いずれも竣工当時の写真
相模女子大3号館 :「新建築1967年10月号」
東京大学工学部11号館 :「新建築1969年9月号」
北条小学校 :「近代建築1972年2月号」
どの建物も最近訪れていないので、
今どうなっているかは詳らかではない。