日本の建築技術の展開-3・・・・古代の工法(1)

2007-03-19 21:39:13 | 日本の建築技術の展開

 古代の工法、と言っても、普通の住居の遺構がないから、自ずと寺院等の建物の工法で説明することになる。

 上の写真・図は、礎石上に建てるようになってからの建物で、先回触れた「身舎+廂(上屋+下屋)」の構成で建てられ、それが明快に分かる例として選んだ。

 先回(3月16日)の解説図では、柱に直接「梁」が架けられるように見えるが、寺院等の建物では、柱列の頂部に桁行方向に「頭貫(かしらぬき)」を納め、柱相互を一定程度つないだ後、柱位置に「斗(ます)」を据えて「梁」を架ける方法を採っている。
「斗」には軒の出もからみ、各種あるが、上の二例も、その点でも最も簡単な例である(「大斗(だいと)」)。

 しかし、この方法だけでは、地震や風などによる横からの大きな力では、簡単に転倒する。
 そこで考案されたのが、柱の内外に角材を添え、釘打ちして柱列を固める「長押(なげし)」の手法である。

 上掲の「法隆寺東院・伝法堂」では、開口上部と床位置に二段の「長押」が設けられている。開口上の長押は「内法長押」、下を「地長押」と呼ぶ。
 しかし、「内法長押」は正面と背面だけで、側面にはない。側面は小屋組もあって変形しにくいと考えられていたのではなかろうか。

 一方、新薬師寺本堂では、「長押」と見なされる材は、開口上部だけである。これは、むしろ、開口装置取付け用の材と考えた方がよいかもしれない。

  註 壁の下部の土台のように見える材は、「地覆(じふく)」と言い、
    壁の納めのための材で後入れ。

 この二例の建設時期は、奈良時代、ほとんど同じ頃である。同じ時期でも各様のつくりかたがあったものと思われる。
 特に、新薬師寺本堂は、当時の、「長押」を用いない、ごくあたりまえの礎石建ての建て方:工法だったと考えられる。

 その後、12世紀末に「貫」工法が現れるまで、「長押」を設ける手法は隆盛をきわめることになる。

  註 3月1日に、「長押」と「貫」が併存する建物
    「東大寺・法華堂(三月堂)」の写真を載せた。
    違いがよく分かる。

 なお、各建物については、3月17日(断面図)、昨年11月8日、10日にも関連事項を掲載しています。

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