日本の建築技術の展開-5・・・・古代の工法(3)

2007-03-23 21:02:40 | 日本の建築技術の展開

 [追記を追加しました:21時24分]

 法隆寺西院廻廊のすぐ東側に細長い建物が二棟、平行して建っている。廻廊側が「東室(ひがしむろ)」右側が「妻室(つまむろ)」である。なお、廻廊の西側には「西室」がある(昨日の伽藍配置図参照)。

 これらの建物は「僧坊」で、「東室」と「妻室」は中庭を挟んだ各房が一組の構成になっていたという。「東室」側は「大房」と呼び、主人の僧が居住し、「妻室」側は「小子房」と呼び、従者の住まい兼日常生活の雑用の場にあてられていた。要は、学生:学問僧の寄宿舎である。

 この建物は、平安時代の建設とされているが、奈良時代の工法を踏襲しているとのこと。
 各房(室)の境を円柱、中間はほぼ方形の角柱で三等分する。
 各室の境、中間とも組物を使わずに直接桁を載せ、梁は桁に「渡りあご」で架け、「又首(さす)組」を組み、棟木を「又首」頂部の三角形に「大入れ」でかぶせ、棟木~桁に垂木を渡し、直接瓦を葺いている。
 このような工法の遺構は、この建物だけらしい。
 法隆寺の他の建物が「斗組」であるのに対して、これはきわめて簡潔、簡素な工法である。

 おそらく、当時の普通の建物は、このような工法を採っていたのではなかろうか。

 「東室」も簡素なつくりであるが、後補が多く、当初の姿ではなくなっているということなので、紹介は省略。

 なお、以上の説明は「奈良六大寺大観 法隆寺一」所載の解説によっているので、詳細は同書を。

追記
 同解説に「方杖」「筋かい(筋違)」について、興味深い記述があったので、転載する。
 「(この建物の)棟木下の方杖は東室にもその痕跡があって、こうした簡単な建物にはむしろ古くから使われていたらしい。鎌倉初~中期の桧皮葺もしくは板葺の簡単な小屋組にも、これに類似した筋違の使用が見られるが、小屋組構造の発展につれて、むしろその後は消滅していった。小屋組の中に貫が採り入れられて、方杖(一種の又首とみてよい)から筋違、やがて貫を何段にも縦横に組む構造へと変化したのである。」

  註 上掲の写真には、方杖はない。復原されたこの建物では、
    南北両端の房に方杖を入れている、とのこと。

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