昔の記録と写真
アルバムではないがこんな帳面が出てきた。
昭和12年(1937年)支那事変が始まり、父の商売が立ち行かなくなった。
やむ無く、父の妹婿の経営する軍需会社に就職するために東京に出て来る時の友人たちからの選別帳だ。
最高10円、最低は2円、中には砂糖五斤などと言うのもある。
今から思うとまるで嘘のような金額だが、当時のサラリーマンの月給は2~30円だったらしい。
父が、当時の名古屋駅長の給料が最高で、100円だったとよく言っていた。
これは私の妻が結婚後すぐに務めた樫尾計算機の給料の辞令書だ。
昭和34年(1959年)のものだ。
当時樫尾計算機は、卓上計算機を発明し、大量生産に入っていた時代で、工場は三鷹にあった。
日本最初のモニター付きのデジカメを作り、デジカメの進歩に貢献、樫尾独自のGショック時計は世界的に有名だ。
社名も仮名になり「カシオ計算機」になっている。
1950年代の観光旅行は、現代のジーパンにTシャツとは違い和服姿が当たり前で、結構正装をして出かける人達も多かった。
私の親友だ。
画家が志望で高校時代から絵の勉強をしていた。
大学に進学する直前、父君が急逝し、進学を諦めた。
現在は銅版画の技術を極め、作品展などを開催している。
古いアルバムには色々な思い出が詰まっている。
自分の子供の頃の貴重な写真(昭和の初め父が写したもの)も数枚残っている。