ヤブロネツ滞在2日目、遠足から帰るとマリエの長男とその恋人それに二男が食事をしていました。台所では夫のN氏が調理をしていました。マリエも私との軽食の準備をはじめました。
昨年秋よりこの家族に大問題が起こっていました。離婚訴訟です。
旅行準備を進めていたら、ハナからマリエが離婚するらしいという便りが届きました。訪問を中止すべきか問合せの便りをマリエに出すとすぐ返事が来ました。私の訪問についてはすでにN氏も了承済みと言うのです。
中学生の頃から憧れていたチェコです。マリエの言葉を信じ思い切ってお邪魔しました。
台所でN氏と言葉を交わしていたマリエが呆れ顔で私の所にやって来ました。
『そんな!馬鹿な!彼が私達を食事に招待したいなんて! I子どうする? 彼はね、私がエスペラントで通訳すれば良いと言うの。』
私には申し出を断る理由はありませんでした。二人が静かに会話する時間が持てたら嬉しいと思い、即座にその申し出を受けました。
N氏は家中に飾られた亡くなった娘さんと本当に良く似ていました。写真の少女は光り輝いているのに彼は打ちひしがれ深い悲しみに満ちた眼をしていました。
彼は化学教師で柔道家でもありました。若い頃から国外の試合に出かけていたようですし、町の少年達を指導していました。趣味は狩猟で朝早く出かけます。
社会主義経済が崩壊しまじめると彼はすぐに仕事を辞めて、自分の知識を生かしメッキ工場を作りました。現在、二つ工場をもっています。自動車を二台所有し、まだ一般家庭には普及していない電話もあります。長男は父親の会社で働いていますが、二男は何度か海外への脱出を試みていました。
子どもが家庭を持った時のためにと裏庭に3階建ての家を一軒建てました。マリエが子どもの傍に居たいように、彼も子どもは自分の手元に置きたいのです。
彼は不特定多数の女性と不貞を働いているとマリエは集めた事実を小さな黒い手帳に書き込んでいました。この夫婦は娘を失った悲しみを分かち合うことができず、20年経って、N氏その寂しさに耐え切れなくなったのだと私は感じました。
夕方9時、奇妙な夕食会が始まりました。N氏は取ってきた獲物でシチュウを作ってくれました。彼はワインを飲み、私達はビ-ルを飲みながら2時間ばかりマリエの通訳で話しました。
彼は昔、海外で日本の柔道の選手から貰ったというアルバムを開き、私に説明を求めました。それは1929年に出版された京都のアルバムで、平等院とか京都御所や有名なお寺が載っていました。
N氏はそのうち前庭に赤い鳥居を作くるつもりだと言いました。できたら是非見に来て欲しいとも・・・。
マリエはモラビア人です。母が熱心なクリスチャンで子どもの頃は往復2時間の道を教会に通わされたそうです。ですが今は神は信じないと言います。チェコ人のN氏は日本の神道の中に何を見い出したのでしょうか。
彼等の悲劇は娘が抑圧的社会に絶望したことから始まったように見えました。N氏は社会主義経済から自由主義経済に移行する過程で成功した人たちの中の一人でしょう。しかし経済的成功は彼の寂しさを取り除いてはくれなかったのでしょう。
私は学生時代マルクスが好きでした。人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る。すべての人が平等に生きられる社会は夢のまた夢とわかっていても人類の最終的理想ぐらいに思ってもいいかなと考えるのです。
でもレーニン信じられませんでした。彼は≪国家と革命≫の冒頭で真の平等を作る為にプロレタリア独裁が必要だあると説いています。どんな形であれ独裁は独裁であり、独裁から民主主義への移行などありえません。権力を得たものがそれを譲渡するなどとは考えられないのです。
後日談です。
1年後、延び延びになっていた長男の結婚式が行われました。
2年後、N氏は庭に鳥居を作ったそうです。
4年後、マリエは夫の家から追い出されました。離婚後もずっと居座り続けたのですが、N氏は結婚する二男に家を渡したかったようです。
現在、マリエは5人の孫のおばあちゃんです。孫に会うために足しげく元夫の家に通っているようです。
昨年秋よりこの家族に大問題が起こっていました。離婚訴訟です。
旅行準備を進めていたら、ハナからマリエが離婚するらしいという便りが届きました。訪問を中止すべきか問合せの便りをマリエに出すとすぐ返事が来ました。私の訪問についてはすでにN氏も了承済みと言うのです。
中学生の頃から憧れていたチェコです。マリエの言葉を信じ思い切ってお邪魔しました。
台所でN氏と言葉を交わしていたマリエが呆れ顔で私の所にやって来ました。
『そんな!馬鹿な!彼が私達を食事に招待したいなんて! I子どうする? 彼はね、私がエスペラントで通訳すれば良いと言うの。』
私には申し出を断る理由はありませんでした。二人が静かに会話する時間が持てたら嬉しいと思い、即座にその申し出を受けました。
N氏は家中に飾られた亡くなった娘さんと本当に良く似ていました。写真の少女は光り輝いているのに彼は打ちひしがれ深い悲しみに満ちた眼をしていました。
彼は化学教師で柔道家でもありました。若い頃から国外の試合に出かけていたようですし、町の少年達を指導していました。趣味は狩猟で朝早く出かけます。
社会主義経済が崩壊しまじめると彼はすぐに仕事を辞めて、自分の知識を生かしメッキ工場を作りました。現在、二つ工場をもっています。自動車を二台所有し、まだ一般家庭には普及していない電話もあります。長男は父親の会社で働いていますが、二男は何度か海外への脱出を試みていました。
子どもが家庭を持った時のためにと裏庭に3階建ての家を一軒建てました。マリエが子どもの傍に居たいように、彼も子どもは自分の手元に置きたいのです。
彼は不特定多数の女性と不貞を働いているとマリエは集めた事実を小さな黒い手帳に書き込んでいました。この夫婦は娘を失った悲しみを分かち合うことができず、20年経って、N氏その寂しさに耐え切れなくなったのだと私は感じました。
夕方9時、奇妙な夕食会が始まりました。N氏は取ってきた獲物でシチュウを作ってくれました。彼はワインを飲み、私達はビ-ルを飲みながら2時間ばかりマリエの通訳で話しました。
彼は昔、海外で日本の柔道の選手から貰ったというアルバムを開き、私に説明を求めました。それは1929年に出版された京都のアルバムで、平等院とか京都御所や有名なお寺が載っていました。
N氏はそのうち前庭に赤い鳥居を作くるつもりだと言いました。できたら是非見に来て欲しいとも・・・。
マリエはモラビア人です。母が熱心なクリスチャンで子どもの頃は往復2時間の道を教会に通わされたそうです。ですが今は神は信じないと言います。チェコ人のN氏は日本の神道の中に何を見い出したのでしょうか。
彼等の悲劇は娘が抑圧的社会に絶望したことから始まったように見えました。N氏は社会主義経済から自由主義経済に移行する過程で成功した人たちの中の一人でしょう。しかし経済的成功は彼の寂しさを取り除いてはくれなかったのでしょう。
私は学生時代マルクスが好きでした。人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る。すべての人が平等に生きられる社会は夢のまた夢とわかっていても人類の最終的理想ぐらいに思ってもいいかなと考えるのです。
でもレーニン信じられませんでした。彼は≪国家と革命≫の冒頭で真の平等を作る為にプロレタリア独裁が必要だあると説いています。どんな形であれ独裁は独裁であり、独裁から民主主義への移行などありえません。権力を得たものがそれを譲渡するなどとは考えられないのです。
後日談です。
1年後、延び延びになっていた長男の結婚式が行われました。
2年後、N氏は庭に鳥居を作ったそうです。
4年後、マリエは夫の家から追い出されました。離婚後もずっと居座り続けたのですが、N氏は結婚する二男に家を渡したかったようです。
現在、マリエは5人の孫のおばあちゃんです。孫に会うために足しげく元夫の家に通っているようです。