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glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

奇妙な魅力を持つ国ベトナム

2005-05-05 08:27:43 | Weblog
 1999年8月。その日は月曜日でした。午前中、ベトナムのハノイで行われていた第2回アジアエスペラント大会は午前中、組織委員会があって一般の会合はありませんでした。遠足の人たちは博物館等を巡るということでバスで出かけました。せめて私も美術館ぐらい行って来ようとホテル前で人待ちのタクシーに乗りました。数分後、美術館前で下車し中庭入ると、扉が閉ざされています。入場券売り場を除くと人もおらず、月曜日はお休みを示す札が掛かっていました。

 癪に障ったのは乗ってきたタクシーが門の前で私の帰りを待っていたことでした。運転手は屈託無くニコニコと手を上げて私を招きました。彼はお休みを知っていて案内していたと思うと本当に腹がたちました。そこでバイバイして適当に歩き出しました。
 遠足の人達がどうしたかと言うと彼らはどこにも入れず、お寺などを巡ったようです。

 さて、地図を頼りにホーチンミン廟を目指しました。廟が見える公園につくとあちこちで男たちが輪になって遊んでいます。日本の花札のような札を使って賭け勝負をしているようでした。その塊を避けて歩いているとエスペラントのマーク入りの袋を下げたひとりの小柄な青年がベンチから立ち上がり私に近づいて来ました。
 彼は中国人でエスペラント初心者でした。奇妙な筆談によるエスペラント会話が始まりました。彼は上海の田舎で英語の教師をしているということでした。英語で話したいと彼は言いました。私は英語は話せない答えました。歩き出した私に『私も散歩に行きます』と彼がついてきました。一言言うたびに紙が差し出され、今話したことを私は紙に書き、彼はエスペラント中国語の辞書を引きます。それからまた中国語エスペラントの辞書を引いて質問してきます。こうして私達はハノイの町を東から西へ4時間近くも歩き続けました。
 この年、中国エスペラント大会はベトナムとの国境の町で開かれました。上海から何度もバスに乗り次いでその町へ、そこから普通のバスを乗り次いでハノイにやって来たそうです。自分の足で歩き体で感じることが凄く楽しいという感じでした。

 歩いていていろんなベトナム人に会いました。まず力車の運転手です。旅行者と見ると執拗に追いかけてきます。道に迷って立ち止まり、二人で協議していたら、7~8人に取り囲まれました。私達が乗らないと分かるとみんな私達を取り囲み、手振り身振りで中国青年が行きたいと言う所を説明してくれます。まさに『船頭多くし船山に登る』です。私達は議論の輪から抜け出しましたが、かれらは輪をなかなか解かず延々と協議しているのがかなり離れてからも見えました。

 名前は何と言うのでしょうか。拝観料の必要な大きなお寺がありました。彼はお金が無いので外で待っていると言いました。せっかくの機会だから一緒に入ろうというと喜んでついてきました。
 大きな仏像の前に立っているときれいな日本語が聞えました。ひとりの青年が話し掛けてきたのです。富山工科大学に留学しており夏休みで帰省していて家族とお参りに来たのだそうです。

 『日本の仏教とベトナムの仏教は違います。日本の仏教は大乗仏教です。これは個人ではなく多くの人の幸せを願います。ベトナムは小乗仏教です。小乗仏教では家族とか自分の幸せを願います。』彼は今はもう聞く事が少ないほど上品な日本語で色々説明してくれました。そして最後に『日本でお会いできたら嬉しいです。』と挨拶して父親らしい男性と一緒に去って行きました。
 なるほど・・・。建物はいくつかに分かれていたのですが、あちこちで、人々がお供え物を前に置いて土間に座り、仏像を拝んでいるのです。多分日本の神社と同じ感覚なのでしょう。

 湖のほとりを歩いていたら、天秤を担いだ物売りがTシャツを買わないかとよって来ました。いらないというと初め1枚10米ドルと言っていたのがとうとう3枚10米ドルまで値下がりしました。買う気は無いので私達は早足になりました。それでも物売りの女性が声を上げて追いかけてきます。青年が振り向き『アッ!』と声を上げました。振向くと彼女は重い天秤を肩にしながら私の落としたハンカチを手に走っていました。 

 一人では行けないような路地や市場も通りました。魚屋の前には魚が生きたまま売られてました。肉屋の前には少しの肉の塊しかありません。しかしそれはとても新鮮は色をしていました。まさか、店の裏に場があるんじゃないでしょうね!!と私は冗談を言いました。
 豆腐は、バナナの葉でしょうか、大きな緑の葉の上にグニャリと積み重ねられていました。

 ある小さな通りで、青年が言いました。『安いビールを見つけた。ここでビールを飲もう!』それまでもビ-ルの値札を掛けている店が何軒かありました。700ドンとか400ドンでした。そこには150ドンの名札が掛かっていました。幼児と、薄汚れた犬が店の前で遊んでいました。かれは店の傍にある石に座りました。店主が私に床几を出してくれました。店の前に20リットルぐらい入る小型のタンクが掛けてあって、そのタンクから細いビニールの管がでっています。栓をひねるとその管から濁ったビ-ルがジョッキの中に流れ出しました。彼は美味しいといい、店主と二人で私にそのビールを勧めます。とんでもない!!どう見たって衛生的とはいえません。
 路地のあちこちから顔が覗き,どの顔も人懐こい笑顔でこちらを見ています。

 こうして午後1時が近づきました。私は会場に帰らなければなりません。ホテルを捜しました。ベトナム通の人から流しのタクシーには乗らないように言われていたのです。大きなホテルを見つけボーイに会場となっているホテルの住所を見せ、タクシーに行き先を告げてもらい会場へ急ぎました。

 この中国青年が自分宿に帰ったのは夜9時だったそうです。

 べトナムの物売りはなぜか諦めずに売ろうとしてついて来ます。菅笠も、ゴムぞうりも3個まで値下げします。でも、旅行者が3個の菅笠やゴムぞうりを持って歩けないとは想像しないのでしょうか。殆どの人が目が合うと笑顔で答えてくれます。しつこいぞと思いながら親しみを感じる人々のいる国でした。

 


 後日談です。カメラを持っていなかったこの中国の青年に撮った写真を送りました。受け取った返事には『日本のカメラは素晴らしいです!』と書かれていました。

    
コメント (12)
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