glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

また子どもが犠牲に・・・。

2005-05-18 08:16:43 | Weblog
 今の日本はどうなっているのでしょう。昨日また埼玉県で、6年生の女の子が母親に絞殺されました。昨日は今年1月3歳の長男を浴室で水死させたとして30才の母親が起訴されています。親以外の暴行・殺人事件を見ると子どもの被害は頻繁に起こっています。

 人は母性本能があると一般に言われています。それは希望的願望であって事実ではありません。母性本能は後天的に学んだものであって先天的に与えられたものではないのです。
 昔マリノウスキーという文化人類学者の本を読んだのですが、その中の一冊に母系社会を観察した本があったのです。そこでは女は一切子育てをしません。乳児期に授乳するだけで子どもの世話はすべて父親の仕事です。ですから、私たちが母性本能言うような感情は母親には見られず、父親が細やかな愛情を子どもたちに注ぐのです。

 サルの集団においても未婚の若い雌が子どものお守りをしたりして子育てを学んでいます。
 第2次世界大戦前、日本はとても貧しかったですし、兵隊を生み出すために女は沢山子どもを産むことを暗黙の内に国によって強制されていました。子沢山の中で上の子は下の子の子守りをしたり、近所の子を面倒見たりしながら子育てを学んでいたのかもしれません。女を子作りの道具と考える時代に戻ってもらいたいとは思いませんが、なぜ、親が育児放棄をする時代になったのが考え、早急に社会的記対策を取らなければならない時期だと思います。

 40年程前、夫の仕事で児童養護施設に住んでいました。私は保母(今の保育士)さんが病気の時に駆り出せれ、全部たしても経験は1年ぐらいのものです。
 当時も両親共にいない子どもは少数でした。ですから、入所時児童の構成は現在の養護施設とよく似ているでしょう。違いは圧倒的に多くの親が収入不足で子育てができなかったということです。
 現在圧倒的に多いのは子育て放棄です。虐待したといって引き離されたのに引き取りたがり、引き取ると虐待を繰りかえす親もいます。なぜでしょうね。

 責任は現在の親を育てた親、つまり私の年代にあるだろうと私は考えます。
 戦前・戦中の貧しい生活を経験した私達の多くは、豊かな生活を物質的豊かさの中にあるかと勘違いしたのです。ですから、高度成長の波に乗ってより高い収入を目指し、自分が得られなかった物を子どもに与えることで自己満足していたのです。物を与えるにも与える者の気持があれば良いのですが、気持ちがなければ、ただ子どもの物欲を膨らませるだけです。そうして育てられた子どもはすべての価値判断を物に置き換える事になるでしょう。そして物への要求が満たされない時、自分の欲望を押さえられなくなるのでしょう。

 彼らは例え自分が欲しくて生んだ子どもであったても、その子に人格があるということは考えないのだと思います。子どもも自分の所有物にすぎません。自分の言うなりになっている時は可愛いいでしょう。しかし自分の分身であるべき子どもに自我が芽生えて来た時、どう対処してよいかわからなくなるのです。

 将来我が子が自己中心的にならないように育てるには、周囲の親仲間や先輩の体験から学んだり、助言を得ることが大切と思います。
 子どもに自我が目覚めてきた時、自分をそれにどう合わせられるか、子どもに自分の考えをどう理解させることができるか、これは大変な精神的重労働です。子育ては常に自己の中で葛藤があり、子どもに理解してもらうための長い待ちの時間を要するものです。

 こんな時、愚痴が言える仲間、励ましてくれる仲間がいれば子育ては楽しい時間に変わります。信頼できる仲間を作りましょう!

 物に頼らず、子どもと楽しめる時間を作りましょう。悪いことをしていても、他人の子どもはどうでも良いというようは風潮をなくして、みんなで協力しあいませんか。

 実は私も、子どもと会えるボランティアをしています。
   
コメント (9)
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