glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

さくらんぼとプロティン

2005-05-31 09:57:00 | Weblog
 7月29日(月)、8時15分駅まで走り下る。マクスは悠然と手帳とお金を手に切符売り場に立ち、イジナは苛々と私達を急き立てて待っていました。彼女はマリエはいつもギリギリに走ってくると腹を立てています。マリエの手帳を受け取るとマクスが切符を買いました。私が財布を出すとイジナはいらないと言います。
 彼女の説明によるとチェコでは年金生活者が家に閉じこもらないように、4人で歩けば3人分の料金で済むので私の分は無料になると言うのです。後でまとめて払うにしても彼女の言葉に感謝して、ここでは従う事にしました。 

   りべレッツへ。りベレッツはヤブロネツより大きな町で坂道に沿って商店街が並び、新宿のように人々が行き交っています。ここには数人しかエスペランティストがいないというのにその中の二人に会いました。

 肉屋に入る。色々なソーゼージやハムが並んでいる。冷凍肉もあります。後ろ足を伸ばし、前足を頭の上に縛られて凍っているのはなんとウサギの肉でした。マリエの説明ではチェコではシチューを作る時必ず2種類の肉を使うのです。その方がうまみが出るそうです。

  私がお金を払いたいと主張しましたが、イジナはここは私が払うことになっていると譲りませんでした。

  バスで15分、農家の並ぶ道を25分ほど歩いてミラの果樹園に到着です。道すがらマクスはヴィドゥヴィノ(未亡人)が何とかかんとか言うエスペラントの歌を口ずさんでいました。
 案内も請わず私達は果樹園へ。10本は超えるさくらんぼの木がたわわに実をつけています。アメリカンチェリーのような色のと日本の砂糖錦のようなのと2種類ありました。 
 私達は手の届く枝を引っ張っては熟した実を次々と頬張りました。頬っぺたが落ちそうとはこのこと?果汁が口いっぱいに拡がり美味しい香りが体を包み込むような!!
 ミラが梯子を持ってきてマクスに渡しました。高い枝の実も取ろうと言うのです。

 ミラが言います。『収穫に丁度いいね。それにまだvermoもまだ小さいし!』


  vermoとはエスペラントで昆虫の幼虫の事です。私はそっと摘み取ったさくらんぼを割ったみました。1mmほどの白い斑点があります。昆虫のタマゴでしょう。あるいは幼虫?3mmぐらいのが入っているのもあります。
 ライネが笑います。『日本人はしょうがないな、これは唯のプロティンだろう!?』マリアンネも私を笑います。
ミラはvermoがいるの安全な証拠だろう?この実は次ぎの土曜日に弟一家が収穫に来る、その後は近所の人達が好きなだけ取って、後は小鳥達が食べる。人間に影響を与えないほどの毒でも小鳥には猛毒と言う事もある、だから、薬は決して撒かないと。

 確かに日本でも蜂の子を食べる人がいるし、世界のどこかでは蟻の幼虫を食べる人もいます。でも、もう喉を通りません。イジナは私をからかって『プロ手ィン、プロティン。』を連呼しながら次々とさくらんぼを頬張っていました。


 

 ミラは独身です。普段はヤブロネツの中心部に住んでいて、ここは親から譲り受けた別宅なのです。家に入ると目に飛び込んでくるのは石の標本の陳列です。彼の職業は知りませんが、学識豊かで特に地質学については詳しく大会の時のプラハ近郊の自然観察でも解説をしていました。

 この国では社会主義時代に反体制とみられた知識人はその職を追われ、掃除とか土木作業とか肉体労働で飢えをしのいだと言う事です。ですから以前の職業について聞いてもその人の教養とは関係がないかもしれないのです。ミラはチェコ語、ロシア語、エスペラント、ドイツ語、英語が話せるとマリエは言っていました。

 彼は、子ども達が集団で石の標本を見学に来るのを楽しみにしているようでした。

 昼食を食べて徒歩で帰宅。
 家で体を洗ったり、洗濯などしていたらまたみんながやって来ました。裏庭で、N氏が、息子達と家のあちこちを修理しているのにみんな裏庭のテーブルに座りビールなど飲み始めました。そこの家族が働いている場所でパーティを開くなどとは日本人にはちょっと考えられません!!

 薄暗くなって(9時頃)室内に移動しました。夕食後、イジナが台所から小さな箒と塵取りを持ってきて床にこぼれたであろうパン屑を片付けていたのが印象的でした。

  
コメント (8)
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