唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
アマチュアのカメラマンはいるのか
今朝の神奈川新聞一面に美しい蓮の花。昨日、三溪園で早朝観蓮会が開かれたことを伝える記事である。午前6時の開門と同時に多くの人が入園し朝日を浴びる蓮の花を楽しんだとのこと。しかしなぁ、同じ横浜市内に住む郷秋<Gauche>だが、三溪園午前6時の開園に間に合わせるためには近くで前泊しなければならないぞ。横浜も広いものだ。
さて、その記事の中に「良いアングルを見つけ、カメラを向けるアマチュアカメラマンなどがしきりにシャッターを切っていた。」との一文。「アマチュアカメラマン」と云う言葉を目にするたびに、それは「アマチュア写真家」あるいは「写真愛好家」だろうと、いつも思う郷秋<Gauche>なのである。
郷秋<Gauche>の定義によれば、カメラマンとは、「ネットショップに掲載するこの商品の写真を撮ってくれ」「いついつどこで行われる野球の試合の写真を撮ってこい」「15日に三溪園で行われる早朝観蓮会の写真を撮ってこい」あるいは「場所や素材はまかせるから、今日の猛暑を伝えられる写真を撮ってこい」などと、何をどういう風に、時にどこで撮るのかを指示されてその指示通りの写真を撮ることで給与もしくは報酬を得るひとである。
カメラマンには「野球よりも隣の体育館であったバスケットボールの試合の方が面白かったのでそちらの写真を撮って来ました」は許されないが、写真家の場合にはそれが許される。何故なら、写真家は自分の自由な意思で写真を撮るからこそ写真家で有り得るからである。撮った写真を売り(売れ)、それによって生計を立てているるのがプロの写真家であり、撮った写真を売らない(売れない)のがアマチュア写真家である。いずれにせよ、いつ何をどのように撮るのかをまったく自由に選ぶことが出来るのが写真家なのである。
上記の定義に従えば、「カメラマン」は全てプロであり、アマチュアの「カメラマン」は存在しない。写真家はと云えば、これにはプロとアマチュアとが存在するが、通常、単に「写真家」と云えば職業としての写真家、つまりプロの事であり、プロではない場合には「アマチュア」の5文字を頭に付けることになる。だから、今日の神奈川新聞で清水由美子氏(主題だけではなく、必ず人を配すなどしてその場の雰囲気も伝える良い新聞写真を撮る)が「アマチュアカメラマン」と書いたのは誤りで、それは「アマチュア写真家」なのである。
蛇足ながら「カメラクラブ」と云うのも変だと郷秋<Gauche>は常々思っている。いや、それが純粋にカメラと云う機械を愛好し、収集し、分解修理を楽しむ人の集まりなら「カメラクラブ」で良いが、大抵は写真(撮影)愛好者の集まりなのに「カメラクラブ」と名乗っている。例えば絵画愛好家の集まりが「絵具愛好会」であったり、に日曜大工愛好家の集まりが「のこぎりクラブ」だったりはしないだろうと思うぞ。いや、「のこぎりクラブ」は悪くないネーミングかも(^^)。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、なるせの森の尾根筋で咲いていた山百合。その姿と云い香りと云い、まさにユリの王様ですね。
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横文字が日本に入ってきたときの状況で同じ言葉が特定の意味になっておもしろいですね。
トラックとトロッコ、スコップとスクープ、ストライキとストライク。
ご指摘の通り、スティール写真を撮る人はフォトグラファーで、カメラマンと云うと、映画やTV、動画を撮る人を指す場合が多いよですね。
御説のようなケース、結婚披露パーティーやイベントの撮影はままありますが、その場合写真を撮ってくれる(撮らされる)アマチュアは「臨時カメラマン」と云います。決してアマチュアカメラマンではありません(^^)