唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
消える?消えない?紙の新聞
まずは、こちらをご覧頂きたい。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/84987/
今後、ペーパーレスになると思うものと、思わないもの、共に新聞が1位と言うのは面白い。郷秋<Gauche>は「新聞は紙に印刷されたものであって欲しい」と思うけれど、徐々に、紙でなければならない必然性は薄くなっていくかも知れないな。
切符やチケットは既に紙ではなくなりだしている。新聞もそうだけれど、本も雑誌も請求書も領収書も、もの機能のもっとも重要なものは、紙に書かれた文字。つまり紙の上に書かれている情報である。情報は紙に書かずとも、それを保持し伝達する手段が他にあれば、用が足りる。
A駅からB駅まで電車の料金を払っている、あるいは払う用意があるという情報が記録されたカード(パスモやスイカのことだ)を持っていれば、その事が紙に書かれた「切符」を持っていなくても電車に乗れる時代になった。勿論ヒコーキも。
情報という意味では、自分の支払い能力を示す情報である「お金」も同じだな。紙に印刷された「お金」じゃなくても、支払い能力があることを証明するもの、カード(最近では携帯電話もそうらしい)を持っていれば、それで買い物ができるわけだ。
さて、最初に紹介したサイトの中で面白いのは「ペーパーレス」になるだろう10位と同時に、ならないだろう2位にランクされている「トイレットペーパー」だ。ティッシュペーパーも同じ類だな。
トイレットペーパーには、なんの情報性もない。紙としての機能があるだけである。だから、紙としての機能しか持たないトイレットペーパーの「ペーパーレス」化を問うのはまったくナンセンスな気がするのだが、どうだろうか。
トイレットペーパーが「ペーパーレス」になると答えた方は、おそらくウォシュレット(某社の登録商標)を思い浮かべてのことだと思うが、確かに、お尻を拭く機能は、温水と温風でも出来ないことはないかも知れないが、それは切符がペーパーレスになるのとは、別な意味なんじゃないかな。
トイレットペーパーと同じことは、実は新聞にも言える。おっと、正確には「新聞紙」だ。新聞には、ニュースという情報を伝える媒体としての側面と共に、「新聞紙」という「紙」そのものを利用する機能とがあることを忘れてはならない。
今でこそ、新聞の紙としての利用価値は随分低くなったが、物を包むための利用がなくなったわけではない。汚れた水を吸わせるために使ったり、机や床を汚しそう時には下に敷く、物を送る際の梱包材として丸めて詰めるような使い方は今でも顕在だ。最近では、生ゴミの袋をカラスに突かれないように新聞紙を広げて袋の内側に入れて中身を見えなくするような使い方もある。
新聞がペーパーレスになると、紙が必要な時には困る。今では雑巾がスーパーマーケットで売られているように、必要な時には「新聞紙」を買ってくるようなことになるのだろうか。真っ白い「新聞紙」は10ページ分で50円、広告や割引のクーポン券が印刷されている「新聞紙」は10ページ分20円だったりして。郷秋<Gauche>的には、新聞はインクの匂いのする紙で、毎朝ポストに入っているものであって欲しいな。ずっと。
今日の1枚は、凌霄花(ノウゼンカズラ)。猛暑の前に咲いて、猛暑が始まると姿を消していた花が、残暑の頃になったら、また咲き始めました。南国風の花も、日本の真夏の暑さには耐えられないということなのでしょうか。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/84987/
今後、ペーパーレスになると思うものと、思わないもの、共に新聞が1位と言うのは面白い。郷秋<Gauche>は「新聞は紙に印刷されたものであって欲しい」と思うけれど、徐々に、紙でなければならない必然性は薄くなっていくかも知れないな。
切符やチケットは既に紙ではなくなりだしている。新聞もそうだけれど、本も雑誌も請求書も領収書も、もの機能のもっとも重要なものは、紙に書かれた文字。つまり紙の上に書かれている情報である。情報は紙に書かずとも、それを保持し伝達する手段が他にあれば、用が足りる。
A駅からB駅まで電車の料金を払っている、あるいは払う用意があるという情報が記録されたカード(パスモやスイカのことだ)を持っていれば、その事が紙に書かれた「切符」を持っていなくても電車に乗れる時代になった。勿論ヒコーキも。
情報という意味では、自分の支払い能力を示す情報である「お金」も同じだな。紙に印刷された「お金」じゃなくても、支払い能力があることを証明するもの、カード(最近では携帯電話もそうらしい)を持っていれば、それで買い物ができるわけだ。
さて、最初に紹介したサイトの中で面白いのは「ペーパーレス」になるだろう10位と同時に、ならないだろう2位にランクされている「トイレットペーパー」だ。ティッシュペーパーも同じ類だな。
トイレットペーパーには、なんの情報性もない。紙としての機能があるだけである。だから、紙としての機能しか持たないトイレットペーパーの「ペーパーレス」化を問うのはまったくナンセンスな気がするのだが、どうだろうか。
トイレットペーパーが「ペーパーレス」になると答えた方は、おそらくウォシュレット(某社の登録商標)を思い浮かべてのことだと思うが、確かに、お尻を拭く機能は、温水と温風でも出来ないことはないかも知れないが、それは切符がペーパーレスになるのとは、別な意味なんじゃないかな。
トイレットペーパーと同じことは、実は新聞にも言える。おっと、正確には「新聞紙」だ。新聞には、ニュースという情報を伝える媒体としての側面と共に、「新聞紙」という「紙」そのものを利用する機能とがあることを忘れてはならない。
今でこそ、新聞の紙としての利用価値は随分低くなったが、物を包むための利用がなくなったわけではない。汚れた水を吸わせるために使ったり、机や床を汚しそう時には下に敷く、物を送る際の梱包材として丸めて詰めるような使い方は今でも顕在だ。最近では、生ゴミの袋をカラスに突かれないように新聞紙を広げて袋の内側に入れて中身を見えなくするような使い方もある。
新聞がペーパーレスになると、紙が必要な時には困る。今では雑巾がスーパーマーケットで売られているように、必要な時には「新聞紙」を買ってくるようなことになるのだろうか。真っ白い「新聞紙」は10ページ分で50円、広告や割引のクーポン券が印刷されている「新聞紙」は10ページ分20円だったりして。郷秋<Gauche>的には、新聞はインクの匂いのする紙で、毎朝ポストに入っているものであって欲しいな。ずっと。
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今日の1枚は、凌霄花(ノウゼンカズラ)。猛暑の前に咲いて、猛暑が始まると姿を消していた花が、残暑の頃になったら、また咲き始めました。南国風の花も、日本の真夏の暑さには耐えられないということなのでしょうか。
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