頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

『悪の引用句辞典』鹿島茂

2013-08-30 | books
フランスの文学と社会が専門の大学教授による、古今東西さまざまな言葉の引用とその解説と、そこから転じた時事問題に関する意見、日本社会に対する洞察がある。

さまざまな引用があるけれど、引用そのものよりも著者の言葉の方が面白い。

パスカルの引用から→賭博にハマるのは、職務という「熱中対象」を失いつつあるからという話に転じていったり。(なるほど)

右翼の大物頭山満の思想を要約した(私の大好きな)夢野久作の引用から→日本社会=自我パイ一人食い不許可社会=相互監視社会=ゆるい規範だけあればいい。西洋=自我パイ一人食いOK社会、なので自分の身体も魂も自分のものと考えるために、秩序維持のため、社会契約=法律が必要。日本は不許可社会として設計されていたのに、西洋式が輸入されてしまった。で、自我と自我は対立するのが当然という西洋の前提を直視できず、対立が起こりそうだと問題を先送りにして、軋轢を避けてきた。結果、「面倒なことには一切関わりたくない」というのが社会一般の「思想」となってしまって、日本の危機を招いた。(なるほどなるほど。西洋の「自由と責任」のセット販売を、わが国では自由のみ享受しようとしてうまくいかないと思っていたけれど、こういう表現は明快。さすが)

大学が「顧客満足度」の高いことを目指そうとして、いきなり役に立ちそうな、学部、学科、科目を増やしている。面倒くさいことは避ける「子供基準」を持つ学生は、こういう科目や学科を好む。こういう「顧客満足度」の高い学部、学科に進んだ学生は(給料が高いなどの)「顧客満足度」の高い企業へ就職しようとする。顧客として満足するために。しかし就職したら、顧客を「満足させる」側に回らないといけないという現実に直面し、「自分のやりたいことができない」と言ってやめる。「お客様は神様です」という発想は教育の現場においては、教育崩壊を引き起こす。(うーむ。確かに)

好きなものはイメージに左右されるから簡単に変わるけれど、嫌いなものは生理的なものを元にするから変わりにくい。伴侶を選ぶときには、好きなものより嫌いなものが一致する人を選べ。(言われてみれば確かにそうだなー)

建前では」「差」がない社会にいじめは起きる。人為的に「差」のない共同体をつくろうとすると、いじめは起きるというパラドックスが存在する。(確かに確かに)

著者の本はほとんど読んだことがないのだけれど、これから色々読みたいなーと思った。「渋沢栄一」の伝記らしきものも出してるそうだ。これから読もうかな。

では、また。

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『出訴期限』スコット・トゥロー

2013-08-29 | books
上訴裁判所の判事、ジョージ・メイソン。担当は7年前の集団レイプ事件、被害者は15歳だった。容疑者は4名。当時は大学生。レイプの模様をビデオに録画していた。7年後そのビデオを見た者が通報し、容疑者は起訴された。一審は懲役6年だった。上訴審の論点は、州法で定めている出訴期限では、犯行後3年を過ぎた重罪の公訴提起は禁じられているということ。しかし無罪にすれば世論は、あんなひどいことをした者たちが無罪になるのは許せないと怒るだろう。そして一緒に担当する判事とも意見がまったく合わない。また、メイソンのもとに何度も脅迫メールが送られてくるようになった。保安部はラテン系の暴力団によるものだとして、メイソンの警備を強化する。大きな二つの悩みを抱えて…

「推定無罪」やその続編「無罪 INNOCENT」と比べると、だいぶこじんまりとしている。結末もこじんまり。人間の苦悩の底の深さは描かれてはいるものの、トゥローらしいややこしさが薄くて物足りない。しかし読みやすいことは確か。

今日の一曲

裁判と言えばcourt
と言えば
King CrimsonでIn The Court Of Crimson King



では、また。

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『困ってるひと』大野更紗

2013-08-27 | books
1984年福島のかなりの田舎生まれ&育ち。野生児なのに屈折した少女時代を過ごす。一浪して上智のフランス語学科に入学。しかしフランス憲法の樋口陽一先生の著書の一節に影響を受け、ビルマにハマる。ビルマの民主化運動にハマる。(こういう女性すごくいいなー)大学院進学も決まったのに、体調が悪くなった。悪くなったを超えて「難病」レベルまで悪くなった。自己免疫疾患系の難病に襲われた20代女子の闘病記+アルファ…

親しい人に書店で見かけて面白そうだったと言われ、ラジオで確か荻上チキ氏が面白かったと言っていたので、読んでみた。

なんだこりゃ!(Not いかりや長介 But 松田優作)

こんなややこしい、検査するだけでも地獄な病気があるのか!筋肉を切り取るというところなんて、我が事のように身悶えしてしまった。うう。

笑えるし、あたたまるんだけれど、日本の行政や医療に対する非常に的を得た合理的な批判もある。医師に対しては感謝の気持ちをたっぷり書きながら。 (感情的な批判なら、インターネット上に腐るほどある。どんなキーワードで検索してもすぐに見つかる。あまりにも日常的なので、感情的な他人批判は空気のようなものかと思ってしまう。SNS登場後のネット世界は80%ぐらいは70年代の灰皿のようになってしまった。吸殻がうずたかく積まれる。吸ってる本人の短時間の快楽だけがあって、捨てられたゴミは他人にとっては迷惑にしかならない。)

彼女は自分に対して客観的に見ることができている。それがすごくいい。誰に対してもフランクに自分の病気のことを話し、助けを求めるのは、悪くない事なのだけれど、同時に周囲からはやっぱり迷惑だったりする。彼女は自分が迷惑をかけてしまったことをよーく分かっている。そのときは分からなくても後でちゃんと認識できている。

その様を描く、文体、内容、その全てがすごくよくて、なんか一人の女性としてすごくいいなーと思った次第である。(そこの君。キモイとか言わないように。)

自分の良い所も悪い所も客観的に見ることはすごく難しくて、そうしている人はすごく少なくて、私もできなくて、体感的には10%を切るぐらい人が自分を客観的に見ているように思う。女性は1%程度ではなかろうか。私の知る範囲では。

客観的に自分を見ることが「良い」のか「悪い」のかは分からない。しかし「好き」なのか「嫌い」なのかなら分かる。

あとがきを読んだら、かの辺境作家、「謎の独立国家ソマリランド」で講談社ノンフィクション賞をとった高野秀行氏のプロデュースだというではないか。彼女が高野のラジオ番組にメールを送って、高野が彼女の病室にやって来たのが始まりだそうだ。「わが盲想」しかり、おそるべし辺境作家。

本書に戻ると、闘病記としても、一人の20代女子のエッセイとしても、本当に頼れるものは何なのか、自分とは何なのかを考える哲学書としても、読む者に大きな何かを刻む、すっげぇ本だった。オススメ。これ読んで、読んだ時間や金を返してくれなどと思う奴はいねえだろうと思えるほど。

では、また。

困ってるひと (ポプラ文庫)
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『死神の浮力』伊坂幸太郎

2013-08-26 | books
娘が殺された。裁判で容疑者は無罪となった。復讐しようとする作家の父と母と、死神の千葉の話。

どういうわけだかさっぱり頭に入ってこなかった。

体調のせいか、同時並行して読んでいた大野更紗「困ってるひと」と庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」のせいか。集中できなかったり、その逆で集中できすぎて速く読めすぎるときに別の本を挟んで読んだりするのだけど、この二冊がビンビンと頭に入ってきたので、そのあおりをくってこっちが頭に入ってこなかった+体調のせいだろう。

伊坂幸太郎が頭に入ってこないとは、エンタメ小説読みの風上にもおけない。(風下においてください。)面白かったという人、今回は許してください。

以上レビューではなくて、単に「読んだ」という記録にて御免くださいませ。

今日の一曲

死神といえば
The Rolling Stonesで、Sympathy For The Devil



いい歳してこんな歌うたってるミック・ジャガーがおかしいのか、聴いてる私がおかしいのか。

では、また。

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『デス・コレクターズ』ジャック・カーリイ

2013-08-24 | books
昔はサイコスリラー大好きでたくさん読んでたのに、最近読んでないなー、いや面白いのは出てないなー、などとたわけたことをぬかしていた私に、「百番目の男」で液体窒素と塩酸を浴びせた、ジャック・カーリイ。第2作がこれ。

冒頭、30年前に連続殺人犯が裁判の最中に乱入してきた女に射殺される様が描かれる。死ぬ間際にその男が残したのは「追え、輝かしいアートを」という言葉。そして、それから30年が経過した。前作と同じようにカーソン&ハリーのチームが登場。女が殺されたのだ。部屋には大量のキャンドルが燃えていた。遺体の目にもキャンドルが。現場に残った指紋は弁護士のものだと分かった。しかし彼は失踪していた。カーソンとハリーが足を突っ込んだのは、30年前に死んだ殺人犯マーズデン・ヘクスキャンプの遺物。ヘクスキャンプは反社会的なコミュニティを作っていた。さらにヘクスキャンプの描く絵は異様なのに、見る者を魅了した。彼の遺した絵が、現在マニアの間で高値で取引されていて…

ヘクスキャンプはチャールズ・マンソン(ブロンソンじゃないよ。実在の人物)を髣髴とさせる。



マンソンのドキュメントを見つけたので張り付けた。反社会的コミュニティを作って、映画監督ロマン・ポランスキーの妻で女優の、シャロン・テイトを殺害した。ポランスキーは「ローズマリーの赤ちゃん」とか「戦場のピアニスト」の監督。少女への淫行容疑でアメリカに戻ると捕まるのでアカデミー授賞式でも戻らない。(ロックアーティスト、マリリン・マンソンはマリリン・モンローという美とチャールズ・マンソンという悪を組み合わせた何とも言えない名前)

いやいやいや。巧妙に張られた伏線。全く先の読めない展開。サイコ・スリラー界のオベリスク「羊たちの沈黙」を超えた、と言ったら言い過ぎか。少なくとも肩を並べるぐらいのレベルの、大傑作だ。

前作よりさらに「フツー」の人には受け入れられない度が若干増しているけれど、私はグロイのはストーリー上必要ならば全然OK。グロイこと単体だと楽しめないけれど。本書は実は単にグロテスクな小説じゃない。

サイコ・スリラーの要素だけじゃなく、ストーリー・テリングの力に満ち満ちているし、さらに今回は好物の「絵画」までおかずになっている。(お代わり下さい。)エンターテイメント小説のど真ん中。ラスト近くになって、張られた伏線がすーーっと浮かび上がって来た時には、鳥肌が立ちすぎて鶏肉になったかと思った。

なぜこんな殺人事件を起こしたかというホワイダニットに特化したミステリとしても非常に高いレベルだった。いやほんと面白かった。真のエンタメ小説好きなら楽しめない人はいないだろう。

今日の一曲はこれしかない。




好きだと言うといつも不思議な顔をされる、Mariyn MansonのIrresponsible Hate Anthem

では、また。

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『時のみぞ知る』ジェフリー・アーチャー

2013-08-22 | books
1920年代、英国。父は戦争で死んだと聞かされている少年、ハリー。学校はさぼっていた。廃棄された客車に住む謎の老人、オールド・ジャック・ターと仲良くなって色々な話を聞かせてもらうのは楽しい。どうやらハリーには歌の才能があるらしい。名門校の聖歌隊奨学生になるにはもっと勉強しなくてならず、ハリーはちゃんと学校に行くようになった。しかし家にはお金がない。母はウエイトレスをしているが余裕はない。なんとか進学することができたハリーには別の試練が。全寮制の学校で、食事の仕方や作法、言葉遣いは分からず恥をかき、貧しい家庭出身だといじめにあう。しかし同室のジャイルズとディーキンズはとても仲良くしてくれたりして…ジャイルズとの思わぬ関係が…というハリーの成長物語をハリーの視線で描くのが第一章。以後、母メイジーの視線で描く第二章。夫がいなくなり、お金がなくハリーを育てるため必死の様子、ハリーの物語とかぶせるようして描く別の物語。他にも別の登場人物の視線で描きつつ、戦間期の英国、そして第二次世界大戦へと突入する直前までを描く。

LINKLINKLINKうーむ。うーむ。好みだ。好きだ。好みすぎる。好きすぎる。ジェフリー・アーチャーの小説は結構読んだのだけれど、評判の高い「百万ドルを取り返せ」よりも「ケインとアベル」や「大統領に知らせますか」の方がずっと面白く読んだ。

クリフトン年代記として続いていくそうで、原書は第二作が去年出て、第三作は8月29日に発売だそうだ。

何代か続く物語と言えばスチュワート・ウッズの「警察署長」やジョージ・P・ペレケーノスの「俺たちの日」からはじまるワシントン・サーガ・シリーズを思い出す。どっちも、かっけー、話だった@あまちゃん。

本作は、作者が読者を翻弄するやり方は、特に新しいものではなく、古典的なやり方だと思う。どういうわけかドラマ「おしん」を連想する。視聴者の心を右へ左へうまく揺さぶってくれた。「おしん」のような古臭いやり方が、よくないのかと言えば、むしろ逆。すごくいい。人間の心を打つ、最高のやり方というのは、シェイクスピアでも夏目漱石でも宮部みゆきでも実は根っこでは同じで、新奇なやり方は一時的に受けることはあるかも知れないけれど、長く人の心をつかむことはできない。(異性のハートをつかむというのも、みんなから慕われるリーダーになるというのも、方法論の軸は古今東西、ほとんど変わりがないのだと思う)(そのような「本質」を人生の早期につかめる人はいわゆる「幸せ」になれる可能性が高いのではなかろうか)

ハリーが何かに成功すれば、一緒になって喜び、メイジーが本当に苦労する様を読めば、一緒になって石を噛むような思いをし、ハリーを支えてくれる様々な人の気持ちを読めば、目頭が熱くなる。そんなこてこての読書は、求めようとしても意外と難しいのが21世紀ではないだろうか。

第二部の刊行が待ち遠しい。すごーく待ち遠しい。衝撃的なラスト。続きが気になる気になる。なかなか出なかったら、もうすぐ出る第三部とまとめて原書で買ってしまおうか… でも買うと翻訳が出るというのが過去の例なんだよな… 買っても、買ったということに安心してどうせ読まないんだよなー… 結局、え?ふるさん英語読めるのー?すごーい!とか言われたいキャバクラのお客ごころの持ち主ってことなんだよなー。ワインレッドの心、キャバクラお客の心ってな。つまんねー男だな、俺は …以下省略。

今日の一曲

本書の原題はOnly Time Will Tell
となれば
宇多田ヒカル Time Will Tell



では、また。

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『シークレット・レース ツール・ド・フランスの知られざる内幕』タイラー・ハミルトン&ダイエル・コイル

2013-08-20 | books
LINKツール・ド・フランスというスポーツ・イベントをご存じだろうか。優勝することは世界のどのスポーツよりも困難な自転車レース。3週間で3000キロ以上走る。自転車で登れるとは思えないような坂をずっと登り続け(坂を登ると言うより山に登っているよう)、急すぎて下るのが怖いような坂を時速100キロ(下ると言うより落ちているよう)で下る。ちょっと何かあれば落車、転倒、怪我。走りながら栄養を摂らないといけないのに、運動している最中に食うのは、胃が疲れていてなかなか厳しい。でも食わないといけない。人間の限界とはいったいどこにあるのだろうか。今年のツールはスカパーでは観てない(今年NHKで毎晩放送していたダイジェスト版は編集のせいなのかちっとも面白くなかったので数回しか観なかった)のだが、スカパーのJ-SPORTSで全ステージの放送がある。観ていた年でも全ての放送を毎晩長時間観ることはできなかったのだが、夜1時間ぐらいゴール前の放送を観るだけで、人間の限界が繰り広げるドラマを堪能できた。アメフト、水球、ラグビー、バスケットを観るのが大好きだが、ツールには負ける。私の夢は、いつか車を買うか借りるかして、ツールがフランス中を移動するのに合わせて一緒に移動しながら沿道で観戦すること。ヘリコプターからの映像が、いつも感心するほど美しい。


そのツールで1度勝つどころか、7連覇してしまった男、ランス・アームストロング。人類史上最高のアスリート。自伝「ただマイヨジョーヌのためでなく」を読んで、震えた。癌を克服するなんてスゴイと思った。

しかし以前からドーピング疑惑があったものの、どういうわけか検査では陰性だったりした。他の有力選手が陽性反応とともに選手資格を失ったりしているのにもかかわらず。

本書はランスの元チームメイトで著名な選手ハミルトンが語って、作家が書くという形式で作られたもの。プロサイクルスポーツの裏側、ランスのドーピングについてこれでもかと詳しく暴露している。

具体的な描写が多く、自転車競技やツール好きには絶対読み逃せないMUST本だ。

しかししかし。1月にランスがテレビでドーピングを告白して以来、7連覇について私の頭の中でどう処理すればいいのかいまだにうまくできていない。頭ではランスの勝利などなかったものにすればよいのだが、彼の走る姿、特に山岳ステージでの驚異的なアタックと逃げ切りが脳の底から離れない。消そうとしてもなかなか消せない。しかし、ランスより後にツールで優勝したのに、その後にドーピングで取り消されたアルベルト・コンタドールの姿はすぐに消えてしまった。なんでだ?彼のライバル、アンディ・シュレックを応援していたからだろう。つまり公平にランスやコンタドール、シュレックを観ているわけじゃなくて、バイアスに満ちた見方にすぎないわけだ。私のものの見方なんて所詮そんなもん… 脱線したのを戻そう。

本書は、単なる暴露本じゃないということは言っておかないといけない。タイラー・ハミルトンというアスリートの、挫折と栄光と挫折の歴史、自分の中の正義と悪と闘う話、ランス・アームストロングと人間の栄光の影に隠れた人格、プロスポーツ選手全てが自問自答する深遠なテーマ…そして何よりも、人類の立つ最も高いステージ、ツールで勝つということはどういう事なのか、そんなことが書かれた、極上の、いやこれ以上のものは読んだことがないスポーツドキュメントだった。

ドーピングは本人の健康を損なうからいけないのではなく、使う者と使わない者の差があまりにも不公平なほど大きい。だから、スポーツという「公平じゃないのなら観ても仕方ない」と思われてしまう場には持ち込んではいけないのだ。とあらためて思った。

ツールは、一部のドーピングする金があるチームが勝つという時代から、どのチームが勝つかどの選手が勝つか分からないという「スター不在」だけれど「戦国時代のように面白い」時代に移行しているようだ。ファンの信頼を回復して、全世界で生中継されるようなスポーツになって欲しい。

一度も観たことのない人は、来年ツールが開催されるときだけスカパーに加入するとかして、中継を観てみると世界観が変わるぐらいの頭を衝撃が襲うかもしれない。(私も知り合いもそうだった)(元TBSの小島慶子さんもそうだと言ってた)解説陣の話がすごく面白く、栗村修さんの話は特に面白いのも大きい。

余談が終わりそうにないので、この辺で。

では、また。

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『国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源』ダロン・アセモグル&ジェイムズ・ロビンソン

2013-08-18 | books
ジャレド・ダイヤモンドの「銃、病原菌、鉄」は、その国が地理的に世界のどこにあるのかが繁栄するか衰退するかの鍵になるということを丁寧に解説してくれた。すごく面白かった。しかし、心の奥の方でまで、確かにその通りだなと思ったわけではなくて、どこかピンと来ないような気もしていた。

なぜ大英帝国は繁栄したのか、後進国アメリカはなぜこれほどまでに繁栄したのか、ギリシャ、エジプト、インド、あるいはスペイン、ポルトガル、かつて栄華をきわめた国が跡形もなく没落してしまったのはなぜか。自分で考えてみたりすることはあったけれども、普遍的な、これだなというものは私の頭では何一つ思いつかなかった。

それで読んだのがこの本。表紙がなんつーかよくあるあれな感じなので、内容もあれだろうとパラパラめくってみた。すると立ち読みしてるだけで面白さがプンプンと匂ってきた。読めばどっぷりとハマる。自分がインカ帝国で暮らしているよう。スペインの者となって収奪してるよう。イングランドの者となってアメリカに入植したものの食べ物がなくて苦労しているような気分になる。

まさに、こういう本が読みたかった!待ってました。

本書は国家が衰退するか繁栄するかは地理や文化ではなく、経済上の制度と政治上の制度にあるとする。仮説を提示した上で、なぜそう言えるのかを丹念に歴史を紐解きながら考えてゆくという本。いやいやいや。これは面白い。面白すぎて読み終わるのがもったいなくなって、途中で他の本を挟んでしまった。なんというか、体のあちこちにあって自分では存在を意識してないツボを一つ一つ押されてしまったようだ。あー気持ちいい。

なぜ世界は今現在のようになったのか、少しずつ分かる(ような気になって)きた。幸い世界史の知識がなくても分かるように丁寧かつ易しく書いてくれている。(書かれていること全てを鵜呑みにすべきでもないし、どうして異なる政治的、経済的なシステムが生まれたのかという疑問は完全には解決されずに残るけれど、それは自分で後でゆっくり考えたい)(様々な例があるけれど、結局収奪的(extactive、絶対主義的、独裁的)か/包括的(inclusive、民主的、自由、多くの人間が意思決定に参加できる)か という二元論の繰り返しが続くのは難点と言えば難点だし、収奪/包括以外で説明可能な衰退/繁栄は他にあるのだろうと想像する。しかし論点が明快なので読みやすい)(収奪/包括で説明可能な例だけを読むことになるけれど、それだけでも充分収穫)(いや、待てよ、世界史のほとんどのことが説明可能かも知れない…今度ウィスキー呑みながらゆっくり考えてみよう)

自分用メモ

第一章 <こんなに近いのに、こんなに違う> アリゾナ州ノガレスとメキシコソノラ州ノガレスの違い。スペインによる南米の支配は、植民する側(=後に、一部の特権階級)だけが裕福になれるシステムを作っただけ。アメリカ合衆国では、イングランドがスペインのシステムを真似て失敗した。金も銀もない。食料もない。現地民から略奪できない。植民する側も稼がないといけないのだ。イングランド国王チャールズ1世はボルティモア卿に1000万エーカーの土地の土地を与え、「荘園社会」を作らせた。そこでは入植民の働くインセンティブを与えなければならなかった。それは、土地、経済的自由。→アメリカ合衆国の繁栄は地理的なものではなく、政治制度とそれにともなう経済制度によるものだと言える。

第二章<役に立たない理論> ジャレド・ダイアモンドやマックス・ヴェーバー(プロテスタントの倫理が経済的繁栄をもたらした)を否定する。

第三章以降は箇条書きにて失礼 北朝鮮と韓国の相違 / 必ずしも繁栄が選ばれないのはなぜか? 収奪的制度と包括的制度 / 黒死病がヨーロッパ社会の構造をどう変えたか / ヴェネチアは世界で最も進んだ経済大国だったのに、今では博物館になってしまった(経済制度が収奪的になったから) / 大国オスマン帝国が後進国となったのはなぜか? / 明、清が交易に消極的だったのは創造的破壊を恐れたから。19世紀半ばまで鎖国状態だったのは日本も同じだったが、日本は創造的破壊をして、明治維新に進んだ / オランダのスパイス争奪と東南アジア支配が東南アジア秩序をどう変えたか / フランス革命 / 宝くじの当たりくじを自分のものとしたジンバブエの大統領 / 文化大革命 / コンゴ、コロンビア / アフガニスタンの山あいで住居再建のため数百万ドルの支援があった。支援の2割は国連のジュネーブ本部が経費として受け取り、残りは下請けのNGOに支払われ、そのNGOが2割を経費として受け取り、してうるうちにどんどん金は目減りし、イランで買った材木を輸送する運送費が高く、結局届いた材木は大きすぎて使う当てがない。しかたないので薪として使ったという例 / 旧弊を打倒したツワナ族 / マルクスは言った。「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」 / ノーベル経済学賞を受賞したサイモン・クズネッツは言う。「世界には4種類の国がある。先進国、発展途上国、日本、アルゼンチンだ」 以上、ごく一部しか挙げてない。他にも多くの話題満載。

こういう政治・経済の分野ではめったにお目にかかれない、読み始めたら止まらない、徹夜本。政治にも経済にも興味が持てないけれど、歴史には興味があるという人こそ、読むと歴史を動かす軸である政治そして経済が分かって、より歴史が面白くなってしまうスゴイ本だと思う。上で挙げた難点はあるけれど、だからこそ読みやすい本なのである。政治経済ニンゲンたちだけに独占させるべからず。

では、また。

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『緑衣の女』アーナルデュル・インドリダソン

2013-08-16 | books
アイスランド、地中から人骨が発見された。かなり古いもののようだ。60年くらい前のものだろうか。いったい誰の遺骨なのだろうか… レイキャヴィクの犯罪捜査官のエーレンデュルは、娘から「助けて、お願い」という電話をもらう。離婚した妻との娘。ドラッグの常用者。娘を探すと意識不明の重体だった… 戦時中。前夫との子供を抱えながら知り合った男と再婚した女。新しい夫はすぐに手を上げるようになった。ただひたすら暴力を受ける日々。荒む心。アメリカ軍が近くに駐屯することになった。そこで仕事を見つけた夫。物資を横流しするようになった。それが何者かに密告されて牢屋に行った。夫がいなくなり幸せな日々。アメリカ軍の兵士と仲良くなった。しかし… 人骨発見と、刑事の娘の病状、1940年代のドメスティック・バイオレンス。3つの話が並行して描かれる。その先にあるものは…

うーむ。うーむ。重い。重たい。暗い。暗澹としている。というようなダークな話は好物なので問題ない。人骨が誰のものであったかという謎解きについても、すごくミステリ小説として堪能させてもらった。それもいい。

問題はDV。というより、この作品の最大のキモはDVだろう。訳者がこんな作品を世に出していいのかと悩んだだけのことはある。肉体的、精神的な暴力が人間をどれだけ破壊するのか、その力をまざまざと見せつける。

アメリカでサイコスリラーがブームになったとき、サイコキラーは幼少時に虐待を受けたから、経済的利益や怨恨という動機ではなく、快楽を動機に殺人を犯すのだ、という解釈を何度も読んだ(と記憶している。)心理学者による分析によるとそういうことのかも知れないが、エンターテイメント小説は必ずしも現実的に、あるいは科学的に正しくある必要はないので、なんでもかんでもDVのせいにしやがって、と思っているうちにサイコスリラーから離れていったように思う。(記憶は嘘をつくので違うかも知れない)(いや、記憶という他人のせいにしてはいけない。私は嘘をつくので違うかも知れない。)

DVからしばらく離れていたら、これだ。腰椎に針を押し込まれたような感じ。痛みを通り越して、自分が自分ではないような感じ。暴力をふるわれる側の痛みはもちろん、ふるう側の痛みも伝わってくる。

しかしこの小説が与えてくれたのは、果てしもなく冷たい悲しみだけではなく、救われるような温かい優しさだった。人間の根源のあるのははたしてどちらなのだろうか。アイスランドミステリあなどりがたし。「湿地」も面白かった。北欧のミステリ小説やドラマが自分の肌に合うということは、北欧に旅行したらすごく楽しめるとか、北欧に住んだら幸せになれる、ということを暗示しているのだろうか。

では、また。

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『わたしをみつけて』中脇初枝

2013-08-14 | books
親に捨てられて施設で育ち、准看護師となった山本弥生33歳。捨てた親に対する気持、准看護師という立場での仕事、横暴な医師、手術ミスを繰り返す院長、きちんと仕事をする弥生。そんな中やって来たのは新しい師長。患者さんを第一に考え、医者は医者のすべき仕事をし、看護師は看護師のすべき仕事をしなくてなという正論を上まで通せる人だった。それまでの職場は変わった。師長、患者を通じて弥生自身はどう変わっていくか…

うーむ。「きみはいい子」も良かったけれど、こっちもすごくいい。ラストも好きだ。

言葉の選び方なのか文体のせいなのか、主人公の誠実だけれどどこな温かくなりきれない複雑な性格をうまく表現してる。淡々なストーリー展開にも主人公に対しても何やら愛おしいような気持になる。

現在放送中のドラマ「Woman」を観ているときと同じような気持ちになる。真摯に生きる者、軋轢、葛藤、息苦しくなるストーリー。

こういうドラマもこういう小説も、昔なら、観てられねえよ、読んでられねえよ、こんな暗いの、と切り捨てていただろう。その頃よりも少しは大人になったのか、暗さの中に何か、ちょっとした何かを見出せるようになった。

その何かとは何なのかを表現できるほどには大人になってはいないのだけれど。

今日の一曲

JUDY AND MARYで、「あたしをみつけて」



では、また。

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『宰領 隠蔽捜査5』今野敏

2013-08-13 | books
警察庁長官官房の課長から大森署の署長に左遷された変わり者竜崎。

今回の事件は同期の警視庁刑事部長伊丹の電話から。衆議院議員の秘書から連絡があって、議員が行方不明になったとのこと。議員は、女性関係のことなのか、たまにどこかに消えることがあるので、大事にはしたくない。羽田空港から車に乗って、そこから先の足取りが分からない。すると大森署管内で議員が乗った車を発見。中から遺体が。議員ではなかった。誘拐事件か…

というような話。スカッとして痛快。竜崎の「歩く正論」ぶりは相変わらずで気持ちいい。そしてこのシリーズ(今野敏作品全体)の特長、読んでも後に何も残らないもまた同じ。

私は基本的には本に後に残るものを求める。スカッとしてそれで終わりじゃなく、じゅくじゅくジトジトと焦らされ、後になって思い返したい。あるいは心に傷跡を残して欲しい。あるいは、読後の自分の行動に小さい/大きい影響を与えて欲しい。(俺はMか?他力本願か?)

しかし後に何も残らない方がいいという考えも充分に理解できる。そっちの方が正しいようにも思う。

後に何か残って欲しいと願う私は、日常生活の中では何も後に残らない、空虚な時間を過ごしているに違いない。色即是空空即是色。

今日の一曲

空しいという言葉ですぐに連想するのはCarlie SimonのYou're So Vain
オリジナルが発表されたのは70年代で、ずっと知らなかったのだけれど、Guitar Songsというコンピレーションアルバムに入っていて、それで知った。メロディだけじゃなくて、歌詞がすごくいい。なんというか、身につまされるというか。途中からコーラスでMick Jaggerが入って来るのもまたたまらない。



では、また。

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『常識にとらわれない100の講義』森博嗣

2013-08-12 | books
書店でパラパラと見ていたらたまたまこの頁が目に入ってきた。いきなりの長い引用で恐縮。

71「ずっと不安を抱いている」と言う人がいる。

不安を長い間ずっと抱き続けているというのは、我慢強いというのか、力強いというのか、なかなかの強者ではないか、と思ってしまう。僕は、そういう荷物はすぐに降ろしてしまう方だ。
もちろん、「ずっと不安なんです」と言葉でいうだけで、本当は不安ではないのかもしれない。実際のところ、そうなんじゃないか、と疑っている。一方、僕の場合、不安というのは、人に話すよりもまえに、我慢するよりもさきに、とにかく排除する。つまり不安のままには絶対にしておけない。そういうのが「不安」というものであるから、みんなが口にする不安とは、レベル的に違うかもしれない。
たとえば、「原発が不安だ」と口にする人がいる。それを聞くと、「それで、どうしているんですか?」とついききたくなる。相手は、首を捻って、「いや、べつに、できることはありません。しかたがないですね」と言うのである。
僕は、原発は二十年以上まえに不安に思った。周りの誰も不安を抱いていないようだった。もしものときに、どうするのか誰も考えていなかったが、僕は考えた。僕がまえに住んでいたところは、原発と百キロくらいの距離だったが、家には地下シェルタがあったし、手動の空気清浄器もあった。それから、次の引越では、原発の心配のない土地を選んだ。そういうことは、人には話さない。自分の不安は自分で解消するしかない。僕は、特に原発に反対しているわけではない。原発は鉄道や旅客機と同じくらい危険だと思っているけれど、どちらも必要を感じる人も多い。今のところ、死者が圧倒的に多いのは、原発よりも鉄道や旅客機である。
それからずいぶん経って、つい最近になって、大きな原発の事故が起こった。事故が起こると、みんなが「不安だ」と騒ぎだす。しかし、事故が一度起これば、これまでよりも、原発は安全になる。チェックも厳しくなるし、施設も見直される。だから、今は、これまでよりも安全なのだ。それなのに、みんなは、今までは知らん顔をしていたのに、今度は心配している。もう少しよく心配の対象を見つめてはどうだろうか、と僕は思う。でも「知らなかったのだからしかたがない」とみんなは言うのである。ああ、そうですか、それはしかたがないですね、とこちらも答えるしかない。自分の大事なことなのに、知らなかったで済ませるのか。そしてたまたま知ったことだけを、「心配だ」と口にする。口にするだけで、やっぱりなにもしないのか。
「他力本願」を通り越して、なんだか「自分」がない人が多いように見える。(162頁より引用)


原発の事故について、このブログでは意見を何も述べないようにしてきた。あえてこの場を借りて述べさせてもらうと、この引用の内容の通りだなーと思う。論点はずれるけれど、そこから感じたこと… みんなで同じ方向を向こうとする「他力本願」ピープルはどこかで聞いたことのあるピープルに似ている。それは、「ファシズム」に支配されていたピープル… 長い景気低迷に苦しみ、内向きで偏狭になり、メディアの一方的な報道を常に鵜呑みにし、他者を攻撃することに快感を覚える。それは、第一次大戦で敗北し、天文学的な賠償金の支払いを命じられ、紙幣を乱発しインフレになり、世界恐慌の後、植民地がないから英国やフランスのようなブロック経済体制も組めず、公共投資を増やすというケインズ的政策をアメリカのようにもとれず、国家として機能不全に陥り、結果ユダヤ人という攻撃対象を見つけ、ゲッペルスとヒトラーという国民を踊らせる天才が率いるようになった国、ドイツとどこか似ている。と思うんですがどうでしょう…

麻生副総理の言うように「ナチスは民主的な手続きをとって「ナチス憲法」を作った」のではなく、ワイマール憲法を無効化する全権委任法を通したのだった。全権委任法は、立法権を国会からヒトラー内閣へ移し、ヒトラー内閣が作った法律は憲法に違反してもいいというものである。(すごい法律だわね) ワイマール憲法に矛盾する全権委任法を立法化するには議席の2/3が必要であるが、ヒトラー与党は2/3までの議席を持っていなかった。しかし共産党の議員を拘禁して議席の分母を減らすことで全権委任法を通して、ワイマール憲法は無力化された、そうである。それは「合法的」なやり方ではあったかも知れないが、「民主的」だったとは言えないだろう。(民主的はいいいことだと言いたいわけではないけれど)(当時のドイツが悪かったとか良かったとか、今の日本が悪いとか言いたいわけでは全くない。ヒトラーはドイツ人のモチベーションを高めたし、景気を良くしたわけだし、アベノミクスが「景気」を良くしているというのも事実なわけで)しかし、麻生氏が(あるいは自民党が)やろうとしていること、そして多数の人が踊るさまを見てると、ワイマール憲法が無力化された前後の事を連想する。

ふぅ。堅い話をしたら肩が凝っちまった。いや、読む方が肩凝るか。すまぬ。

この本は、みんなが読んでみんなが面白いとか、考えさせられるとか思うかどうか、正直サッパリ分からない。少なくとも、私はすごく面白いし考えさせられるし、考えるヒントをあれこれと受け取った。自己軽薄本、じゃなくて自己啓発本の多くは「そりゃやれば有効なことは分かるけれど、やんねーんだよ」とか「こんな当たり前すぎることを読むために金払ったんじゃないのに」とか「アドバイスが具体的すぎて役に立たない」ことばかり。しかし本書は、当たり前のことが一つも書いてないし、提示される考えは抽象的なので、こちらが考える余地がある。それがとってもいい。論旨が明快だし、超論理的だ。私は自分が論理的だと思っていたけれど、全然甘かった。

他に気になった部分を自分用メモ風に:

人や絵画や音楽を好きになる理由なんてない。後から捏造するだけ。一度「好き」になるとそのことに縛られてしまう。(確かにそーだなー) / なにかネガティブな状態にあったときに、異常だ異常だとわめくよりもそれが「異常でない」と処理する方が自然だったりする。(ふむ) / 脳は変幻自在。体とは別で、挑戦が可能。「読みやすい」が選択の理由の人が多いけれど、「食べやすい」がその料理を食べる理由ではないだろう。それと同じ。(確かに) / 忘れるということは、具体から抽象へ移行しているということ / どうしてもしなくてはいけないことはほとんどない。どうしてもできないことはしなくてよい / ネットで求める情報は客観的なものであって、主観的な感想ではない。しかし個人的な感想ばかりがネットにあふれている。便利だったネットはだんだん普通の社会のように濁っている。(個人の感想ばかり述べるブロガーであることは棚に上げるとその通り。主観も数多く集まると客観になるかも知れないけれど、またそれは別の話)(若い人と話していると、ややリテラシーに欠ける人たちの多くは「ネットに全て書いてある」と思っているようだ。そんなわけないということも想像できないわけだ。メディアが扇動しやすい状況にどんどんなっているらしい)(日本人は、ずっと個人の自由よりも全体の利益を重んじる「全体主義」で、勝ち負けと格差が明確にある資本主義というよりも「社会主義」で暮らしてきたのだから、ヨーロッパの「自由と責任」の表裏一体をきちんと認識するという生き方はまだまだ馴染まないと思う。純和風と欧風がまだうまくミックスしていない過渡期。いつかうまく融合できるのだろうか。それとも50年後には昔の日本みたいになってるんだろうか。どんどん話が脱線しているけれど、たまには許して下さい。私も世間のブロガー様のように真面目な事を語れる、ような振りをたまにはしてみたいのです)

(自分用メモつづき)/ インターネットのおかげで「馬鹿」な人がどういう風に考えているか分かるようになった。今までは犯罪という結果しかみえなかったけれど / どうして貧乏になるか?それは自分で作らず、自分で考えず、人に作らせ、人に考えさせてるので、その料金をとられてるからだ。(うーむ。そんな風に考えたことはなかった。でもその通りだ) / 海外の小説を読まない人が増えている。グローバル化の反対だ。(確かに、周囲でも翻訳ものの本は読まないという人が昔よりもすごく多い。国産のものの方が優れている、ってことはないから、本当に面白いか、学ぶべきことが多いかという本質じゃない別の理由で選んでしまっているのだろう。本質を見失うと人はどうなってしまうのだろうか…)

暑すぎて、頭が沸騰してしまったらしい。似合わない事オンパレードだった。

では、また。

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『大事なことほど小声でささやく』森沢明夫

2013-08-10 | books
スポーツクラブでプロレスラーのような肉体を鍛える男、権田はゲイで、スナックひばりのママ。見た目は怪物なのに中身はきさくで愉快なお姉。スポーツクラブにやって来る会員が権田(=ゴンママ)との触れ合いを通して自分を変えてゆくという連作短編集。

最初の短編は、娘からキモイと疎んじられた、メタボおじさんのが人生を取り戻す話。メタボが筋トレやればそりゃ人生取り戻すだろう?そんなこと読むために小説読んでんじゃねえよと思っていた。

次の短編は美人マンガ家の話。

「いいこと?人生に大切なのはね、自分に何が起こったのかじゃなくて、起こったことに対して自分が何をするか、なのよ。起こったことなんて、そのまま受け入れればいいの。どうせ過去は変えようがないんだから」

というゴンママの台詞。笑いはあるし悪くない。第一印象が払しょくされた後は、色々感じたり考えさせてくれたり、笑わせてくれたり、しみじみしたり。キャラが立っているのもあってエンタメ小説のど真ん中だった。アブナイアブナイもうちょっとで途中でギブアップして読むのやめるとこだった。

LINKLINKスナックひばりという言葉で、「ストップ!!ひばりくん!」というマンガを思い出した。天才江口寿史がだいぶ前に書いたもの。美少女に見えるひばりくんは実は男。彼の周りの出来事を描くコメディで、「絵がキレイ」なのに「ギャグマンガ」というミスマッチがまたたまらなかった。ロットリングで絵を描く系では(実際に使ってるかは忘れたけれど、普通のGペンで描いてるのではなかったような)、大友克洋とかひさうちみちおとか江口寿史とか、こういうマンガってええなーと思ってたことを今思い出した。「ストップひばりくん」は全巻持ってたし、「気分はもう戦争」も「100万人のマスチゲン」も持ってた。しかし全てどこかに消えた。売ったのか貸したのか捨てたのか。捨てた女に未練はないが、捨てたマンガに未練は残る。兎角この世は住みにくい。

話を戻すと、なかなかええ小説だった。

では、また。

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『家族写真』荻原浩

2013-08-09 | books
家族がテーマの短編集。髪が薄くても、家がなくても、太っていてもいいじゃないかという「人生肯定感」に溢れる。自分がだらしなくて、そのだらしなさを「仕方ないよね」と言ってもらいたい気分のときに読むのに向いている。

もうちょっと苦かったり、あるいは油こってりの方が好み。毒とクスリを混ぜてその中間になってしまった感はある。

崩壊気味の家族が車の中でしりとりをするという<しりとりのり>という短編は良かった。

今日の一曲

家族写真なので、ベタで恐縮。荒井由美とハイファセットで「卒業写真」



では、また。

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店名にツッコんでください70

2013-08-07 | laugh or let me die
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