頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

『沈むフランシス』松家仁之

2014-11-30 | books
東京の大学を出て、企業に12年勤めていたけれど辞めてしまった撫養桂子。昔住んでいた北海道の枝留町の隣町、安地内村の郵便局員になることにした。郵便配達を通して地元の人と知り合いになってゆく。そんな中、配達先の男性、寺富町に、彼の友人夫婦と一緒にCDを聴かないかと誘われた。音をちゃんと聴くためにフランシスとここに住んでいると不思議なことを言う男。彼に出会ってから、変わってゆく彼女は……

うむ。「火山のふもとで」の瑞々しい感じや、「優雅なのかどうか、わからない」のグラグラと揺れる感じと較べると、小さく纏まっちゃった感じはしなくもない。と言うより、その2冊が良すぎるのだ。

フランシスとは何か。表紙が犬だから飼い犬のことなのだろう。だとすると、タイトルの沈むフランシスとは、落ち込む飼い犬のことなのかなと思っていたら、全然違った。フランシスは何かはすぐに分かるのだけれど、沈むの意味はラストで分かる。このラストはなかなかの好み。どういうわけか山田太一脚本のドラマ「岸辺のアルバム」のラストを連想した。

純文学的な方向から、30代の行き詰まった女性の心を描いた小説とも言えるし、あるいはもうちょっと普遍的な「思い切ってみること」を描いているとも言える。

大昔、ここに移り住むようになったアイヌのひとたちも、ほんとうはちがうところを目ざしていた。でも、川で魚もとれるし、けものもとれる。木の実もたくさん。このあたりを開拓して、安地内って字を当てた内地の人たちも、ほんとうはここが目的でやってきたわけじゃなかった。中継地点のつもりが、いつのまにか定住することになっていた。ここはね、だから誰にとっても目的地じゃないのよ、大昔から」

人間について考えてみた。ある人は、みんなにとっての目的地みたいな人。ある人は、みんなにとっての途中駅みたいな人。同性だったら、みんなが目指す目標のような人もいるし、一時的にその人とは友達ではいるけれど、ずっと友達でいるとは思えないよな、と思われる人もいる。異性なら、理想の彼氏とか彼女のような存在もいれば、途中の踏み台にされることが運命付けられてしまっているような人もいる。

自分は、他の誰かからすれば常に中継地点とか途中駅みたいな存在なんだろうと思っている。同時に、自分も今の人生がそのまま終着駅へと至る旅にいるのではなく、乗換しないといけない旅にいるような気がしている。なんとなく、沢木耕太郎風でお送りした。

沈むフランシス

今日の一曲

フランシスと言うと、なぜかサザンを連想する。サザンオールスターズに「いなせなロコモーション」という曲があって、歌詞に「踊りたもれ コニーフランシスナンバー」というのがある。コニーフランシスって何だろうな、とは思っていた。V・A・C・A・T・I・O・Nとか日本でもよく知られている曲の元を歌ってる人で、50年代から60年代にかけて活躍したそうだ。そんなCony FrancisでWhere The Boys Are、邦題「ボーイハント」



いなせなロコモーションの方は動画見つからなかった。サザンもそっちの権利関係にうるさいらしい。そういうことはしない方が長い目で見ればファン獲得につながるように思う。矢沢永吉なんて興味なかったんだけど、ライブの動画を観てすごく好きになったのさ。

では、また。
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店名にツッコんでください94

2014-11-27 | laugh or let me die
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『邪悪なものの鎮め方』内田樹

2014-11-25 | books
「邪悪なもの」を鎮める方法。「どうしていいかわからないときに、正しい選択をする」ためには「ディセンシー(礼儀正しさ)」、「身体感度の高さ」「オープンマインド」が必要だと説く、ウチダセンセイの本。

「被害者意識」というマインドが含有している有毒性に人々はいささか警戒心を書いているように私には思える。
以前、精神科医の春日武彦先生から統合失調症の前駆症状は「こだわり・プライド・被害者意識」と教えていただいたことがある。(中略)
健全な想念は適度に揺らいで、あちこちにふらふらするが、病的は想念は一点に固着して動かない。その可動域の狭さが妄想の特徴なのである。

統合失調症に至らなくても、「統合失調症的」な固着に囚われることはあるはず。その際にどう自分の気持ちを変えればよいのだろうか。

私たちの社会のたいへん深刻な問題のひとつは「人を見る目」を私たちが失ってしまったということである。
誰にでも見えるものなら「人を見る目」があるとか「ない」とかいうことは言われない。ごく例外的に見識の高い人にだけ「見えて」、そうでない人には「見えない」からこそ、「人を見る目」という熟語が存在するのである。
というのは、「人を見る目」というのは、その人が「これまでにしたこと」に基づいて下される評価の精密さのことではなく、その人が「これからするかもしれない仕事」についての評価の蓋然性のことだからである。

人を見る目か。なるほど。

夏目漱石も山県有朋も明治大正の紳士たちは様々なお稽古ごとに励んだ。なぜか?

私はその理由が少しわかりかけた気がする。
それは「本務」ですぐれたパフォーマンスを上げるためには「本務でないところで、失敗を重ね、叱責され、自分の未熟を骨身にしみるまで味わう経験」を積むことがきわめて有用だということが知られていたからである。

おっと、そうか。私がキックボクシングなるお稽古ごとで、先生に何度も何度も同じ注意を受け続け、自らの下手さに呆れ、蹴られた腿の痛みに下を向いてとぼとぼとと家に帰る、ことにも意味があるのかも知れない。そうか、本務のためか。ふむふむ。ちょっと救われる。(救われてる場合か?)

歴史主義には悪いところもあるが、いいところもある。
特にいいところは、「私たちが今生きているこの社会は、テンポラリーなものであって、始まりがあった以上、いずれ終わりが来る。」という考えである。こういう考え方をつねづねしていると、今ある「このような社会」はいつ、どんなかたちで「それとは違う社会」になるのかということが気になるようになる。そういうことをいつも気にしている人間は、「今ある社会がこれからもずっと続く」と思っている人間よりも、社会が大きな変動期に入ったときに慌てない確率が高い。

確かに確かに。たとえ今、いじめにあっているとしても、それがテンポラリーなことであってと、考えることができるかも知れない。そして、歴史を学ぼうとしない人は、常に「事態が起こってから対処」しようとする。(アメリカは、そういう国ではないだろうか)

「公正で人間的な社会」を「永続的に、法律によって確実なものにする」ことは不可能である。それを試みる過程で100%の確率で「不公正で非人間的な政策」が採用されるからである。

どのような相手と結婚しても、「それなりに幸福になれる」という高い適応能力は、生物的に言っても、社会的に言っても生き延びる上で必須の資質である。それを涵養せねばならない。「異性が一〇人いたらそのうちの三人とは『結婚できそう』と思える」のが成人の条件であり、「一〇人いたら五人とはオッケー」というのが「成熟した大人」であり、「一〇人いたら、七人はいけます」というのが「達人」である。Someday my prince will comeというようなお題目を唱えているうちは子どもである。

これには、大きく頷いてしまった。昔は、「この人とじゃなきゃ結婚できない」と納得できないと結婚してはいけないと思い、一〇〇人の中の一人とすらうまくやっていけるか不安だったけれど、今では一〇人いれば、うち四人とはオッケーと思えるようになった。(ほんとか?)少しは大人になったのだろうか。

邪悪なものの鎮め方 (文春文庫)

今日の一曲

邪悪、と言えばBad、と言えば踊りがキレッキレなMichael JacksonでBad



では、また。
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『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相」福田ますみ

2014-11-22 | books
2003年6月27日付朝日新聞西部本社版に「小4の母『曽祖父は米国人』 教諭、直後からいじめ」というローカルニュースが載った。その後、10月9日号の週刊文春が報道に火を付けた。「『死に方教えたろうか』と教え子を恫喝した史上最悪の『殺人教師』」という記事。教師の実名まで挙げ、猛烈な非難をした。福岡の小学校の教師が、生徒にはアメリカ人の血が流れているから「血が穢れている」と家庭訪問で自説を3時間も話し、体罰もあったとする。後に、生徒の親は民事訴訟を起こした。しかし著者の取材によると実態は…世にも恐ろしいドキュメント。

(もし著者の取材の結果たどり着いた結論が正しいとすれば)ほとんど全てが事実無根。いわゆる「モンスター・ペアレント」の巻き起こした冤罪である。事件の報道についてはうっすらとしか記憶がないけれど、背筋が凍る思いのするのが、「福岡に、暴言を吐いて体罰した教師がいたなー」と私が何となく覚えていることである。

後の裁判でそうでないことが明らかになっているはずなのに、私はそれを知らない。私が怠慢だったのだろうか。メディアが怠慢だったのだろうか。

解説でジャーナリストの有田芳夫氏が「本書が学校教育に留まらない『危機管理のテキスト』になっている」「メディア関係者にも実地の『取材方法論』として読んでいただきたい」と書いていることが、この本を的確かつコンパクトに評価していると思う。

社会全体が病んでいるとされている現代だからこそ、加害者と対峙する前に、被害者になる前に読むべき本。

でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相 (新潮文庫)

今日の一曲

でっちあげ。と言えばmake upと言うことで、井上陽水でmake-up shadow



では、また。
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好き嫌いせずに食べましょう

2014-11-20 | days
ベランダに出ると、

雌のカマキリが雄を喰らっていた。



ムシャムシャという音も聞こえていた。

交尾の後、自分の身体を、栄養として雌に捧げる雄。

死後なんの役にも立たない人間の雄よりも、ステキな人生だ。

翌朝、



合掌。

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『ゴースト・スナイパー』ジェフリー・ディーヴァー

2014-11-19 | books
過激な反米活動をするテロリストがバハマで射殺された。2000メートルという長距離の射撃。一緒にいたボディガードとジャーナリストも死んだ。この事件をニューヨークの検事補が、証拠物件の分析の世界最高のプロ、リンカーン・ライムのもとに持ち込んできた。殺害はアメリカの国家諜報運用局(NIOS)によるものであって、しかも被害者はテロリストではなく無罪だと言う。殺害を命じたNIOSの長官を訴追したい、証拠の調査をライムに頼みたいと言うのだ。海外の事件、しかも対象が政府機関。ライム率いるチームの闘いは……

微細な証拠をこれでもかと積み上げていくのがリンカーン・ライム・シリーズの特徴。しかしこれが今回は少なくなった印象。それがむしろ良かった(あの細かい話には若干飽きていた…んですけど…衝撃のどんでん返しがどうしても…やめられなくて、だからあたし…)

やはりどんでん返しの数々。さすが。そして、いつもと違う感じが、むしろすごく良かった。

ゴースト・スナイパー

原題はThe Kill Room ということで、CreamのWhite Room



では、また。
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『窓から逃げた100歳老人』ヨナス・ヨナソン

2014-11-17 | books
スウェーデンの小説。

アラン・カールソンは100歳の誕生日に老人ホームから逃げることにした。たまたま他人のスーツケースを自分のものにしてしまったら、中身は大金。すたこら逃げねば。追いかける悪い人たち。そしてアランの行方は警察も探している。アランが行くところにはなぜか死体が次々と。アランが過去を振り返る…

1905年に生まれた。父は社会主義にかぶれロシア皇帝を退位させるためにロシアに行ってそして逝ってしまった。アランはニトログリセリン社で働き始め、爆弾の専門家になった。気づけば、内戦化のスペインでフランコ将軍に会い、アメリカに行けば副大統領時代のハリー・トルーマンと仲良くなり、ロスアラモスへ。アメリカに来た宋美齢とともに中国へ。かと思えばイランへ、ウインストン・チャーチルの暗殺を頼まれ。そしてロシアへ…(以下省略)

という感じのかなりハチャメチャな物語。現代史の大物たちがこれでもかと出てくる。なぜアランがその国へ行くのか、なぜ大物と仲良くなるのか。ものすごく強引な展開が堪らない。

並行して描かれる逃亡劇も負けず劣らずにハチャメチャ。

副大統領ハリー・トルーマンはアメリカで原子爆弾を作っていることを知らなくて、大統領のフランクリン・ルーズベルトが亡くなってその存在について教えてもらった、とどこかで読んだけれど、本作では、ルーズベルトが亡くなる前にトルーマンは知っていることになっている。しかしどっちが正しいのかなどということはどうでもいいと思わせてくれるくらいに、アナーキーな怪作だった。

窓から逃げた100歳老人

今日の一曲

老人。Neil YoungでOld Man



では、また。
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『天人 深代惇郎と新聞の時代』後藤正治

2014-11-15 | books
朝日新聞で天声人語の執筆を担当していた深代惇郎。46歳で亡くなった。彼の人となり、彼の周囲の人となり、その時代の他の新聞関係者について書いたノン・フィクション。

深代というなんとも味のある人物がいい。執筆した1973年10月31日の天声人語では、

大きな声ではいえないが、ふとしたことで盗聴テープが筆者の手に入った。驚いたことに、先日の閣議の様子がそっくり録音されているではないか。そのサワリを、こっそりご紹介しよう▼テープを信用できるなら、この日の閣議の話題はやはり田中内閣の人気についてだった。内閣支持率は20%台を低迷し、神戸市長選も敗れた。「”世界の田中”になり、大減税、新幹線計画も打ち出したのに-」という嘆息が、まずきこえた。「やはりインフレが痛い」「評論でなく、案を出してほしい」首相の声も心なしかさえない▼そのとき「ゴルフ庁はどうか」という声があった。「ゴルフ人口は一説に一千万人、低くみても六百万人。参院選前に放っておくテはない」と熱弁を振るっている。「『赤旗』もゴルフ記事を出しているね」という声は、官房長官らしい▼「尾崎将司の立候補打診をすべきだ」という人もいた。(以下省略)

その翌日には

きのうの本欄で「大きな声ではいえないが」と、盗聴テープによる閣議の話を書いた。「大きな声でいえない話」を新聞に書くはずもない。「読者にこっそりご紹介する」と書いたのも、「こっそりの話」を活字にするわけがない▼だから初めからユーモアとして読んでいただけたると思ったら、二階堂官房長官から本社あてに、厳重な申し入れ文書がきた。以下、その全文をご紹介するが、これは「架空申し入れ」でないことを念のためにお断りしておく(以下省略)

最近メディアの腰がひけてるからか、こういう強烈なユーモアのある記事や番組を見ることが少ない。マスメディアというプロの腰がひけて、SNSでは素人が他人の批判を堂々とする、そんな時代なのだろうか。

1962年5月20日号の朝日ジャーナルでは、

先日、外国人で初めての菊池寛賞をもらったコロンビア大学教授ドナルド・キーンさんをお祝いする席に招かれた。友人ばかり四、五十人の、ごく内輪な集り、といってしまえばそれまでだが、実は外国でめったに経験できそうにないめずらしい、しかも愉快な祝賀会だった。キーンさんと同学の、いわゆる青い目の日本学者や日本通が多数はせ参じたからである。
僕とテーブルをいっしょにしたエール大学の先生に「ご専攻は」と、まずお近づきのしるしを示したら「はい、ヒラガ ゲンナイです。朝日ジャーナルの『日本の思想家 この百年』を愛読していますよ」といわれたのには、もはやおそれいるほかはなかった。おはずかしいけど、平賀源内について話題を進めるべきなにものも、僕は持合せていない。
聞き耳をたてたら後ろの席では「観世は - 宝生は-」とさかんにやっている。これも話にわってはいるのはやめにした。日本のことで百花乱れとぶ席で、僕は日本人のシェークスピア学者にあったイギリス人は、はたして劣等感をいだくであろうか、などとつまらないことを一人で考えていた。
そのうち話題がどうやら、わが担当である「国連」のほうに近よってきたので、まわりの人が今度は僕の話を聞くようになった。日本人である僕がアメリカ外交の話を彼らに聞かせ、アメリカ人である彼らが日本の話をぶって、僕が聞き役にまわる - こんな奇妙な盗作気分を味わうのは初めてのことだった。

タイトルの「天人」は天声人語の略語であって、深代が天の人のごとくに振舞うという意味ではなかった。

深代以外の人のエピソードもすごく多く、深代の伝記というよりも彼と彼の周囲を描いたノン・フィクションだった。ありそうでない新しいノン・フィクションの形なのかも知れない。

今日の一曲

メディアに対するプロテストソング。Billy BraggでIt Says Here



では、また。
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『わが心臓の痛み』マイクル・コナリー

2014-11-13 | books
ハリー・ボッシュシリーズのマイクル・コナリーによるノンシリーズは元FBI捜査官が主役。

心臓の病のために早期退職したテリー・マッケレイブは船の上で暮らしていた。現れた美しい女が仕事を依頼してきた。彼女の妹が強盗に殺されたのだが、その犯人がまだ捕まっていない。その犯人を捜してもらいたいと言うのだ。しかしマッケレイブは探偵のライセンスも持っていないし、心臓の手術を受けてまだ二ヶ月しか経ってないので体調も万全とは言えず、依頼を断った。すると彼女は、死んだ妹の心臓があなたの移植された心臓だと言う。仕事を受けたマッケレイブは、類似した未解決事件を探す。警察の妨害を受けながら、たどり着いた真実とは…

前にも書いたような気がするけれど、マイクル・コナリーは「間違いない」 

ハードボイルド作品として一級の読物であると同時に、どんでん返しミステリーとしても一級だった。人物の作り方もいいけれど、やはり真相の底にある動機と、そこへとたどり着くプロセスが本当に巧い。いや巧すぎる。

クリント・イーストウッドが主演、監督で映画化されたそうだが観てない。マッケレイブはあそこまで歳をとってはいないけれど、役にはあってるような気がする。欧米のドラマや映画では、中高年のおじさんが若くて美しい恋人を得るという描写が、日本の作品よりも多いように思う。それが社会の現実を投影しているのか、それとも願望なのだろうか。

登場人物の一人が、「今西刑事捜査する」という本を読んでいたのだが、松本清張の「砂の器」の英訳本のタイトルがそれだそうだ。松本清張は昔かなり読んでいたのだけれど、今は全く読んでない。「砂の器」とか「点と線」はストーリーをほとんど覚えているので、覚えていない何か別の作品を読んでみようかなー。(ミステリーはストーリーを覚えている場合、特にどんでん返し系だと、再読する気にはあまりならない。)

わが心臓の痛み〈上〉 (扶桑社ミステリー)わが心臓の痛み〈下〉 (扶桑社ミステリー)

今日の一曲

心臓、と言えば、heart... Oh My Little Sweet Heart心は~君の~と歌う、山下達郎で「僕の中の少年」



では、また。
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『アイネクライネナハトムジーク』伊坂幸太郎

2014-11-11 | books
6本の短編。

会社のデータが壊れたので、路上でアンケートをとる男。ボクシングのヘビー級世界タイトルマッチに日本人で初めて挑む男。美容師、客、弟。男子高校生、女子高校生。高校でいじめられた子がいじめた子に再会。立場はクライアントと広告代理店と逆転していた。出会い出会い出会いの連作短編集。

斉藤和義に歌詞を書いてくれと頼まれて、作詞はできないので小説をと書いた冒頭の「アイネクライネ」と斉藤和義のシングルCDの初回限定盤の付録のために書いた「ライトヘビー」の2作。そこから派生していった残りの短編が合体してできたのが本作。

伊坂幸太郎に求めてしまうのは、正直に言えば、殺し屋や超能力ではなく、ちょっと奇妙な味、しっかりしたオチ、洒落た台詞、そして各短編のつながり。これら全てがここにある。もちろん美味しく咀嚼させていただいた。

「こいつは前の彼女と別れていまだにソロ活動中なんだよ」

「いいか、後になって、『あの時、あそこにいたのが彼女で本当に良かった』って幸運に感謝できるようなのが、一番幸せなんだよ」

「いいか、藤間、外交そのものだぞ。宗教も歴史も違う、別の国だ、女房なんて。それが一つ屋根の下でやっていくんだから、外交の交渉技術が必要なんだよ。一つ、毅然とした態度、二つ、相手の顔を立てつつ、三つ、確約はしない、四つ、国土は守る。そういうもんだ」

「あなたさ、国語の授業で、中島敦とか読んだりしないの?『名人伝』とかさ」
「何それ」
「名人の域になると、もはや、超越しちゃってるって話なの。子育てで譬えるなら、子供の一挙手一投足を気にしているのはまだ普通の母親で、名人クラスになると、誰かが『子育ての極意を教えてください』と言ってきたら、『あれ。子供って何でしたっけ』と答えちゃうくらいってわけ」

「お母さんに言われます。自分が正しい、と想いはじめたら、自分を心配しろ、って」

「合唱コンクールにはいったい、どういう意義があるんだろうね」
「どういう意義って」
「みんなで声を合わせて、歌を歌って、いったい誰にどういうメリットがあるのか」
「メリットとかじゃなくて、まあ、ほら、若者たちが力を合わせて、何かに打ち込んで発表する、というのはほっとするのかもよ」
「ほっとするって誰が」
「大人たちが」織田美緒は笑う。「若者たちが、だらだらと怠惰に過ごしていると心配でしょ?みんなで合唱の練習をしているというのはきっと、その反対で」

伊坂幸太郎は巧いとか面白いを超えて、名人の域に達していると思う。何の名人かは訊かないで欲しい。

アイネクライネナハトムジーク

今日の一曲

タイトルそのまま、MozartのEine Kleine Nachtmusik



本作とこの曲の関連性は見いだせず、まさか、あのプ〇〇ス・ナ〇〇ム・ハ〇〇からとったのかと驚くのは268頁。

では、また。

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『真実無罪 特捜検察との攻防』宮本雅史

2014-11-10 | books
KSD事件とか村上正邦という言葉を覚えておられるだろうか。

2000年、村上正邦参議院議員が中小企業経営者福祉事業団(KSD)の古関理事長から5000万円受け取って、ものつくり大学の設置の支援を受けるため、国会の代表質問で橋本龍太郎首相から前向きな回答を引き出したとされた。

2001年逮捕、2003年東京地裁で懲役2年2か月、2008年上告を棄却、判決確定、しかし、関係者のインタビューや公判記録を読むと…

ううむ。簡単に言うと、村上をよく思わない勢力に参議院のドンとまで言われた村上がつぶされたとしか読み取れない。限りなく冤罪に近い。この感じ。鈴木宗男、ホリエモン、村上ファンド…検察の意向…

検察のメンツを立てると、何かが立たなくなる。正義はどこで立っているのか。正義はどこで売っているのだろうか。

しばらく前の事件で、記憶が「村上?あー、KSDから金貰った奴でしょ?悪そうな顔してたよね」という程度になってしまっているのを、もう一度どういう事件なのか初めからたどって、そしてこびり付いた偏見を剥がすと言うのはなかなかのピーリング体験だった。

真実無罪―特捜検察との攻防

今日の一曲

検察という稼業は、どうもおしゃれじゃない。イントロからのグルーヴ感がたまらない、Zepp Tokyoのライブより、岡村靖幸で「愛はおしゃれじゃない」



最近この曲が脳内を駆け巡っている。

では、また。



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『夜また夜の深い夜』桐野夏生

2014-11-09 | books
舞子18歳。ナポリで母と暮らす。母は何かから逃げているのだろうか。整形を繰り返している。治安の悪い地域で暮らさないといけないほどお金がない。漫画喫茶を経営する日本人男性と仲良くなり、日本の漫画を読み耽るようになる。そして母親と喧嘩した舞子は、家から出る。お金も住むところもない彼女は犯罪に手を染めるようになる。その過程で仲良くなった二人の女の子。リベリアから来たエリスとモルドバから来たアナ。二人ともホームレス。舞子の冒険が始まる。そして明かされてゆく母親の過去……

うーむ。何と言ったらいいか表現に困る作品だった。面白いか・面白くないかの択一なら、迷わず面白かったと答える。しかし、何の話かと訊かれるとちと困る。

18歳女子の小さな冒険譚とも言えるし、女の友情物語りとも言えるし、怪しげな母親の過去という謎解きミステリーとも言える。

しかしその全部を合わせても言い表せない何かがある。鈍い光のような何かが。

夜また夜の深い夜

今日の一曲

夜。Miles Davis Quintetで'Round About Midnight



では、また。
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『体の知性を取り戻す』尹雄大

2014-11-07 | books
「小さく前へならえ」と教師は言う。体が緊張した状態だと、教師が生徒を制御しやすくなるからだ。自分で考えるのではなく、答えを覚えさせるような教育がある。大人が子供をある種に型にはめようとしている…

柔道を長年やり、その後キックボクシングをはじめた著者は、ボクシング経験者とスパーリングをした。どういうわけかバランスを崩した状態で放ったパンチで相手を倒すことができた。それまでの練習の意味は何だったのか…鍛錬すると感覚が鈍るのだろうか…

正しくあろうとすると不安が出てくる。体に本来備えられている知性をこそ頼るべきなのだ。

何かを「しようと思う」のはなく、ただ「する」ということを説いた本。

武道を通して、老荘思想などに通じる哲学が、一見分かりやすい言葉で書かれているけれど、奥が深い。どういうわけか自分とは波長が合うらしく、すごく考えさせてもらった。

うまく説明できないのだけれど、読後カラダが軽くなった。

体の知性を取り戻す (講談社現代新書)

今日の一曲

体と言えばボディ。QueenでBody Language



では、また。
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『イノセント・デイズ』早見和真

2014-11-06 | books
ストーカーとなってしまった女は田中幸乃24歳。元交際相手の男性、井上敬介の住むアパートに火をつけた。敬介の妻と娘二人が亡くなった。逮捕された幸乃は容疑を認め、裁判では死刑判決が下る。

幸乃とはどういう人物なのか。彼女の母親を知る産婦人科医、小学校の時に仲の良かった男の子、中学の時に仲の良かった女子生徒、敬介の親友で幸乃のこともよく知る男性など、様々な視点から、彼女の人物像を浮き上がらせてゆく。果たして、陰湿なストーカー、そんな単純な言葉で彼女を表現できるだろうか……

これは意外な収穫。判決が下った後、

「も、も、申し訳ありませんでした。う、生まれてきて、す、す、すみませんでした」

と言う彼女。彼女がやったことは分かっている。でも、生まれてきてすまないと思うとは。どんな人生を歩んできたのかが、すごく気になる。それをミステリー的に謎を解き明かしていく。

若干台詞やストーリー展開に硬い感じがしなくもないけれど、想像していたよりもずっと意外な彼女の姿を見ると、安っぽい感動とは違う気持ちになる。(ミステリ読みはたいていの意外性はだいたい想定しているので、それを上回らないと評価できない)

登場人物の一人は、

父は集団での排ガス自殺という最期を選択した。それも<ダイヤルQ2>というサービスで知り合った、見ず知らずの女の呼びかけの乗って。

うーむ。

小さい頃は「百歳まで生きたい」などと無邪気に言っていた。それが、気づいたときには未来を想像するのが恐くなっていた。明日を迎えることに震えるようになっていた。

基本的にはこんな風に暗い話なのだけれど、暗闇だからこそ、光が見出せる、そんな小説だった。

イノセント・デイズ

今日の一曲

ドン・ヘンリーの「エイジ・オブ・イノセンス」とかMr.ChildrenのInnocent Worldはすでに使ってしまった。デイズ…  Helen MerrillでNight and Day



では、また。

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女のケース・スタディ『笹の舟で海をわたる』角田光代

2014-11-04 | books
60代女性の半生を描く小説

冒頭、主人公の左織は風美子と家を買うかどうかの相談をしている。お互いに夫には先立たれた。左織の子どもはもう独立している。同世代の二人はなぜ一緒に住む家を探すのか、左織の記憶を辿って行く。左織が風美子と出会ったのは22歳のとき。銀座で声をかけられたのだった。風美子が言うのには、疎開先で一緒だったそうなのであるが、よく分からない。しかし、左織が誰かをいじめたようなかすかな記憶があって、それはもしかしたら、風美子だったのだろうか。左織はお見合いをして大学の研究者と結婚することになった。するとどういうわけか彼の弟と風美子が結婚することになった。それからずっと風美子は自分の人生にずかずかと土足で踏み込んでくるような感じがする。娘だって、自分よりも風美子になついたし。それはもしかすると、いじめられた仕返しなのだろうか……

ううむ。ううむ。最初は全然入り込めなかった。何がテーマなのかつかめなかった。しかし読み進めていくうちに、止められなくなった。

風美子に対する疑心暗鬼な気持ちが、ミステリー的趣向を盛り上げてくれる。復讐譚なのかどうかは読んでのお楽しみ。激動の昭和史と平凡な一人の女性の生き様も読み応えあり。人に歴史あり、と言うけれど、どんな人の伝記でも、描く人の技量さえあればすごく面白くなるということなのだと思う。左織から見た世界を描くのだから、そっちがつまらないわけがない。しかし最大の読みどころは、語り手左織の内面。

結婚して20年も経ち、子供を二人育てたのに、どこか子供っぽい。いい人ではあるのだけれど。(こういうことを書くと叱られるかも知れないけれど)左織の抱える悩みは、割と普遍的に、様々な中年女性と共有する問題ではないかと心密かに思っている。もちろん大きな声では言えない。

では、小さな声で、左織を一つのケース・スタディとして考えてみると、
1.大衆に迎合しやすく、思考することがない
2.身近なことばかり気になる
3.新しい考えを受け入れられない

「そうやってぜんぶ人のせいにする」百々子はにやにや笑いで言った。「あなたみたいな生き方はまっぴら。なんにも逆らわないで、抗わないで、自分の頭で考えることもしないで、与えられたものをただ受け入れて、それでいて、うまくいかないとぜんぶ人のせいにする」

4.自分の行動に責任がとれず、(心の中で、もしくは声に出して)他人のせいにしてしまう

その結果、娘から嫌われてしまうことになるのだ。それは娘の自立にとっては悪くないのかも知れないが、本人はそれで幸福にはなれないだろう。その真逆の状態を想像すると、娘と「友だち」になろうとする母親だろうか。これも、娘を「教育」する立場であることを放棄しているわけだからベストの状態とは言えないような気がする。

何が左織の幸せにつながるのか。いわゆる「ワイドショー好き思考停止おばさん」なのも、いわゆる「美魔女目指して若返りとか、娘と友だち的」なのも、あまりよくないような気がする。しかし母にも娘にもなったことがなく、これからもなれる予定がないので、確かなことは分からない。しかし、左織が「いい人」であることもまた否定できず、その辺もまた考えどころ。いい人でなければ、そもそもなぜ幸せになれないのだろうかなんて思わないし、本人も悩まないだろう。いい人であるということと、魅力的な人であるということは、かなり別次元なことなのだろうか。うーむ。

話を本に戻すと、正直こんなに楽しめるとは思わなかった。女性のあり方について、すごーーく考えさせてくれる、傑作だった。ストーリーも小説として充分に面白い。

そこの、自分たちのことを「女子」と呼んだりする、40歳以上のお嬢さんたち。左織と一緒に悩もうではないか。死ぬほど苦しもうではないか。そしてこの未完のケース・スタディを完成させようではないか。

以上、えらそーに書いてしまったけれど、他人にとやかく言えるような生き方をしていない、自分のことについても省みるヒントが多くあった。

笹の舟で海をわたる

今日の一曲

生きるとは旅すること。Herbie Hancock & Wayne Shorter QuartettでMaiden Voyage



では、また。
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