頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

京都にて

2013-04-30 | travel
何年か前に京都に行ったとき、たまたま目についた店が実に美味しそうな匂いを発していたので入った。

ホルモン焼きをカウンターで自分で焼いて食べる店だった。ホルモンといってもおじさん向け小汚い店じゃなく女性同伴でも問題ない。それに何よりも肉が旨かった。

という淡い記憶を頼りにまた行こうとした。確か木屋町辺り。前に行ったときには自転車をとめようとしたら閉まったシャッターの中からばばあおばさまが出てきて怒られたんだった。そのおばさまの店らしきものが見つかった。この周辺に違いない。

なんとか千葉という店だったはずだけど、それらしき店がない。むむむ。

肉なべ千葉という店が見つかったけれど、店構えが違う。ぬぬぬ。

しかしその店も旨そうなので入ることにした。





結果美味だった。

後で調べてみたら、何年か前に行ったのはホルモン千葉という店で場所がだいぶ違っていた。これを怪我の功名と言うべきなのか、私の記憶はやはり当てにしてはならないとう教訓なのか。ちょっと不思議な出来事だった。

コメント

『腰痛探検家』高野秀行

2013-04-28 | books
ひどい腰痛を患い彷徨う高野。治療院、整体、整形外科、PNF…西洋医学に東洋医学。しかし何をやっても治らない。様々な治療を体験し、そして行き着く先は…

さすが、高野秀行。私も若干の腰痛持ちなのだが、それとは全く関係なく、一人の患者の気持ちの移り変わりをただ面白いとしか言いようがないほどに読ませる。

病院に行くたびに付けられる別の病名。医学の限界が見て取れるし、人間の知が網羅できることも無限ではないこともまた実感できる(とかいうような大げさな話じゃないけど。)高野の人柄が、悲惨なはずの体験を笑えて、かつ真面目なノンフィクションに変えている。

目黒の治療院で、なかなか治らないのに自分の方が悪いと思ってしまうことを、ダメ女子になるという表現が出てきて、これうまいなーとにやにやしながら思ったり、(まずい客は二度と来ないだけのことなのに)、リピーターはみな旨いと言ってるからうちのラーメンは旨いんだと誤解しているのをラーメン屋のオヤジ理論という表現もまたうまいなーと思う。

現代の自己責任社会について、以下に長い引用を。

昔は病気のことは医者に、学校のことは教師に、行政のことは役所にお任せだった。社会は分担性であり、頭脳部分は専門家に任せ、一般の人たちは自分の仕事だけを考えておけばよかった。今はちがう。誰もが情報を平等に共有できる。言い換えれば、誰もが自分であらゆることを判断しなければならない。
ちっぽけな一個人が日々、政治や経済、国際社会の平和と貧富の差、子どもの教育、消費者の権利、食や住まいの安全から福祉、老後、新しい健康法や医学療法、環境にやさしい生活について考えなければならない。
考えないとどうなるか。
周りからバカと思われたり、自分自身が損をしたり、後悔や自己嫌悪に陥ったりすることになる。建前が自由平等なのだから何事も全力で調べ、研究し、実行しなければ、その時点で社会の落伍者になってしまうのだ。(中略)
選択肢が異常に広がり個人の可能性が肥大化している現代社会は、「寅さん社会」とも呼ぶことができる。昔は「結婚しなければ一人前じゃない」とか「女は家庭」とか「勤め人でなければまっとうな社会人ではない」とか、本当に決まりごとだらけだった。
ところが、今の日本人は、寅さんが自分の体とトランク一つで日本中を気ままに渡り歩く究極の自由人だったように、人生のいろいろな局面をかなり自由に選ぶことができ、「この年齢(職業、性別)ならこうすべき」という社会の縛りも少なく、人間関係のしがらみも希薄なかわり、人生の幸不幸がすべて本人の責任となっている。
人間は生まれながらに平等であり、人間らしく生きる権利を持ち、自分の人生を自分で決めることができる。この民主主義の理念が日本人を寅さん化させていく。(237頁より引用)


現代の「高度自己責任社会」とか「大量情報時代」についてあまりポジティブな感情を持っていなかったのだけれど、それをうまく言葉にできなかった。それに関して、こんな風にうまく説明してくれている箇所に出会うとスッキリした気分になる。

まあそんな堅苦しいことは抜きにして、厚生労働省の調べによると全国で2800万人の腰痛持ちがいるとか。本書はどうすれば腰痛が治るかを提示する本ではないけれど、何かの参考にはなると思う。もちろん笑いながら。

では、また。

「腰痛探検家」高野秀行 集英社 2010年(初出小説すばる2009年10月号~2010年3月号)


LINK
コメント (2)

米国ドラマ「HOMELAND/ホームランド」

2013-04-27 | film, drama and TV
イラクで8年も捕虜になっていた米兵ブロディが奇跡の生還を果たした。彼はアメリカの英雄となる。それを疑わしい目で見ていたのがCIAのエージェント、キャリー。彼女は独断でブロディの自宅を盗撮する。テロリストではないかという疑いは晴れるのか…

うーむ。対テロの闘いを描くアメリカの映画とドラマには根本に、対テロを正当化しようとする意図を感じさせられてしまうと一気に観る気がなくなってしまうのだが、この作品にはそういう意図がたとえあっても、あるいはなくても、どっちでもいいやと思わせてくれるものがある。それは単に面白いのだ。

美人なのに精神的に非常に不安定なキャリーが巧い。シーズン1のラストにかけて崩壊していく様が鬼気迫る。

観ている側からすると、ブロディがムスリムに改宗したテロリストなのか、そうでないか一番気になるが、そこは引っ張る。にくらしいくらいに引っ張る。そこも巧妙。

日本のドラマ3本分ぐらいのアイデアが1本のドラマに詰め込まれていて、間延び感がない。ぼーっと観ていても大丈夫感も全くない。そういう意味では日本のドラマにある安心感は欠けている。ちょっとトイレに行っても大丈夫だろうとかPCいじりながら観ていても大丈夫だろう感もない。

結局、エンターテイメントに対して、どのように自分をエンターテインして欲しいかは人に依るのだろうが、安心とは程遠いスリルを味わうには、本作はオススメだ。

個人的には、ブロディの奥さんがキレイだなーと思って観ていたらブラジル出身だそうだ。彼女は殺されたりしなかったのでシーズン2でまた観られるのを楽しみにしてしまう。

では、また。

LINK
コメント

『宇宙は本当ににひとつなのか』村山斉

2013-04-25 | books
なに?宇宙はひとつではないのか?

生物学とか物理、化学など、純粋文系の私には完全にアウェイの世界。しょっちゅう読んでいるわけじゃないけど、たまに読んでみると、さっぱり分からないので投げ出したり、よく分からなかったけれど再読しようと積んでおいたり。そしてすごーくよく分かったり。すごくよく分かる本には、分かりやすすぎて、内容が薄っぺらだったり、既に知っていることの繰り返しだったりすることがあって、読む時間にあまり意味がないこともある。本書は違う。

ビッグバンについて。宇宙は膨張していると観測されている。ということは、時間を巻き戻していけば段々と小さくなっていく(そりゃそうだ)すると宇宙の始まりは点だと考えればよいということになる。なるほどー。だからビッグバンがあったと言えるわけか。ビッグバンはどうにも「なんでなんもなかったところに大爆発があるってゆえるねん?」と感覚的に変な感じがしたけれど、なんとなく感覚的に違和感がなくなってきた。

最近よく聞く、ダークマターもしくは暗黒物質。なんとなくダースベーダー卿がたくさんいる空間のようなもんだろうと思っていた。しかしこれが存在すると考えないと、様々な物理学的な世界の解釈ができないそうなのだ。へー。暗黒物質は、質量はないけれど重力がある物質だとか。

そっちの話以上に面白かったのは、137億年前の宇宙の始まりの瞬間には暗黒物質も光もたくさんあったそう。暗黒物質は強い重力でお互いを引っ張る。のだすると内側に物質が集まるはずでビッグバンは起こらない。ところが光にも圧力がある。暗黒物質の引く力と光の押す力の両方が合わさって、音(のようなもの?)を作り出した。うーむ。宇宙創成交響曲!ロマンチック。小さく凝縮していた宇宙が38万年後には光が外に進むようになって、以後拡大していった。ワオ!38万年も小っちゃくまとまっているなんて、どんだけ大器晩成なんだ、宇宙君は。地中に4年も潜んでいるセミも負ける。

宇宙が多次元であると聞くけれど、どういうことなんだろう。別の宇宙が遠い所にあると思っていたけれどどうもそうじゃないらしい。本書を読んだうえで、以下強引な解釈。例えば、「どういうわけか」だまされやすい人がいて、「どういうわけか」文句ばかり言う人がいて、「どういうわけか」信じがたいほどに優しい人がいる。その「どういうわけか」はあくまでも「私の理解する範囲」を越えているのだけれど、その人にとっては充分理解の範囲内。おまえの方が理解の範囲外だと思っているのかも知れない。その「どういうわけか」を多次元宇宙で解釈できるのではないか。

3次元、あるいは時間を加えて4次元でとらえる世界ではその人たちも私も同じ時空間に暮らしている、と考えざるを得ない。しかし5次元、6次元、7,8,9と増やしていけば、そういう人は別の次元で暮らしているのかも知れない。x次元ではだまされやすい人たちが、x+1次元では文句、x+2では優しすぎの人が暮らしているとか。私はx次元やx+1,x+2では暮らしていないけれど、4次元の世界ではその人たちと同じ時空間を共有しているので、部分的に一緒に暮らしている。

なんてことを考えてみた。著者の書いている多次元宇宙とか量子力学のことをちゃんと分かったとは言えないけれど、純粋理系の話はそれを丸ごと理解することを回避して、こんな風に人文科学に勝手に置き換えて勝手に理解してしまう。すると、物質も人間もおんなじなんだなー、なんて少し喜んだりする。邪道だし、それ以前に多次元宇宙がちゃんと分かっているのだろうかという疑問は残る。まー来週物理のテストがあるわけじゃないし、また別の本をいつか読んで、また理解しなおせばよいだろーといい加減にしか思ってない。面白ければ、面白がることができれば、ネタはなんでもいいわよね。

本書は、暗黒物質、ニュートリノとかビッグバン、宇宙の膨張理論などをかなり易しく解説してくれる本。読むのにはそんなに時間がかからない。詳しい説明を省略している部分もあるから、興味があればそれはまた別の本を読めばいい。

空の星を見ても、なに座だかさっぱり分からない天文音痴の私が、宇宙にすごーくロマンを感じてしまい、そしてこれを起点にして他の宇宙の本を読んでいこうと気持にさせてもらった、ステキな本だった。

では、また。

「宇宙は本当ににひとつなのか 最新宇宙論入門」村山斉 講談社ブルーバックス 2011年

LINK
コメント

店名にツッコんでください65

2013-04-24 | laugh or let me die
コメント (4)

『ホテルローヤル』桜木紫乃

2013-04-23 | books
ホテルローヤルというラブホテルをめぐる連作短編集

<シャッターチャンス> 廃墟となってしまったホテルローヤルで裸の写真を撮ろうとする彼と嫌がる彼女。生きがいとは何か。

<本日開店> 寺の経営のために檀家と定期的に寝る、住職の妻。ホテルローヤルのオーナーが「本日開店」という言葉をのこして死んだと聞いた。

<えっち屋> 客の来なくなったローヤルを切り盛りするオーナーの娘。しかし営業を終える日がついに来た。委託販売していたアダルトグッズを回収にやって来た業者と。

<バブルバス> 日々の暮しに追われる主婦。たまたま手に入った5000年を持って「たまには大きな声を出してやりたい」と夫とともにやって来たローヤル。

<せんせぇ> 高校教師の男は妻の不倫を知ってしまう。親から捨てられた女子生徒と列車で一緒になった。二人のふれあいがもたらすのは。

<星を見ていた> ローヤルで働く女。働かず毎日求める夫、犯罪者となった息子。

<ギフト> ローヤルを愛人にやらせると決めたオーナーは。

発表されたのとは違っていて、時間をさかのぼる順に並んでいる。それがすごく効果的だ。もっともっと膨らませて、分厚い連作短編集にして欲しかった。(それが不満)

「バブルバス」のなんとも言えない中年女の内面、「せんせぇ」のラストが心に残る。

これで桜木作品は全部読んでしまった。「ラブレス」「硝子の葦」「風葬」「起終点駅(ターミナル)」「凍原」「恋肌」「氷平線」

次の作品を首を長く、鼻の下も長くして待っている。

では、また。

「ホテルローヤル」桜木紫乃 集英社 2013年(初出小説すばる2010年4月~2012年3月+書き下ろし)


LINK
コメント (2)

『謎の独立国家ソマリランド』高野秀行

2013-04-22 | books
アフリカの東端、ケニアやエチオピアの東に位置するソマリア。そこは、北は自称国家のソマリランドと海賊のいるプントランド、南は内戦の悪者として知られる南部ソマリアの三つに分裂している。高野がそのアブナイ国へ行き、そして書いた渾身のレポート。

最近、高野秀行の本がつまらないと思われている方、私以外にいらっしゃいますか?という記事の中で本人が、「最近高野の本がつまらない」という意見に対して、この本を読んでくれれば私が守りに入っているか分かると書いてある。というだけのことはあった。

500頁を越える大作。一気に読んで疲労困憊。

ソマリアの中に三つの国があって(国?)無政府状態になっているのにもかかわらず、ソマリランドは民主的な国家だと聞いて、そんなわけないだろうと実際に見に行ってしまうとは。さすが辺境ライター界のエベレスト。読めば確かに民主的な国家だった。



プロモーション映像を発見。

無政府状態で中央銀行もなくなっていまったのに、インフレ率はむしろ落ち着いている。なぜか。ヘッポコ経済学者はいつこの本を読めばいいか?今でしょう!(このネタ使えるのは今年いっぱいぐらいかな)無政府状態だから企業を守る存在がいないはずなのに、携帯電話の料金は非常に安い。なぜか?

内戦やイスラム、武器、人々の暮らし、ソマリの気質など読みどころはあまりにも多い。同じソマリアなのにソマリランドとプントランドとソマリアでは全く違う。なぜこんなにも違うのか。

そういう色々な疑問について答えてくれる。読まなければ思いもつかなかったけれど、読めば思いつく疑問には丁寧に応じてくれる、東アフリカ啓蒙本。重厚長大なのに読みやすい不思議な本だ。

「謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア」高野秀行 本の雑誌社 2013年(初出Web本の雑誌+書き下ろし)

LINK
コメント

『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』D・L・エヴァレット

2013-04-20 | books
最近お気に入りの辺境ライター、高野秀行さんのブログで、2012年ベスト本として挙げられていたので読んでみた。

アメリカの言語学者にしてキリスト教伝道師でもある著者が、布教のために訪れたのはアマゾンの奥地。そこには400人ほどの人が暮らしていて、ピダハンと呼ばれている。ポルトガル語とは全く異なる言葉を理解するには苦労する。著者は30年もこの地で暮し、ピダハンの文化、生活習慣、言語を研究してゆく。その結果明らかになったことを発表したところ、特に言語学の分野では大きな反響を巻き起こした…

うーむ。うーむ。正面からショットガンをぶっ放されたようだ。スゴイぞこの本。

テレビでいわゆる「未開の」人々の暮しを紹介するものは昔からよく目にする。それを見れば、我々と較べて、「遅れていて」「そんなことも知らなくて」「カッコ悪くて」「かわいそう」などと思う。強者から弱者を見下ろすあの感じ。

ピダハンには数という概念がない。右も左もない。著者が自分の左手を指さして、これは何かと尋ねれば「お前の手だ」と答え、右手を指せば「お前の手だ」と答える。自分たちの直接体験以外を表現する言葉はない。しかし、上から見下ろす目線で読んでいるとどうも様子が違う。

ピダハンはかわいそうでも不幸でもない。むしろ我々よりずっと幸福ではないのかと、著者も読者も段々思うようになる。(=我々の文化、生活、宗教、その他イデオロギー全てに疑問を感じてしまう)

著者はピダハンにキリスト教を信じさせようとしたのにちっともうまくいかない。そして彼は無神論者になってしまうのだ!(オーマイガッ)この過程は一読の価値あり。

会ったこともないキリストという男が、言ったとかいうことをなぜ信じなければならないのか?

本書は2部構成になっていて、全部で17章ある。11章以降は第2部「言語」なのだが、私は言葉には興味はあっても言語学には興味はないので、ここは軽く読み飛ばせるだろうと思っていた。しかししかし、そうはいかなかった。むしろ面白いのだ。ベリー面白い。

チョムスキーという人が1950年代に言語学に革命を起こしたそうで、その理論は「人間は普遍的なルールに則って言葉を創っているので、言語は変わってもその根源は同じ」というもの(らしい。)その理論を信じている言語学者は世界中に多くいる(らしい。)しかしエヴァレットが発表したピダハンの言語に関する論文はチョムスキーの理論に反するものなので、大反響を巻き起こした(そうだ。)具体的にどう違っているのはぜひ読んで堪能してくだされ。

気に入った部分をいくつか引用させてもらう。

言葉に関しては、

「申し訳ない」に相当する言葉はない。「わたしは悪かった」と言われる場合もないことはないが、きわめてまれである。後悔の気持ちや罪悪感を表すのは、言葉ではなく行動だ。西洋社会においても、交話的なコミュニケーションが用いられる頻度は文化によってさまざまだろう。ポルトガル語を習っているときブラジルの人たちによく言われたものだ。アメリカ人は「ありがとう」を言いすぎる、と。(23頁より引用)

ペラペラしゃべる=善=コミュニケーション上手。とは言えないわけだ。言葉ではなく行動か。確かに。

ピダハンには儀式がない。

ピダハンに儀式が見受けられないのは、経験の直接性を重んじる原則で説明できるのではないだろうか。この原則では、実際に見ていない出来事に関する定型の言葉と行為(つまり儀式)は退けられる。つまり登場人物が自分の演じる出来事を見たと主張できない儀式は禁じられるのだ。だがこのような禁忌のみならず、直接経験の原則のもとには、何らかの価値を一定の記号に置き換えるのを嫌い、その代わりに価値や情報を、実際に経験した人物、あるいは実際に経験した人物から直接聞いた人物が、行動や言葉を通して生の形で伝えようとするピダハンの思考が見られる。だからこそ口承伝承や儀式の入る余地がないわけだ。

ピダハンの思考と行動の規範が我々のそれと較べて「より正しい」かどうかは別だし、われわれが100パーセントピダハンのように生きれば今よりもずっと幸せになれるかどうかもまた別だ。しかし、時に息苦しく、時に押し付けがましい我々自身の規範をあらためるいいヒントがここにあると思う。

他には、ピダハンは子どもに赤ちゃん言葉で接したりしない。子どもが怪我をすれば叱る。この根本には適者生存のダーウィニズムがあると著者は言う。確かに、赤ん坊や子どもを過剰に甘やかす親が急増しているらしい(大学の入学式や卒業式に親が行くというのはその一つなのだろうか?ワカラン)と聞く。もしそうだとすれば、それは親が子供に対してジャングルで生き抜ける知恵と力を与えているというよりむしろ奪っているとも言えるのかも知れない。この件は詳しくないので断定的な物言いはできないけれど、何となくそうなのかなーという気がしている。

ピダハンには引きこもりや慢性的な疲労やうつ状態は存在しないし、自分の行動の責任から逃れたりもしないし、生き方探しもせず青春の苦悩も憂鬱も存在しないのだそうだ。(青春の憂鬱は、文学の主題でもあるし、いわば我々を我々たらしめる鍵であるので、なくなってしまったら、我々が我々でなくなっていまうかも知れないけれど…)そして彼らは答え探しをしているようには見えない。なぜかと言えば、答えはもうそこにあるからだと言う。(うーむ。我々は、答えを探しながら答えを探すために生きているのではないかと思うのだが、答え探しをやめてしまったら我々のレーゾンデートルがなくなってしまうよ…)(やめたら自らの存在意義が失われてしまうようなことをしている者は始めから存在意義がないとも言えるか…)

てな感じで、色々と考えさせてくれた。いいヒントをたくさんもらった。この本を紹介してくれた高野さんに感謝。この人の薦めてくれる本は絶対面白いから読むぞ、という気になることはめったにない。だからこそそういう機会はとてもありがたい。

蛇足になってしまうけれど、付け加えておかないといけないのは、本書は、具体的な面白くおかしく、ユーモアたっぷりでとても読みやすいということ。私の紹介が拙く、そのように読み取れないのは私の筆力の問題。

では、また。

「ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観」D・L・エヴァレット みすず書房 2012年 
DON'T SLEEP, THERE ARE SNAKES Life and Language in the American Jungle, Daniel L. Everett 2008

LINK
コメント

英国ドラマ「チューダーズ ヘンリー8世 背徳の王冠」

2013-04-19 | film, drama and TV
スカパーでは「TUDORS 背徳の王冠」というタイトルで放送された。

ヘンリー8世という英国の王様をご存じだろうか。1534年に英国国教会を創設し、カトリックを脱退した。妻のカザリン・オブ・アラゴンは神聖ローマ帝国皇帝カルロス5世(スペインではカルロス1世)の叔母なので、帝国からの影響力を排除するために離婚したのだと昔世界史の本に書いてあったような記憶がある。

しかし、実際はカザリン(英語ではキャサリン)と離婚したかった理由は、彼女の侍女、若くて美しいアン・ブーリンに惚れただけ。その辺りのややピンク色がかったエピソードは別の本でたっぷりと読ませてもらった。結局アンと結婚するのだが、彼女も前妻キャサリンもほどなく処刑され、ヘンリーの放蕩は続いてゆく。キャサリンとの間の子が、ブラディ・メアリで有名な女王メアリ(カトリックへ戻そうとした過程で殺された人が多かった)、アンとの間の子がやはり名君で有名な女王エリザベス1世(今の女王は2世)

と私の知識はここまでで終わり。ヘンリーとアンの出逢い、アンの取り巻きの思惑、フランスと神聖ローマ帝国とバチカンと英国のややこしい関係、ウルジーという枢機卿の謀略、離婚裁判、と細かい歴史上のエピソードが虚実取り混ぜて描かれる。

英国の大河ドラマのようなもの。NHKの大河はハマればすごく面白くて、あとはずっと観つづけてしまうけれど、これも同様で最初の2回ぐらいをしのげれば後はすごーく面白くなってくる。

歴史を学ぶために観るなんて大げさな見方をしなくても、イケメン王の恋とか昔のヨーロッパの人たちを動かすモチベーションは何なのだろうなんて思いながら観るだけでも面白い。

外国から日本に移住した知り合いは日本語を、天才バカボンのアニメと8時だよ全員集合から学んだそうだ。どこで何が学べるか、分からないものだ。ヘンリー8世の生き方から何かが学べるのだろう、たぶん。(とりあえず私は彼からはあまり学んでないけれど)

LINKLINK
コメント

『たった一人の反乱』丸谷才一

2013-04-18 | books
通産省を辞め、電機会社の転職した40男、馬淵。妻を亡くし、女中と二人暮し。宣伝雑誌の編集をしている学生時代の友人と飲みに行こうとしたら、彼の友人のモデル二人マヨとユカリがやって来たので、一緒に飲みに行くことにした。馬淵はユカリの事をいいなと思っていたが、まさか彼女と再婚する事になるとは。ユカリとの結婚以降に起こる大きな小さな騒動とは…

おっと。官僚の座を捨てた気骨あふれる男の話だと思っていたが(気骨はあふれるとは言わないんだっけか?)、全然違った。どちらかと言えば巻き込まれ型ミステリに近く、ちょっとだけネタバレさせてもらえれば、美しい妻の祖母と名乗る人がやって来る。実は彼女は殺人で15年服役していて刑務所を出たばかりだと言う。

ネタバレと言っても、本の全体の四分の一辺りで判明することだから大丈夫。残りの四分の三でこの話がどこに行きつくのか、それは読んでのお楽しみ。

作者の「裏声で歌へ君が代」「女ざかり」も非常に面白く読ませてもらったけれど、今回も同じ。テーマは何だと訊かれても答えられない、何を言おうとしているのかも分かりにくい、読んで面白ければそれでいいのだ小説だった。

ストーリー展開の中に哲学やらい思想やらをぶち込んでいく様は白石一文と同じような印象を受ける。「この胸に突き刺さる矢を抜け」とか。多分どちらの作家も猛烈に苦い野菜のよう。ウケル人にはすごくウケルけれど、そうでない人にはさっぱり面白くない度が高い。

AがBをした、なぜならばCだから。という幹以外の枝葉末節があまりにも多いし、時に説教臭すぎて教養主義っぽい匂いもするので、癖のある料理みたいなものだと思う。私には大好物なのだけれど、多分私自身が、幹は細くどうでもいい枝葉ばかり生やして、くだらない小理屈ばかりこねくり回している人間だからなんだろうと思う。私と似た人(そんな人いないか?)ならものすごく楽しめると思う。

では、また。

「たった一人の反乱」丸谷才一 講談社 1972年


LINK
コメント

『西村賢太対話集』西村賢太

2013-04-16 | books
対談を集めたもの。相手は、先輩芥川賞作家の町田康、西村が芥川賞を取った時の選考委員島田雅彦、同時に芥川賞を取った朝吹真理子、西村のデビュー作をSPA!で絶賛した坪内祐三、石原慎太郎、ノンフィクション作家上原義広、たけしのオールナイトニッポン時代から西村が敬愛する高田文夫

ところどころで気になる発言があってなかなか面白く読んだ。

西村 そうですよね。書き手って、昼間っから文学の話なんてできないから書いてたっていうのがあるでしょうから。ところが今の方たちってやたら弁が立つので、素面でもそういう話を延々と続けられるんですね。そんなに厚顔なら小説なんか書かないで、もっと違う、いい方向に進めばいいじゃないですかと僕は常々思っとるんですが。で、小説は僕のような下々の者が書くと(10頁より引用)

西村の僻みと、同時に作家としての真の仕事は喋ることじゃないよななんてことも思う。

町田 一番笑ったのが「根がテレクラ嫌いにできてる」。根って、もって生まれた性分みたいなものでしょう。生まれた瞬間からテレクラ嫌いなのかよって。
西村 あれはあんまり考えてなかったですね。語呂で選んでるとこがあるもんですから
町田 そういう小技と、文章の骨格がしっかりしているっていうのが、すごく好きなんです。先日貴志祐介さんと対談したんです。そのとき、「そんな言葉遣いをして伝わらないことが怖くないですか」って聞かれて、驚いたのは、エンターテイメントというのは文章自体を意識させちゃいけないんだって。誰が見ても同じ像が頭に浮かぶように書かなきゃいけないから、文章芸みたいなことは絶対やっちゃいけないって。僕は「えっ!文章ってそんな特徴あったらあかんの?特徴あってナンボちゃうの?」とビックリしたんですが
西村 いや、それは本当に驚きますね。そんな窮屈ですかね、向こうのほうは。そう考えるとやっぱ純文というのは、言葉は悪いですけど、商業文芸としては緩いんですかね。自由イコール非商業文芸と思っていいんですかね。(14頁)

ミステリ等のエンターテイメント文学と純文学の相違は扱っているネタの違いだと思っていたけれど、そうじゃなかったのかと眼からウロコ。

坪内 パソコンは使えない?
西村 はい。覚える機会がなかったんです。皆どこで覚えるのか。麻雀と同じで、学生時代に覚えるんですかね。ぼくはそういう機会がなかったんで、ついぞ使えないんですよ。でも、パソコンでインターネットバカリやっていたら一体どういう人間が出来上がるんだろうなという恐怖はあります。ネットに馴染んだ世代が小説の編集をやると、どういう小説に重きを置くのか。すごく悪寒を覚えますね。(109頁)

ネットに馴染んだ世代が様々なモノを動かす20年後ぐらいに答えが出るのかも知れない。

石原 勘違いや思い違いをするからこそ、人間って膨らんでいくんです。作家なんかも、他人が持ってる情報に頼って物書いてるからサラリーマンみたいになるんだ。変にマーケティングするんだよ。(131頁)

石原慎太郎がまともな事を言う人だとは寡聞にして知らなかった。

以上引用多めにて失礼。

「西村賢太対話集」西村賢太 新潮社 2012年


LINK
コメント

4月スタートドラマ

2013-04-15 | film, drama and TV
高校教師が自殺して地縛霊になった。そんな彼女の姿は新しく赴任してきた先生にしか見えない。というのが「幽かな彼女」 前田敦子というお嬢さんが演技しているのはあまり観たことがなかったけれど、ずいぶんと脚のキレイな人だなーと思った以外は特に感想はない。

天気予報は昔は森田さんか木原さんの仕事だったがいつのまにか脚のキレイなスレンダーなお姉さんの仕事になっていた。無愛想で天気のプロが事件も解決しちゃうというのが「お天気お姉さん」 時間帯のせいもあるけれど、ほどんど筋を追っていなかった。収穫はお天気お姉さんじゃなくて、他のキレイなお姉さん。プロデューサー役の笛木優子という在日コリアンの女優さんだそうだ。

「みんなエスパーだよ」は、夏帆がパンツを見せるところ以外はざっとしか観てない。下品なもの、下世話なものは大好きなんだけれど、いくらなんでも下ネタ方面に行きすぎていて、自分が小学生だったらすごく楽しめたんだけど感が。

ひげが生えたりしてオス化現象をひしひしと感じる、仕事ばっかりの美容師と、夫に大切にされない妻と、セックスにしか興味がない女の三人の物語が「ラスト・シンデレラ」(ハートマークがタイトル内に入っているのだがそれはいかがなものか…) 男性が篠原涼子や飯島直子の姿を見て萌えを感じることは少なくともこのドラマではないだろうから(いやいるかも知れないけれど多くないだろう)、女性視聴者をターゲットにしていて、女性の「共感」を狙ったドラマなんだろうと思う。意外と悪くない。ストーリーそのものはある程度予期できてしまうので、録画して観る事はないと思う。たまたまテレビをつけていたら映っていると結構楽しめる感じ。(最近の民放地上波ドラマは、わざわざ録らないで、たまたまやってるのを観る場合楽しめるものが多いような気がしなくない)

寿司屋に空き巣に入ったら捕まってしまった。しかしその寿司屋から10年前に行方不明になった板前そっくりだったのでそのまま成り済まそうというのが「間違われちゃった男」 登場人物をずっと追っかけるカメラワークとか、不思議な構図の切り方等新鮮な感じがする。今後の意外性にある程度期待して次回もたぶん観る。

自衛隊の戦闘機のパイロットが怪我して広報室に飛ばされた。テレビ局の報道記者はやり過ぎて情報番組に飛ばされた。彼女が情報番組の中で自衛隊を扱う過程で、ドラマの中に自衛隊のヘリコプターを登場させたいと言う話がテレビ局の他の部署から出てきて彼女が窓口となって…という話が「空飛ぶ広報室」 二人がくっつくとかくっつかないとか、自衛隊の仕事の大変さとか彼女の人間としての成長とか、彼の復活とか今後何が描かれるか想像できてしまうけれど、それでも楽しめた。特に柴田恭平の広報の上司としての仕事ぶりは、へーと思いながら。

以上、いかに自分がキレイなお姉ちゃん目当てにしかテレビを見ていないことが分かって安心した。

では、また。

コメント

『科挙 中国の試験地獄』宮崎市定

2013-04-14 | books
587年から1904年まで1400年も続いた、歴史上類い稀な官吏登用試験、科挙。科挙がなぜ始まったのか、どのようなシステムで選考されるのか、具体的なエピソードを多く入れて解説してくれる本。

世界史をちょっとかじると分量の多さに圧倒されるのがヨーロッパ史と中国史。中国の歴史の裏にずっとあったのが科挙なんだから、これさえマスターすればもう安心。この本をいつ読むか?今しかないでしょう!@トヨタのCM

著者は科挙を詳しすぎるほど詳しく説明してくれる。そうなると学術的すぎて面白くなくなるはずなのに、ちっとも飽きさせないで読ませてくれる。あちこちに真面目なユーモアが散りばめられているからだろう。女性に手を出すと、彼女が亡霊になって受験生を悩ませたといういくつかのエピソードがあった。

いやいや。こんなに面白い学術書(?)は初めて読んだ。

科挙システムでは、受かりさえすれば終身の地位が保障されると同時に他の仕事に転じることが難しい。著者はこれは現在(1966年)の日本と同じだと嘆く。最終学校の卒業と就職が直結しているわけで、卒業の瞬間に一生が決まるのだ。だったら就職に一番都合のいい学校を選ぶべきで、だったらその大学入るのに一番都合のいい高校に、だったら中学に、だったら小学校に…となる。

著者は中国と日本には同じアジア的な共通点があるかも知れないとしているが、これについては私もまたいつか考えてみたい。(そう言って、たいていのことは忘れる)

しかし、50年も前に書かれたのに、その嘆きからはあまり状況には変わりはないという事に驚き、50年も前に書かれたのに、科挙についてこれ以上面白い本が出て来ないという事にも驚く。

世界で最も民主主義が進んだとされる英国で官吏登用に試験が採用されたのは1870年、米国では1887年。中国の科挙に影響を受けて採用されたというのが有力な見方らしい。そんな優れたシステムが崩壊していったのか、知るのは興味深い。

以上、今回、かなり真面目にお送りしてみた。

「科挙 中国の試験地獄」宮崎市定 中央公論社 1966年


LINKLINK
コメント

『天国はまだ遠く』瀬尾まいこ

2013-04-13 | books
わたしは仕事に疲れた。死のう。そう思い、北へと向かった。田舎の民宿でひっそりと死のう。そして薬をたっぷり呑んだはずなのに、死んではいなかった。わたしと、客が全く来ない民宿のお兄さん(田村さん) わたしが田舎で暮らしながら、取り戻す再生の物語…

久しぶりの瀬尾まいこ。笑える箇所がそこかしこにあり、しかも結構考えさせる笑いが多い。基本的には田村さんとわたしの考えのずれによるものなんだけれど、都会に暮らした者の「汚れた?」考えと田舎に暮らす者の「正論?」とのずれが何ともただ笑わせるだけじゃなくて、ハッとさせられることが多い。

癒しの物語に笑いと哲学を絶妙にブレンドした飲み物のようだ。

こういう言い方はどうなのかなとも思わなくもないけれど、死にたいと思ってる人は騙されたと思って読んでみるといいんじゃないかなと思う。いや、死にたいと思っている人は騙されたと思いたくないか。

では、また。

「天国はまだ遠く」瀬尾まいこ 新潮社 2004年(初出小説新潮2004年4月号)


LINK
コメント (2)

『悪童日記』アゴタ・クリストフ

2013-04-12 | books
戦争が起こったので<大きな町>から<小さな町>へ疎開してきた<ぼくら>は、けちで意地悪なおばあちゃんと暮らすことになった。<ぼくら>から見た戦争、セックス、殺人、SMの世界とは…

うーむ。ずっと前に読んだときは意味がさっぱり分からなかったので途中で投げ出した。訳者による註を読んでなかったので<大きな町>がなんだか分からなかったし時代設定も分からないので、意味不明な子供向けの話なのかと思ってしまったからだ。(ああ、私は愚か者)

それから随分と時間が経ってまた読んでみた。訳註をちらちら見ながら。そしたら急に面白くなってきた。それからは一気読み。ネタバレには当たらないだろう。解説にもたっぷり書いてあるし。

舞台は第二次大戦中のハンガリー。ドイツ軍がハンガリー国内で我が物顔で振舞っている様子や、ユダヤ人排斥行為を、具体的な国名や民族名を明かさないで描写している。それが分からなくても十分楽しめるという人はきっといるのだろう。そう人たちを私は尊敬する。私には無理だ。

この作品が大きなメタファーになっている。そのメタファーを具体的に何を指しているか分からないまま、抽象的に楽しむことが本来の楽しみなんだろう。それができなかったことはちとくやしい。

内容に戻ると、悪いガキの目から見た戦争を、戦闘行為を描写せずに、描写する。それもかなりシニカルに。

ラストに大きなひねりが用意されている。私は湯船に浸かりながら読んでいたのに、背筋がゾクッとした。一見グロい童話のように見えるけれど、もっと深いものがある。三部作の第一作だそうだ。

では、また。

「悪童日記」アゴタ・クリストフ ハヤカワepi文庫 2001年(単行本早川書房1991年)
Le Grand Cahier, Agota Krisof 1986


LINK
コメント