頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

『鬼の跫音』道尾秀介

2009-02-28 | books

「鬼の跫音」道尾秀介 角川書店 2009年(初出は全て野生時代2006年から2008年)

私はほとんど読んだことがないか、読んだかも知れないがあまり印象に残っていない道尾秀介の最新作はホラー短編集。鬼の跫音(おにのあしおと)という足音を跫とする辺りから嫌な感じと和風テイストが漂っている。表紙も怖い(中身を読んでから再度見るとさらに怖い)

<鈴虫>

私は11年前にSを殺した。刑事がやって来たのでそれがバレてしまった。大学で仲の良い友人だった私とSと現在は私の妻である杏子の間に何があったのだろうか・・・

<(ケモノ)>(タイトルがケモノ編なんだけど変換できない)

大学に合格できなかった私は出来のいい家族の中で完全に疎外されている。家にあったイスが偶然壊れたとき、折れたイスから誰かが彫った文字が読み取れた。そのイスは刑務所作業製品なので誰か受刑者が彫った物に違いない。書かれた不気味な文章、彫られた本名Sから過去に起きた凄惨な事件に行き着く。事件の真相が分かったところで私に何が起こるのだろうか・・・

<よいぎつね>

高校三年の夏、悪ふざけをする仲間の一人Sに強要された。祭りの日に誰か女性を陵辱すると。それから20年が過ぎ、帰りたくないあの街にまた帰らないといけなくなる。20年前の事件の真相は・・・

<箱詰めの文字>

小説家である私を訪ねてきた青年が言う「あなたの部屋から盗った貯金箱を返しに来ました」しかし私には心当たりがない。思い出したのは友人のSのこと。彼は私の小説を盗作しようとしたのか、それとも私がSから盗作したのか。その青年も絡んで話は混沌と・・・

<冬の鬼>

これが表題作だと言ってよいだろう。タイトルは「鬼の跫音」ではないが、鬼の跫音が聞こえてくるのはこの作品。

1月8日の日記から始まって、一日ずつ過去の日記へと遡ってゆく面白い形式。最後は1月1日の日記で終わる。神社でだるまを焼く所から始まるのだが、これがどう物語と関わってゆくのだろうか・・・一見爽やかな話に見えるが・・・

<悪意の顔>

私に陰湿ないじめをするS。気に食わない物を消すことが出来ると言う不可思議な女の人に出会って、Sを消してもらおうと・・・



さて、全ての作品でがぶっ飛んだと言う訳ではない(短編全てでぶっ飛ばしてくれることは稀なので歩留まり率75%を越えればそれで良し)しかしいくつかの作品ではぶっ飛んだ。頭が真っ白になった。頭の中で魑魅魍魎が跋扈した。

全ての作品に登場するのがS。同一人物ではないのだがSで揃えて来る辺りがなんとも憎い。江戸川乱歩や夢野久作を連想する。全体に和風テイストと古い日本テイストがあるので、なおさら乱歩・久作を感じる。

<鈴虫>はなぜSを殺害したのか、そしてなぜ証拠を消さないでおいたのか。私の心理の描き方が上手い。<ケモノ>が私の一番のお気に入り。コンプレックスの塊の私が事件の真相を解くという設定と、徐々に明らかになる真相そのものの怖さと、事件の真相が分かったからと言ってそれが一体何になるのかというラストが実に巧い。鳥肌が立った。<よいぎつね>はまあまあ。<箱詰めの文字>はラストよりそこに到る過程が巧い。<冬の鬼>は物凄くいい。日記を過去に遡って読んでいくのだが、初読ではよく分からない。1月1日の日記から段々時系列になるように最後から読むと「ん?」でもまだよく分からないのでもう一度最後から読んだ。すると全てが腑に落ち、そして「おー」とため息をついてしまった。「読ませる」という言い方は「巧い語りが読むに値した」を意味していると思うが、<冬の鬼>は何度も「読ませ」そしてぐっと「読ませる」短編一本でこれだけ「読ませる」作品も珍しい。<悪意の顔>いじめを受けている子供のやるせない、切羽詰った感じと、取り返しのつかないことをしてしまった子供(特に男の子)の気持ちがよく描かれている。

何かを書こうとしたときに、長く書くことは出来ても短く書くことは難しいと言う。道尾秀介はこの「鬼の跫音」で、確かな技量と卓越した発想を持つ小説家であるということが分かった。(分かるのが遅すぎ)過去の道尾作品をこれから読んでいこうと思った。





鬼の跫音
道尾 秀介
角川グループパブリッシング

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1日に3回もひかれそうに

2009-02-27 | days

ひかれると言っても色々ある。

弾く・引く・轢く・惹く・挽く

弾かれたのなら自分はピアノということになるし、
引かれたのなら自分は綱引きの綱ということになるし、
挽かれたのなら自分は肉、もしくは珈琲豆ということになる。

つい昨日のことだが、やや狭い、車が通るのは難しい道を歩いていた。たぶん道幅4メートルくらい。横にクロスする道との交差点にさしかかったとき、右から何かが向かって来た。自転車。もうちょっとで自転車に轢かれる所だった。大の大人が自転車に轢かれることなんてあるのだろうか。少し恥ずかしい気分になった。まあそんなこともたまにはあるだろう。と同日、車が通る道を信号がない交差点で横断しようとしたら、右から轢かれそうになった。車に。おっと、結構危なかった。

そんな日も終わりそうな夜遅く、狭い道を歩いていたら、また轢かれそうになった。自転車に。右側から。

さすがに、1日に3回も轢かれそうになると、自分が心配になる。右の耳が聞こえなくなったのかとチェックしてみたが特にそうでもない。さっぱり原因が分からないと怖い。他に3回に共通しているのは、iPodを聴きながら歩いていたこと。初回は確か落語。枝雀だった。2回目は覚えてない。3回目はJohn Mayerだった。しかし音が聴こえないほどの爆音で聴いていたわけじゃない。うーむ。なぜだろう。

と、思いながら歩いていたら、自分が下向いて歩いているのに気がついた。ちょっと精神的に参る事があって、それで背中を丸め、下を向いて歩いていたようだ。

歩きながら自分の殻に閉じこもるような気分で歩いていると、周りが見えず、周りが聴こえないということに気づいた。内省的な気分で、プチ鎖国のような気分で歩いていると、周囲を探知するアンテナも引っ込んでしまうようだ。

さて、さっきからオチへ持っていく方法を色々と探っているのだが全く着地点が見つからない。

1.人間のプチ鎖国と国の鎖国の関連へ
2.下を向いて歩いていないと変なモノを踏むのでそれもまた危ないとか
3.視野が広くないといけないサッカーの司令塔が内気だと務まらないとか
4.胸を張って歩いていると、オードリーの春日になった気分になる。

うーむ。大変申し訳ないが、特に着地しないままフラフラと漂ったまま失礼させて頂く。

では、また。




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言葉にできない

2009-02-26 | days



ん・・・・・・





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滝田洋二郎監督のアカデミー賞受賞スピーチは通じない

2009-02-26 | days

十子さんの 「おくりびと」「つみきのいえ」アカデミー賞受賞スピーチ へのコメントレスを書こうかと思ったら長くなりそうなので記事にした。ここは英語ブログでも何でもないので、単に趣味で以下の記事は書かせて頂く。正確さについても保証はできず。


発音なんてヒドくても通じればとりあえずいい。発音がキレイであれば相手のことより、自分が自信を持って話せるのでなおいい。が私の外国語に対するスタンス。

件の滝田監督のスピーチを聞いてみた。以下がYouTubeの動画。







私が聞き取ったのは以下の通り

-------------
Thank You To All The Academy.
Thank You To Everybody Who Helped Me This Film.
I Am Very Very Happy.
I Am Here Because Of Films.
This Is A New Departure For Me.
We Will Be Back, I Hope.
-------------

全く事前に準備をしていなくてその場の思いつきで何とか言ってみたという感じだ。会場の反応をよく聞いてみたが、どうやら英語が通じていないっぽい。Yahooのニュースでは「流ちょうな英語でスピーチ」と表現されていた。流ちょうねえ・・・・・・


1.thank の使い方

十子さんが「thank ○○ forなら知ってるけどtoは?」と書かれていたが、thanks to~で「~のおかげ」とか「~のせいで」という意味がある。例えば、Thanks to you, I got fired.(あなたのおかげで(せいで)クビになっちまったよ)とか。forは~に関してという意味で使うので Thank you for the Christmas card. クリスマスカードをありがとう(クリスマスカードに関して、貴方に感謝)

さて滝田監督の言い回しでは Thank の後に誰に感謝しているかその対象が Youであるとしている。「貴方に対して感謝している」と冒頭の2語で言ってしまったのだ。したがって言い回しとしてはその後にforを使えば Thank You For~で「~に関して貴方に感謝している」という文に持っていける。ところがそこにToを入れてしまった瞬間通じない英語になってしまったのだ。無理やり訳すと「アカデミーの全てのメンバーのおかげで貴方に感謝しています(???)」

※ 余談 英語を日本語に直すときには日本語的にするために「後ろから訳す」というような作業をする。しかし日本語に直さないのならそのまま英語は前からただ耳に入るだけ。脳内で後ろから訳すなどという作業はしてはいけないのだ。つまり最初の2語でThank you と言った段階で聞く方は「ああ俺たちに対して感謝してるんだな。ふむふむ。で、俺たちがした何に対して感謝してるのだ?」とその先を聞くモードになるのだ。その後にtoが来てなんじゃこりゃになってしまった。またさらに余談だが関係代名詞は日本人が大好きでよく使う表現であるが、これは2つの文章を一つにまとめて「一つの文章を長くする」効果があるため、なんだか分からなくなる可能性大。

2.help の使い方

helpの後にobject(目的語)を持ってきて、その後に 動詞を持ってきて○○が××するのを助けるという表現がある help + O + (to)do しかし滝田表現ではこの動詞がない。 helped me this film まあ、意味が通じないと断じることは出来ない(日常会話なら通じないと想像するが、場所がアカデミー賞なのでこの映画を「作るのに」助けてくれた人みなに感謝する、と解釈してくれる可能性はある)なおこの動詞にtoを付けるの付けないのもどちらも正しい英語であるが、話し言葉ではtoは省略されていることが多い。

1行目と2行目は私なら、以下のように直す。

I would like to give my sincere thanks to all the members of the Academy and all the people who helped me make this film, "Departures."
(あるいはMy special thanks go to all the members of the Academy...の方がいい?どう?)


3.because of の使い方

because of をこのような使い方をするのは私は寡聞にして知らない。The meeting was cancelled because of rain.(ミーティングは雨のため中止になった)Nakasone resigned because of advanced age.(中曽根は老齢のため辞職した)というような「原因・理由」を示したいときに使う。滝田さんは映画が原因でここにいると言っている。たぶん映画というもののおかげで私は今この場所にいることが出来ると言いたいのだろう。これは100%の自信を持って言えることではないが、because ofの後に来る言葉は、何かを引き起こして当然と考えられるような言葉が来ると思う。老齢→辞職 雨→中止 のような。しかし 映画→ここにいる と直接原因・結果の関係にあるとは言えず、例えば「映画の発明が」とか「過去の偉人が映画というものを作ってくれたおかげで」とか「過去に私がさんざ映画を見たので」というような原因・理由があってではなかろうか。しかし私には因果関係がよく分からないので直せない。

※ 追記
( 敢えて直す方法をアメリカ人にきいてみた。「because ofを物事の因果関係が歴然な時に使うという性質を逆手にとって、映画は自分の全てであると強調する文脈だと、自分にとっては空気をすうのと同じくらい自然な事であるという暗黙の了解のもとに成立します」とのことで、

I AM HERE BECAUSE OF FILMS.  IT IS THE VERY THING THAT HAS NURTURED ME TO BECOME THIS ONE FORTUNATE MAN WHO'S BEEN GRANTED OF TONIGHT'S HONOR.

と直してくれた。)



なおfilmsと特にtheを付けていないのは特定のどの映画ということではなく「映画一般」という意味で使っていると思う。


以上、ほんとに趣味で記事を書かせて頂いた。コメントを下さった十子さんにはこの場を借りて繰り返し感謝。

滝田監督に何も含意はなく、ただ一つの例として取り上げさせて頂いた。日本映画の益々の発展と、滝田監督の益々の成功をお祈り申し上げる。


え?日本語すら怪しいお前に言われたくないって?




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禁酒會舘

2009-02-25 | days




禁酒會舘なる場所を発見。いったい中ではどんな会話が繰り広げられているのだろうか。あんなこともこんなこともやってるけど、でも酒だけは禁止されると、

酒池肉林が

池肉林なのだろうか。いや酒の池だから肉林だけか。

肉林という字から想像するのはそっちではなくて(そっちってどっち?)ハラミ食べ放題系。あるいは、焼いた肉が敷き詰められた広大な肉の林。もしくは、林君の肉。


嗚呼妄想は常に暴走する。

それ以前に酒池肉林て死語なのだらうか。




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『骨の記憶』楡周平

2009-02-24 | books

「骨の記憶」楡周平 文藝春秋 2009年(初出別冊文藝春秋2006年11月号~2008年9月号)

「Cの福音」で犯罪の世界を描いて本読みたちの話題をさらって以来10年の年月が経過した楡周平。「Cの福音」以降は彼の作品を読んだ記憶がない。読んだ可能性もあるが、その内容に全く記憶がない。新作が出ても決して手にも取らない作家の一人になっていた。そんな楡が今までのテイストとは違う作品を出してきた。その表紙からパラパラめくった中身から何やら泥臭い臭いがツーンと漂っており、それがこの「骨の記憶」を読む理由となった。

時代は昭和33年から現代にまで至る長い戦後史と言ってもよいだろう。いわゆるネタで読ませるミステリーではないので何を書いてもネタバレにはならないと思うが注意して以下にレビュー&感想を書いていこう。

冒頭、岩手の貧しい風景から始まる。年老いた妻清枝には重い病気を患う夫がいる。妻が身を削って夫に尽くす姿には心を打たれる。思わず本をギュッと握り締めてしまった。その妻の元に一通の手紙と宅急便が届く。そこには自分が15歳のときに失踪した父親について詳しく書かれていたのだ。父はとっくに死んでいてその死の真相には自分の愛する夫が関わっていた。それを読み、彼女はそれまで自分を大切にしてくれた夫への思いと、父の死に関わったという夫に対する葛藤を感じる。プロローグはここで終わり。

第一章からは当然、彼女と夫と彼女の父親の関係が描かれていくと期待した。しかし流石は楡周平。第一章から延々と続く物語は、上記の手紙を送ってきた、夫とは同級生だった男の視線から描かれる。最初はなぜこいつ長沢一郎の視点から描かれるのかその必然性を疑いながら読んでいた。しかし読み進める内にその疑問は解け、そして読後長沢一郎の視点から描かれたからこそ面白い物語になったのだろうと納得した。

長沢一郎はとても貧しい境遇にある。金持ちの弘明(後に清枝の夫となる)とは仲良し。彼と遊んでいる内に教師をしている清枝の父親の死に関わってしまう。そのトラウマを抱えつつ、集団就職で東京は中野のラーメン屋に勤める一郎。しかし金銭的にも肉体的にも非常に厳しい職場。そこで一郎はその後の自分の人生を大きく変える事態に遭遇する。それは彼にとって幸運な事態だったか、それとも深刻な不幸を巻き起こす事態だったのか。


いやいやいや。こういう本は久しぶりに読んだ。感覚としては宮本輝の「流転の海」シリーズを読んだ感覚と極めて近い。金とそれに絡む人間、いや日本人を泥臭くも熱く語るシリーズだ。この「骨の記憶」は長沢一郎という一人の男性の東京での生活、流転を通して重厚長大な戦後日本を垣間見ることが出来る傑作人間ドラマだ。

ミステリーとして捕らえることが出来るのは、冒頭に清枝宛に届いた手紙の差出人は行方不明になったはずだと彼女は思う。その行方不明になるまでの過程がミステリー的文脈で語られるということが一つ。もう一つは清枝の父の死の真相。さらにもう一つはこの貧乏な長沢一郎は今後どうなっていくのだろうかというドラマが「謎が提示されそれが解決されるカタルシスをミステリーと言う」(新保博久氏)だとすればギリギリミステリーのボーダーラインに乗っていると思う。

戦後すぐの貧しく混沌とした日本。それが未曾有の好景気になり、バブルへと向かう様と長沢の生涯とが実に上手くクロスオーバーしてる。背景を書きすぎると単なる薀蓄小説になるし、経済の背景を書きすぎればビジネス駄作小説となる。背景を書かなすぎると、今度は特に近頃の若者にはよく分からない小説となっていまう。「骨の記憶」はこのジレンマを実に上手く回避しほどよい描写となっているのがまた良い。

書かれている事柄は実はとても幅広い、運送業や不動産ビジネス、代議士の口利きというった裏側から、男女の愛情、憎悪、男の嫉妬。人間を動かすその動力源とは何なのか、自分を他人をモティベート出来ない人には特にそれがこの「骨の記憶」から学び取ることが出来るになる。

しかし第六章、終章そしてエピローグで展開される人間の業。憎悪の行き着く先。ストーリー展開が非常に現実的な話だっただけに尚更背筋が凍る思いをした。


※ 余談

とても些細な事であるのだが、目次が間違っている。






となっているが、






実際には394頁から第六章が始まる。目次など間違っていてもこの本に関しては何の影響もありはしない。改版のときあるいは文庫化の際には訂正してもらいたいものだ。天下の文藝春秋もこんなミスをするのかと思うとそれもまた面白い。

さて、「骨の記憶」というタイトルの意味をずっと考えていた。最終頁でまるで骨が記憶の中から何かを語ったようだった。この本全体が骨が自分の記憶を語ったという風に私は解釈した。「骨と沈黙」というレジナルド・ヒルのミステリーと何か関連があるかと思ったが特にないようだ。


では、また。



骨の記憶
楡 周平
文藝春秋

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宝島社文庫「新装版・Cの福音」 (宝島社文庫)
楡 周平
宝島社

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血脈の火―流転の海〈第3部〉 (新潮文庫)
宮本 輝
新潮社

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「おくりびと」「つみきのいえ」アカデミー章受賞スピーチ

2009-02-24 | film, drama and TV

<おめでとうございます>

日本の映画の質がとても高いことは、観る日本人にとっては「ずっと前から知ってるよ!」なんだろうが、今回のアカデミー賞の作品賞と短編アニメ部門での受賞が、日本映画の質の高さをハリウッドでのリメイク以外で知らしめるいい機会になると期待する。

ところでどうでもいい事が気になった。

受賞スピーチはいくらなんでももうちょっと何とかならなかったのだろうか。両監督ともスピーチはいただけなかった。加藤監督はあれで事前に練習したというのだが・・・「どうもありがとうミスターロボット」は受けたようだが。STYXのMR.ROBOTの歌詞がそんなに知られてたのならビックリ。滝田監督は、役者に台詞回しを指導する立場なのだから、もうちょっと・・・

本木氏が代わりにスピーチした方がずっと世界中のそれを見た人がうなるようなスピーチになったに違いないと思う。

作品賞は監督ではなく、プロデューサーの物であるのだが、なぜ滝田監督が受け取ったのだろうか?Wikipediaではプロデューサーの名前が分からなかった。






↑ 件の「どうもありがとうミスターロボット」はこれ。


英語どころか日本語でもスピーチは難しい。あのスピーチを二つ見た人が、「自分があの立場に立たされたらどうしよう」と危機感を覚えたり、あるいはスピーチに興味を持ったりして、oral communicationとかspeech communicationを学問として学ぶ人が増えれば良いなとちょっと思った。



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WOWOWドラマ『パンドラ』

2009-02-23 | film, drama and TV

WOWOWで放送のあった連続ドラマ「パンドラ」(計8回)

井上由美子脚本、監督が河毛俊作、若松節朗と民放地上波ゴールデン並みのスタッフにキャストも豪華。

大学病院の万年講師の三上博史がガンを全て治癒するという奇跡の薬を発明した。しかし人体の治験は出来ないため、同僚医師の小西真奈美の助けを借り、ガン患者谷村美月を平田満が理事長を務める千葉の病院に入院させ治験を始める。それが成功してしまたったため、医学部長國村隼、厚生労働大臣小野武彦、小西の恋人で新聞記者の山本耕史を巻き込んで大きな渦を吹き上げる。

それとは別件で殺人事件の捜査をしていた柳葉敏郎は、事件の容疑者として谷村美月を追いかけるが、その過程で三上とぶつかり・・・


いやいや。これはなかなか面白かった。特にここ数年日本のドラマは物凄い勢いでつまらなくなっているので、それを考えると日本のドラマはまだまだ捨てたもんじゃないと思う。

夢の新薬「パンドラ」が出来るのか出来ないのかという医学ミステリーから、人間の様々な思惑が絡み合う人間ミステリー(ヒューマン・ミステリー?)へと途中で変貌を遂げる。なので医学的なことはどこかに消えてしまうのかと思ったら最後にちゃんと戻ってくる。

三上博史がうまい。研究者にありがちな自分本位な感じや少し狂気をはらんだ人物をすごくうまく演じている。なかなかあの役を出来る役者さんはいないのでは。それと柳葉敏郎がうまい&カッコいい。やや粗暴な刑事の役が上手くフィットしてるし、アクの出具合が男としてカッコいいと思った。

ドラマ本体も人生の中で観た一番面白いドラマであるとまでは言わないが、計8回分観た時間は充分堪能したし、何より他のドラマを観るよりずっと面白い。金のかかっているアメリカのドラマより画面に映りこんでいるものがややチャチク感じたが、そこは脚本のよさで上手くかわしてくれた。

ガンを全て治癒する魔法の薬は果たして完成するのか?私はしないと予想しながら見ていた。しかし完成する・しない という単純二項対立を越えた結末には驚きかつうなった。


※余談

どんなガンでも治せる薬が出来たらこの世はどうなるだろう?

もちろん平均寿命が物凄く長くなるので超超高齢化社会になるだろう。私だったら、タバコと酒のメーカーの株を買う。ガンの心配がないからとタバコや酒の消費量が増えるはずだから。本当に増えてから買っても遅く、市場の参加者が「タバコ酒メーカーの株は上がるぞ」と思った時が買い時。まあどうでもいい話だった。後は発がん性物質の心配がなくなるから大気がどんどん汚れてゆく。人間が「ガンにならないから空気汚れても俺たちには関係ないもん」的な態度に出て、それが他の生物に悪影響を及ぼし、長い年月をかけて後で人間にツケが回ってくるといったところか。後は、ガンが治せるようになれば、sooner or later 別の不治の病がまた出てきて人間を襲う。そんなもんでしょ?






パンドラ コレクターズ・ボックス [DVD]

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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俺を去勢したのは誰だ

2009-02-22 | days

最近女に興味が無い。いや残念ながら男にも興味が無い。もし今までのあくなき探究心ととどめの無い貪欲が今までの異性に対するモノから同性にシフトしただけであれば、それは「あり」である。全然OKである。

しかし全然OK牧場ではない。巨泉のOKギフトショップですらない。なんかヤヴァイ感じがする。

今までの人生でこんなことはなかった。


異性とかけて

 空気ととく。

  そのこころは、

   吸っていないと死んでしまう。


おいおい。下ネタはやめよう。たぶん男なら誰でも大なり小なり常に女性を弱くあるいは強く意識し弱く強く求め弱く強く投げ捨てそしてまた強く弱く求める。当たり前である。それは男だから。

しかし、最近物凄い勢いで女性に興味がなくなった。怖い。怖い。とても怖い。興味がなくなったから、イコール、俺歳くったなーとは思わない。俺枯れたなーとも思わない。俺男らしくなくなっちゃたのか?とも思わない。潜在意識の奥の方に○○を求めるという強い欲求があって、その対象が今までは女性だったのがそれが女性ではなくなってしまった。ではその対象は何に変わったのか?それが分からないのが怖い。一体俺のあくなき探究心無尽蔵に沸いてくる欲求はどこに向かっているんだろうか・・・・・・





次回は東京拘置所から更新することになるかも知れない。



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湯島天神の絵馬を読む

2009-02-21 | laugh or let me die


高度情報化社会という名の極めて過酷な世界を生きる我々現代人。そんな現代の日本人がいったい何を日々願い生きているのか。その望みを読み取るため、湯島天神を訪問した。そこには飽くなき野望と枯渇した人生の祈りがあった。ドキュメントにっぽん第一回は「湯島天神の絵馬から読み取る、現代日本人の欲望」である。


一見何事もない極めてノーマルな絵馬に見える。しかしよく見てくれたまえ。受験直前のこの時期になって「勉強に」必要な集中力が欲しいと願い出ている。よーく考えてみてみれば、「テスト当日に発揮できる」集中力が欲しいのなら分かる。しかし今から「勉強に」集中する力が身についても、それは遅すぎるのではなかろうか。

ここから読み取れる彼女の今後の人生:

他の人からするともういらない物が実は自分にとっては必要なのである。海から帰るときになぜか日焼け止めを買うというような人生を送ることになる。しかしそれは来年の日焼けを防ぐという超先取り深慮遠謀なる熟慮なのであった。熟慮な女、略して「熟女」と呼ばれるようになる。







上の方を見て欲しい。「父からもお願いします」なんと小さくなんと謙虚な父親なのであろう。

彼女の愛生活の今後:

彼氏が出来ると、柱の陰から「父からもお願いします」プロポーズされたときには「父からもお願いします」と、常に星飛雄馬の姉ちゃんのような守護神が見守ってくれる。







なると断言しているのでこれは願いでないようである。

診断:

理という字が王と里のバランスがとても悪いです。ペン習字をはじめると吉







切実な願いは時に人の心を打つ。

そんなに大学に入りたいのならどこでもいいのなら、学園祭に行けばよいのだ。生協に食堂に行けばいいのだ。明治大学の食堂は麺類おいしいよ。

お告げ:

学園祭で焼きそばを食べると吉







現代人の願望がいかに貪欲であるかのよい例である。

今日の質問:

志望校に受かるか加藤ローサに会えるかどちから一つしか選べなかったらどうする?

今日の設問:

絶対と絶体の違い知ってる?







ふざけた願いのように一見見えるが、今日の「ドキュメントにっぽん」ではこれがベスト「現代日本を表わしている絵馬」としたい。

願望とは、かつて、人事を尽くして天命を待つという、人事は私が尽くしますので、その後の運的なものについては神様仏様なんとかそのあたりはよきに計らってくださいませというものだった。しかし、現代日本ではその「人事を尽くせない」のである。

言い換えると、我々は人事を尽くさないのである。我々は「やればできる子」ではなくて「やらない子」なのである。(「街場の教育論」内田樹

我々はベストを尽くさない、頑張らない、劣等感をバネにしない、勝って優越感にひたらない。まさに「やらない」のである。やればできるのに必要な、「もしやるならば」→「できる」という前提の「やる」が存在しないのである。「やる」が「ない」から「やらない」のだ。ここに現代日本の病があるのだ。

しかし神がその願いを聞き叶えてくれないとも限らないので願えることは何でも願ってしまおう。いつか、貧乏になれますようにとここ湯島天神に書きに来る日が来るのを祈る。




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『煙霞』黒川博行

2009-02-20 | books

「煙霞」黒川博行 文藝春秋 2009年(初出産経新聞大阪本社夕刊2005年10月3日から2006年10/6日)

「疫病神」や「国境」など大阪を舞台にしたりあるいは大阪人(関西人?)がハチャメチャに大暴れする小説がなんとも痛快な黒川博行。他にも「悪果」で警察を描いたり、「文福茶釜」で骨董の世界の描いてくれたりするが、どれを読んでもハズレがない。私にとっては大好物の作家である。

最新作「煙霞」(えんかと読む)は、読み始めにこういう話だと思っていたらそれがどんどんと変化していく。冒頭は、学校の理事長が金を不正に横領しているためそれを糾弾する話。だと思って読むと、高校の非常勤講師の給与の少なさや正規の教師として雇うという約束をしながらずっと非常勤のまま雇うという学校経営の汚さが見えてくる。その辺りで学校経営の裏側を描くミステリーだと思った。

しかし違う。全然違う。大阪の府教育委員会指導主事が舞台となる晴峰女子高に天下ってくる。すると主人公である非常勤で美術を教える熊谷は系列の通信制高校に飛ばされる。この通信制高校に飛ばされた教師は2人続けて辞めている。熊谷の同僚の音楽教師菜穂子も正教員なのだが、音楽担当の正教員2人の内一人を理事長はやめさせようとしている。ちなみにいま私がしている話がネタバレではないかと懸念されているかも知れないが、これは最初の25頁辺りに出てくる導入部に過ぎないのでご心配なく。

熊谷と菜穂子は他の不満教師に誘われ、理事長を拉致して、不正の証拠をつきつけて、熊谷は正教員への昇格、菜穂子は辞めさせないとの念書を書かせようとする。この辺りから話は猛スピードで進み、先が全く読めなくなって来る。簡単に言うと、大阪の学校法人をめぐる金を虎視眈々と狙うあいつらこいつらの入り乱れたバトルロイヤルである。

なにしろタイトルが「煙霞」なので煙やら霞のように、ラストは終わっていくのだろう。それだけは間違いないだろうと思って読んでいたら、それすら間違った。


いやいやいや。一気に読んでしまった。人物設定、ストーリー展開に意外性があるのにも関わらず、ぶれない視点と根底にある太い筋によってとても読みやすい。これだけややこしい話をこれだけ読みやすく書く黒川博行はすごいと思う。

黒川流はなんと言っても、不完全な犯罪計画をたてる口ばかりやかましい奴らが不完全で場当たり的な行動をする第三者に妨害され、これから先どう進むのか分からなくしてくれる。いつも思うのだが、あれだけ不完全な計画と不完全な人間たちを巧くコントロールする黒川博行は猛獣使いでないか。

また大阪人(関西人?)特有のアクの強いキャラがまた魅力的である。女はだいたい我がままで男はヘタレか強欲が暴力的か。もし大阪がそんな人ばかりの街だとすればあまり住みたくはない。まさに「小説で読んでいるだけ」にしておきたい。

犯罪計画があってそれがちょっとずつ進む過程をドキドキしながら見る「スティング」や真保裕一の「奪取」など犯罪計画が完璧に出来ていることが前提となって進むストーリーはいわゆるコンゲームの世界に多数ある。しかし、犯罪計画が杜撰なままそれをじっくり読ませ、そして読者を翻弄するということにかけて、私が知る限り黒川博行ほどの腕前を持つ小説家はいないと思う(随分大きく出てしまった)

以下面白かった箇所を。


「さすがは大阪のおばさんだ。話しはじめると訊いていないことまで喋ってくれるが、内容はほとんどない(229頁より引用」


思わずニヤリとした。


「有印私文書偽造ってどういうこと?」
「なんらかの私的な文書に印鑑を押して偽物を作ったんやろ」
「熊さんの解説、よく分かるわ」(243頁より引用)


「ダークサイドに引き込まれたんや。ダース・スベーダーみたいに」
「ダース・ベーダーて、黒ずくめでスフィンクスみたいな頭のおっちゃん?」(232頁より引用)



ダース・ベーダーがスフィンクス頭!爆笑してしまった。黒川作品にはこういうえもいわれぬ喩えとかあだ名が出てきてその度に笑ってしまう。小説「国境」の中で、北の方の将軍様のことを「パーマでぶ」と表現したときにはひっくり返ってしまった。

さて、この「煙霞」だが、黒川博行という微妙な人が書いたものなのでそれほど売れないような気がする。(「喋々喃々」が売れているときいて驚いたが)しかし、黒川作品はもっと売れて欲しいし買った人が後悔することは決してないと思う。この「煙霞」を読んでみて、それで気に入ったら別の黒川作品も読んでみるといい。黒川博行はおまえを寝かさないぜ!(俺はいったい何を書いているんだろう・・・)


参照:「黒川博行『悪果』悪漢警察小説の新スタンダード」


※追記:

ストーリーの結末が煙霞なのではなく、読者の目の前に煙霞を沸き立たせた小説ではないかと後で思った。


煙霞
黒川 博行
文藝春秋

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悪果
黒川 博行
角川書店

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疫病神 (新潮文庫)
黒川 博行
新潮社

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『猫を抱いて象と泳ぐ』小川洋子

2009-02-19 | books


「猫を抱いて象と泳ぐ」小川洋子 文藝春秋 2009年

「博士の愛した数式」で第一回本屋大賞受賞した不可思議な世界観を繰り広げる小川洋子。最新作はチェスがテーマだ。正直に言って、チェスにはあまり興味がないので(ルール知らないので)スルーしていた。その後割りと評判がいいと聞いたのだが、なにしろタイトルが「猫を抱いて象と泳ぐ」という気色の悪いモノだったの避けていた。しかし、貸してくれる人がいて、それでじゃあ読んでみようかという気持ちに初めてなった。つまりレビューは面白かったらしようなかと思っていた。さて、

もう最初っから最後まで小川洋子ワールド全開である。この小川洋子の世界を好きな人にはほんとにたまらない作品だし、そうでもない人にはかなり退屈な作品ではないかと思った。

後にリトル・アリョーヒンと呼ばれるようになる男の子が主人公である。アリョーヒンとは1892年ロシア生まれの伝説のチェスチャンピオン。美しい棋風で「盤上の詩人」と呼ばれたそうだ。(参照:wikipedia) 設定は一応日本風である。しかし場所は全く重要ではなく世界のどこであっても充分成立するuniversalな物語である。彼は生まれついて唇が開かないという障害を持ち、父母は亡くし、祖父母と弟と4人暮らし。生活は苦しい。

そんな彼が偶然見つけたスクラップのバス。その中に住む非常に太った男、マスター。彼との出会いがリトルを変える。それはチェスとの出会いだ。障害を持った分、別の形で優れた能力が彼に与えられたようだ。経緯は書かないが、チェスの盤の下にもぐって指すという彼のスタイルがなんとも愉快だ。

自分が生きているその目的が見つかったリトル。しかしその先にはマスターとの別れが待っている。天才的チェスプレイヤーのリトル・アリョーヒン。「盤上の詩人」に対して、「盤下の詩人」と呼ばれるようになる。その後がまた面白い。やや怪しく秘密めいたチェスの倶楽部での仕事、そしてそこを脱出した後に・・・・・・まさにswimming with the elephant, holding the catなのだ。なんで英語やねん。

いやいや。まいりました。いやいや。ごめんなさい。こんな小説をスルーしていたなんて本読み失格です。

全体としてちょっと切なくて、ちょっと悲しくて、でもほっとして、少し癒されて、少しはげまされて。この「ちょっと」がまさに小川洋子の真骨頂である。全てにおいて過剰な事は何もない。大きなどんでん返しもなく、とてつもない悪意を持つ人物が登場するわけでもない。全てにおいて中庸であるのが実によい。ほどよい味付けの料理を食べたようだ。もっとこってりした料理を食いたい者は他に行けばよい。もっと辛いモノを食したい者にはモノ足りないだろう。猫を抱いて象と泳ぐのがいやならば、他に行くべきところはたくさんある。でももうちょっとお付き合いあれ。


 「あなたに初めてチェスを教えたのがどんな人物だったか、私にはよく分かりますよ」
 「駒の並べ方、動き方を教えてくれたのが誰だったか、それはその後のチェス人生に大きく関わってくると思いません?チェスをする人にとっても指紋みたいなものね」(168頁より引用)



このチェスを別の言葉に置き換えると色々なモノが見えてくる。
あなたに初めて恋愛を教えたのは誰か?あなたに初めてキスの仕方を教えたのは誰?あなたに数学を、歴史を、哲学を、あなたに音楽の素晴らしさを教えてくれたのは誰だろう?うーむ。私も色々と昔を思い出してしまった。


 「チェス盤は偉大よ。ただの平たい木の板に縦横線を引いただけなのに、私たちがそんな乗り物を使ってもたどり着けない宇宙を隠しているの」
「そう、だからチェスを指す人間は余分なことを考える必要などないんです。自分のスタイルを築く、自分の人生観を表現する、自分の能力を自慢する、自分を格好よく見せる。そんなことは全部無駄。何の役にも立ちません。自分より、チェスの宇宙の方がずっと広大なのです。自分などというちっぽけなものにこだわっていては、本当のチェスは指せません。自分自身から解放されて、勝ちたいという気持ちさえも超越して、チェスの宇宙を自由に旅する・・・・・・。そうできたら、どんなに素晴らしいでしょう」(253頁より引用)



この箇所には参った。ガツンと来た。まるで僕のことを言ってるよう♪(ミスチル「エソラ」)なんだか余分な事ばかり考えている自分が頭の上から冷たい滝に当たってるような気分。これが実にいい気分だ。


 「もしあそこでこうしていたら、しかしああしたのはこういう理由があったわけで、だからこう指したのは結果から見て・・・・・・などとくどくど自分のチェスに自分で意味をつけたがる。自分で解説を加える。全く愚かなことだ。口、などという余計なものがくっついているばっかりに(285ページより引用)



自分の行動に常にオルウエイズ、意味というシールを貼っている。それが私。滝に当たったどころか、AK-74を耳の穴に入れられて連射されたようだ(どんな喩えだ)ずぼぼぼぼぼぼと耳の奥が音を立てている。



疑問がある。こんな風にご自分の書いた文章を勝手に読者が「ああ俺のことを書いている!」と解釈して自分に対する警句だったり、自分に対する恩赦だったり過剰なまでに自分に置き換えてしまうというこの読み方。作者としてはどうなんだろう?


そんなわけで、先日の小川糸 「喋々喃々のレビュー」「小川糸読んだ後にダブルファンタジー読むとどうなる」に続いて今度は小川洋子。ダブル小川にやられてしまった2009年の2月冬であった。

では、また。




猫を抱いて象と泳ぐ
小川 洋子
文藝春秋

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ホームレス歌人と神様

2009-02-18 | days

朝日新聞朝刊2/16(月曜)を読んでいたら、「ホームレス歌人さん 連絡求む」という記事が載っていた。参照:asahi.comの記事


私は月曜日の朝日新聞の朝刊に朝日俳壇・歌壇と称して俳句と短歌が一面に掲載されているのは知っていた。いや嘘だ。俳壇のみで俳句しか載っていないと思っていたのだ。それが証明するのは私が一度も中身を読んだことがないということである。だって興味ないもの。健康食品の広告と一緒で必ず飛ばす箇所である。

昨年から公田耕一と名乗る人が毎週ここで入選しているそうなのだが、住所がないので住所表記をホームレスとすることにしたそうだ。それだけではふーんという記事なのだが、彼が書いた歌がいい。

<鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか>

<パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる>

<親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす>


2月16日その日の朝日歌壇を見てみたら最新作が入選していた。

<哀しきは寿町と言ふ地名長者町さへ隣りはあり>

寿町も長者町も横浜でよく通るのだが、こんな風に考えたことはなかった。職業に貴賎はないというが、まさに優れた作品を出すのにそのおかれた立場など関係ないといういい例である。

そうそう。

寿町ですらなかなかお目にかかることの出来ない強烈なホームレスが大手町にいる。東西線の大手町駅の改札を出て東京駅方面に地下道へ向かうすぐを右に曲がり階段で外に出ようとするとそのどこかに「彼」はいる。ずっと昔からいる。全体的に黒いというか見につけているもの、肌全てが黒い。そしてジッパーの辺りが完全に裂けているのであの辺りが丸見えなのだ。しかしまた全身から只者ではないオーラが出ているので私は勝手に「神様」と呼んでいる。神様だから延々ずっと逮捕されないでいつもあそこにいるのだろう。

そう。神様は意外な所におられたのだ。



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口がクサイんだよ

2009-02-18 | days

私の周りに口が臭い人物が二人いる。一人は男性、もう一人は女性。どちらもキレイ好きで清潔感あふれる人たちだ。歯磨きもきっちりしているんだろう。

しかし、比較的近くでお話しをしたときに、口臭が猛烈にクサイことがある。

長時間何も飲まない食わないでいた場合、胃の臭いが口から出てくるようであるが、彼らが歯磨きしなかろうが、していようが兎に角臭いのだ。ほんのちょっとではなく、ガッツリとクサイ。

しかし、面と向かって「あんた口クサイよ」とは言いにくい。女性に対して「鼻毛出てる」と言うのと同じくらい言いにくい。どうしてなのだろうか?靴下の左右が違う色だったらつっこめるのに。ピアスの穴に間違えて画鋲が入っていたらつっこめるのに。口だと何か別の要因があるのだろうか。よく分からない。

嫌煙権が他人の吐く煙を拒絶する権利だとすれば、他人の吐く息を拒絶する嫌息権なるものも今後出てくるのだろうか。

などと思うのと同時に「俺は口クサくないのか?」とも思う。もうだいぶ前のことになるが、朝一番で
某「昨日遅くまで呑んでた?」
私「はい」
某「やっぱり」
私「分かります?」
某「うん。だって酒臭いもの」
と言われるまで朝っぱらから私はとても酒臭いという事実に気が付かなかった。後で周りの者たちにきいてみたら全員「酒臭かったけど言いにくかった」ということだった。

それ以来、夜眠る直前まで鯨飲するのはやめた。

自分の体臭が臭いと思い込んで、それに気をつかい過ぎてしまう一種の強迫神経症もあるし、口臭も同様で一日に何度も歯を磨く人もいるようである。であるから、気にしすぎは自分にとってあまりよろしくないが、しかし気にしなさすぎは周りの人にとってあまりよろしくない。

何事にも中庸がやはりよいようである。

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解釈が困難な看板

2009-02-17 | travel




どういうことだ?

倉敷の犬 = 猫屋敷?
犬 = 猫?
いやそんなわけない。

猫が住む屋敷 = 倉敷の犬 なのだから、倉敷の犬というものは中に猫が住んでいるということなのだ。

The dog is the house of cats.
Cats live in the dog.

英文にしてみたところでやはり謎は謎。

さっぱり分からない。



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