頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

前のめりに死ね

2012-01-31 | days

先日、久しぶりに外を走った。

600メートルぐらいある坂を登り、急な坂を下り、後はフラットな所を走ると一周30分ぐらい。

時間と気力があったので一時間かけて二周した。

普段はつけないG-SHOCKをつけていたら、画面が結露した。確かに寒い。ジャージの下にヒートテックを着て、ウインドブレーカーも着ていても、手が寒い。吸い込む息が冷たい。しかしG-SHOCKが結露するとは。自分で電池交換したのがいけなかったのだろうか。

走っている途中で、何かにつまづいた。

そのまま前の方につんのめっていった。こんなに人生で前傾したことがあるだろうかというくらい前傾で。スキーのラージヒルを飛んでいる最中ぐらい前傾で。

ああ、俺こけるな。顔面打つなと思った。この美顔が地面に打ち付けられると思った。

ところが、

前につんのめりながら、つんのめりながら、つんのめりながら、そのまま、

おっとっとっと、15メートル前に進みながら、足がドタバタしながら、結局コケないで、そのまま普通に走り続けた。

ふぅ。

すぐそばにいた、おばあちゃんが、言った。

「よっ!」

ちょっと梅沢富美男にでもなったような気がした。



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包丁式

2012-01-29 | travel



横浜の三溪園で、包丁式という儀式があったので行ってきた。

素材に手を触れずに包丁で魚をさばくとか。

終わった後はこんな風になっていた。






と、正月のことを今頃アップしているワタシ。

では、また。

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『特捜部Q 檻の中の女』ユッシ・エーズラ・オールスン

2012-01-27 | books

「特捜部Q 檻の中の女」ユッシ・エーズラ・オールスン 早川書房 2010年
KVINDEN I BURNET, Jussi Adler-Olsen 2008

デンマーク発のミステリ。カール・マーク警部補は、釘打機による殺人事件の現場に行ったときに、同僚の一人は殺され、一人は麻痺状態、本人は復帰したばかり。省庁再編の一環で新設された、未解決事件を扱う部署に左遷された。部下になったのは、シリア人のアサド。出来る人間なのかそうでないのか分かりにくい。二人で手掛けるのは、5年前の女性議員ミレーデ・ルンゴー失踪事件。死んだとされているが、よく調べてみると…

ふむ。5冊連続でここにレビューを書くような本じゃないものばかり読んでいたため、エンターテイメントに少し飢えていた。ので、最近あまり読む気にならなかった、ミステリを読んでみた。とても久しぶりだった。

ハヤカワポケットミステリ、上下二段組、450頁もあるのにも関わらず、すいすいぐいぐい読ませる。

カールの捜査と並行して、ミレーデがどこかに監禁されている様が書かれているので、彼女が殺されていないのがすぐに分かる。とすれば、

・彼女を監禁しているのは誰か
・その動機は
・カールはどうやって彼女の行方を追うのか

を読みにいくわけだが、それがそう簡単には分からず、少しずつ少しずつ分かっていく。そのじらしが巧い。

残念なことはたった一つ。それは、犯人が誰だか途中で分かってしまったこと。まあ、フーダニットだけがこの小説の読みどころではないし、デンマークが舞台になった小説など読んだことがなかったし、そして何よりミレーデの居場所を突き止めていくプロセスを楽しめたので良しとしよう。

では、また。





特捜部Q ―檻の中の女― (ハヤカワ・ポケット・ミステリ 1848)
ユッシ・エーズラ・オールスン
早川書房
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看板

2012-01-25 | laugh or let me die






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『源氏物語 巻一』瀬戸内寂聴訳

2012-01-23 | books


「源氏物語 巻一」瀬戸内寂聴訳 講談社 1996年

突如として源氏物語を読み始めた。家にマンガの「あさきゆめみし」があるにも関わらずまだ読んでない。だのに、なぜ?

1.平清盛がドラマになっているので、平家物語を読もうとして間違えて源氏物語を買ってしまった。
2.光GENJIの長年のファンなので、やはり読んでいないとマズイと思った。
3.最近ちっとも女性にもてないので、やはりそこは和風プレイボーイの大先輩の技を盗みたいと思った…

もうこういう話はいいか。

与謝野晶子の現代語訳は悪くないけど読みにくい。橋本治や田辺聖子は原文にない翻案が多いらしい。大塚ひかりという人の比較的新しい現代語訳はとても読みやすいけれど、注が多いので、すらすら読めない感じがしたので、瀬戸内訳を読み終えてまだ気力が残っていれば、これを読もう。

というわけで、初めての源氏物語。瀬戸内訳はちょうどいい。あまりにも最近の言葉を入れて読みやすくしすぎているわけでもないし、だからといって読みにくいわけでもない。

読んでみれば、1000年以上も前にこんな物語が書かれていたのかと思うと、やはり驚かざるを得ない。空蝉に対する行為なんてパワハラとかレイプだし、藤壺は疑似近親相姦だし。とかなんとか言いながら、

ふぅ。全10巻もあるのに、もう1巻で疲れてしまった。口ほどにもないワタシ。

2巻以降は、またいつか。それまでさようなら。




源氏物語 巻一 (講談社文庫)
瀬戸内寂聴訳
講談社
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Twitterではつぶやきにくい

2012-01-21 | days

30すぎて、AKBに夢中な友人、鉄ヲタな友人、マンガアニメオタクな友人たち。

ナニカニムチュウニナレルッテイイネって笑顔で言ってあげるべきなんだろうか…

たとえ本心ではなくても。



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『避暑地の猫』宮本輝

2012-01-20 | books

「避暑地の猫」宮本輝 講談社 1983年

軽井沢の別荘。我々一家は番人として雇われている。オーナー一家は毎年夏にやってくる。オーナーの妻はとてもいじわるで、母に執拗につらくあたる。偶然に見つけた別荘の地下室。そこから始まるぼくの暗転…

うーむ。イントロダクションが抜群に巧い。外科医が入院患者から話を聞いた、その話は以下のようなものであるとして、「ぼく」の独白が始まる。ほぼ全篇この彼から見た『事件」がこの小説なのだ。

最初からオチが決まっていてそこへやや無理に収束させていくような書き方は、私の好みには合わないので、その分は減点してしまう。

ミステリーっぽい進み方も宮本輝らしくはないと思う。すべての謎が解けるわけではないところは、らしいのかも知れないが。「悪」がテーマのようであるが、「悪」を描くならもっと他のそれ専門の作家がたくさん描いているのだから、全然違うアプローチを期待してしまった。

とは言うものの、こんな表現はやはりいい。

「つまんない男よ。絵もつまんなかった。その絵描きとおんなじような人間が、夏の軽井沢にはいっぱいいるわ。なんでも最高のものじゃなきゃいけないの。食べる物も、身に着ける物も、生活そのものも……。そんな人はねェ、最高の物と最低の物しか判らないのよ。でも世の中って、最高でもないし最低でもない、中間の物がひしめき合ってる。物だけじゃなくて、人間もそうよ」(文庫版134頁より引用)



では、また。



新装版 避暑地の猫 (講談社文庫)
宮本輝
講談社
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プラド美術館蔵 ゴヤ 光と影@国立西洋美術館

2012-01-19 | days

こんな美からは遠い顔をしていて、意外と美術が好きなワタシ。失敗した粘土細工みたいな顔してなにゆうとるねんといつも言われている。

カラヴァッジオのような光と影を巧みに使う画家は大好き。ゴヤと同じスペインの画家なら、エル・グレコやベラスケスも好き、ゴヤは「着衣のマハ」以外は知らないけど行ってみた。

色がついていない、ロス・カプリチョスというシリーズが妙に気になった、着衣のマハではなかった。美術館に行くという行為は、犬のマーキングのようなものなので、いい絵が観られたとかそうでないとかいうことはあまり気にならない。

西洋美術館で同時に公開している、ウィリアム・ブレイクの版画展。実はこっちも想定以上に良かった。幻想とか怪奇とかそっち方面にいつも心の方が向かってしまう方は何か感じるものがあると想像する。1月29日まで。西洋美術館オフィシャルサイト

期待して行ったモノではなく、それに付随しているナニカに心が奪われることが多い最近、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。


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『破戒』島崎藤村

2012-01-18 | books

「破戒」島崎藤村 新潮社 1954年(原著は1906年)

明治時代、士農工商の外にあって差別されていた穢多は新平民として解放されたはずだが差別は続いていた。北信州。教員丑松は学校教員。穢多であったという過去を隠している。しかし、丑松が信奉する猪子蓮太郎という人の著作では、猪子は「我は穢多なり」と自分の出自を明かしている。丑松の苦悩は…

うーむ。100年も前の小説なのに、意外と読みやすい。最初は読みにくいが慣れてしまう。

部落解放運動とか、マルクス主義的とか、近代的自我の葛藤とか、社会的正義とか、色んなことをこの作品について言う人がいるみたいだけれど、そういう堅苦しくて難しいことには私はあまり興味が持てなかった。

この時代をリアルに感じさせる筆致と、丑松の自省的な生き方、一度読んでも何が面白いかよく分からない感じ、それらが混じり合って何とも不思議な読後感だった。(あー面白かったというわけでもないし、つまらなかったとも言えない)

確か、村上春樹の「ノルウェイの森」の中で、永沢が「出てから30年以上経った本じゃないと読まない」というようなことを言っていたように記憶している。私の今年の目標(?)の一つは古典を読むということ。その第一弾がこれだった。だからと言って永沢の真似して無理しても仕方ないけど、

古典を読んでコテンコテンにならないように…

では、また。




破戒 (新潮文庫)
島崎藤村
新潮社
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また食べたくなる人

2012-01-17 | days

再読に耐えられる本。再読に耐えられない本。

再読したい本、再読したくない本。

一度読んでもわからない本、一度読めばもう充分な本。

これって、異性にも言えることかも。

一度会っても、全貌が分からず、興味を持ち、ぜひまた会いたいと思う人。

一度会ったら、もうお腹いっぱい。味が濃くてもういいや、と思う人。

2012年のキーワードは、

小出しだな。

いや、違うか。



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『地下の鳩』西加奈子

2012-01-15 | books

「地下の鳩」西加奈子 文藝春秋社 2010年

連作が二つ。

表題作「地下の鳩」見た目のおかげでもてていた男、吉田。40を過ぎ、最終的にキャバレーの呼び込みになってからは昔のようにはいかない。高校の時に、教師と付き合ってからどうも良い恋愛のできない女、みさを。自発的というより常に流されているうちに、経験もないのにチーママをしている。たまたま出会った二人。吉田がみさをに惚れてしまった。しかし吉田は積極的に口説くでもなく、しかしよく食事をおごってくれるようになった。吉田、みさをの相互の目線で描く、底無し沼。

ほほお。結構面白かった。「円卓」とは全然テイストが違っていて、笑いはゼロ。陰鬱とした状態が続くがそれがよかった。車谷長吉の「四十八瀧心中未遂」と似たテイストだと思った。

差別的な言い方になってしまうが、社会という一種のヒエラルキーの中では、下の方で暮らす二人の行き場のない心。リアルすぎる内面描写。これがむしろ素敵に感じられる。

つづく「タイムカプセル」は50頁程度しかない。「地下の鳩」は140頁あったから、おまけにくっつけた後日談だろうと思った。最後に男を刺してしまう話が出てきたので、なぜ刺したのかの説明があるだけだろうから、読み飛ばせるんだろうなと思った。しかし…

おかまバーのママ、ミミィ44歳。苦労しながら仕事に勤しんでいる。一度やって来た男の客が別の男の客を連れ来てくれた。それからその二人はよく来て、お金を落としてくれるようになった。しかし彼らがやって来た日から、常連客の菱野が全く来なくなった。どうしてなのか。菱野はホステス、ことのの担当。ことのも無断で欠勤するようになった。なぜか。ミミィはそのきっかけとなった男の客を刺すことになるなぜなのか…

うーむ。たった50頁の話に完全に没頭してしまった。巧い巧い。何気なくこっそりとミステリーの作法を使用して、成功している(伊集院静がミステリーに失敗したのとは好対照に)

人の業とか罪とか、やるせなさとか。色んなものを考えさせてくれた。

西加奈子おそるべし。

では、また。



地下の鳩
西加奈子
文藝春秋
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『花の降る午後』宮本輝

2012-01-14 | books

「花の降る午後」宮本輝 講談社 1988年

典子37歳。夫が亡くなり、フランス料理のレストランのオーナーを後を継いでやっている。彼女の頑張りとシェフの作る料理のおかげで経営は順調。壁にかかっていた絵の作者が訪れこの絵を貸してほしいと言う。個展を開きたいのだが、まだ作品の数が少ないのだそうだ。彼に貸した絵の裏側から夫の残した手紙が出てくる… このレストランを乗っ取ろうという輩が。どうやって防衛するか… そこに典子の恋を絡めて…

うーん。昼メロのようなテーマのはずなのに、テンポよく、そして品良く進む。意外な収穫。

典子という一人の女性が非常に魅力的に描かれている。同じ中年女性としては「ドナウの旅人」の絹子の子供っぽくてちょっと嫌だなと思わせるキャラと好対照だ。彼女が恋していく様はなかなか読ませる。(中年女性とは何歳から何歳を指すのだろうか。見た目と中身を無視すれば38歳くらいから、55歳くらいだろうか。私の周囲はとても大人びている人ととても子供っぽい人がとても多く、年齢相応の人がとても少ないけれど)


「絵描きってなんで自画像を描くのかしら。ゴッホ、エゴン・シーレ……」
「行き詰まると、自分を見つめる以外なくなるのさ。行き詰まるっていうのは、他者が見えなくなるってことなんだ。風景や物や……」(文庫版323頁より引用)



行き詰まっている人や、視野が狭くなってしまっている人(=私)にはちょっとドキッとする言葉だった。

では、また。




花の降る午後(上) (講談社文庫)
宮本輝
講談社
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『ジェントルマン』山田詠美

2012-01-12 | books


「ジェントルマン」山田詠美 講談社 2011年(初出小説現代2011年10月号)

高校の時の同級生、漱太郎は、眉目秀麗、スポーツはできるし、頭はいいし、性格もいい。でも夢生(ゆめお=通称ユメ)はそんな彼のことが好きになれない。ユメの友だちは圭子だけだった。しかし、漱太郎が華道部の顧問の村山先生を犯しているのを見たとき、彼のことが好きになってしまった。同性愛者のユメ。誰もがジェントルマンだと思う、漱太郎は実はとても悪い奴だ。尋常じゃなく悪い奴だ。そんな彼とユメは…20年後。

うーむ。うまい。久しぶりに何かがえぐられた。グリッとえぐられた。悪い男と彼を愛するゲイ。うーむ。ヘテロセクシャルとバイセクシャルとホモセクシャル。禁忌はあれど、もはやどれがいいとか悪いとかの次元を超え、別の次元へと飛ぶ。

女性読者の、85%以上はユメに感情移入して読むだろうと想像する。男性読者の6割は鬼畜の漱太郎、4割はピュアなユメに感情移入するだろう。そして私のようなろくでなしの異常者は、時に漱太郎、時にユメと変幻自在に自分がメタモルフォーゼする。ただ自分が楽しめればいいのだから、こんな異常者が一番本作を楽しんでいるのかも知れない。

山田詠美は「学問」に続いてまだ2冊目。なんでまだ2冊しか読んでないのだろう。山田詠美のようにデビューしてからだいぶ経ってしまって作品が数多く出てしまっている場合、何から読めばいいのか分からないまま放置してしまう。

思い返すと、80年代は国際謀略もの、スパイ、戦争、ハードボイルド系を多く読み、90年代は新本格ミステリ、サイコスリラー、リーガルスリラー、00年代は時代小説を割と多く読んできた。10年代は、まだ始まったばかりだけど、純文学と古典を読むような気がする。

そんな中で、山田詠美はこれから長い付き合いになるような気がする。


「たまーに、坂井くんが、うちに連れてくる女たちってさ、皆、確かに、それなりに綺麗だけど、なんかうんざりするのよね。自分たちのこと、いい年齢して女子とか呼んじゃってさ。逃げ道を残して媚びてる感じ」(107頁より引用)



逃げ道を残して、媚びてる感じか。確かに。


確かに漱太郎を囲む華やかな女たちは、彼の気を引きたくて仕方がないくせに、女同志の友情めいたもので武装し、牽制し合っている。女子力などという言葉で連帯感を共有したかのように振舞う彼女たちを見るにつけ、御苦労なことだと、夢生も思わないではない(108頁より引用)



女性たちが持つ、連帯感(のようなもの)に不思議を感じていたけれど、ゲイの視線で見たそれを読み少し分かったような気分になった。

では、また。




ジェントルマン
山田詠美
講談社
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『見えないドアと鶴の空』白石一文

2012-01-10 | books

「見えないドアと鶴の空」白石一文 光文社 2004年

昂一は先輩の件があって、出版社を辞めて妻、絹子に食わしてもらっている。絹子の親友、由香里が出産するというので、助け立ち合いしているうちに…男女の仲になってしまった。美人だけどちょっとギスギスした妻。ふっくらとして穏やかな由香里。由香里との関係はすぐに妻に知られてしまう。よく分からないけれど、由香里には不思議な力があって、それを使って人の心をたぶらかしているかのように妻は説明する。由香里に話を聞き、由香里と妻が子供の頃から仲が良かった故郷、北海道に行って分かる真実…

うーむ。私は最近、白石一文を再評価したい気分なのでその流れで言えば、特に悪くはない。でも傑作とも言い難い。

「この胸に突き刺さる矢を抜けなどの傑作を読んでしまうと… 大好きな作家を見つけてしまって、その作家の本を片っ端から読んでいけば、その過程の中に必ずこういう、微妙な評価をせざるを得ない作品がある。

白石イズムはやや薄い。さらに、由香里の持つ超能力が存在するものかそうでないのかは作品を楽しむ上では重要でないとは言えないけれど、この際あってもなくてもどうでもいいとした場合、その超能力が何のメタファーになっているのか分からない。

宮部みゆきの初期の傑作やスティーブン・キングに見られる超能力は、それが絶対に存在するものだという圧倒的な説得力を持つ。しかし本作はそうでもない。つまり、あるというほどでもないし、ないならないで特に何のメタファーだか分からない。肝心のその力についてはどう捉えていいのかよく分からなかった。

しかししかし、それ以外の昂一の揺れる心や、彼が由香里に傾いていくさまなんて実に巧い。女性は特に、どのように男性が女性に惚れていくのか、ちょっと勉強になってしまうと思う。

白石らしいのは、由香里の口を借りて、考えること=男の仕事 何を考えるのかと言えば、政治とか教育とか自然とか宇宙のこと。という言葉が出てきたことだ。雑誌のインタビューでかなり反フェミニズムな発言をしていたらしい。私自身はフェミニズムはかなり肌に合わないとは思っているが、白石ほど極端に思っているわけではない。しかし頷ける部分も多くある。

まだまだ白石一文の小説は読んでゆく。

では、また。



見えないドアと鶴の空 (光文社文庫)
白石一文
光文社
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宗教について(メモ)

2012-01-09 | days

『高校生のための哲学入門』長谷川宏 筑摩書房 2007年

宗教についての引用

しあわせな毎日を送っている人は宗教とは縁が薄い。生きることを苦しく感じている人こそが宗教に近い人だ(170頁より引用)


親鸞の信もキリスト教の信仰も日常の現実的は思考や認識とは異次元にある。日常を平穏に生きる多数の人びとの生活感覚からすれば、それは、自分たちの生きる場から遠く離れた、異常な信であり信仰であるように思える。平穏な日々を送る人々は、そういう信仰の存在や、そういう信仰を生きる人びとの存在に、ある種の衝撃を受けるかもしれないが、平穏な暮らしを守ろうとする思いがあれば、異次元の、異常な信や信仰には近づこうとしないだろう。

近づこうとするのは、むしろ平穏な暮らしを確保しえていない人びと、平穏な暮らしからはじきだされた人びとだ。この章の冒頭で、生きることを苦しく感じている人、といったのがそれだ。そういう人びとも、むろん、日々の暮らしの中では現実的な思考や認識を働かせて生きている。うまく行かないことは多々あろうが、現実的な思考や認識を放棄してしまうようなことはない。が、生きる苦しさを脱却するのは容易なことではない。将来を見通しても脱却の可能性はなかなか見えてこない。そんな境遇に陥った理由を色々と考えてみるのだが、これがそうだと心から納得できる理由はなかなか見えてこない。にもかかわらず、生きる苦しさだけは現実として、また実感として、ひしひしとせまってくる。そんな苦しさを強いられている人びとはけっして少なくないが、苦しい現実のよってきたる理路も、苦しい現実を克服する道筋もしかと見いだせないとき、いまある現実の苦しさが、さらには、現実そのものが、不合理なものに見えてくる。みずから現実的な思考と判断を働かせ、他人の意見も聞き、打開のための現実的な努力を重ねても、生きる苦しさを脱却できない。そのとき、そんな苦しさを強いる現実のそのものがまちがっているのではないか、現実そのものが不合理ではないか、という思いが萌してくるのだ。(176頁より引用)


そういう人びとにとってこそ、現実の思考や認識とは異次元の宗教的な信仰が、輝かしいものとして目に映るのだ。(177頁より引用)




高校生のための哲学入門 (ちくま新書)
長谷川宏
筑摩書房
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