とあるSNSの日記にインスパイアーされて考えてみる。
人の見た目って?人は見かけによる?よらない?
人は見かけによる OR 人は見かけによらない というのはみなが体験したことがあるだろう。見かけに「よる」「よらない」が発生するのは、見かけによる予想というものが常に付いてくるからだ。
セーラー服に三つ編みハイソックス → 純真
パンチパーマに原色のスーツ → ○○組の人
というような即付けられるイメージから、
めがねかけてるのに → 意外と強気
スーツはしわだらけなのに → 意外とマメ
赤ちゃんに見えるのに → 意外と理屈っぽい
などというようなイメージ、とイメージを破られた瞬間がある。それまでの人生で蓄積された知恵が A → B というイメージを脳内で作り上げてくれるというのは便利なのかそうでもないのか。ただ、そのようなイメージを全く持たないで一日を過ごすのは不可能である。日々出会う物象全てに新鮮な気持ちを持つことができるのは天才か気狂いかどちらかだ。
我々凡人たちは、常に A → B あるいはA → Cとイメージを喚起する。ただし面白いのは、Aが喚起するイメージは常にBとは限らず、見る人によって無限のバリエーションがある。でもその人にとってはA → W だったのにそうでないと「見かけによらない」という結論に達する。そしてそれは他の人にとっては「ありえない」
さて、人は見かけに「よる」のか「よらない」のか論ずることに意味はない。あくまでも「ケース・バイ・ケース」という筆者が好まない言葉で片がつく。
見た目は大事だよー とは言いたい。CDのジャケ買いから、合コンでの一目ぼれ、どうしても欲しい車、服・・・・・・(以下無数)
「私は見た目なんてどうでもいい」と確かに一年365日ほぼ同じ格好をしている友人。「見た目じゃないんだよ!中身なんだよ!」と酔って叫ぶ友人。君たちに言いたい。「そんなに大層な中身なのか?おぬしは?」「だったら裸で外を歩け!」
見た目「は」どうでもいい、のではなく見た目「も」どうでもいいになっておるように見える。わしには。
人を支配する感覚の中で視覚は最もその力の強いものなのだ・・・・・・
とここまで書いて、
①この話長くなりそう。
②でも疲れた。
③たまには書きかけでアップしてみようか。
④読み返してみたらびっくりするほど面白くない。
⑤面白くないものをお出しするものまたいとをかし。
と推敲せず書きかけ状態でアップしてみる。では、また。