頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

今年をちょっと回顧

2008-12-30 | poetic inspiration

私個人にとっては、一つ禁煙できたというのが大きい。過去に書いたので繰り返さないが、特にこれといって何も大きくいいことがないのがまた素晴らしい。食欲が増すわけでもなく、減るわけでもなく、お小遣いが余るわけでもなく、健康的になったわけでもなく。強いて言うなら喫煙所を探さなくてよくなったことが大きいかな。後はGIANT MR4Fという自転車を買ったこととか、トレッキング的な事を始めたとか。うーむ。書いていて俺ってなんて健康的なんだ。健康サララな人生なんだ。ヘルシーリセッタな生活なんだ。

以外には、出会いがあったり別れがあったりで人的にはプラスマイナスゼロってとこ。

後は、落語にはまってしまったとか、面白いのーと思うモノとの出会いは多くあり、これについては別れはあまりなかった。

どうやら100年に一度の大恐慌状態にあるらしい。われわれ廃人連合にもやっと情報が入ってきた。廃人は廃人であるがゆえに、特に不況でも好況でも関係ない。

ついに内需拡大などと言い始めた。これはしばらく前を思い出す。ニクソンショック→急激な円高→でも頑張る日本企業→それでも足りないと言い張るガキ大将→プラザホテルでドル安にしようと言い張るガキ大将に屈服→急激な円高→貿易摩擦ってなんやねん→どうやら牛肉やらオレンジ買わないといけないらしい→さらに内需を拡大してガキ大将にモノを売りつけるのではなく、スネ夫が作った物はのび太が買わないといけなくなった→しかし金がない→のび太に金をどでゃどひゃ貸してくれるドラえもん→しかしいつまでも金を借り続けるわけには行かず→のび太自己破産

どうして内需拡大の話をしようと思ったらのび太が出てきたのだろうか。まあいい。どうせ誰も読んでいない(そんなわけないか)過去に内需を拡大させるために、金融機関にじゃぶじゃぶと金を貸させるような政策をとった結果のバブル崩壊。なんだかまた同じ道を歩む予感がする。

基本的に私は規制に反対だし、政府は極端にまで小さい方がよいと考えている。ケインズとアダム・スミスならスミスを信じる。宗教であるとすれば信じる根拠は必ずしもなくてもよいよね。食い物の好き・嫌いと同じで、好きであるという合理的な理由もなくてもいいよね。あってもいいけど。

企業がつぶれるのならそのままつぶしてしまえばよいのだ。米国が莫大な金を使って、一部の特定企業を支援すると聞いて「あーあ」と思わずつぶやいた。Too Big To Failと言うけれど、沈没しようとしている船を救うために、そこそこ快適に進んでいる船が犠牲になる正当性は合理性は整合性そこにあるのだろうか。

おっと年末、話が暗くなってしまった。すまぬすまぬ。

後はそうね。今年は誰も友人が結婚しなかったな。離婚はしたな。後は特に思いつかないな。普段は雑に何かを書かせると飛ぶような勢いでキーボードを叩いているのに、今日は不調。なぜかと言うと、風呂上りなのに素っ裸で書いているので、そろそろ服を着ないといけないのだ。分かりやすいでしょ。

では、また。

みなさん、よいお年を。



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桑田佳祐が弾き語り「たどりついたらいつも雨ふり」を聴きながら年は暮れてゆく

2008-12-29 | music




元の音源がよく分からない。たぶんラジオなのだろう。
吉田拓郎が作詞作曲した「たどりついたらいつも雨ふり」歌うのは鈴木ヒロミツ率いるモップス。元歌はエレキだったのをアコギだけで弾き語りしたのが桑田佳祐。






一番上のが桑田佳祐、その下がモップスバージョン。ものすごく久しぶりに聴いた鈴木ヒロミツの声の良さにびっくりした。しかし桑田の生歌の声、歌の上手さには脱帽するしかない。本当のシンガーは何を歌っても上手いんだな。

なぜ年も終わろうとしている今日これをアップしたかというと、歌詞が実に今年を表していると思ったからだ。






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本を読む人読まない人

2008-12-28 | books

フランス文学の研究という本職より、本読みとして知られる方が多い、鹿島茂の仮説は:

「次世代は、本を精力的に読む一部知識層が、本を読まない多数のネット層を支配する」

支配するかどうかはよく分からない。しかし、私の仮説は:

次世代に行く前に今現在、本を読まない人はだいたいにおいてダメで、本を読む人はだいたいにおいて救われる。

私の知り合いでその人が本を読んでいるか分かるような関係にお互いにある場合、ほぼ93%の確率で、本を読んでいない人はバカ・ややバカであり、読んでいる人はまとも・ややまともである。バカの定義はこの際不要だろう。問題はまともの定義である。そうですな。そこそこに広く知識があり、相手の気持ちをそこそこに汲み取ってあげることができて、そこそこに知識欲がある、ってとこでしょうか。

本を読むとなぜまともで、読まないとバカなのか実証するのは難しい。しかし、現に読まない人=ほぼバカ、読む人=ほぼまとも ということが一応の証明になる(と思う)

が、

「しかしどうして俺たちのこと分からないんだろーねー」「そうだそうだ」「やっぱさーオタクが世界を救うんだよねー」「そうだそうだ」「アニメ見ない奴、ゲームやらない奴はバカだよねー」「そうだそうだ」

なんて会話が秋葉原のメイドカフェで繰り広げられているかも知れず、その場合、彼らと我々本読み人たちの違いを明白にすることもまたとても難しい。


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楊貴妃も腰を抜かすギャルのアイドルチンチン麺

2008-12-27 | days

横浜は野毛にある三陽という中華料理屋。中華料理屋というよりラーメン屋と言うべきか。有名だし、以前前を通って、すげえ店だなと思ったのに、どこにあるのかよく分からなくなったので結局一度も行っていない。すぐ近くならよく行くのに。

仕方ないので(何が仕方ないのか)ネットで調べて行ってみた。







これがメニュー。カウンター奥に座って何にしようか考えていると「餃子はいかがですか?」「ビールと餃子がオススメです」「チンチンラーメンがよく出ます」と店員がうるさい。無視して、チンチン麺と焼きそばと餃子にした。

なかなか来ないので周囲を見回すと






目の前にこんなのが。おやじギャグしかもちょっといや大分古いのが苦笑と嫌悪感を通り越して、自分が異空間にいる気分になる。吉本新喜劇を見ているような感じはきっとこんなだろう。行ったことないけど。






やって来た餃子。物凄くニンニクがきいている。あり・なしで言ったらあり。人には薦めにくいけど、旨い。





噂のチンチン麺。ちっこいのは取り皿に分けてもらったから。物凄く胡椒がきいている。あり・なしで言ったらあり。人には薦めにくいけど、旨い(かな)






焼きそば。この三陽ではインパクトがなくて普通なんだけど、逆に安心して食べられる。







帰りに店をよく見ればこんなんだった。

この後、車橋もつ肉店に繰り出し、ホッピー&塩ユッケ、レバーなどを食した。やはり旨い旨い旨い。これがレポート





今日の教訓




最初のデートで
ここに行けば、
あとは何も
(きれてなーいの言い方で)
こわくなーい



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『傍聞き』長岡弘樹

2008-12-26 | books


「傍聞き」(かたえぎき)長岡弘樹 双葉社 2008年

ミステリーグランプリ2008、日本推理作家協会賞短編部門受賞 評判は悪くない。抑えた筆致、淡い筆先で描いた絵画のような短編集だった。

・「迷い箱」

刑務所を出たばかりで行く所のない者を保護する施設で働く女。殺人の前科があるものの非常に真面目な男。男の不思議な振る舞いに、男が殺人を悔いて自殺するのではないかと、女は心配するが・・・・・・

・「899」

独身の消防士。近くに住む、赤ん坊と二人暮らしの女性に惚れる。その彼女の住む家で火災が発生。千載一遇のチャンスと出動する。ところが赤ん坊が見つからない・・・・・・

・「傍聞き」

小学生の娘と二人暮らしの女刑事。窃盗と殺人事件が起こる。以前逮捕した男が、留置場から彼女に面会を要求してきた。出所してからお礼参りとして彼女の娘に危害を加えると言うのか。その真意は?

・「迷走」

結婚を予定している救急隊員。婚約者は半年前に車にはねられ車椅子生活。彼女の父親は隊長。今日初めて義父になる人と出動。娘の事件で、彼女をはねた医者を不起訴にした検事が刺された。救急車に収容し病院へ向かう。しかし隊長は病院の周りをぐるぐると回るよう指示する。憎い検事を見殺しにしたいのか。隊長の真意は?


「迷走」がすごくよかった。緊迫から弛緩へのあざやかな収束は見事。傍聞き、という言葉知らなかった。自分に直接言われたことではなくで別の人間に向かって言われたことを聞くということ。何かを伝えたいときに直接その人物に対して言うよりも、別の人間に対して言っているのを聞いている方が効果があるのだそうだ。その「傍聞き」というタイトルがどう内容とつながっているかすごく意外だった。面白い。



傍聞き
長岡 弘樹
双葉社

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Season's Greetings

2008-12-25 | days

とってもとってもクリスマスな
 ベリークリスマス

いとしいいとしい 
 エリークリスマス

お風呂にいい香りのするアロマ入れたら固まっちゃった
 ゼリークリスマス

黒船が黒船が黒船が
 ペリークリスマス

Tシャツにはついてないけど、Yシャツについてるもんなーんだ
 襟クリスマス





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サンタクロース2

2008-12-24 | laugh or let me die

奥さん、ほらほら口では嫌がっていてもカラダの方は・・・うっしっし

もうやめてよ。こんなところで。

やめてやめてと言うその口。やってよやってよと言うその口・・・いっひひひ

ああ、もう・・・・・・










そう。賢明なる読者ならもうお分かりであろう。

サンタクロースとは年に一度、あなたが家を空けている間に、あなたの奥さんといいことを、あんなこともこんなこともする間男なのだ。プレゼントを置いていくというのはあくまでも表の姿。裏を隠すためのカモフラージュなのだ。

だから、今宵クリスマス・イブ。早く帰らないと早く帰らないと・・・・・・

















ああ、いやん♪
も~♪
サンタさんたら~
サンタサンタら~






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サンタクロース

2008-12-23 | laugh or let me die
どう考えても
頭のおかしいコスプレして
付け髭つけて
変なづらかぶって
ひとんちの煙突から
しかも深夜に
勝手に入ってくる
不法侵入者
だから我が家では
ずっと
お断りしている
だから我が家には
来たことがない
来たことがない
来たことがない・・・

 
















小学校2年生のときの作文より



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映画『自虐の詩』

2008-12-21 | film, drama and TV




業田良家による4コママンガがまさか映画化されるとは。連載されていた初期の頃は読んでいた。ビッグコミックスピリッツか何かで連載されていたのを読んだのだろうと思っていたら、週刊宝石に連載されていたということ。読んだ記憶はないのでたぶん立ち読みしていたのだろう。そこだけ。

暗くて昭和の臭いが漂うマンガでは他に「男おいどん」、「ねじ式」、蛭子能収の諸々の作品を思い出す。「自虐の詩」が特にその中でも印象に残るのは暗い・DV・癒しがない・あまり笑えない作品だったからだ。そして4コママンガは普通映像にしようと思わないだろう。なぜ自虐の詩が映画?なぜ?と思いつつ、映画のCMで阿部ちゃんがちゃぶ台をひっくり返すのを見ていた。

映画はなかなかのもの。原作を読んでいる・読んでいないと全く無関係に面白い。仕事をせずぶらぶらするチンピラ風の阿部寛。食堂で働きながら極貧生活を支える妻、中谷美紀。何か気に入らないことがあるとすぐにちゃぶ台をひっくり返すような男となぜ一緒に暮らしているのか?なぜ彼女はあんなに一生懸命なのか?

いやいや。笑えるし、最後にはほろっとしてしまった。あまり深く考えずにただぼけっと何かを見たいときにオススメの作品だ。この直前までヴィスコンティの「ルートヴィヒ 復元完全版」を見ていて、正直辟易していたので、いい意味で気分転換になった。





今日の教訓





り在河山てれ破国
し深木草てしに春城
This is まさに、
字逆の詩


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禁煙はじめて、はや8ヶ月

2008-12-20 | days

タバコを口にくわえていないと落ち着かないのは、口に何かをくわえると落ち着く乳幼児と同じ。やっと乳幼児を卒業できた、私でございます。

去る4月の24日に特に誰からも頼まれずに始めた禁煙。いきさつは


1.「タバコはまだやめない」 2006年7月
2.「禁煙はじめますた」 2007年3月
3.「禁煙その後」 2007年3/15
4.「禁煙はじめます!た」 2007/11/8
5.「禁煙宣言その後」 2007/12/27
6.「本気で禁煙しようかと思う。そのきっかけに美人妻」 2008/4/25
7.「タバコをやめたら、とっても調子が悪くなったぞ」 2008/5/3
8.「煙を絶って、そして二つの週が経って」 2008/5/14
9.「禁煙成功?」 2008/6/22


自分のブログに「禁煙」で検索したらうじゃうじゃと記事が出てきて、自分でも驚いてしまった。と同時に、やめないと言ってみたり、やめたのに失敗してみたりという自分の心の揺れを(すっかり忘れていたのに)思い出した。ブログという記録の一つの活用法である。この魑魅魍魎ブログは日記ではないのだが、記録(log)ではあるので、自分の過去の(アホさ加減も含めて)振り返りに使えたりする。しかし、他のブロガーたちはどうなんだろう?私の場合、自分の過去記事を読むと89%の確率で眩暈がする。

さて、本格的禁煙、もしくは真実の禁煙のその後だが、非常に好調である。この8ヶ月の間一本も吸っていない。最初の頃は、口が寂しくてならなかった。鉛筆をくわえて、ガリガリとかじってしまったこともあった。特に自分が吸う儀式と決まっていた時がつらい。起床してコーヒー飲みながらの一服とか、飯食ってすぐの一服、酒を最初の一杯を口に放り込んでからの一服。この瞬間は猛烈に吸いたくなるのでつらかった。なので喫煙所近くにわざと行って、他の人が吐き出している煙を吸っていた。今考えると、おやじの排出した息を吸っているわけで、おぞましいおぞましい。

しかし最初の3週間ぐらいを過ぎると段々と変わっていった。2ヶ月もすると、面白いことが分かってきた。

・ 喫煙所とはとても臭いものである(それまで分からなかった)
・ 電車やバスの中でタバコを吸ったばかりの人の事が分かる(匂うからね)
・ スモーカーの息はとてつもなく臭い

自分が長年吸っていたので分からなかったようであるが、どうやらタバコ、煙、吸う人間は臭いのだな。てことは自分もものすごく臭かったわけだ。しかし周囲の人間から「やめたら」的なことは言われても露骨に「臭いよ」とは言われないし、態度にも表す人はいなかった。むしろ「お前臭いんじゃー」「あなた臭いのよー」と思いっきり言われればもっと早く禁煙していたかも知れない。なぜかと言えば私を傷つけるには「臭い」と言うか「頭悪いね」と言うのが一番効果的だからである。頭悪いというのはアホやねーとバッカじゃないのという言葉とは別。

それまで自分が行動する場所における喫煙所、灰皿が置いてある場所を熟知していた。新しく行く場所があれば、まず最初に喫煙所はどこか確認していた。飛行機に乗らないといけないと決まった瞬間に「長時間タバコ吸えねえ」と憂鬱になっていた。タバコ税の増額とタバコの値段が上がることに怒りも覚えていた。嫌煙権なる言葉に自己責任という言葉で襲いかかっていた。

しかしそれら全てが過去のこと。諸行無常とはよく言ったものだ。

ただし世間の喫煙者に対しては結構優しい目で見てあげている。と、同時に高額の納税ご苦労様ですと一言かけてあげたいと思っている。また、タバコが一つの文化を作り上げたことは忘れていない。映画でもタバコが効果的に使われたケースはあるし、フランス映画はタバコがないと成立しない作品もあった。そういう意味では退廃的なモノを愛する一人としてタバコを吸わなくなったというのは一つの文化とか退廃を愛でることができないという意味で寂しい気はする。





今日の教訓がどうして思いつかないので、今日の映像


Journey into Smoke
タバコの煙を効果的に、かつ幻想的に使った映像。キレイだよ。




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『悼む人』天童荒太

2008-12-18 | books

「悼む人」天童荒太 文藝春秋 2008年(初出オール讀物2006年10月号~2008年9月号に加筆訂正)

筑摩書房顧問の松田哲夫氏をして「21世紀になって読んだ小説の中で、ベスト1だと思っています」とまで言わしめた天童荒太最新作。何しろ天童荒太なので妙な期待をすると肩すかしをくらう可能性が高い。何の期待もせず頭の中をタブラ・ラーサにして読んでみる。


坂築静人、32歳。独身。元医療機器メーカーの営業。現在、悼む人。

仕事をやめ、日本全国を巡り死者を悼む旅をしている。なぜ彼は悼むようになったのか?悼まれた人たちはどう感じるのか?彼の周囲の人間たちは何を感じるのか?

なんだなんだなんだこの本は。最初、静人が悼んでいるのを読んだときに感じた強烈な違和感。それが読み進めていく内に消え、むしろ自分も悼んでいるような、あるいは悼むことには崇高な意味があるような錯覚、もしくは納得が頭でいっぱいになる。

しかし、静人が悼めば、家族は痛む。静人が現れれば遺族は痛む。


人の死を知って冥福を祈るのは、悪いことではない。なのに度重なると責められることになる。 (82頁より引用)



段々と頁をめくっていくと、なぜ静人が悼むようになったのか、その奇怪なポーズの意味も明らかになる。最初に読者に<?>を埋め込んで、後にその疑問にゆっくりと天童荒太が答える。決して速くない。ゆっくりと。時間もゆったりと流れる。

ラスト近くになると、静人がある強迫観念に突き動かされて悼みの旅に出ていると彼自身が本音を話す箇所がある。彼は特殊なのだろうか。据膳は食わないのが恥だという強迫観念、金は使わないと損だという強迫観念、休みは充実しないとという強迫観念、1円でも安くという強迫観念、結婚しないと、子供生まないと、いい服着ないと、早く寝ないと、急がないと急がないと急がないと・・・・・・我々も百八つの強迫観念によって突き動かされているのだ。いやもっと多いか。

静人は周囲の人たちを迂遠な方法で変えてゆく。いや、悼む人はきっかけに過ぎず、変わる人は変わるべくして変わったのだろう。この本を読んでちょっとでも何かが変わった人、変わらなくても心に何かを刻んだ人は、何かを心に刻んでおける受容性を持っていて、私はそんな受容性を持った人が好きである。

小説もだいぶ進んでから、生きたまま殺された女性の過去が明らかになる箇所がある。この「悼む人」を読んでグッと来る場所は人それぞれだろう。やや特殊かも知れないが、薬中毒で売春婦だった彼女の過去が分かった瞬間、鳥肌が立った。

悼む人は果たして幸せなのだろうか?きっと幸せだろう。自分の本当にやりたいことを見つけることができた人は幸せである。そしてそれを実行している人はもっと幸せなのだから。


「・・・・・・あえてお聞きしませんでしたが、あなたは一体何を目的に歩かれているのですか」 (366頁)



静人の問いである。我問う。「あなたは一体何を目的に生きているのですか

変な賞賛かも知れないが、この小説には変数を色々と自分用に置き換えて考え・感じることができる式があちこちにばら撒かれている。ただ単に登場人物に感情移入するだけでなく、変数に自分の状況の何かを代入すれば、自分オリジナルの解を求めることができる作品である。私は割りとどんな本でもそんな読み方をするのだが、特にこの作品ではみんながそんな読み方が出来るという印象を持った。


嗚呼私も静人のような穏やかな人生を送りたいと心の底から思う。


松田哲夫氏の言葉を借りて、「21世紀になって読んだ小説の中で、最もデカイ何かが心に突き刺さって抜こうとしても抜けない小説」であると言いたい。私のような下賤な者が言うことでもないかとも思うが、もし大切な人がいたらその人へのクリスマス・プレゼントにすると良いと思う。あるいは、「この人って本当はどんな人なんだろう?私と合うんだろうか・・・」なんて思ってる時にはこの本を差し上げて読後感想を話し合ってみると、ご自分と共有できる事、ご自分との差異が分かるのではないかと、まあ思うわけである。

では、また。





悼む人
天童 荒太
文藝春秋

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本・マンガのレビューINDEX 作者の苗字があ~か~さ~た~
本・マンガのレビューINDEX 作者の苗字がな~は~ま~や~ら~わ~
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カツマーの謎

2008-12-17 | books

巷間では勝間和代がキテルらしい。AERAでも特集されてたし、書店でも山積になっている。彼女の信奉者のことはカツマーと呼ばれるそうである。ふーん。しかし、彼女の本は一冊も読んだことがない。あの手の本は基本的には身から遠ざけるようにしている。害悪ではないと思うのだが、故あって過去に山ほど読んだ経験が「役に立たない」と告げているので。いや「役に立たない」のではなく「役に立てようという気にならない」のだ。自分の人生が成功したから同じようにすればいいとのたまう人より、誰か過去の人歴史上の人はこんな生き方をしていて、私もなかなかこんな生き方はできないが、こんな生き方ってよくないですか、とのたまう人の方が信用できる。

なんてことを大きな声で言ってはならぬ。すぐそばにカツマーがいるかも知れないではないか。カツマーに目を付けられて、鞄にこっそり「起きていることは起きている」を入れられてしまうかも知れない。そんな本なかったっけ?

で、

周囲に「勝間和代って読んだことある?」ときいてみた。たぶん読んでないのは俺だけなのだろう。「虎の門でしょ?あのしゃーーって言う人。元なんだっけ?SHA-SHA?」「それは勝俣州和だろ。CHA-CHAだし」全員読んだことないとの返事。著作が130万部売れた、教祖様のご本を読んだ者がいないというこの事実。よく分からない。

よく分からない。しかし悪口は言わない方がいい。

カツマの鼻の穴はでかい。などと言わない方がいい。

周囲全員が、隠れカツマーかも知れないし。

この際、踏み絵ならぬ踏み本でもしてみようか。



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『光』三浦しをん

2008-12-16 | books

「光」三浦しをん 集英社 2008年(初出小説すばる、2006年11月号~2007年12月号に加筆・訂正)


エッセイでは大爆発を遂げる、我らが腐女子、三浦しをん。小説では変貌を遂げる。

美浜島という架空の島で、少女に執拗にせまる観光客、その者に怒りを覚える少年、父親に暴力を振るわれる少年。事件は起きる。事故は起きる。観光客は殺される。それから島を出た二人の少年と少女。逃れたはずの運命に絡め取られる人生、生活。彼らの行く手に待つのは、闇かはたまた光なのか。

ネタバレしないで説明するのがやや困難なこの「光」 純文学とミステリーの狭間にあると思った。冒頭に謎が提示されるわけではないのでコテコテのミステリーの文脈で語られるわけじゃない。しかしながら、二人の少年&少女のその後に大きな謎を読者は抱えるのが一つ、作中でまた殺人が起きるというのがもう一つ、ミステリー的な作品であると言いたくなる根拠が二つ。

なぜこのように隔靴掻痒なレビューをしているかと言うと、某友人に「本のレビューは読まない。後でその本を読むときに興を削ぐから」と言われたのがちょっとしたきっかけになっている。このブログ内で何かのレビューをするときにはネタバレすると明記していない限り、ネタバレナシなのだが、そう勝手に私がルールを定めていても、読む方がそう思うかどうか別なのだ。ので、最近(なんとなく)ネタバレを激しく避けたレビューを意識してしている(ような気がする) 後にまた路線変更するかも知れない。

さて、「光」に戻る。

三浦しをんという作家は男性の心を描写するのが実に巧い。桜庭一樹が少女の心を書くのに秀でているのと好対照である。(「ファミリーポートレイト」のレビュー) また罪に手を染めた少年少女のその後という意味で、この「光」=「ダークな『永遠の仔』」だという印象を持った。


 家族を持とうと決めたのは、人並みの暮らしをしたかったからだ。だれにも求められず、必要とされず、波間に漂うような日々を送るのはもう限界だった。つなぎとめてくれるものがないと、海の底へ引きずりこまれてしまいそうになる。 (186頁より引用)


うんうん。その気持ちよく分かる。同じような心境になったことがあるから。


 セックスがこわかった。複雑で奥深くなかなか正体を現さない心と体を持つ女を抱くのがこわかった。慎重さと観察を欠いた途端に、つながった部分から体が裏返り、快楽に逆襲されるような気がしてならない。いつからそんなふうに感じるようになったのか、なんとなくわかっている。 (204頁)


うーむ。三浦しをん恐るべし。なぜ男性の気持ちが、いや俺の気持ちをそこまで知っているのだ?などと、まるで自分だけがそう思っていて、その自分だけの気持ちをドンピシャと言い当てられた感に襲われる。


 死んだら解放される。
この無情な理に、本当はだれもが気づいている。気づかぬふりをして、まっとうに暮らしているだけだ。余裕があるから。明日死ぬことはないと信じ、愛情を信じ、罪を犯したものには罰が下されると信じ、死にも不幸にも意味があると信じる。信じるふりをして生きる。
 やつらを見るたび、反吐が出そうになる。
 あらゆるものに意味を見いだし、しかし肝心な部分で気楽に運に身を委ねる人々のことが、信之には根本の部分で理解できなかった。そこに平穏と救いを見いだす精神がわからなかった。
 意味などない。死も不幸もただの出来事だ。それらはただ、やってくる。  (232頁)


ふむ。哲学だ。思想だ。登場人物を借りた、三浦しをんの死生観がここにあるのだろうか。それともあくまでも一つの考えなのだろうか。

癒しとか救いとか明るいモノを求めない本読みにはオススメできる一冊だった。





三浦 しをん
集英社

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読みかけの本たち




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SAY SAY SAY, マイケル&ポールの演技、ジャスティン&アッシャーのダンス

2008-12-15 | music
SAY SAY SAY

マイケル・ジャクソンとポール・マッカートニーの名曲
マイケルもポールも特に好きじゃなかったんだが、このPVを見てカッコいいと思った。スティングとか明日に向かって撃てとか映画のようなPV。見たことない人必見。アーティストにPVで演技させるとダメなことがあるが、マイケル、ポールの両方の演技が巧い。歌詞の内容とPVが合ってないような気がしても気にしない気にしない。







それから20年以上の年月が経て、
SAY SAY SAY - Usher and Justin Timberlake version

ご存知ジャスティン・ティンバーレイクとアッシャーのPVにSay Say Sayの音楽を合わせたもの。上のオリジナルはダンスがないのに対してそれにダンスを付けるとこうなるという巧い例。アッシャーもジャスティンもマイケルのダンスの影響を少なからず受けていることがよく分かる。





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アキバで見かけた群集、顔面不自由妄想自由

2008-12-14 | days




久しぶりに行った秋葉原。ヨドバシカメラのすぐ横のスペースに変な臭いのする輩たちが集っていた。変な臭いがすることだけは負けていられないので、群集に参加してみる。






イメクラか?AKB48の何とかいうお嬢さんがナースの格好をしていてどうやらそれを無料で撮影できるらしい。だったら最前列に行って、匍匐前進で進んでがぶり寄って撮影せねばなるまい。

そんなわけがないが。

群集を少し引いて見てみると、みな薄ら笑いを浮かべている。そんなに嬉しいのかよかったね。あまり普段、オタクとかそれに類する人間たちとの交流もなければ、オタクが群集化したのを見かけることもない。それを見かけ、輪の最後尾についてちょっと携帯で写真なんか撮ってみても、彼らとの一体感を感じることはできない。ちょっと残念である。彼らの発する波動が我輩の波動と合わないようだ。

あまり大きな声で言わないほうがいいような気がするが、

かわいい女の子に夢中、だけど決して恋が現実化することはない、という男子。ジャニーズ男子、イケメン男子に夢中な女子。双方ともにあまり外見がイケていないように思う。私の知り合いで「男はイケメンでないとダメ」という女性は全員ブサイクだし(本当に)、ジャニーズに夢中な女子も全てブサイク。二次元の女の子に夢中な知り合いの男性はあまり今記憶にないのでブサイクと断じることはできないが(追記:思い出した。2名の二次元女子に夢中の男子は2名ともブサイクである)

これは想像の域を脱することもなく、またこうだと言い切ることもできないのだが、自分があまり美しくない・カッコよくない場合、それを相手に求めてしまうってことがあるのではなかろうか。そしてブサイクだからこそ恋愛の経験が乏しく、がゆえに、さらに妄想は加速し、そして現実の恋愛から遠ざかるのでは。ブサイクでない、もしくは特に外見にコンプレックス(フロイトの言うコンプレックスではなくて。この場合inferiority)がない場合、恋愛もそれなりに経験して、外見以外で自分が恋愛に求めるモノが分かってくるので、またさらに恋愛が現実化し、必ずしも「外見が良くなきゃダメ」などと言わないのであろう。


なんて叱られそうなことを思った。タイトルももうちょっと違うモノをと考えたのだが思いつかないし、雨降ってるからまあいいか。12月ももう半ば、みなさんはいかがお過ごしでせうか。






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