頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

あまちゃんを観た

2013-06-29 | film, drama and TV
世間から隔離された生活を送っているので全く観てなかったドラマ「あまちゃん」 面白いという声が我が右耳に届いたのは5月、左耳まで届いたのは6月。ラジオ「たまむすび」では、赤江さんも山里亮太君も観てるし、映画コーナーで映画評論家町山智浩が激賞してた。なんてこったい。回がだいぶ進んでしまったので、よし、あまちゃんが性転換してかまちゃんになってepisode2になったら観ようと思っていたら、東京に戻って来てアイドルになるらしい。じゃこっから録画して観っかと観てみた。

なんだよー。面白いじゃんか。涙目セプテンバー、空回りオクトーバー、暦の上ではディッセンバーというような小ネタの嵐。しかも小ネタの全てがツボにはまる。そしてあまちゃんがなんともキュートだ。喋り方、さっぱりとした模範的中学生のような髪型、鳩が豆鉄砲くらったような眼。

思うに、ドラマの魅力の成分は、あまちゃんのキャラ50%、小ネタ40%、ストーリー10%。 人気が出るのはよーく分かった。

今日の一曲は あまちゃんと言えば、じぇ じぇ
じぇ じぇにを じぇにを ください
ってことでダイアー・ストレイツのマネー・フォー・ナッシング



では、また。
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店名にツッコんでください68

2013-06-27 | laugh or let me die
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『狼殺し』クレイグ・トーマス

2013-06-25 | books
中学生から高校生の頃にかけて、どこに面白い本があるか教えてくれたのは「本の雑誌」だった。そこで椎名誠というそれまでに見たことのない日本語を駆使する小説家を知り、目黒考二(北上次郎)という膨大な量の本を読む人を知った。本の雑誌は目黒が発行人で椎名が編集長だった。高校から大学にかけて、自分の書く文体はシーナの影響を大きく受けて変態し、読書は北上の影響を受けて変容していった。特に冒険小説とかダメ男によるハードボイルド本はこの人にたくさん教えてもらった。北上の「冒険小説の時代」はすごく面白かったし、本の雑誌社が出したブックカタログ1000(一冊で1000冊の本を紹介。ジャンルが100あって各10冊)は私のバイブルで、何十年もかけて未読だった本を少しずつ読んでいった。

「狼殺し」はその「冒険小説の時代」で1979年のベスト冒険小説とされている作品。我が積ん読山脈ではだいぶ前に登山を始めておられるにもかかわらず、ちょっとペラペラとめくると「どうもこういうのは今読む気にならないなー」と言い訳ばかりして読まなかった。昔、指がすりむけるまでページをめくった冒険小説には飽きてしまったのか、あるいは傑作はほとんど読んでしまっただろうという勘違いのせいか。

しかし、軽いものばかり読んでいたら突然スイッチが入った。読んだというより眺めただけでまた山脈へとお戻りになったと言っても過言ではない「ハイペリオン」とどっちにしようかと思って山脈をめくったら、「ハイペリオン(下)」と「ハイペリオンの没落(上)」と(下)はあるのに、「ハイペリオン(上)」がないというまさかの事態。よくひとに本を貸したりする(相手はもらったと思っている可能性あり)ので、それで紛失したのか。

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んなわけで「狼殺し」を読むことにした。

1944年、ナチス支配下のパリ。レジスタンスの蜂起を助けるために送られた英国の情報部員がゲシュタポに逮捕され拷問を受けた後に何者かに殺されそうになった。何とか生き延びた男は凄腕の殺し屋だった。それから19年の月日が経つ。彼は弁護士をしていた。旅先で見かけた男は自分を殺そうとした奴だった!記憶が蘇った。復讐せねば…

うーむ。うーむ。

強烈な復習譚、そして冷戦真っ盛りの時代のパワーゲーム、クレイグ・トーマスらしい苦味の効いた人物造形、そしてプロット。全てが光る。

新刊では買えないようだ。Amazonの中古か図書館か古書店なら手に入るだろう。Amazonのマーケットプレイスでは1円(+送料250円)で売っている。

今日の一曲

Barbee Boysで「泣いたままでlisten to me」



昔、CDが擦り減るほど聴いたけれどやっぱりいい。泣いたままでは復讐はできないぜっていうことで。

では、また。

「狼殺し」クレイグ・トーマス 1979年 河出書房
Wolfsbane, Craig Thomas 1978
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『一億総ツッコミ時代』槙田雄司(マキタスポーツ)

2013-06-23 | books
例えばYouTube例えばニコニコ動画例えば2ちゃんねる。他人の歌に、他人の容姿に、他人の発言にツッコむ人があまりにも多い。ツッコむツッコむ。アロットオブツッコミの世界。ツッコミだらけの世界は見ていて面白くないし苦しくなる。瞬間的にサッと反応してツッコミを入れるだけで終わり。そんなサッパリ(?)した人たちが急増してるのかなーなんて思っていた時に読んだこれ。

オフィス北野所属の芸人で、「みんなエスパーだよ」という驚異的なドラマではシーホースのマスター役で出ているマキタスポーツ。(このドラマについて語り始めると長くなりそうなので割愛。自分が15歳だったら録画して一日に6回は観ると思う。)作詞作曲ものまねの巧さと歌そのものの巧さもあって、水道橋博士に「才能が渋滞している」とまで言われた男マキタが本名で書いたのがこれ。

一人でインドに行くという人と、それに対して「インドかよ」とツッコむだけの人。どっちが幸せになれるのかという幸福論としても読めるし、なんで今の日本はこんなんやねんという現代日本論としても読める。読書会のような何人かで本を読む会で使って、自分の議論を回すネタとして使ったりすると面白いんではないかと思う。読みやすく、すごく「考えさせる度」の高い本だと思う。書いていることが全て正しいから鵜呑みにできるんだと、考えさせてくれないけれど。

彼の言う通り、ツッコんでるひまがあったらボケている方がずっといい。8千万人ボケ+1千万人ツッコミ+3千万意識不明社会ぐらいがちょうどいいのかも。

今日の一曲は、そのマキタスポーツ

作詞作曲をオリジナルにしつつ誰かのものまねをするという高度なわざ。



こんなことができるし、こんな本も書いてる。確かに才能が渋滞してる。

では、また。

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『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』村上春樹

2013-06-21 | books
多崎つくる、36歳、鉄道会社勤務。ガールフレンドは沙羅、38歳。彼女に高校時代のことを話した。仲の良い男3人女2人のグループの中にいて、とても幸運だった。自分一人だけ東京の大学に進んだ。進学してもいい付き合いを続けていたのに、大学二年のときにグループからの絶交宣言を言い渡された。それからの虚無な日々。16年の年月が経過し、沙羅に、4人にどうして絶交を言い渡したのかその理由を尋ねるべきだと言われた。そしてその4人に会いに行く、という話。

読中、そして読後、どう感想を書けばよいのかずっと分からなかった。そして今も。面白かった。すごく楽しめた。それだけは言える。

村上作品は長編しか読んでない。(基本的に私は長編原理主義者で、短編はほんの少ししか読まない。今までで読んだエンターテイメント書籍では、長編が98パーセント短篇は2パーセントぐらいじゃないだろうか。あくまでも体感。)比較的抽象的な表現が多かったように思うのだけれど、1Q84では具体的な世界が私には分かりやすかった。本作はそれ以上に具体的で分かりやすい。抽象的な世界は、場合によっては苦手なので、私にとっては悪くないのだけれど、作品の価値を上昇させているかというとよく分からない。

小説は、抽象的な世界や表現を使用したものは後で再読したくなる可能性があるのだけれど、ミステリーのように具体的な世界で、具体的な結末を読むものは、あまり2回読みたいという気にならない。「D坂の殺人事件」とか「八つ墓村」のように子供の頃に読んだものは、別なのでまた読んでみたいけれど、東野圭吾作品のようなものは再読には向かない。

再読したくなる=良い本 などということはないし、所詮エンターテイメントなんだから、新幹線に乗る前に買って車内で読んで新大阪で捨てる、でもよいわけである。ただ、自分の残りの時間を考えると、段々、読み捨てのような本は段々避ける傾向になってきた。軽く読める=読み捨て という意味でもないので、軽い本も読むけれど、内容な薄い本はなるべくやめたい。

この「多崎つくる」は、発売のときにすごい騒ぎになったけれど、従来の村上作品と同様に楽しめるものであって、それらよりずっと上であるとも下であるとも思わない。こんなにグイグイ読めてしまうと、村上作品じゃないような気がしなくも…

あちこちに考えさせてくれる表現がある。

「失礼なことを言うようですが、限定して興味を持てる対象がこの人生でひとつでも見つかれば、それはもう立派な達成じゃないですか」(53頁より引用)

「枠に対する敬意と憎悪。人生における重要なものごとというのは常に二義的なものです」(68頁より引用)

世界はそんなに簡単にでんぐり返しなんかしません、と灰田は答えた。でんぐり返るのは人間の方です。そんなものを見逃したところで惜しくはありません。(76頁より引用)

灰田という大学生のエピソードと彼の父親が温泉地で会った緑川というピアニストのエピソードが心のどっかに引っ掛かる。これを読みたくて再読するかも知れない。ドラマだったら、このキャラを使ってスピンオフ作品を作って欲しいぐらい好きだ。でも村上作品は映像化に向かないかなー。抽象的なのが良いんではないだろうか。

「あなたはナイーブな傷つきやすい少年としてでなく、一人の自立したプロフェショナルとして、過去と正面から向き合わなくてはいけない。自分が見たいものを見るのではなく、見なくてはならないものを見るのよ」(106頁より引用)

「事実というのは砂に埋もれた都市のようなものだ。時間が経てば経つほど砂がますます深くなっていく場合もあるし、時間の経過とともに砂が吹き払われ、その姿が明らかにされていく場合もある」(192頁より引用)

過去は男の毛のようなものだ。年月とともに薄くなる部分があり、そして濃くなる部分がある。なんつって。

では、また。

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『愛に乱暴』吉田修一

2013-06-19 | books
1.誰か、他人の夫と付き合っている女Aの日記
2.女Bの、うまくいっているとは言い難い夫との生活を第三者から描写
3.女Bの日記
という3種類がワンセットで各章に配置された、結婚小説というカテゴリーに入れてしまっていいのか悩む、ありそうでなかった小説。

うーむ。巧い。さすが吉田秀逸。間違えた吉田修一。奥田英朗の放つ毒をホームドラマに溶かし込んで、鋭く尖ったナイフでかき回したようだ。

夫婦の情景が妙にリアルだ。リアルすぎて突き刺さる。すぐに大きな事件が続発するとうわけでものないのに、ボディブローを少しずつ何度ももらっているようで、後になって効いてくる。

妻という立場から描いている様はちょっと昼ドラに近い印象を持つ。しかし昼ドラの好きな人たちの鑑賞には耐えられそうにない何かがある。そこがいい。

夫が不倫をしているのが判明してという辺りはお決まりのパターン。しかし読み進めていくと、大きな仕掛けがある。ネタバレしてしまっては面白くないので書かないけれど、驚いたし、唸ってしまった。自分の読み方が間違っていたのかと、最初から読み直してしまったほどだ。

ホームドラマに結婚小説とキツイ毒を流し込み、ひねりというパウダーをふりかけて一人の女の内面を深く掘り下げて意識を描く小説となった。

面白かったので、二種類のレビューを書いてしまった。これは後に書いた方。私はなんてヒマなんだろうか。

今日の一曲

佐野元春で「Young Bloods」



結婚していても、一人ぼっちでいるような、そんな夜にさよなら、と解釈できなくもない。小説の中では、誰が「愛に乱暴」だったのだろうか。

では、また。

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『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』(「セックスはなぜ楽しいか」改題)ジャレド・ダイアモンド

2013-06-17 | books
「銃、病原菌、鉄」の著者による。単行本のときはタイトルがナニだったし、表紙もピンク色を使っていたので電車内で読むのはナニだった。

セックスがなぜ楽しいのかというタイトルは、どうすればもっとセックスを楽しめるのかというハウツー本だと期待してしまうが、全然違った。

1年中発情している不思議な生き物、閉経という非合理的なシステムを持つ生き物、いつが排卵かオスには分からないようになっている奇妙な生き物。人類が性において他の動物と違っているか、そしてそれはなぜなのかを科学的に考えていくという極めてアカデミックな本。

やっぱりこういう本は愉しい。なぜ自分たちがこういう行動をするのか考えてみるというのは非常に知的に震える作業だし、人間と他の生き物の相違を知ることは、人間とは何かという永遠のテーマに近づく一つの方法だし。

今日の一曲

口口口(クチロロ)の「ヒップホップの初期衝動」



ヒップホップは必ずしも好みの音楽ジャンルではないのだけれど、これは例外。人類の初期衝動はなんだ?性の初期衝動はなんだ?

では、また。

「人間の性はなぜ奇妙に進化したのか」(「セックスはなぜ楽しいか」改題)ジャレド・ダイアモンド 草思社 2013年
Why is sex fun?, Jared Diamond 1997

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『一枝の桜 日本人とはなにか』フセワロード・オフチンニコフ

2013-06-15 | books
電車に乗って立っていると、何も言わずに肘で背中をぐいと押して降りようとする者たち。よほど凶悪な顔をしているのかと見ると、善良そうな顔をしている。どうして「すみません」とひとことが言えないのか。

と特に最近思うことが多いなーと思っていたら、50年も前に日本にいたソ連人新聞記者が同じようなことを思っていた。

知り合いにはお辞儀をして非常に礼儀正しいのに、車内では乳飲み子を抱えた母親を押しのける日本人の矛盾を理解するのが難しいと書いている。いやいや、50年後の日本に生きる私にも難しい。

劇作家の鴻上尚史氏が、「世間」と「社会」を区別する日本人という言い方をしていた。知り合いが車内にいればそこは「世間」だから、そんなことはしないのに、知り合いがいなければそこは「社会」なので平気で化粧ができるのだと。車内で化粧をすること自体はすごく悪い事だとは思っていないので、その是非については置いておくとして、そして「世間と社会」という言葉の使い方もなんだか変な感じがしないでもないけれどもそれも置いておいて(世間と社会という区別は面白いと思う)、なぜこういう区別をするのだろうかと前からずっと頭を絞っているのだけれど「なぜ」については結局よく分からなかった。それについて本書からちょっと考えるヒントを貰った。

本書はソ連のプラウダで1953年から59年まで北京特派員、62年から68年まで東京の特派員をしていた筆者の書いた、日本人てどう人たちなのか論。

ルース・ベネディクトの「菊と刀」が日本に来たことのない者による秀逸な日本人論だとすれば、本書は日本に住んだ外国人による秀逸な日本人論。故米原万里さんがどこかで薦めていたと記憶している。

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6年という年月は長いと言えば長いし、その国を理解するのに短いと言えば短い。例えば、私がフィンランドに6年住むことがあったとして、これだけ広くて深い洞察ができそうにはない。

茶の湯、料理、義理、家父長制、家屋…その他本当に色々な事が書いてある。政治のようなややこしいことは冷戦まっさかりのこの時期にソ連では発表できなかったのだろうか、うまく回避してある。

日本を妙に持ち上げる日本人論でもなく、だからと言って批判的に見るわけでもない、筆者のフラットでフェアな人柄がうかがえる。

さっきのフィンランドの例で言えば、フィンランド人はどういう人たちか日本で紹介するとすれば、「日本の事を」よく知らないと紹介できない。読む人は日本という比較対象を持って理解するわけだし、日本を知っているからこそ、それとは違うフィンランドの姿を認識できるのだろう。

例えば、キリスト教ってどういう宗教なのか説明するということはキリスト教自体をただ知ればよいというものでもなく、仏教はこういう宗教でイスラム教はこうということを知った上で比較しておくと、その説明は説得力があるものになる。ってことなのだろう。

などとどんどん脱線してしまった。脱線させてくれるのも、いとをかし&ありがたし。

今日の一曲

ORIGINAL LOVEで「接吻」



以前よく夜中に浴室で歌ったものだ。桜の花の残る一枝の下で、君と接吻してみたい。なんつって。
では、また。

「一枝の桜 日本人とはなにか」フセワロード・オフチンニコフ 中公文庫 2009年(単行本読売新聞社1971年)

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『私の旅に何をする。』宮田珠己

2013-06-13 | books
ずっと前から気になっていたのだけれど、脱力具合がまだ俺には早い。こんなものに手を出してはならぬと思っていた宮田珠己ことタマキング。

ついに禁断の果実を口にしてしまった。脱力系&爆笑系旅エッセイ。(爆笑系があるのなら、苦笑系とか嘲笑系があるということになるけど気にしない)

サラリーマン時代の私は、年三回の大型連休には必ず有給をくっつけてぐいぐい引き延ばし、いつも海外旅行にばかり出掛けては、上司に「たいした根性だ」とスポーツマンのようによく褒められた。幸運にも私の上司はできた人で、私がいくら休もうが黙って旅行に行かせてくれた。帰って来てお土産を渡しても廊下で挨拶してもまだ黙っていたほどだ。(10頁より引用)

うまいっ。

すごく好きな箇所はこれ。ヒマラヤトレッキングでは洗面器のお湯一杯だけでシャワーの代わりにしないといけない。

たとえお湯があっても夜中は寒いので、なるべくなら太陽の出てる時間帯に、光を浴びながら体を洗いたい。しかも優先順位をつけるなら髪に次いで洗いたいのは、断然やはり私の魅力な股間であり、まあ魅力的かどうかは判断の分かれるところだけれども、せっかくお湯を買った以上は、頭や手足だけでなくて股間にも何とかアクセスしたいところである。しかし宿に個室はなく、昼間しかも日のさんさんと当たる場所で、ということになると魅力的な股間問題は意外と重要なのだ。(30頁より引用)

ただ単に股間を洗いたいということを、言い方を変えるだけで全然違うことに変えてしまう。電車の中で吹き出してしまった。

旅における失敗が基本的に話の中心になるのだが、読者としては

1.基本的に自分の旅情報としては役に立たない。
2.基本的にそこへ行きたくなる気にはさせない。
3.基本的に笑える。

基本的に、笑えるエッセイのネタがたまたま旅になっているという感じすらする。笑えるもの、ネタそのものよりも駆使する言葉の巧さによりものだと思う。

それでは、本文が少なめの時に登場する、今日の一曲

最近一過性脳虚血症との報道があった飛鳥涼=ASKA。葛城ユキの「ボヘミアン」は実は彼の作詞だったそうだ。そのASKAが歌う「ボヘミアン」



ASAKA特有のうねるような声の使い方。ええ。じつにええ。一応、ボヘミアンと旅人は似てるかなということで。

では、また。

「私の旅に何をする。」宮田珠己 幻冬舎文庫 2007年(単行本旅行人2000年)

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『わが盲想』モハメド・オマル・アブディン

2013-06-11 | books
スーダンで1978年に生まれた青年アブディンは、網膜色素変性症でほぼ視覚を失っていた。大学の法学部に籍はあったものの内戦のために大学は閉鎖されていた。そんなときに耳にした日本への留学の話。試験に合格すれば日本の盲学校に入り鍼灸の勉強ができるというのだ。日本に興味があったわけでもなく鍼灸に興味があったわけでもないのに、なぜか合格しやって来た最果ての国、日本。難しすぎる日本語、点字、学科の勉強、日々の暮らし… 目の見えないアフリカ人が日本で猛勉強しながらのし上がっていくどっかで読んだことのあるストーリーかというわけでもなく…

あらすじだけを見ると、アフリカ人アブディンを日本人に置き換えれば、乙武君の「五体不満足」や大平さんの「だから、あなたも生き抜いて」(どっちも古いなー)のような、強烈な苦労話と同じような感じがしてしまう。

確かに、苦労話はあるものの、独特のユーモアと率直すぎる描写と自己分析がある。それによって「日本における外国人サクセスストーリーに見せかけた、考えさせられることの多い日本人論+すごーく笑える自叙伝エッセイ」になった。いや、おいおい、こいついったいこの先どうなるんだというドキドキ感が加わるので、「+アブなくない冒険小説」もプラスしておこう。

盲目の彼がどうやって執筆しているか、どんな顔をした人なのかは、以下のインタビュー動画で。



このアブディンのことは高野秀行氏の「異国トーキョー漂流記」で以前読んだ。目が見えないアフリカ人がラジオで野球を知りそして広島カープのファンになったとのこと。(私も広島カープのファンであるという共通点がある。やはりいい男というのは万国共通の…)

彼は必ずしも頑張り屋というわけではなく、サボり度の高い男であるともきちんと描かれる。(イスラム教徒のくせに、酒飲みやがった…この辺りも私と共通…)

「わが妄想」というタイトルがすごくうまい。あと10年もしないうちに重松清とかあさのあつこの「バッテリー」のような教科書に載るのではないかと(そんなことはないと思うけど)思うほど、いつまでたっても面白いと思える普遍性がある。

読みやすさと都合の悪いことを隠さない率直さ、そして何より自分の内面にをじっくりと迫った描写力によって、ここ10年読んだエッセイの中ではナンバーワンクラス、今年上半期に読んだ本全体の中でもベスト級だと思う。

では、また。

「わが盲想」モハメド・オマル・アブディン ポプラ社 2013年

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『荒地の恋』ねじめ正一

2013-06-10 | books
結婚した。子供もできた。しかし好きな人ができた。しかも相手は長年の親友の妻(もしくは夫)  だったらどうする?

1.そんな浮気心はTempフォルダに入れて二度見返さない。
2.即離婚してその人と一緒になる。
3.あくまでも「純愛」気分でその人との交友を続ける。
4.バレないように不倫をする。
5.バレても構わず不倫を続ける。

北村太郎という詩人をご存知だろうか?私は詩は読まないので知らないのだが、エリック・アンブラーの「あるスパイの墓碑銘」とか、大好きだったトレヴェニアンの「夢果つる街」、一時夢中になって読んだ小児精神科医のアレックス・デラウェア・シリーズの「大きな枝が折れる時」の訳者としてならよく知っている。心地良い日本語を駆使する人だった。

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先日、朝日新聞でこの荒地の紹介がされていたのだけれど全く知らない本だった。読んでみたらドップリとずぶずぶと浸かってしまった。

北村は親友の詩人、田村隆一の妻明子と、他人から後ろ指をさされるような関係となる。二人がどんな風になっていくのか、巻き込まれた周囲がどんな迷惑を被るのか、そんな話である。ドキュメントなのかよく分からないのだが、もし出鱈目だったら遺族に訴えられるような、猛烈なリアリティがある。

泥沼という言葉がよく使われるけれど、そのレベルを通り越して、汚れ、腐り、臭いを放つ。そんな姿がそこにはある。

不倫そのものは善でも悪でもない、と思う。それよりむしろ、不倫を通して、その人の内面の奥の方に隠れている真実のマグマが噴出するのではないかと思う。こんな例はどうだろうか。仮に、私の知り合いで不倫している人がいるとして。この本を読んだ後に、こんな人が現実にいるような気がしてきた。私の妄想にしばらくお付き合いくだされ。

彼(もしくは彼女)は「自分のしている事は不倫ではない。配偶者とは家庭内別居状態であるから、不倫ではない」と言うのだ。「じゃ何なのか?」と尋ねれば「純愛だ」と答える。ほー。その人は自分が結婚に失敗したからか「結婚というシステムには問題がある」と言う。ほほー。結婚という失敗から何を学んだかと尋ねれば、何も答えない。何も学んでいないらしい。ほーほー。その人がどんな人なのか分かってきたような気がするよ、ワトソン君。

結婚とか不倫というような「事件」はその人の本質を浮き彫りにする。何が浮き彫りになったか、勝手に想像してみよう。この例の場合、「自分のしていることはピュアでキレイなことだ」と信じる、自分ピュア教信者による自己正当化を得意技にしているということが分かる。二つ目の得意技は、不幸の原因は決して自分の内側にはない思う、不幸原因のアウトソーシング化だ。三つ目は、経験したことを教訓として次に生かそうとはしない、言い換えれば、宵越しの金は持たない、ちょっと小粋な熊さん八っつぁん的な刹那な生き方と言ってもいいし、自分には学ぶべき事などこの世に存在しないという自称カリスマな姿勢と言ってもいい。こんな風に、その人の外側には決して現れたことのなかった内的得意技が、事件によってむき出しにされちゃうわけである。そういう意味では、不倫は善悪の次元とは別に、その人の本質が見える機会でもあるわけだ。分かるかね、ワトソン君?え?強引すぎるって?いいではないか。言わば、舗装されたところを走っていれば永遠にめくれることのない秘めた部分が、荒地を走ったらめくれてしまった、というわけだ。

こんな風に妄想と空想に耽ってしまうほどにこの本のパワーは強いのだ。第三者から見れば、ユーモラスな現象が当事者から見ればどんな事件なのか、この本が色々と伝えてくれる。本書を読んで、だったら恋愛も結婚もやめようと思うこともあるだろう。読んで、だったら不倫も浮気もやめようと思うのも一つのリアクションだろう。しかし、読んで、こんなに楽しいものなら自分もぜひ結婚してみようそして不倫してみようという気にはなる人はほとんどいないだろう。浮気という甘い果実に対する食欲を完全に消滅させる、猛毒のようだ。(「荒地の恋」という名の猛毒を喰らい、自分をむき出しにし、そして人間をとことんまで知りたいと願う究極の冒険者のみが結婚と不倫という新たなる地平線へと向かうのだ。)

ずっと積ん読山脈の藪の中から出ては消えていた島尾敏雄の「死の棘」を取り出してきた。浮気を知って妻の頭がおかしくなってゆく様を描いた地獄のような私小説(らしい) 今までに何度となくペラペラめくっていたのだけれど、延々と暗くジメジメした描写が続くので数頁以上読んだことがなかったのだ。

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毒を食らわば皿までなのだろうか。荒地を読んだら急にこっちを読みたくなった。

あそうそう。忘れていた。北村は最初の選択肢から4と5を選ぶのだけれど、それだけでは話は終わらない。その先が面白いのだよ。

では、また。

「荒地の恋」ねじめ正一 文藝春秋社 2007年(初出オール讀物2003年~2007年)

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『E=mc2 世界一有名な方程式の「伝記」』デイヴィッド・ボダニス

2013-06-09 | books
もう一度読みたくなって久しぶりに再読。

かつてキャメロン・ディアスが何か知りたいことがあるかと尋ねられ、E=mc2がいったい何を意味するのか知りたいと答えたそう。

アインシュタインの相対性理論と合わせてよく言われるこの方程式はどういう意味なのだろうか?以前の物理学、以後の物理学、放射能を発する物質が発見された当時の話、原爆が作られる前後のことなど、数式を使わないで歴史を書くような形式で教えてくれる。

この本の後もアインシュタイン物理学に関する解説書は何冊か読んだけれど、この本の与えてくれた衝撃はなかなか上回らない。

原爆は実は第二次大戦中にアメリカより先にドイツで作られそうになっていたそうだ。その情報を入手した英国は、原爆製造に必要な重水をノルウェーで作っていることが分かったので、そこを爆破した。それでドイツの原爆製造は遅れ、敗戦に至った。もし、ドイツが重水製造を、警備が厳重なドイツ国内でやっていれば、原爆を最初に手にしていたのはドイツだったということになる。歴史に、「たら・れば」は禁物だと言う人もいるけれど、「もしドイツが原爆を手にしていたら」第二次大戦はどうなっていたのか(その後の世界秩序はどうなっていたか)と想像するのはなかなか楽しい。(ナチスの勝利を前提とした小説だと、フィリップ・K・ディックの「高い城の男」とかロバート・ハリスの「ファーザーランド」を思い出す)

理系のことだけじゃない他のエピソードも書いてある、数式が苦手な私のような純粋文系に特にオススメしたい、アインシュタイン物理学入門+原爆ってなんやねん本。

この本とは関係のない今日の一曲

かせきさいだぁ 「CIDERが止まらない」 曲じゃなくて、PV内の平岩紙がいい。特に美人でもなくスタイルがいいというわけでもないのに、なぜかいい。



では、また。

「E=mc2 世界一有名な方程式の「伝記」」デイヴィッド・ボダニス 早川書房 2005年
A Biography of the World's Most Famous Equation, David Bodanis 2000

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『幻獣ムベンベを追え』高野秀行

2013-06-07 | books
孤高の(誰も後に続こうと思わない)辺境ライター、高野秀行のデビュー作。それは早稲田の探検部の一員としてコンゴ人民共和国のテレ湖にいるという首の長い恐竜のような獣ムベンベを探しに行くというもの。

真剣なのに笑えて、笑えるのに深刻で、深刻なのにホロッとする。

例えばこの探検をテレビで放送したとするとそれにはもちろん面白みはあるのだろうけれど、たぶんそこでは描かれない、テキストでしか表現できない妙な臨場感がこの本にはある。

高野の著作はそれが顕著だけれど、他の探検ノンフィクションや冒険小説など、あるいは書籍全般には、テレビで見るよりもずっとリアルに感じられたりする何かがある。その何かに魅せられて私は本を読み続けているのだ

メディアとしてのテレビは特に報道においては、「映像がないのなら報道できない」という難点がある。活字メディアにはそういう面がないから、テレビ的な分かりやすさはない代わりに、昔ながらの良さがある。

本書に戻ると、文庫解説は宮部みゆきさんが書いていて、この文章がすごくいい。これを読んだら絶対本文が読みたいと思ってしまった。

その中で、宮部さんは高野たちのことを「心に半ズボンをはいていて」と表現している。うまいなー。

そう言えば私もついこの間まで、心に半ズボンを履いて、ぐいっと股間に食い込ませていたはずだ。しかし気づいたら裾が伸びて、七分丈になっていた。おおサブリナパンツ。老成とはこのことか。こころの長ズボンとは老いることなのか。

今日からわが心のサブリナパンツの裾をせっせと切って、せめて心中だけでも半ズボンを履いていたいものだ。実際に履いたら寒いから。

雑談ばかりになってしまったけれど、ばかばかしい真剣味、という高野の真骨頂は処女作から全開だった。

では、また。

「幻獣ムベンベを追え」高野秀行 集英社文庫 2002年(単行本「幻の獣・ムベンベを追え」早稲田大学探検部 PHP研究所 1989年)

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本の宣伝動画

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店名にツッコんでください67

2013-06-06 | laugh or let me die
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『エロスのお作法』壇蜜

2013-06-05 | books
デートの時やら合コン、婚活の時にすごくファッションで頑張ってしまう人たちがいるけれど、どうせ服は脱いでしまうもの。そしてその頑張りファッションをずっと彼の前で続けていけるわけじゃないのだから、65パーセントぐらいで充分。男性はそんなに服装に注目しているわけじゃないし。と説く壇蜜。

思わず、本に頭突きをくらわしてしまった。頷きすぎて。

健康診断があると、その直前だけ頑張ってダイエットするという私にはヨクワカラナイ人たちがいるけれど、壇蜜先生がおっしゃる「その時だけ頑張る症候群」という意味では共通するものを感じる。いや、ちょっと違うか?

 男性にはラメよりふくらみと説く。キラキラした服よりも、ハイネックなど体の形が分かりやすい服の方が男性は好きだと。

確かに。

 現代の、若い女性もそうでない女性もひっくるめたジャパン全体の女性像のアンチテーゼのような壇蜜の説く、男性論+女性はこうある方がモテる+こうある方が楽に生きられる論。意外なほど面白かった。

 


本とは全く無関係の今日の一曲

レキシで「狩りから稲作へ」



2年ぐらい前にラジオでライムスター宇多丸氏が面白いと語っていた曲。のことをすっかり忘れていて今頃聴いたら、すっかりハマってしまった。

では、また。

 
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