頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊成

2013-12-30 | books
力道山と木村政彦のプロレス対決をご存じだろうか。

1954年12月22日、史上最強の柔道家で後にプロレスに転じた木村政彦と相撲出身で人気プロレスラー力道山の世紀の対決。テレビ視聴率もラジオ聴取率もほぼ100パーセント。日本国民が固唾を飲んで注目した日。



プロレスという「ショー」を見せていたはずなのに、突如としてキレた力道山による右ストレート、掌底、そしてサッカーボールキック。木村は失神しKO負け。

この木村の人生の外に見えるもの全てを振り返り、そして力道山を殺そうと思うまでに至る彼の内面に迫る壮絶なドキュメント。

読中読後、何度ため息をついたことか。

木村が人類史上最も強い柔道家らしいとは聞いていた。現役時代なら山下よりも井上康生でも全く歯が立たないとか。そんな最強の男はどうやって出来上がったのか。師匠の牛島辰熊(牛+辰+熊 どんだけアニマルな名前なんだ)との出会い。1日10時間の練習。戦前からの不敗記録。立ち技だけじゃなく寝技に強い。寝技一直線「七帝柔道記」で描かれた高専柔道の世界。

そして思想のある牛島と思想のない木村の対比。利用できる人間なら誰でも利用し、利用できなくなれば乗り換える、ビジネスマンであった力道山と、ただ強い柔道がしたいだけだった少年だった木村との対比。

空手やボクシング、サンボなど他の格闘技を取り入れて練習する、現代の総合格闘技と同様のものを何十年も前に考えていた木村。その先見性。しかし力道山のように大物に取り入る「知恵」がなかったので金には縁がなかった。その先見性のなさ。一人の男の伝記として、これを上回るものに今後出会えるであろうかと思うほどの傑作だった。ロバート・ホワイティングの「東京アンダーグラウンド」で描かれたの似た昭和裏面史としても抜群に面白い。

グレイシー一族をご存じだろうか。総合格闘技PRIDEやDYNAMITE!で高田延彦や桜庭一志、吉田秀彦たちと死闘を繰り広げた。ヒクソン・グレイシーやホイス、ホイラーの父がエリオ・グレイシー。ブラジルワールドカップのために1950年に建設されたマラカナンスタジアムは20万人収容できる。そこで1951年に木村と闘った。



冒頭の大外刈りの切れ味。亡くなった現在でもグレイシー一族にリスペクトされる木村。それが力道山との闘いでは… いったい何があったのか。書かれているのが本書だ。

では、また。

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『終わりの感覚』ジュリアン・バーンズ

2013-12-28 | books
私はトニー。仕事はもう引退している。離婚した妻マーガレットとはいまだに会う。娘スージーとも仲良くやっている。そんな私の所に、弁護士から手紙が来た。大学生の頃に付き合っていたベロニカの母親が亡くなり、彼女が私に遺したものがあるのだそうだ。それは500ポンドと、自殺したエイドリアンの日記だと言う。エイドリアンとは、私が高校時代仲良くしてた友達で、ベロニカは私と別れた後に彼と付き合っていた。しかし、なぜエイドリアンの日記がベロニカの母親のところにあるのか。そしてなぜ私のもとに遺されたのか。記憶をめぐる旅の果てに待っているものは…

純文学とミステリの狭間にあるような作品で、あまり好んで読まなかった種類。しかししかし食わず嫌いはいけない。こんな好物を逃すところだった。

必ずしも小説とは、登場人物に共感できるものでなくてもよい派の私なのだが(先日、共感できないと読めないとおっしゃる共感原理主義者の人と話す機会があったのだが、その人は小説だけじゃなく、人間関係においても「共感」を求めると同時に「自分を肯定して欲しい感」満載だった。) この作品では、何のためらいもなく、主人公兼語り部のトニーに感情移入できたし、トニーのした悪い事にも良い事にも、まるで自分がしたことのような感覚を持った。

人生を振り返るということはときに苦くときに甘い。その苦さと甘さが、濃いコーヒーと甘いガトーショコラを同時に味わう時のようななんともふくよかな味がする

歴史とは、不完全な記憶が文書の不備と出会うところに生まれる確信である。

恋愛とは、不完全な記憶が判断力の不備と出会うところに生まれる確信である。はどうでしょう?

結婚とは、デザートを最初に食べたあとにつづく長く退屈な食事 - そんなことを言ったイギリス人がいたが、斜に構えすぎていると思う。

毎日のように同じものを食べてそして飽きてしまい、もっと他のものが出て来ないのかと待っているときにしているのが結婚「ごっこ」であって、毎日同じものを食べているはずなのに特に飽きないときにしているのが結婚である。これはどうですか?

この世には二種類の女がいる、とマーガレットはよく言っていた。輪郭がシャープな女とファジーな女。男が女を見るとき真っ先に気づくのがそれで、それによってその女に惹かれるかどうかが決まる。

あくまでも精神的にシャープかファジーかという話。これはなかなか深いものがある。自分はファジーな人がいいと思っていたとして、その気持ちを永遠に続けられるのならその人は幸せになれるだろう。問題は今はファジーがいいと思ってそういう相手を選んだのに、後になったらシャープな人がよかった、などと思うことなのである。諸行無常 南無南無

誰かが「あの人は美人だよね」というとき、その意味はたいてい「昔は美人だった」という過去形だったが

ううん。これはある意味正しいような気がする。

これが、若さと老いの違いの一つかもしれない。若いときは自分の将来をさまざまに思い描く。年をとると、他人の過去をあれこれと書き替えてみる。

これは、この小説のテーマの一つなので多くは語らない。しかしラストの衝撃は、ミステリの傑作として心に残る。

今日の一曲

タイトルは「終わりの感覚」 小説の内容から、何が終わったのだろうとずっと考えていた。そうだ。若き日のイノセンスだ。元イーグルスのドン・ヘンリーがソロになってから発表した曲には好きな曲が多い。「ジ・エンド・オブ・イノセンス」



歌詞もすごくいい。作詞はドン・ヘンリーで作曲はブルース・ホーンズビーだったとは知らなかった。深夜なのにあれこれと、昔のイーグルスの映像に魅入って、いや見入ってしまった。

では、また。

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『捨てる女』内澤旬子

2013-12-27 | books
「飼い喰い」は、こんなことする人ホントにいるんだなーと驚くやら感心するやらのドキュメントだった。そんな著者が「本の雑誌」で連載してたエッセイをまとめたもの。

彼女がひたすらに捨てられないものの数々。特に本が膨大な数になってしまい生活のスペースを圧迫する。内澤は「捨てる女」になれるのか。

千駄木のマンションに住み、10年以上前に梅酒から引き上げた梅をガラス瓶に入れたまま室温で戸棚に転がしていた。何やらおかしな色になっている。

蓋は黒い飴状になった梅酒のエキスで、なかなか開きませんでした。なんとか開けて、恐る恐る匂いを嗅いでみる。むぅ。正常な梅酒の匂い。どーしよう。しかしもうこれ以上育ててはいけない。文京区の地価はいくらだと思ってるんですか。有効活用すべきではないんですか??と、あたしの中の蓮舫議員が白い歯を光らせて叫ぶ。あああー。彼女ん家の冷蔵庫はきっと綺麗なんだろうなあ。

なんて表現があちこちにあって楽しい。

物を溜める女と無情にも捨てる女。どっちが魅力的なんだろうかなどとどうでもいいことを思った。

今日の一曲

捨てる女。捨てられた女で考えてみたのだけれどいいのが思いつかない。捨てる女…俺を捨てる女… Phil CollinsでAgainst All Odds



フラれ男の女々しい唄なのに、これが何とも寒空に染みる。

では、また。

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『とっぴんぱらりの風太郎』万城目学

2013-12-25 | books
伊賀の忍者だった風太郎。忍者ではいられなくなり京都で無為の日々を過ごしていた。やって来たのはかつての仲間の忍者だった黒弓。気がつけば瓢箪を運び、瓢箪を育てる仕事をしていた。すると、瓢箪の中から…が出て来た。時は江戸の初期。家康は幕府を開いた。しかし秀吉の遺児、秀頼はまだ大阪城にいる。言いがかりをつけて何とか持ち込んだ、大坂冬の陣、夏の陣。風太郎は、失業忍者から仕事復帰へ。風太郎が見た、戦とは。風太郎はどう戦と関わっていくのか…

うぅ。分厚い。700頁以上ある。最初は軽妙な忍者ものぐらいに思っていたら、意外と深く、引き込まれてしまった。

ねね様は俺の茶碗を静かに引き取った。
「でんかはな、茶をやったことのない者を前触れなく、茶室に招くのが好きじゃった。そこでの相手の振る舞いを見たのじゃ。誰も最初はやり方などわからぬ。そのわからぬことを素直に表情に見せる者、わかったふりをして見栄を張る者、わからぬことを叱られると思い卑屈になる者、そもそもわからぬということすらわからぬ者、とにかく負けず嫌いでわからんと怒りだす者 - それはもう、十人十色の飲み方があった」

ねねが、亡くなった秀吉について語った箇所。分からない場合、どういうリアクションをするのか。仕事、勉学、人付き合いにおいても、分からないとき、あるいはネガティブな感情の時にどのようなリアクションかがその人を形作るような気がする。得意淡然 失意泰然といきたいものだがそうもいかぬのが我々なり。

「しかし風太郎よ、幻術ならばいつか目が覚めて、元の世界に戻ることができよう。これはちがうぞ。試しにそこで一日でも、突っ立っているがよい。たとえ一年立ち続けても、この暗がりで息をするだけの日々に変わりはないぞ」

たまに、周囲では高速で時間が通り過ぎていくのに、自分の周囲30センチだけ時間が止まっているように感じることがある。私はただ息をしているだけで、決して元の世界へとは戻れないのだろうか。

風太郎の正義の世界。どのような世界かはここでは書けないけれど、カムイ伝のような重い世界とは異なっていて違う読みごたえあり。

今日の一曲

風太郎の人生の物語がまさに本書。私の人生の物語と言えば、One Directionで、Story Of My Life



では、また。

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バスの中からメリークリスマス

2013-12-24 | days
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『チャイコフスキーコンクール』中村紘子

2013-12-23 | books
クラシック音楽には全然詳しくない。ソナタと彼方の違いも分からない。バッハとモーツワルトとショパンの違いも分からない。記憶にあるのは、映画音楽で使われて、すごく印象的だったマーラーの五番(「ベニスに死す」だったけか?)とかバッハのゴールドベルク変奏曲(「羊たちの沈黙」でレクターの愛する曲だった)とかそんなもん。家にCDはたくさんあるけれどほとんど聴いてない。iPod Classicにも膨大な数のクラシックが入っているけれど、ロックとジャズと落語以外以外ほとんど聴いてない。いやそれすら最近聴いてない。聴くのはPodcastばかり。

そんな我が積ん読山脈の山奥から発掘されたのが本書。何となく読み始めたらズッポリとハマってしまった。こりゃ、面白いぞ。

著名なピアニスト(聴いたことはないけど)である著者がコンクールの歴史をひもとき、そして自身が審査員を務めたコンクールの裏側を描く。大宅荘一ノンフィクション賞を受賞している。

歯に衣着せぬかなり直截な物言いがすごく小気味いいし、文章がすごくなんというか巧い。

第一回チャイコフスキーコンクールが開かれた1958年、ソ連が威信をかけて開催した。なにしろフルシチョフ以下政府高官が本選ではずらっと貴賓席に座ったそうだ。しかしなんとアメリカの無名の青年、ヴァン・クライバーンが優勝してしまった。アメリカでは大騒ぎになったそうだ。前年にソ連はスプートニクの打ち上げに成功しているので、アメリカはここで一発逆転したということなのだろう… ということが書かれている最初の章を読んだだけで、ワクワクしてしまった。スゴイぜ。

他にもブーニンブームに関するコメントや、氏が審査したピアニストに対する批評、ピアノのテクニックなど、彼女の筆は冴えまくる。こんなに面白いノンフィクションがあったとは。

まだまだ積ん読山脈にはお宝が眠っているらしい。しかし最近足腰が弱っているので山に登るのはな。とか言っているうちに本を読むのが面倒になる日が来るのだろうか。

今日の一曲

中村紘子演奏、ではなく、辻井伸行で、ラフマニノフのピアノ協奏曲2番



では、また。

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『時の娘』ジョセフィン・テイ

2013-12-22 | books
スコットランドヤードの警部アラン・グラントが入院した。暇なグラントは謎に挑むことにした。それはリチャード3世。シェイクスピアに残虐な人物として描かれた王は、兄エドワード3世の息子(リチャード3世の甥)の二人を殺したとされている。しかし肖像画に描かれている顔はそんなことをしそうには見えない。友人に頼んで資料を持ってきてもらい、読みながら推理すると…

うー。故あって20年ぶりに再読してみた。やっぱり面白い。この「時の娘」は多分買ったのは4冊目。世界史が好きだという友人が現れるとプレゼントしてた。(20年ぶりだと思っていたら、自分のブログで検索したら2年前に読んでいたことが分かった。恐ろしいぜ、俺の記憶)

ミステリのジャンルにの一つに安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ」というものがあって、現場に行くことなしに、事件を解決するものを指す。本作は、入院しているのと、解く謎はリチャード3世が王位についた1483年前後という500年も前のことなので、アームチェア・ディテクティブの変形と言ったところ。

この本にインスパイア(パクリとは呼ばず。黒澤明の「七人の侍」にインスパイアされて、作られた「荒野の七人」があり、エド・マクベインの「キングの身代金」にインスパイアされて黒澤の「天国と地獄」があると言うと、なんだかいいことを言ったような気がする)されて、高木彬光は「成吉思汗の秘密」を書いた。これも非常に面白く読んだ。天才探偵神津恭介が入院中に、成吉思汗=義経説を証明するという話。これを日本史好きな友人にプレゼントしたこともあった。

「時の娘」に話を戻すと、最近歴史ブームらしく、「もういちど読む山川世界史」が売れていたそうだ。私も買った。んだけど、読んでない。読んだらためになるのだろうとは分かっているけれど、古代からの通史を読むのはちょっとメンドクサイなー。通史よりもテーマをしぼった本の方が読む気になるし、それがスキャンダラスだったり下世話ならなおいい。本書のように。

謎が解かれていく過程のエキサイティングなこと。副次的に当時の歴史に詳しくなってしまうというおまけもついてくる、巻置く能わざるミステリの傑作だ。いや大傑作と言わせて欲しい。

リチャード3世については、2012年に遺骨が発見され、2013年になってDNA鑑定によって本人のものだと証明された。というややホットな時事ネタもあったっけ。

今日の一曲

リチャードなので、クリフ・リチャードにするか、リチャード・マルクスにしようかとも思ったのだけれど、やはりここはキース・リチャーズで。キースと言えばローリング・ストーンズ(ちょっとまて。リチャードとリチャーズは違うんちゃうか?)



「ギミー・シェルター」イントロでギター弾いている枯れたおっさんがキース

では、また。

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『三秒間の死角』アンデシュ・ルースルンド&ベリエ・ヘルストム

2013-12-20 | books
ピート・ホフマンはストックホルムで違法な商売をしている。それはポーランドからアンフェタミンを密輸でスェーデンで密売すること。いつものように密輸したクスリを買い手に売ろうとしていたら、買い手の挙動が怪しい。ピートと一緒にいたポーランド・マフィアが買い手を射殺してしまった。買い手が「警察だ」と言ったから。そう。買い手は警察の潜入捜査官だったのだ。遺体は始末できた。しかし… 実は、ピート自身が潜入捜査をしているのだ、もう何年も。スウェーデン国内にクスリを大量に持ち込んでいるポーランド・マフィア殲滅するために。ポーランドのマフィアから、スウェーデンの刑務所へ行くことを命じられた。刑務所では薬物が高く売れるから販路を開拓しろとのこと。ピートは警察と協力して偽の罪で刑務所に行くことになる。しかし、殺人事件の捜査線上にピートが浮上していた。そちらの捜査はシリーズの主人公でもある、エーヴェルト・グレーンス警部が粘り強く続けていた。グレーンス警部の捜査の結果、ピートの犯罪が国家の関与によるものであるとバレそうになると、警察はピートを切り捨てる。その結果、潜入者と分かってしまいピートの生命は刑務所内で危険にさらされる。その結果、ピートのとった、あっと驚く方法とは…

あらすじ説明が妙に詳しいかと思われたかも知れないが、ほぼ全て文庫裏表紙に書いてあることから逸脱しておらず、つまり買った人ならすぐに分かってしまうこと。また大事なことは、全然明かしてないのでネタバレにはなってないと思う。

解説で杉江松恋氏が「警察小説であって警察小説でない」としているのを読んで思い出した。小田急相模原の萬金餃子で餃子を食べていたら、隣のテーブルの若者が携帯で電話していた。「俺が今食べてるのは、餃子じゃないんだよー、萬金なんだよー」

確かに、本書は警察小説的な体裁をとっているけれど、「別れを告げに来た男」から始まるブライアン・フリーマントルのような極上のスパイ小説的でもあるし、、「ジャッカルの日」のようなワクワクする国際謀略もの的とも言えるし、「極大射程」から始まるボブ・リー・スワガーのシリーズのようなヒリヒリする孤独なスナイパーもの的とも言える。

様々な読み方ができるし、先が読めない。特に後半はちょっと他の本ではあまり見たことのない形で進む。

これはネタバレになるので詳しくは言えないけれど、潜入捜査のような「秘密の情報」を秘匿できることは、行政の失策を「秘密の情報」としておけることにもつながるわけで、それは成立した秘密情報保護法を考えるヒントにもなると思う。

三秒間の死角というタイトルも非常に巧い。

今日の一曲

今回は悩んだ。三秒→無理矢理、4分→K-Popの4 minutueにしようかと一瞬思ったけど特に好きではないのでやめて、スパイという言葉に注目した。スパイと言えば、防諜活動を意味する言葉に、エスピオナージがある。こっちの方がちょっとカッコいい感じがする。アリスで「エスピオナージ」



本のレビューより曲選ぶのに時間がかかるなんて。曲くっつけるのはやめようかな。

では、また。

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箱根へ三保ノ松原へ

2013-12-19 | travel
11月に行って来た、箱根の話をするのを忘れてた。

日本平ホテルから見る。



ホテルの中からと、



庭から。残念ながらランチは予約でいっぱいだった。

次回は、ランチもしくは、喫茶でも行こう。ちょうど結婚式をやっていて、外に出るところでライスシャワーをやっていた。他人の幸せを見るのも悪くない。

静岡市立動物園へ。



マンドリルは、顔にペイントを塗ったくった奇人ぐらいにしか思っていなかったのだけれど、ここのは尋常でないほどかわいかった。いままでごめんよ、マンドリル。

その日行ったんだか翌日行ったんだかよく覚えていないのが世界遺産、三保の松原。美穂の松原ではない。中山美穂が再婚して、松原美穂になった場合、確実に、美穂の松原と呼ばれるんだろうなー。



正直、こんなに人がいるとは思わなかった。しかし車は簡単に駐められるし、ささっと行くには悪くない。



三保の松原から見た富士が、これ。

これで日本国内世界遺産は全て踏破したはず。これから行きにくい変な所に世界遺産登録しないでもらえると助かる。

では、また。
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『ブラック・ハート』マイクル・コナリー

2013-12-18 | books
LAPDの刑事ハリー・ボッシュシリーズ。第一作「ナイトホークス」は銀行の貸金庫侵入強奪事件。第二作「ブラック・アイス」はドラッグ。そしてこの第三作はサイコ・サスペンス。

11人の女性をレイプして殺し、被害者の顔に化粧したドールメイカー事件。ボッシュは丸腰のまま容疑者を射殺した。警察は射殺されたチャーチが真犯人であるとし、ボッシュを左遷して、一件落着したはずだった。「ナイトホークス」はこの事件の後から始まる。作中でドールメイカー事件に少しずつ触れて、ボッシュの内面を浮かび上がらせていた。

本作では、まずドールメイカー事件の容疑者チャーチの妻による民事訴訟が描かれる。無実なのに殺されたのだからとして賠償請求をしたのだ。賠償金はボッシュ自身が払うわけではなく市当局が払うが、ボッシュはずっと裁判に出席しなければならない。。相手方弁護士はかなりのやり手。こちら側はそうでもない。すると、4年前に真犯人は射殺されて終わったはずのドールメイカー事件がまた起こったのかも知れない。チャーチが死んだ以降に殺された遺体が見つかったのだ。もしかするとチャーチは無実だったのか。裁判とドールメイカー事件の行方の双方は…

いやいやいや。小説ってこんなに面白かったんだ。「ナイトホークス」も「ブラック・アイス」もすごく面白かったのに、「ブラック・ハート」はさらに面白くなっていた。

ずっと続く緊迫感。裁判上のテクニック、警察内部の軋轢、ドールメイカー事件に迫るプロセス。どれもが超一級だった。そして私の好みの組み合わせ「リーガル・サスペンス」+「サイコ・サスペンス」 美味しくいただいた。

今日の一曲

Blackから、Led ZeppelinのBlack Dogに行くかと思いつつ、Heartから、HeartでAlone



では、また。

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店名にツッコんでください76

2013-12-16 | laugh or let me die
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『東大のディープな日本史2』相澤理

2013-12-14 | books
昨年出た第一弾に続いて、第二弾も面白い。いや、メッチャ面白い。

律令制における「駅」の目的と、「駅子」(駅での労役に従事)が逃亡したのはなぜかを訊く2000年の問題や、北条泰時が御成敗式目を制定するにあたって「京都の人たちを取り締まるわけじゃないですからね~。その辺よろしく言っておいてね」という手紙を書いた理由を説明させる2005年、鎌倉時代の民事不介入に関する1985年、南北朝の内乱が続いた理由の2003年、蝦夷地はなぜ幕藩体制においてなくてはならないものになったのかの2004年、琉球がフランスから通商条約締結を求められたときに、架空のトカラ島なるものを持ち出したのはなぜかの2006年、もし自分が伊藤博文だったら、1882年のドイツ訪問のときに、日本はまだ立憲体制に入るのは賢明でないとドイツ人に言われたら、どのようにして彼らに日本には立憲政治を取り入れる必要があるか、伊藤に代わって説明せよと言う1989年の問題など全20問。

問題のセレクションが絶妙に巧いのと、模範解答そのものではなく、解答に至るまでの過程がすごく刺激的で面白い。日本史に詳しくないから面白く思えるのかどうかはよく分からない。詳しい人が読んでどう判断するのかきいてみたい。

個人的には、2000年の問題で、1928年から1935年の円ドル相場と商品輸出金額の推移のグラフを見ながら、「緊縮政策」「金輸出解禁」「金輸出再禁止」「世界恐慌」の言葉を使って、この時期の経済政策と経済状況を説明せよという問題の解説の「ほんの一部」がが非常に金銭に触れた。経済だけに。いや、琴線に触れた。

井上準之助と高橋是清という二人の蔵相が、正しい順番で効果的な手を打ったことで、日本経済は回復するのです。

ん?井上準之助は、世界恐慌前に金本位制に復活することを宣言してしまって、後に世界恐慌になっても(よせばいいのに)金本位制に戻ってしまい、世界恐慌というデフレにさらに金本位制というデフレでダブルパンチをもらうことになった張本人ではなかったっけ?正しい順番ではないだろ?

「失われた20年」から抜け出せない私たちは、戦前のこの歴史から何を学ぶべきでしょうか。このままでは井上=大失敗 高橋=大成功とのみ受け取られてしまいそうですので、井上のために一言しておきますが、高橋の積極的財政が奏功したのは、井上の緊縮財政と産業合理化によって膿を出し切っていたからです。


なるほど、そーか。なるほど、そーか。私の浅薄な頭が少しは深くなったかも知れない。失われた20年から抜け出せない我々が出さなければいけない膿とはなんだろうか。え?私?膿という字は儂という字に似ているだけに。

受験生が読むのに適している感じはあまりしない。むしろ大人の読書に向いているように思う。こんな本毎日読んでいたら頭がよくなってしまうような気がするけれど、仮に頭がよくなったと仮定して、それが何をもたらすのかという疑問に答えることは、大人の読書とか大人の知的生活の根本に、自分が何を置いているかを考えることなのだろう。

今日の一曲

歴史。それは長大な人間たちの物語。人間たちが飽きもせず何度も繰り返してきた記録。めぐりめぐる。その先はまたふりだし。長淵剛で「巡恋歌」



では、また。

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鳥取その2

2013-12-12 | travel
生まれて初めて見る。



鳥取砂丘。もっとずっと小さいと思っていた。



丘を越えた向こうは、海。砂浜の砂がすごーくキレイだった。

ヨガをやっている大人数のグループやらパラグライダーやら様々な楽しみ方をしている場所。またいつか行ってみたい。

すぐ近くにある砂の美術館。

全く期待しないで行った。



子供の頃、砂場で城を作ったりしたけれどあれのすごく規模が大きいもの。世界中からプロが来て作ったそうだ。今のテーマはアジアで、またテーマが変わると全然違うものに変わるそう。



これは収穫。行ってよかった。

今回のテーマは、日本国内の世界遺産制覇。屋久島にも父島にも行ったから残ったのは姫路城だけ。

ということで、姫路まで車を飛ばす。



改装工事中な代わりに、中の改装している箇所を近くで見られるという城マニアにはたまらない状態。ものすごーく混んでいたけれど、待った甲斐あり。



投入堂という山の中にある寺に行く。入山時にファッションチェックをされる。靴が登山向きでないパンプスだったりするとわらぞうりを履かないといけない。2名以上でないと入れない。アンチおひとり様な場所。



確かにキツイ。



なんでこんなところにお堂が?というすごい場所にある。もちろんそこまでは行けない。

修験道界のスーパースター、役小角がここに投げ入れたとかいう伝説があるそうだけれど、空も飛んだ役小角だからそんなこともあったかも知れない。なんて思えば面白い。役小角とか修験道って結構好きなんだけれどその話はまたいつか。

以上で島根&鳥取の旅はおしまい。

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『夜に生きる』デニス・ルヘイン

2013-12-10 | books
1926年アメリカは禁酒法の時代で糖蜜を密輸する者たち、酒を密造する者たち、そしてそれを取り仕切るマフィアたちが跋扈していた。ボストン市警警視正トマス・コグリンの息子は三人。長男で刑事だったエイデンは妻と共に行方不明(前著「運命の日」にたぶん書いてあったはず)、次男コナーは州最年少の地方検事補だったのに、失明してからは用務員をしている。三男のジョーはギャングのティム・ヒッキーの配下にいる。ジョーが惚れた女はエマ。ヒッキーのライバルギャング、アルバート・ホワイトの情婦だ。ディオンとパオロの兄弟とともにアルバートのカジノで強盗し、銀行強盗までする。逃亡の際に警官が死に、警官の死には直接関わってないにもかかわらず、ジョーは刑務所へ。そこで出会ったのはギャングの大ボス、トマソ・ペスカトーレ。ペスカトーレの配下に入り、フロリダのタンパへと。ジョーの流転の人生は…

理由があって、メモを取りながら読んだら、構成の巧さが後でよく分かった。ストーリー展開の意外さをこの手の小説には求めがちな私は、途中から少しダレてしまったのだが、気持ちを、「ハードボイルド」と「歴史的な事実が巧妙に取り込まれている物語」だとみなして読むようにしてみたら、急に面白く感じられるようになった。いかに、私にはしっかりとした軸があるわけではなく、風見鶏のようにふらふらとあっち向きこっち向きしているかが分かる。南無南無

禁酒法の時代と言えば、大物マフィア、ラッキー・ルチアーノ(なんと本書に登場する)や、アル・カポネ(映画「アンタッチャブル」「暗黒街の顔役」「スカーフェイス」のモデル)、バグジー・シーゲル(映画「バグジー」のモデル)など冒険小説やノワール小説&映画のネタになる事件や人物が多い。ジャック・ヒギンズの「ウインザー公掠奪」には、刑務所にいるアル・カポネが出て来たような記憶があるのだけれど、違うかも知れない。「ルチアノの幸運」はナチスドイツ攻略のためシチリア上陸をルチアーノに助けてもらうというストーリーだった。どっちも絶版のようだ。残念)

そんな小説にとっては光り輝く時代の、裏歴史のようなものがこの小説では描かれる。

ハヤカワポケミスはコンパクトで持ち運びにはとてもよいんだけれど、字が小さく上下二段組みなので読んでも読んでも進まない感じがする。気づけば一週間ぐらい読んでいるような。という話を初対面の本好きの人に言ったら、「そこがいいんじゃないですか」と言われた。ま、それもそうか。

今日の一曲

本書の原題はLive "By" Night 夜に生きるではないし、夜まで生きるでもない。byは「~までに」と解釈すると、夜までに生きておけという意味だろうか。あるいは昼間ではなく夜のルールに生きるジョーたちに対して、夜のルールに「よって」生きる者たちという意味で使っているのだろうか。その辺は曖昧にしつつ、KrewellaというグループのLive For The Nightという曲で。



では、また。

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『世界でいちばん美しい』藤谷治

2013-12-08 | books
ぼくもせった君も30歳になった翌年、いつも行く鎌倉のパブ・レストラン、エグランティーナにぼくはいた。今日はせった君は来ていない。すると小海がやって来て「せった君の家が火事だ」と言う…という冒頭。そしてせった君とぼくの小学校時代へと時間は遡る。ぼくは家でピアノを習っていた。遊びに来たせった君はぼくの演奏を聴いたらすぐに同じ演奏ができるようになってしまった。嫉妬のような気持を味わった。せった君のお父さんは議員でお金持ち。お兄さんも頭がいい。でもせった君は学校の勉強についていけないような子だけれど、とてもピュアないいやつだ。そしてピアノを習い始めるせった君。音楽の才能に限界を感じるぼく。二人の人生はどこへ向かうのか…というのがこの作品の前半。後半からは、せった君の人生の妨害者、津々見の半生と、せった君の話が交互に描かれる。プライドばかり高く、夢みがちな男津々見。自分の人生をしっかりと生きられるようになったせった君。二人の人生が交差する場所にあるものとは…

いやいやいや。2013年が終わる直前になって、本年度ベスト級小説を読んでしまった。本年度ベストテンは入れ替えしなければ。「船に乗れ!」という作品に打ちのめされたのは2010年の始め。もう4年近くたつ。あれを上回る作品を作者が書くことはないだろうと思っていた。しかししかし。

作者藤谷自身の分身のような位置にいるぼく(=島崎)とせった君との関係。ぼくから見たせった君という知恵遅れのピュアな天才(本当はちょっと違うけれど赦されたし)のようなキャラクター。ぼくが感じる嫉妬と同時に癒し。ぼくというフィルタを通して透けて見えるせった君がいい。

音楽は世界共通の言語だと言うことだけれど、世界共通言語ということは、同時に誰にとっても外国語だと言うことだ。音楽を知るとは外国語を一つ、完全に習得するのに等しい。せった君は辞書を引きながらシェイクスピアが数行読めるようになったからといって、ハムレットを書こうとしている。それがせった君自身には見えていない。ぼくには見える。

自分が仮に、せった君と同じクラスになったとしても、島崎君のような目で見ることができず、私の濁った目は単にせった君を、赤ちゃんのような気持の悪い奴だとしか読み取ることができなかっただろう。他人の目を通して見る世界が自分に何かを教えてくれる。そんな瞬間。音楽とは何か、それをせった君から学ぶ。そんな島崎君もすごくいい。この二人が猛烈にいい。

ピアノを弾くとき、せった君はギターを持った自称シンガーソングライターの中学生とは違って、これはぼくの新作だとか、俺の人生はこれだ、なんてことはいわなかった。自作だと自分からいったことさえなかった。せった君はただ弾いた。

二人から学ぶクラシック音楽の世界も、ついでにいい。しかしそれがメインテーマではないと思う。あくまでもクラシックを道具にした、青春大河小説のように読み、翻弄され、胸を熱くした。

演奏者は熱心な聴衆の前で奮起する。優秀な奏者でも、ぼくのような初心者のクズでも、それは変わらない。

現代絵画の名作を見て、あんなんだったら俺にだって描けるんじゃないか、と思えてしまうことがある。しかし実際に似たようなものを紙に描いてみると、お話にならないものができあがる。書道でも、デザインでも、見る限りでは単純なのに、やろうとしてもできない。それは線の力だ。紙の上に一本、線を引く。誰にでもできる。けれども、その線は、なぜか、訓練され、才能に恵まれた画家にしか、書家にしか、デザイナーや漫画家にしか描くことのできない線なのだ。理由は判らない。だが私の引く線がパウル・クレーの引く線とは画然と違うとは、誰にだって判る。同じことが音にもいえるのだ。

本腰を入れて明らかになったのは、やはり詩には詩のための独特な才能が必要だということだった。これまでなんとなく小ばかにしていた室生犀星や中原中也の詩が、おかげではっきりと天才の言葉だと理解できた。

どんなことでも何かの夢中になって没頭している時期があれば、たとえ後でそれを職業にするほどの才能がないことが分かってやめてしまうことがあっても、それのプロはいかにすごいのか、それが分かるようになる。そしてリスペクトできるようになる。それが没頭の収穫なんだと思う。

言わば、負け犬の津々見の描写も非常に巧い。自分はこんな場所にいる人間ではないと思いながら前向きな努力はしない。真に他人をリスペクトすることができない。しかし樹里亜という女性はさらにその上を行く。これが現代の、行先を求めて彷徨う若者たちの肖像なのだろう。

そして、せった君と津々見のコントラスト。世界でいちばん美しいのは何であるのか。

今日の一曲

せった君が好きな曲の一つ、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」



歌詞の内容はよく分からないにも関わらず、小説を読み終わったばかりの私に妙に滲みる。

では、また。

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