頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

ミラーに映る夢

2011-08-30 | travel




ハワイ島をレンタカーでゆく。

沈む夕陽と、

サイドミラーに映る後方の景色。

ちょっと面白い写真が撮れた。


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『大西洋漂流76日間』スティーヴン・キャラハン

2011-08-28 | books

「大西洋 漂流76日間」スティーヴン・キャラハン 早川書房 1988年
ADRIFT - Seventy-Six Days Lost At Sea, Stephen Callahan 1986

大西洋を小型ヨットで航行中にクジラに衝突されヨットは沈没。救命用のイカダで海をさまよう。水、食料はどうするのか。鮫やシイラは襲ってくる。壮絶な76日間ドキュメント。

「空白の五マイル」「脱出記」と冒険ドキュメントをたて続けて読んできた。率直な感想を言わせていただければ、ちと飽きてきた。

本書は、海で漂流した場合の技術的な側面について説明が多い。ゆえに、ノウハウ本のように読んでしまった。それは「空白の五マイル」に哲学的描写を感じ取ってしまったから、その差異が気になるだけなのかも知れない。

本書のこんな表現はすごく好きだ。


わたしの体験を厳密に描写することには限界があるということも認めざるを得ない。この物語の真実は、プラトン哲学の「イデア」に類似している。現実世界では不完全な代替物によって模倣される、完全なモデルのようなものである。(15頁より引用)


これまで外洋を航行しているときに、私は自分が病的ではないが、一種の精神分裂状態になることに気づいている。自分自身が肉体と感情、理性の三つの基本的な部分に分かれてしまうのだ。問題にどう対処するかについて、別の意見を求めるために、自分自身に語りかけるということは、単独航海をする人間がよくすることである。自分が別の人間になったつもりで考え、新しい見解を手に入れて、効果的な行動をおこすのだ。危険な状態にあるときや傷ついている場合には、感情の自分は恐れを抱き、肉体の自分は苦痛を感じている。そうしたときには、本能的に理性の自分に頼り、恐怖と苦痛を克服する。この傾向は公開の経験が増すとともに強くなっている。中枢となる理性の自分と平成を失った感情の自分、そして弱っている肉体の自分との間に張られた糸は、次第にしっかりと結ばれている。全体を支配する理性の部分は、希望と夢と皮肉なジョークをよりどころに、残りの自分の中にある緊張をほぐすのだ(90頁より引用)



精神分裂病が統合失調症と改名してから長いが、精神の分裂とは、もしかすると人間を救うひとつの方法であるのかも、と思った。

では、また。




大西洋漂流76日間 (ハヤカワ文庫NF)
スティーヴン・キャラハン
早川書房
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『脱出記 シベリアからインドまで歩いた男たち』スラヴォミール・ラウイッツ

2011-08-24 | books

「脱出記 シベリアからインドまで歩いた男たち」スラヴォミール・ラウイッツ ソニー・マガジンズ 2005年 
THE LONG WALK, Slavomir Rawicz 1956

ポーランドの軍人だった著者は、1939年ソ連に逮捕された。そして、ルビアンカ拘置所で25年の強制労働という判決が下される。もちろん無実の罪で。遠いシベリアの収容所での日々。仲間と脱出することにしたが、東へ抜けて日本に逃げるルートは検問が厳しい。西へウラルへ逃げるのも同様。残されたルートは南に抜けるルート。しかしそこには、ゴビ砂漠はあるしヒマラヤもある。7人は果たして脱出に成功するのか。無事に生きていられるのか。

「空白の五マイル」を読んで、急にノンフィクション&冒険ものが読みたくなって、前から気になっていた本書を読んだ。

スターリン統治下のソ連の理不尽さと悪辣三昧はよく知られたことかと思うが、実際に自分の身に降りかかった人の言葉は重い。

サブタイトルにインドまで歩いた男たちと書いてあるから、脱出に成功したんだろうとは思うけど、途中で死ぬ仲間もいるし、特にゴビ砂漠を越える様が何とも印象に残る。

閑話休題

私のない頭が一つ想像したことがある。もしルビアンカに拘禁され収容所に送られていたのが日本人だったとして、脱出後にソ連のやり方が日本で報道され、それが本になり、学校の教科書に載ったり、先生がその話を生徒にしたりしていたら、もしかすると日本人はとてもソ連嫌い=ロシア嫌いになっていたのかも知れない。教育、政治的な臭いの強い教育。日本に対して嫌悪感を持つ国ではそんな風な、こんな風な教育がされ続けているのだすれば、そのような感情を持つのも、ある意味当然なのだろう。

自分の親の敵についてずっと恨み言を聞かされ続ければ、子供も恨みを持つようになるだろう。その敵がその子には何もしていなくても。現実を現実として受けとめることを阻害するのは、いつもそんなこと。

私自身も生まれ育った環境、友人たちの言葉、受けた教育、読んだ本等によって大きく眼が曇って、現実をただそこあるものとして認識するのが難しくなっている。そんな歪みをなるべくなくしていきたいと思っているのだけれど。

それともそんなbiasの積み重ねが人を構成しているのであって、それこそがその人の魅力につながっているのだろうか。

では、また。




脱出記―シベリアからインドまで歩いた男たち (ヴィレッジブックス)
スラヴォミール・ラウイッツ
ヴィレッジブックス
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『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』角幡唯

2011-08-22 | books

「空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」角幡唯介 2010年 集英社

ヒマラヤ山脈の東端。チベット高原から西から東に流れるツアンポー川。この川がヒマラヤの山中に消えた後どこに流れているのか長年の謎であった。19世紀の後半にここに挑んだインド人キントゥプは45メートルの巨大な滝があったと報告する。この幻の大滝を探そうと探検する後の探検家たち。果たして巨大な滝は存在したのか。

そしてこの難攻不落前人未踏の幻の5マイルに挑もうとする著者。孤独な冒険の行方は…

いやいやいや。これはいい。読みながら何度も、これはいい本だなーとつぶやいてしまった。

展開が巧い。探検がすぐに始まるのかと思ったら、まずは歴史をひもとくことから始まる。その歴史が実に興味深く読ませる。そんなことがあったかうーむと思いながら読み続けた。日本人のカヌーイストのエピソードが心をカツーンと打つ。

乾いた文体が、単なるドキュメント以上にする何かを持っている。

しかし、どうしてこんなにつらい探検をするのだろうかと疑問に思っていたら、最後になって答えてくれた。


死のリスクを覚悟してわざわざ危険な行為をしている冒険家は、命がすり切れそうなその瞬間の中にこそ生きることの象徴的な意味があることを嗅ぎ取っている。冒険とは生きることの全人類的な意味を説明しうる、極限的に単純化された図式なのではないだろうか。(294頁より引用) 



こんな表現の仕方がまた好きだ。

では、また




空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む
角幡唯介
集英社
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あらためてしみる

2011-08-20 | music
私も少しは分かるようになったのだろうか。80年代の洋楽。

George MichaelのFaithというアルバムを何回聴いただろうか。

しかし、歌詞の意味をちゃんと分かってなかった。英語の歌詞をちゃんと読んで、やっと分かった気がする。ふられた男の気持ちを(ほらさ、おれ ふられたことないからさ)え?

ではお送りいたします。ジョージ・マイケルでキッシング・ア・フール







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『重力が衰えるとき』ジョージ・A・エフィンジャー

2011-08-18 | books

「重力が衰えるとき」ジョージ・A・エフィンジャー 早川書房 1989年
WHEN GRAVITY FAILS, George Alec Effinger 1987

2200年代、架空のアラブの都市ブーダイーンに暮らす怪しげな人たち。殺人事件の謎を解くのは探偵マリード。ロシア人から息子を探すよう依頼されたとき、依頼人がその場で殺されてしまった。裏側に蠢く権力と暴力と金。事件に巻き込まれつつマリードがたどり着いたのは…

いやいやいや。これはなかなかの収穫。

しかし、SFというほどの強いScientificな設定は少ない。手術を受けると、別の人格を追加することができるモジュールや能力のアドオン(ダディ)によって、中身が別の人間に変わることができる。というのが一番重要な本書の設定。他にはアメリカやソ連が分裂していることもある。

翻訳ものが苦手な人の苦手な理由の一つに和訳が読みにくいというのがあるけれど、これは訳がいいせいか、なめらかに読める。

近未来イスラム電脳ハードボイルド+カウンターカルチャー って感じ。マリードの頑ななハードボイルドな姿勢と、裏を生きる人々の様がなかなか。

タイトルにある「重力(gravity)」は、人間が他の人を惹きつける力という意味で使っているそうなのでニュートンが発見したものとは関係がないらしい。マリードの重力が増えたり減ったりするというのが、本書のメインの筋にあると思うと、なるほどと今になってうなづける。

では、また。




重力が衰えるとき (ハヤカワ文庫SF)
ジョージ・A・エフィンジャー
早川書房


↑絶版になっているらしい。
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『我が家の問題』奥田英朗

2011-08-16 | books

「我が家の問題」奥田秀朗 集英社 2011年(初出小説すばる2010年、2011年)

家族の話を集めた中篇集


甘い生活? 新婚なのに家に帰りたくない。なぜかと言えば、妻が頑張りすぎてしまって息が詰まるから。

ハズバンド もうすぐ子供が生まれるというのに夫は仕事が出来ないらしいということが判明してしまった妻の気持ち。

絵里のエイプリル 高校生絵里の両親はもしかすると離婚するのかも知れない。やきもきする子供の心。

夫とUFO 突然夫がUFOが見えると言い出した。

里帰り 夫の実家は札幌、妻の実家は名古屋。夏休み6日間に両方に帰ろうとするとなかなか大変で。

妻とマラソン 作家の私の妻は暇を持て余している。すると始めたランニングに夢中になり。


てな感じ。どれも読ませるし、いい話だし、面白い。打率の高い中篇集だ。

「甘い生活?」に出てくる独身病という言葉が面白い。


「一人暮らしが長かったから、世話を焼かれることに慣れていない。むしろほうっておかれたほうが気が楽なところがある。照れ屋だから斜に構えたがる。インテリだから、大衆を蔑視する。スノビズムも敬遠する。権威をありがたがらない。少なくともそういうポーズをとる。文科系だから体育会系男子のようなモテ方をしたことがない」思い出すように、指折り数えている(53頁より引用)

「だめだめ、そんなの。試合とかレースは、死ぬつもりで、ギリギリやってやっと勝つんだから」
「そう。最後まで絶対にあきらめない。自分に勝つ。根性。根性」
息子たちはあくまでも威勢がよかった。なるほど、大人は負けることに慣れているから、あらかじめ予防線を張る。けれど十五歳は競争の真っただ中いる生き物だ。負けてもいいなんてありえない話なのだ。(271頁より引用)



大人は負けることに慣れている、か。うまいな。

慣れないと生きていけないけれど、しかしあまり慣れすぎてもあかんだろうな。

では、また。




我が家の問題
奥田英朗
集英社
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ただいま

2011-08-14 | days

昨日、ハワイから帰国しました。

ええ。ワイハーですよ。

細かいこと言えば、オアフ島には一日しかいなくて残りは全てハワイ島(ビッグ・アイランド)でしたが。

そして今日はこれからBBQに参加。

とりあえず、ご挨拶だけで失礼。


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お休み

2011-08-06 | digital, blog & twitter

ブログ一週間ほどお休み致します。

次回は8月14日頃の予定。

みなさん、よいサマーをお過ごし下さいませ。


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続ゝゝおんなのみち(ポエム習作)

2011-08-05 | poetic inspiration

英文科なんでしょ

まゆこせんぱい、

英語の歌うたって下さいよってしつこい後輩たち

カラオケでうたった

恋におちて

2番になったら誰も聴いてない

嗚呼こんなにもこんなにも



まゆこさんてきれいですよね

って言う後輩たち

あたしのことを陰でまゆげって呼んでる

嗚呼こんなにもこんなにも



そういえば

今年

一度も

すきって言われてない

嗚呼こんなにもこんなにも



最近ファンデーションがうまくのらない

夏のせいだから

夏のせいだから

夏なんて終わらなければいいのに

嗚呼こんなにもこんなにも





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『奔る合戦屋』北沢秋

2011-08-04 | books

「奔る合戦屋」北沢秋 双葉社 2011年

「哄う合戦屋」の続編は、過去に遡る。なぜ遡るのかは、「哄う」のラストを読めば分かる。

1533年、村上義清の配下にある石堂一徹は次第に家中で人望と実力を増していった。村上は戦上手ではあるものの、長期的な視点はない。それに苛立つ一徹。武田が甲斐から佐久へと何度も攻めてくるが、どう対応すればいいか…

いやいやいや。こんなに面白い時代小説は久しぶりに読んだ。本当に面白かった。「国盗り物語」か「真田太平記」を読んだときと同じくらい血沸き肉踊った。

武芸の達人の一徹をただそれだけで描くのではなく、妻子にめぐまれた一人の男として描き、村上というダメな上司が考える策と現実的な策の間に挟まれる戦略家として描く様が実にいい。

「哄う」を読んでいると、「奔る」のラストはどうなるか分からない人はいないだろう。私でも分かる。しかし、しかし、分かっているにも関わらず、ラストまで残すところわずかの364頁を過ぎてから、どうにもこうにも眼が霞んで仕方がなかった。眼に水分が浮かんできたから。それをどうしても止められなかったから。

分かっているのにも関わらず、心を揺さぶるとは、北沢秋という作家の手腕はちょっとやそっとではない。次回作を首を長くして待つ。待ち過ぎて、キリンにならないようにしなくては。



奔る合戦屋
北沢秋
双葉社
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すき家で

2011-08-02 | days

ジムでの練習終了後、一人すき家で夕飯 at 22:30

隣の席にヤンキーっぽい金髪20代前半3人組

他の二人が大盛を頼む中、その内の一人が

「3種のチーズ牛丼、ごはん半分にできますか?」

店員「できます」

やって来たのは、私の眼からは並盛りに見えた。

彼「これ、ごはん半分ですか?」

店員「あ、えっと、元々ごはん少ないんで。あれだったら残して下さい」

と言って立ち去る店員。やや大きな声で、

彼「そういうことじゃないんだけどな…」

と言って、彼はごはんの半分を箸ですくって、友人のどんぶりの上に乗せた。

横から聞いていると、もう何回もすき家で「ごはん半分」と頼んで「できません」と言わないのに、実際は並盛りだと言う。

うーむ。若人よ、おじさんは拍手しそうになったぞ。

ごはんなんて残せばいいけど、でもそういうものじゃないよな。

うんうん。

不要なモノは残せばいいってもんじゃない。

うんうん。

と思いながら、桜木町の高架下を歩いた。

蒸し暑い夏の夜だった。


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