頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

『岸辺のアルバム』山田太一

2013-02-28 | books
「岸辺のアルバム」山田太一 光文社文庫 2006年(初出東京新聞出版局1977年 文庫角川書店1982年)

東京新聞で1976年から連載され翌年にテレビドラマにもなった。原作は勿論未読、ドラマも観たことがなかった。

父、商社の部長。母、専業主婦。娘、大学生。息子、高校三年生の四人家族。母、則子の視線から描かれるのは、家に突然かかってきた電話から始まる。男が話し相手になって欲しいというのだ。拒んでいたのに何度もかかってくるようになり、日頃の寂しさを埋めるために…息子は、母を尾行する。そして分かるのは…前半は母と息子中心。後半から娘と父それぞれの大変な話が現れてくる。バラバラになりかけた家族の物語は…

おお。平凡な家庭を描いているはずなのに読んでいるうちに気分は平凡でなくなる。すごくいい。

書かれていることが全て情景として浮かび上がるような映像的な文章だからか分厚いのにスムーズにどんどん読める。スムーズに読めればいいというものではないけれど、そのスムーズさすらこの内容に合っているように感じる。

中年になろうとする母の苦悩はよく分かるし、受験生である息子の苦悩もまたよく分かる。誰もが、第三者から見れば、ひどく非難されるようなことを誰もしていない。でも崩壊するのである。典型的中流家庭の平凡な崩壊な崩壊を、教訓めいた説教臭さなしの抑えた淡々とした筆致で描く。今読みたいと思っても、意外なほど見つからないタイプのホームドラマ小説だ。

息子、繁が家族の対応から大人になると言う事について考えている独白は、

「いらっしゃい」と店の人にいってもらいたいという気持ちは贅沢だと、自動販売機にしてしまえば、たしかに人件費が助かり夜中も帰るし、価格も安くなるかもしれない。しかし、買い手はその時、ひとつの感情をを無理やり捨てるのだ。でなければ傷つくからだ。自動販売機で買うたびに、「ありがとう」と「微笑」を期待していては、しょっ中失望していなければならない。だから、そういう欲求はビンにつめて棚にあげてしまう。すると、それでも結構暮らして行けるのだ。はじめはなんて嫌な趣味の屑籠だろうと思っても、折角くれたんだからと使っていると、全然気にならなくなったりするように、はじめは無理矢理捨てた感情も時がたつと捨てたことも忘れてしまう。そうやって、いくつもの感情を捨て、捨てた事も忘れて、なんだかものすごくタフな人間になって行く。(400頁より引用)


大人になるということは、何かを捨てる事であって、それは必ずしもいい事ではなく、同時にその何かを捨てないと生きていくのは辛すぎる。などと思った。

作家の奥田英朗氏が巻末に解説を書いている。これがまたすごくいい。山田太一のドラマがいかに彼の心を打ったのかよく分かる。巧い小説家は解説も巧い。これを読めば、拙文よりもずっと本文を読みたくなる。

ドラマの冒頭の部分を以下に。最近のドラマの冒頭部分よりも、ずっと本編を観たくなるのはなぜだろうか





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コーディネート

2013-02-27 | laugh or let me die

すみませーん。

ボトムスがグリーンだと、

トップスは何を合わせればいいですか?













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『沈黙の町で』奥田英朗

2013-02-25 | books
「沈黙の町で」奥田英朗 朝日新聞社 2013年(初出朝日新聞2011年5月7日~2012年7月12日)

北関東の内陸、小さな町。中学二年生の男子生徒の遺体が校内から発見された。部室棟の屋根から銀杏の木に飛び移ろうとして転落したのか。自殺、他殺、事故。遺体から無数のつねられた跡が見つかった。いじめを受けていたことはすぐに分かった。被害者の携帯電話からは連日「よろしく」という題名のついたメールが送り付けられ、宿題や少年ジャンプを要求されていたことが判明したからだ。いじめをしていたと思われる4名もすぐに特定さた。うち2名は14歳になっていたので警察に逮捕、2名は13歳のために児童相談所に送られる。刑事、教師、親、女子生徒の視線で描写していく事件の真相とは…

うーむ。これは想像してたよりもずっと良かった。奥田英朗という作家はとても好きなのだけれど、少年の死といじめというネタは、すぐに齧り付きたくなるようなものではなかった。しかし読んでみれば、実に面白い。奥田英朗が普通の小説を書くわけがないということを忘れていた。

真相はそう簡単には分らない。必ずしも謎解き小説ではないのにの拘わらず、真相が分かるのはラスト数ページ。背筋がぞっとした。

しかしラストがそこまでのものでなかったとしても、途中の描写だけでも充分お腹いっぱいになるくらいに読ませてくれる。

亡くなった生徒の性格設定。パシリである、でも女の子には暴力を振るおうとする、なぜいじめっ子たちに付いて行くのは周囲には不明…(それ以外にもあるがネタバレ避けて書かない)… 彼の人物描写には読んだ者が様々な事を考えさせられるだろう。特に後半以降に読み進めていけばいくほど。

読みどころの一つは、いじめていた4人の親の言動。特に女親について。自分の子さえ良ければいい利己心、自分の教育がもたらした結果だとは思わない無責任、現状を認めようとしない逃避。それがギリギリ嫌みにならない、ギリギリ非現実的にならない程度に描かれる。物事を良い方へと変えてゆくのではなく、他の人と同じであればいい、他の人よりも損するのは嫌だという日本人的(?)心の在り方。それが実に奥田らしく描写されていた。

構成としては、本書の半分ほど、192頁までが事件発生から時系列に描かれるのだが、193頁以降8章からは、中学2年生になったばかり、事件から3ヶ月前からの過去の描写の挿入される。この構成がまた巧い。

様々な人の視線から描いているのに、ぶれている感じがしない。当事者の視線を使っていないからだろうか。

いじめや少年犯罪が必ずしもテーマではなく、しかしそれが具体的に何なのかはネタバレを避けて書かないが、中学生という生き物についてじっくり考えさせてくれる小説である。読み終われば、このタイトルについても思わず「うまいっ」と頷いてしまう。

では、また。


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『コーランを知っていますか』阿刀田高

2013-02-24 | books
「コーランを知っていますか」阿刀田高 新潮社 2003年(初出小説新潮2002年9月号~2003年6月号、新潮文庫2005年)

最近なぜだか、イスラムとインドに興味が出てきて、ちらほらと本を読み散らかしている。ここでレビューするような本がなかなかなかったのだけれど、これはコーランとイスラム教について、とても読みやすく分かりやすい本だった。

普段読むことがなくて詳しくない、コーランの文言を色々と引用してくれているし、イスラム教の歴史やユダヤ教やキリスト教の関係も詳しく解説してくれている。

コーランにもっと面白エピソードが詰め込まれているのかと期待していたけれど、ユダヤ王国の建設の歴史書である旧約聖書やキリストの伝記である新約聖書と神の言葉は違うらしい。そりゃそうか。

神がなぜ、アラビア語という言葉を選んでマホメットに自分の言葉を語らせたのか謎だし、ツッコめる箇所なのかな。でも、突然神が自分に語りかけてきたと言い張ったらそれは狂人だと思われるだけだろうと思うのも現代に生きているからだけなのかも知れない。タイムスリップして622年頃のアラビア半島に行って、直接マホメットの言葉を聴いてみたい。いや、アラビア語が分からないのだった。いや、タイムスリップ出来る技術がドラえもんと共に与えられたら、同時に翻訳こんにゃくもあるから大丈夫か。

イスラム教の聖典にはコーラン以外にハディースというのがあって、預言者マホメット自身の言葉が載っているそうだ。その中にあるのは、


世の終りの時の最初の前兆は何かというと、それは人を東から西へと集める火であり、天国の人々の最初の食べものは魚の肝の瘤である。そして、なぜ子供が父または母に似るか、については、夫が妻より先に射精するとき子供は父に似、妻が先のときは子どもは母に似るのだ。(ハディースIVのコーラン解釈書より)


ラストの部分についてはなかなか面白いけれど、今回は割愛。東で起こった震災が西へと人を移動させたとすれば、それは我が国and/orこの世の終わりの最初の兆候…なのかも知れない。

ま、しかし我々はずっと前から、世紀末世紀末、この世の終りこの世の終りと言っているけれどね。


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店名にツッコんでください62

2013-02-23 | laugh or let me die
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『世界一周恐怖航海記』車谷長吉

2013-02-22 | books
「世界一周恐怖航海記」車谷長吉 文藝春秋社 2006年(初出文學界2006年3月号~6月号)

嫁はんに「本郷に家を買ってね」と言われ、四苦八苦して5年後に駒込千駄木に家を買った。今度は「船で世界一周に連れて行って」と言われ、一人ぼっちで留守番するのが嫌なので仕方なくピースボート3か月世界一周の旅に出る。その日記がこれ。

旅行記+旅で出会った人の話+作家として考えること+様々な人の悪口

割と同じようなことを何度も言っているのにちっとも飽きない。

船で出会った人や実在の友人の名前を挙げて非難している様はいかにもこの人らしい。朝日新聞の人生相談でもその様は窺える。

読んだからといって、自分も世界を見たいとか、ピースボートに乗りたいとかいうような気には全くならないのもまた素晴らしい。本は役に立てばいいというものではないのだ。

では、また。


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『どうで死ぬ身の一踊り』西村賢太

2013-02-20 | books
「どうで死ぬ身の一踊り」西村賢太 講談社 2006年(講談社文庫2009 新潮文庫2012)

作家藤造造に惚れまくっている男の私小説。

<墓前生活> 藤澤の墓標を石川県七尾の寺から譲り受けケースに入れて自室に飾る。そこに至るまでの過程と同時に傷つけられる運命にある女との生活を描く。
<どうで死ぬ身の一踊り> 藤澤の句、何のそのどうで死ぬ身の一踊り がタイトルに。藤澤の法要を行う話をやはり一緒に暮らす女との破滅的生活を描く。
<一夜> 以上の話の付けたし。

ううむ。なんだこれは。「暗渠の宿」同様にぶっ飛んだ。

書いてある内容はたいして変わらないはずなのにぐいぐい読ませる。

このファナティックな男のスゴさとダメさ。

我々は誰でも自分の愚かな行為にどこか自覚めいたものを持っている。しかし自分の言葉でそれを正確に全て書き記したり話したりはしない。話すとしてもどこかオブラートに包んだり装飾物をくっつける。人には決して見せない日記を書くときですらも文章にする過程で、様々なpurificationとdecorationが行われる。

我々はみな自らを美化して生きている。そうでないと汚泥に満ちた自分自身を目の当たりにしないといけないから。

自分のしたインチキの事は忘れ、他人のインチキに対して声高に罵る。

ちょっと成功してみれば、過去のミットモナイ経験も後で「役に立った」経験にすり替わる。

自分の記憶すら書き換える。そうでないと生きていけないから。

西村賢太の私小説に心を打たれるのは、彼の何も足さず何も引かない、そんな姿勢が見えるからなのかも知れない。


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『男ごごろ』丸谷才一

2013-02-18 | books
「男ごころ」丸谷才一 新潮社 1989年

「女ざかり」「輝く日の宮」「裏声で歌へ君が代」の作者によるエッセイ。

とにかくいろんな話が雑多に詰め込まれている。

基本的には、強い毒にも強い薬にもならないし、深くもなくしみじみするわけでもない(そこがいい)、でも何かのヒントになる話が多い。

割り勘を意味する「ダッチ・アカウント」は知っていたけれど、他に「ダッチ・バター」(人造バター)「ダッチ・カレッジ」(酒の力を借りた勇気)「ダッチ・コンサート」(バラバラの歌詞を歌うダメなコンサート)というダッチな表現は知らなかった。

オランダ人にそういうイメージがあるからついた表現だと思っていたのだけれど、英蘭戦争で仲が悪くなったので、英国人が英国にある悪いことを、外国の名前を使って表現していたのだそうで、そういうのをゼノフォービア(外国嫌い)だと言うのだそうだ。

喩えて言うなら、電車の中で化粧をする乗客のことを、フレンチ・パッセンジャーと呼ぶというようなものか。だとしたら酷い話だね。

他に、文章については、

一体に書き方のコツとしては、読点に頼りすぎる形で意味を伝へようとする文章はよくないやうだ。読点なしですらりと頭にはいるが念のためほんのところどころ打つといふ文章がわたしは好きだ。(文庫版243頁より引用)


これについては、大きく頷いた。

後は、こんなのとか。

その点、人間は、技師が交配したり選別したりする品種改良はできない。これは人道問題ですからね。ただし、なにがしといふ女性学者の説によると、人類は昔から男が女を選ぶかのごとく男に思はせながら、しかし実は女が男を選ぶといふ形で品種改良をおこなつてきたのださうです。本当かね。わたしの感想をしては、それだけ丁寧に品種改良を心がけてゐたのに、しかも人類が現在のやうな程度であるのは、女の眼力があまり大したものぢやなかつたことを示してゐると思うのだが、この問題を詳しく論ずると、自分がいま生きてゐるのはその眼力(の低さ)のおかではないかといふ話になるので、この話題は切上げる。(文庫版42頁より引用)


では、また。


「男ごころ」 ←Amazonでは品切れらしい。
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『人質』佐々木譲

2013-02-17 | books
「人質」佐々木譲 角川春樹事務所 2012年

札幌のワインバーで起こった不思議な事件。冤罪で4年も刑務所にいた男が、当時の富山県警の本部長に謝罪して欲しいと、そのバー客を監禁(軟禁)する。刃物も銃も使わずに言葉だけで。同時に起こるのは、国会議員に対する脅迫事件。違法に集めた金のことをバラされたくないなら金を払えというもの。件の本部長の娘と議員の娘が客の中にいる…

うーむ。ネタ一発勝負作品だった。

冤罪について謝って欲しいという変な要求(とりあえず変だとは思わせないのは作者の腕)と、凶器を使用しない変な監禁(使用した方が効果的なのに使わない)。変でないのは議員に対する要求だけ。この違和感をずっと持ちながら読むので、余程すごいラストじゃないと許さないぞとハードルが上がってしまったことは否めない。

確かにラストで全てが明らかになる様は巧い。しかし、ほぼ予想した通りだった。それ以上は何もないのが残念。

佐々木譲の作品は結構読んだ。「警官の血」「警官の紋章」「暴雪圏」「廃墟に乞う」「巡査の休日」「北帰行」「カウントダウン」「警官の条件」「地層捜査」


本作ほど人間ドラマとかけ離れた作品は珍しい。軽く読めるのは確かなので、人間ドラマなど求めず新幹線の中でサクッと読みたい人にオススメしたい。

(冒頭の車の盗難事件は、誰が何のために起こしたのか分からなかったけれど、読み返さなくても、ま、いいか)


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『親指Pの修業時代』松浦理英子

2013-02-16 | books
「親指Pの修業時代」(上下)松浦理英子 河出書房新社 1993年

真野一実と一緒にビジネスを始めた遥子が自殺した。そして彼女の足の親指がペニスになっていた。というSF的(もしくはファンタスティックでファナティックでファンタジーな)設定でいきなりはじまる。彼女の親指がペニスに変わったので彼氏は怒り指を切り落とそうとする。逃げた隣人は盲目のピアニスト春志。全てを受け入れる春志との恋愛感情の行く先は…

うーむ。ヤられてしまった。珍妙な設定を無理なく読ませる技術。

ペニスを持ったことで人生がどう変わるか(自分が、周囲がどう変わるか)を読むことで、我々生き物の根源にある何かに触れているような感覚に陥る。

ペニス(=P)は何かのメタファーなんだろうと思いながら読んでいたが、何のメタファーなのかははっきりしなかった。たぶん特定のそれを意図していたのではなく、<もし男根を女が持ったらどうなるかというhypothesis検証小説>なんだろうと思う(なんで横文字やねん)

しかし、まさかペニスがこんな遠いところまで連れてってくれるとは。

「Mさん、世間の男女がしたがっているのは、しち面倒臭くなく傷つかない恋、手軽で心地よい恋、重荷にならない恋なんですよ。辛いこともあれば邪魔になることもある本物の恋なんて誰も求めてやしません。恋愛の甘い部分がけがほしいんです。そんな人々のニーズに応えるつくったんです。」(単行本上巻8頁より引用)


「誰にでも気持ちよくしてもらえば嬉しい」と言う春志は、誰かを特別扱いしなくても自分を楽しませてくれる者はいくらでも現れる、と考えているのかも知れない。(上巻149頁)


では、また。


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季節はずれ

2013-02-14 | days






お爺々でも

心ときめく

バレンタイン・・・






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『傾国子女』

2013-02-13 | books
「傾国子女」島田雅彦 文藝春秋社 2013年(初出文學界2010年6月号~2012年5月号)

神楽坂にいた七海の目の前で女性が車にはねられて死んだ。その人は死ぬ直前自分の名前はシラクサチハルだと言った。それから七海に霊が憑りついた。チハルの。占い師によると、彼女の話を聞いてあげてそれを一代記に書くべきだそうだ。覚悟を決めると、始める白草千春の一代記は、美貌に生まれ、男を狂わせる女の話…

ううむ。読んでいる途中では評価がどうなるか不明な作品だった。面白いのと不可思議なのと、自然でかつ不自然な流れが混在していた。

最初は女の子の視線で描いてる様が甘ったるくて、若干気に障った。我慢して読んでいるうちに、それにも慣れ、そして物語に身をゆだねているうちに、その先は何とも読み止めることが出来なくなっていった。

千春は、中学生にして義父を、高校生にしてやくざを、政財界の大物を、大学生にして首相の息子を大学の教師を…(中略)…狂わせる。と書くと、単にエロティックで卑猥な小説のように見える。そのような部分は意外なほど少なく、苦悩する男たちと苦悩する千春と苦悩する周囲の、「苦悩」そのものが読みどころだ。

痛快でもなく、同情でもなく、傍観でもない。読みながら持つ感情をどう表現したらよいだろう。出来の良い、昭和のメロドラマの登場人物に自分がなったような一体感。それが一番当たっているだろうか。あるいは、

国を傾けるほどの女。に、自分がなったような感覚。

千春の周囲の男性の酷さが目立つのだが、ふと気づくと、その酷いことを、自分がしている(していた)ことに思い至ってしまう。すると全然違う読み方が出来ると思う。(私がちょっと自分の事で反省することがあったということはここだけの秘密にして欲しい)

では、また。


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『望郷』湊かなえ

2013-02-12 | books
「望郷」湊かなえ 文藝春秋社 2013年(初出オール・スイリ、オール読物)

瀬戸内海の同一の島に住む者に関わる短編集

<みかんの花> 島から駆け落ちした姉が作家となって成功した。しかし音沙汰はなかった。島が別の市と合併し名称が変わるため、その式典に姉がやって来ると言う。

<海の星> 父が行方不明になった。たまたま知り合ったおじさんが魚をくれるようになった。息子から見た、母親とそしておじさん。おじさんはやはり美しい母が目当てだったのだろうか。長い年月が経て、解ける誤解。

<夢の国> (ディズニーランドを連想させる)東京ドリームランド。ずっと行きたかったのに連れて行ってもらえなかった。長年の夢が叶って、母になってから夫と娘と来てみると。

<雲の糸> 母が父を殺した。母が出所した後、島を出て家族で暮らせばいいのに、島に住んだため、いじめを受けた。僕は島を出て、歌手として成功した。島でのことは隠していたのに、島で僕をいじめた者から島での行事に参加して欲しいと連絡がある。

<石の十字架> 島にまつわる隠れキリシタンの伝説。仲良くしていた友達との記憶。娘の苦悩。女の子の心理。

<光の航路> 教師をする僕は、生徒のいじめ問題で悩んでいる。父も教師をしていたが、もう死んで20年が経った。死んだ父からのアドバイスとは。

「海の星」がすごくいい。と思ったら、日本推理作家協会賞の短編部門を受賞していた。そりゃそうだろうの出来。これ以外では、「雲の糸」の読者を主人公の気持ちへと引張って行く様も巧い。「光の航路」も悪くない。

湊かなえらしい、そんな事しないだろう、そんな事言わないだろう、という無理矢理自分の結末へと持って行く強引さと文章の硬さがやや薄いかなと思った。

結末に救い、癒しが必ずあるので、彼女の作品についた「嫌ミス」「いやミス」(嫌な感じのするミステリ)という呼び名は今回は当たらないと思う。

では、また。


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『売れる作家の全技術』大沢在昌

2013-02-11 | books
「小説講座 売れる作家の全技術 デビューだけで満足してはいけない」大沢在昌 角川書店 2012年(初出小説野生時代2011年7月号~2012年8月号)

23歳でデビューし11年で28冊の小説を出しながら全く売れず、29冊目でやっと売れた著者が、雑誌の誌上で講座の参加者を募集し、提出して貰った作品の選考をした上で選んだ12人の前で行った月に一度の講座を本にしたもの。

見た目はダサい実用書にしか見えないけれど、中身は詰まってる。面白い小説とは何か、面白くない小説には何が欠けているか、どういう書き方をしてあると読者の心をつかめるのか、言わば、カリスマ店員が素人店員に手ほどきをしている様を、消費者が覗き見できる。

小説を書くにはもちろん、読む上でも参考になる話が非常に多い。抽象的な話はほとんどなく、実践的で具体的な話ばかり。

こういう本で自分のやり方を披露したり、えらそーに生徒の作品を批判したりする様を読ませるのは作家のとってあまりプラスにならないように思う。特に現役で活躍している時には。

しかし、氏の厳しくも真摯な受け答えには好感が持てるし、そこまで苦労して文字をひねり出しているのかと知ると、今後も大沢在昌の小説をちゃんと読み続けていこうと思ったりもする。もちろん、文章を作る苦労という意味では、彼だけでなく作家一般の仕事をリスペクトする事にもつながる。

ミステリの新人賞の応募要項で、

選考委員の馳星周さんが「小説家になりたい人間はいない。小説を書くことしかできない人間なら歓迎する」というようなことを書いています。「作家になりたい」のではなく、「小説を書きたくて書きたくて、書き続けた結果が作家という職業である」ということなんだと思います。(171頁より引用)


作家だけではなく、サッカー選手になりたいという欲望を持つことは大切だけれど、それより、サッカーをやる以外何も出来ない人というのは本当に強いし、他にも勉強以外何も出来ない、ダンス以外の事に何の才能もないという「○○しかない」という人がその世界で成功していく人なのかも知れない、などと思った。

色々やりたいし、色々出来るけれど、とりあえずこれをやっているという人と一緒にこれをやるよりも、これ以外に何もやれないという人とこれをやる方が楽しく、あるいは濃ゆい時間を過ごせるように思う。行動のオプションが昔よりも多くなっている時代だからこそ。

「元Jリーガー」や「元プロ野球選手」はあっても、「元作家」という肩書きはありません。現役以外は「作家」とは呼ばないからです。仕事をしている間は作家と呼ばれるけれど、仕事をしなくなったら、「元作家」ではなく「ただの人」です。いないのと同じ、存在が消えてなくなるだけです。(259頁より引用)


うーむ。なるほど。作家であるということは、生きる、呼吸をするということと同じなのかも知れない。

では、また。


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マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ

2013-02-09 | laugh or let me die


どうしたんだい。

ぼくが作った料理どうして

全然手をつけないんだい。

食べているのはボクだけじゃないか。

え?わんだって?

あたしたちは、うまくいきっこニャイ?

わんだとー。

わんでそんなこと言うんだよー。

キミはボクのわんダフルな奥さんだよー。



















マイ・ワイフ・アズ・ア・キャット










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