頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

店名にツッコんでください81

2014-03-30 | laugh or let me die
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『神様のケーキを頬ばるまで』彩瀬まる

2014-03-28 | books
生きると書いて苦しむと読んでいたあの頃。明日なんて来なければいい。そう思っていた。あの頃に戻って、自分に、大丈夫、もうちょっと辛抱すれば苦しくなくなるよ、そう言ってあげたい。

などとポエムを吟じてみたくなる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。

あまり馴染のない作家による短編集は、生きるのがちょっとつらい人たちの話。

古本屋でバイトする女の子は音楽をやっている。上手くいっていたユニットの相方のボーカルが辞めると言い出して…<龍を見送る> 指圧のチェーン店の一つを任された女性。離婚した。息子はひきこもり。彼氏との関係に問題がありそうな客を施術していると…<泥雪> カフェの店長はコンプレックス持ち。自分に彼女なんてできないと思っていると…<七番目の神様> カッコよくて将来性のある彼にとって私はガールフレンドの一人。なんとかオンリーワンになろうとする…<光る背中> 親友と二人でお金をためて開いたカフェ。パンケーキに人気が出て行列ができるようになった。しかし仲たがいして、別の道を行くことになり、仕事がなくなってしまった。別の仕事を見つけ、そして見つけた自分とは…<塔は崩れ、食事は止まず>

ほんのりとした救いと癒しはあるけれど、それ以上に人の内面描写がすごくいい。各短編ごとに関連があってこのつなぎ方もいい。

学生を見ると、いつも私はかわいそう、と思う。これからもたくさん怖い目に逢い、打ちのめされ、痛まなければならない。逆に高齢者を見ると、うらやましい、と思う。もうなにも成さなくたって、誰にもなんとも思われないのだ。


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今日の一曲

作者は彩瀬まる。ということで、マル・ウォルドンの「レフト・アローン」



では、また。
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『仕事に効く教養としての「世界史」』出口治明

2014-03-26 | books
歴史には興味がなかった。松本清張なら何でも片っ端から読んでいた中学生の頃。「かげろう絵図」や「或る『小倉日記』伝」、「西郷札」のような歴史の匂いのするものには手を出せなかった。パラパラめくっても興味が持てなかった。演歌に対するのと同じような「ジジくさい」「ババくさい」感覚を持っていたからだろう。

歴史が面白いと感じたのは高2のとき。世界史の授業が面白かった。メーカーで10年ほど勤務してから、高校の先生になったという変わった経歴を持つ先生の授業は、面白いと言うことを体感させてくれ、かつ、受験にも役に立つというありそうでないものだった。他にも個人的な理由があって受験では世界史を選択した。日本史にはとても疎かった。

それから年月が経って日本史の本を読むようになったら、日本史ってこんなに面白いものだったかと眼球からウロコがパラパラと落ちた。世界史と日本史を分けるのはナンセンスで難儀な話やのおと思いつつ。

「人間はワインと同じだ」30代の頃でした。元米国国務長官ヘンリー・キッシンジャーと10人ぐらいで食事をしたときに、僕は末席にいたのですが、その席でキッシンジャーがワインのグラスを手に回ってこう言ったのです。
「どんな人も自分の生まれた場所を大事に思っているし、故郷をいいところだと思っている。そして自分のご先祖のことを、本当のところはわからないけれど、立派な人であってほしいと願っている。人間も、このワインと同じで生まれ育った地域(クリマ)の気候や歴史の産物なんだ。これが人間の本性なんだ。だから、若い皆さんは地理と歴史を勉強しなさい。世界の人が住んでいる土地と彼らのご先祖について、ちゃんと勉強しなさい。勉強したうえで、自分の足で歩いて回って人々と触れ合って、初めて世界の人のことがよくわかる。特に僕のような外交官にとっては地理と歴史は不可欠だ」

さすが、キッシンジャー。ええことをいわはる。

本書は、日本生命で勤務した後、ライフネット生命を興した著者が、様々な歴史書を読んで人の話を聴き、旅をして、自分で咀嚼して腹落ちしたことを書いたもの。(「腹落ち」という言葉は初めて見たけれど、なかなか具合のいい言葉)

独自の切り口で歴史を掴みとる本で、例えば<世界史から日本史だけを切りだせるだろうか><歴史が中国で発達したのはなぜか><宗教のはじまり><ドイツ・フランス・イングランドは一緒に考えるとよくわかる><交易の重要性><アメリカとフランスの共通点=人口国家>という捉え方で語ってくれる。

<中国を理解する四つの鍵>として、中華思想、諸子百家、遊牧民族と農耕民族の対立と吸収、始皇帝のグランドデザインを挙げていて、なるほどそう考えるとよく分かるなー。

世界史にある程度詳しい人が読んでも、「こういう風にまとめるのか」とか「新鮮な見方」を感じることができるし、詳しくない人にとっては世界史ワンダーランドに入るのに、入場券として持っているとベリーグッドだと思う。

ただし「仕事に効かせよう」と思って読んでも「直接すぐには効かない」と思う。世に自己啓発本はあふれている。しかし本当に自分を啓蒙したりするのは、「○○するだけでできる人になる」とか「○○力を高める」のような、やればいいのかも知れないけれど、やらないことが書き連ねられている文字数が妙に少ない「読みやすい」本ではない。

啓蒙されたりインスパイアされたりするネタとは、本に答えそのものが書いてあるから読んでそれをそのまま頂こうとすれば得られるのではなく、何の目的もなく読んでいればそれが蓄積して、結果として自分の答えがいつか後に見つかるかも知れない、ということではないかなと思う。そして、そのヒントは、自らの感覚を研ぎ澄ませば求めなくても自然と入って来る。そういう即効性じゃなくて遅効性のヒントなら、この本にうじゃうじゃとある。

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今日の一曲

世界史…ワールドということで、Mr.ChildrenのInnocent World



では、また。
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『波形の声』長岡弘樹

2014-03-24 | books
先日久しぶりに知り合いに会った。彼は言う「このままでは同期に負ける」「Kはずるい。僕とフェアーに闘ってない」「Sに負けていて悔しい」 他人と比較してばかりの人生。

などというどうでもいいことを、思い出したのは、80歳を過ぎて車の運転もままならないのに、自分と同じ歳のライバルがいるからやめられない、という男を描く<宿敵>や、どっちが出世するかということばかり考える女子部長(と書くと性差別だろうか)と、女性次長を描く<黒白の暦>を読んだとき。

どんでん返しを主軸にした短編小説集。ラストのひねりがまずありきのテクニック重視な部分は否めないけれど思わず「巧い」とつぶやいてしまう。冷や水を浴びせられるようなラストもあれば、ほんわりと温かいラストもある。

しかし、小説は後にずっしりと残るのが「よい」ものなのだろうか。すっきり後に何も残らないのが「よい」ものなのだろうか。それすらいまだに分からない。

ボノが歌うように。

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今日の一曲

U2でI Still Haven't Found What I'm Looking For



では、また。
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『はだかんぼうたち』江國香織

2014-03-22 | books
歯科医桃36歳と年下のボーイフレンド鯖崎。桃の中学校からの親友響子、彼女の夫、子供たち4人。桃の姉陽42歳フリーライター。陽と桃の母由紀、夫は引退した歯科医。という様々な人たちの視線で、ある種の一つのコミュニティを描く。

一つ一つの話の展開が早くそのことに関して説明をあまりしないので最初は面食らうが、そのミニマムな説明がシンプルな美しさを生んでいる。テーマがこれと言ってあるわけでもないのにグイグイと読んでしまう。

江國独特のことばの使い方がいい。

初対面のときからそうだった。思いだし、そのことに桃は、甘やかさではなく茫漠とした不安を覚える。対処できないほどの災難に、それと気づかず自分で飛び込もうとしているのではないかという不安。あるいはもう飛び込んでしまったのだろうか。石羽と別れることによって?桃にはその判断がつなかい。けれどともかく”自然”ということが、桃には恐ろしいのだ。”自然”には、選択の余地がない。

自然か。自然。なるほど。

「新しい恋人の話も、まだいろいろ聞きたいし」
と、にこやかに続ける。恋人とは言いきれない、とくり返したところで意味はなさそうだった。人と人との関係すべてに、名前をつけることなど可能だろうかと桃は訝る。名前がそんなに大事だろうか。

名前が大事ではないのかも知れないけれど、言語化できないことを我々がどれだけ思考し記憶できるのだろうかとは思う。でも名前そのものは大事ではないのかも知れない。

「じゃあ、これはゴミ?捨てていいのね」とか、「あとから取りに来られても困るんですからね」
とか、しょっちゅう横から口をだすその女は、険のある顔立ちをしていた。五十代前半だろうか。色が白く、唇が薄く、昔は美人の部類だったのかもしれないが、いまではどこもかしこもくすんで、乾いていた。実際、彼女がそばに来ると、何年も使われていない薬箱みたいな匂いがした。

女に対する冷たい言葉を持つのは女。

陽と桃の母由紀は夫べったりで、家庭のことはかなりきちんとしているよう。そこだけ見れば良い人のようだけれど、娘からはかなり疎まれている。そっちだけ見れば、娘たちを自分の型にはめようとする嫌な女ということになる。

桃自身と桃の恋愛のこと、響子自身と響子の家族と響子の恋愛のことがメインに置かれるけれど、この由紀という「嫌な感じ」の女性が興味深かった。

全てに答えを提示しようとか、起承転結をすごく意識するとか、よくある小説のパターンに乗っかってなくて、新鮮であり、かつ人生ってそんなもんだよなーという思いも強く感じた。

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今日の一曲

歌詞のイメージがなんとなく本の中身と重なる。JUJUのHot Stuff



では、また。
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『破門』黒川博行

2014-03-20 | books
ヤクザの商売に堅気が巻き込まれてゆく「疫病神」シリーズはもう第5弾。確か第2弾「国境」は父島に行く船の中で読み切ってしまったような記憶が(これは面白かった。)その後が「暗礁」「螻蛄」関西弁のヤクザのオラオラした喋り方とリアルなヤクザビジネスに辟易する人には薦められないけれど、痛快でスカッとするような物語なら好物だという人には薦めたい。


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二蝶会の若頭、嶋田が映画プロデューサー小清水の企画に乗って出資すると言う。出資額は3000万。製作委員会ができたとき1500万、クランクインのときに残りの1500万を支払う約束。嶋田の部下、本シリーズの主人公の一人、桑原は、建設コンサルタント、もう一人の主人公の二宮をこの件に巻き込む。すると小清水は行方不明になる。詐欺師小清水の追いかけて、香港、マカオへ。そして他の組との抗争が…

映画製作(の前段階)の薀蓄やマカオのギャンブル(マカオのルーレットのテラ銭は2.7%ぐらいで、ラスベガスはその倍なんだ。知らなかった)など、薀蓄の幅がすごく広い。

しかし、最大の読みどころは、桑原と二宮のと会話。ボケとツッコミ。何やら、落語を聴いているような感じがする。

後に何も残らないただスカッとするだけのエンターテイメントには最近興味を持てないのだけれど、黒川博行だけは別。やっぱり面白い。

年に一度は本にして欲しい。映像化にも期待したい。二宮役は濱田岳か柄本佑。桑原は赤井英和でどうだろう。

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今日の一曲

桑原はバイオレント。ということで桑名正博feat.押尾コータローで「セクシャル・バイオレット No.1」



では、また。
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『辞書になった男 ケンボー先生と山田先生』佐々木健一

2014-03-18 | books
三省堂国語辞典と新明解国語辞典。どちらも出しているのは三省堂。かたや用例の充実した辞書とかたやかなり独特の語釈の辞書。この二つの辞書はケンボー先生こと見坊豪紀(けんぼうひでとし)という編纂者と、山田先生こと山田忠雄という編纂者による。もとは東大の同級生だった二人がどのような経緯で違う性格を持った辞書を作ることになったのかを描く、NHKBSのドキュメント番組を書籍化したもの。

新明解と言えば、赤瀬川原平の「新解さんの謎」で、その独特の語釈が話題になった。面白く読んだ。新解さんなる人物が書いているという風にとらえているのだけれど、三省堂の編集部ではそういうのは困るし、ケンボーVS山田の対立を描かれるのも困るとのこと(そうなのか)

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元々は、ケンボー先生が三省堂国語辞典(三国)も明解国語辞典も編纂をやっていたそうだ。彼は何と前人未到の145万もの用例を採集した。家族旅行の最中でもずっと用例を採集していた、採集の鬼なわけだ。

山田先生は彼の助手のような立場にいたのだけれど、(ネタバレを避けて経緯は中略)新明解を独自に作ることになった。

山田は「辞書は文明批評だ」と考え、ケンボーは「辞書はかがみだ。ことばをうつす鏡であり、ことばを正す鑑だ」と考えた。用例が豊富な三国も、オリジナルな語釈のある新明解もそれぞれ「正しい」のだろうと思う。

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それぞれの辞書からたくさん引用されている。特に面白いと思ったのは、

【愛】(相手のしあわせや発展をねがう)あたたかい気持ち(三国初版)

どうぶつえん【動物園】生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕えてきた多くの鳥獣・魚虫などに対し、世界空間での生活を余儀無くし、飼い殺しにする、人間中心の施設(新明解四版)

ろうや【老爺】著しく年をとったため、動作に活発さを失い、過去の思い出に生きる男性。(新明解初版)

三浦しをんの「舟を編む」で、辞書は面白いというブームが、一時的かつ局地的に起こったように思うけれど、本書も同じようなブームを一時的かつ局地的に起こすような気がする。

何かのスポーツでも学問分野でも趣味でも何でも、何かのマイブームが沸き起こったときに、その波に乗っかっていけると、ものすごく遠くまで行けるのだろう。その結果、一流のアスリートだったりアーティストだったり、研究者だったり、筋金入りのオタクになれたりするのではなかろうか。なんつって。

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今日の一曲

辞書からなんも思いつかない。ので、レキシの「どげんか遷都物語」



では、また。
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店名にツッコんでください80

2014-03-16 | laugh or let me die
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『殺人犯はそこにいる』清水潔

2014-03-14 | books
何か殺人事件があったとする。容疑者が逮捕された。すると容疑者宅の壁にはスプレーで、殺人犯は死ねと描かれ、家族には一般人から容赦ない攻撃が始まる。充分ありうる話。しかし、推定無罪の原則はどこにいったのだろうか。冤罪の可能性があるとは考えないのだろうか。たぶん、だって警察が逮捕したんだから、そいつがやったんだろ?と言うのだろう…

「隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件」が副題の本書。嘘だろう。こんな本読んだことがない。血が沸騰するとはこういう事か。

足利事件はご存じだろうか。1990年栃木県足利市で松田真美ちゃん4歳を殺害したとして菅家さんが逮捕、起訴され無期懲役の判決が下った。しかし判決の根拠となる自白は強制されたものであり、DNA鑑定にも危ういものがあった。そして未解決事件と合わせて、これは5人の幼女が殺された連続殺人事件だと考えた著者の日本テレビ記者の執念の取材の結果、真犯人は別にいるという結論へと至る。(なにっ)

普通は、冤罪だから、捜査当局に真相究明を求むという結論で終わりになるのに、真犯人が分かっていると言う。(なんだとっ)様々な物事が根底からひっくり返る、超弩級の傑作ノンフィクションだ。騙されたと思って読んだ方がいい。いや、読まなければならない。捜査当局という人間集団に通底する何か、人間の偏狭さ、大きく言えば司法行政立法の三権分立や法治主義についてすら、考えさせられる。

我々の心に潜む、深い深い、そして陥りやすい穴を浮き彫りにする。怒りで熱くなり、背筋が凍る思いをし、そして自らの心にある砂漠を見渡す。被害者も加害者も冤罪被害者も警察も検察も裁判所もメディアも、そして視聴者も読者も、誰にとっても他人事ではない、ヒリヒリするような真実。我々は、一度穴に落ちたら、自らの力では決して出て来られない。

1948年殺人事件で死刑判決を受けた免田栄さんは1983年に再審無罪を勝ち取った。

83年に免田さんを取材した時のことが、忘れられない。脳裏に、今も焼き付いているその表情。熊本市内で夕食を一緒に取り、帰路タクシーを拾った。後部座席で車窓に目をやっていた免田さんが、ふと思い出したように前方に顔を向けるとこう言った。
「あんた、免田って人、どう思うね?」
尋ねた相手は運転手だった。当時熊本で「免田事件」を知らない人はいない。免田さんは続けた。
「あの人、本当は殺ってるかね、それとも無実かね?」
ハンドルを握る運転手は、暗い後部座席の顔が見えない。まさか本人が自分の車に乗ってるとは微塵も思わなかったのだろう。
「あぁ、免田さんね。あん人は、本当は犯人でしょう。なんもない人が、逮捕なんかされんですよ。まさか、死刑判決なんか出んとでしょう。今回は一応、無罪になったけど…知り合いのお巡りさんも言ってたと」笑ってハンドルを廻した。
「そうね…」免田さんは、目線を膝に落とした。
人は、ここまで寂しい表情をするものなのか。

警察、検察、裁判所、そしてメディアが作り出した虚像は、そう簡単には払拭できないのだ。我々が日常生活で頭に張り付けた偏見も、一度張り付くと剥がすのはとても困難になってしまう。

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今日の一曲

殺人事件ということで、The Power StationでMurderess



では、また。
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『セラピスト』最相葉月

2014-03-12 | books
人はなぜ病むのかではなく、なぜ回復するのか知りたい。人の潜在的な力を伝えたい。という動機から、精神科医の中井久夫に絵画療法のカウンセリングを受け、心理学者木村晴子に箱庭療法のカウンセリングを受ける。そして取材を通して心理療法の歴史を遡る本。

私自身、心には小さい時から悩まされ、そして小さい時からずっと考える対象だった。今でも同様に。人はなぜそれをするのか。なぜしないのか。気になるから色々読んでみた。ピンと来るのもあり、来ないものあり。フロイトや岸田秀の「ものぐさ精神分析」に衝撃を受けたのは高校生の頃だったか。

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この「セラピスト」は今までとは全然違う方角から私の腰あたりをチクチクと刺激する。フロイトからはじまる「精神医学療法」の、心の中の無意識を意識化することで治るという考え方にはなんとなく賛同できるような気がしていて、他の療法にはうさんくさい気分しか感じてなかったので読む気がしなかった。ので、カール・ロジャースの「非指示的・来談者中心療法」(カウンセラーは基本的に患者の話をひたすら聞く。説教がましいことは言わない)や、動物実験から導かれた学習理論を基礎に問題行動を治療する「行動療法」について全く知らなかった。そして患者が箱庭に物を配置することで、言葉にできないイメージを具現化する「箱庭療法」についても、ほとんど知らなかった。うさんくさいイメージは、読んでスッキリサッパリ一掃されてしまった。むしろ、箱庭療法の持つ力に、様々なことを考えさせられた。

言葉はどうしても建前に傾きやすいですよね。善悪とか、正誤とか、因果関係の是非を問おうとする。絵は、因果から解放してくれます。メタファー、比喩が使える。

妄想は統合失調症の専売特許ではない。私たちが言語をもち、言語の世界を生きる限り、そこから逃れることはできない。だからこそ、いったん因果律から解放される必要がある。特に治療の場面では。

因果関係に囚われている…私のことか…

箱庭とは、クライエントが一人で作るものではなく、見守るカウンセラーがいて初めて、その相互作用によって作られるもの。ドラ・カルフが、ローエンフェルトの世界技法を箱庭療法へと発展させるにあたって明確に打ち出したのは、治療者と患者の関係の大切さだった。どんな療法が行なわれても受容しようとする、治療者の安定した姿勢が箱庭の表現に影響を与える。カルフはこれを「母と子の一体性」と表現し、「自由にして保護された空間」を治療者の関係性の中で作り出すことが治療者としての任務であると述べている。

河合隼雄は言う。

われわれ臨床心理士が社会の要請に応えてやることの根本にこのことがあるというふうに思います。「真っ直ぐにきちんと逃げずに話を聞く」ということ、これがなかなか社会の中で行われていない、これは家庭の中でも行われていない、会社の中でも行われていない、友人同士でも行われていない、それをわれわれはきちんとするということだと思います。

ラストで最相自身が心の問題で悩み、そして都内のあるクリニックで診察を受け、ある診断名が下ったことが書かれる。これを本の冒頭に持って来ないでラストに持ってくる意味。全てを最初から読むと、じわじわと感じる。

また、第八章「悩めない病」では、現代の若者について書かれている。箱庭療法や絵画療法はやりにくくなっているそうだ。箱庭や絵画のようなイメージの世界に遊ぶ能力が低下しており、内面を表現する力が落ちていて、しんどいということは分かるが、何と何がぶつかっているのか分からないそうなのだ。主体的に悩むことができないのだと。

学生相談の場では、問題解決のハウツーを性急に求める学生と漠然と不調を訴えて何が問題か自覚できていない学生とに二極化しているそうだ。後者は内面を言葉にできず、大学生活に順応できず、自傷、過食、過呼吸などの行動、身体化に至る。手首を切っても、なぜ切ったのか、切ることで何が得られるのか、失われたのか答えられない。気づいたら切っていただけなので、何の反省も後悔もない。20年前の学生はそうではなく、青年期らしい悩みを抱え、カウンセラーが共感的にその話を聞いているうちに、学生自らが答えを見いだして解決していった。

主体性が希薄な現代の若者が「なぜだかわからないけど、切ってしまうんです」と言ったら、「なぜ切るのか考えなさい」という精神分析的アプローチをしても「切ってしまうんですね」とロジャース的に共感しても効果がないのかも知れない。それで2010年頃から大学の相談室では認知行動療法が広がっているそうだ。自動思考と呼ばれる、自分はダメだ、先生は私を愚かだと思っているに違いない、といった捕え方を、本当にそうなのかと意識したり練習したりすることで修正していくやり方なのだそうだ。

なるほど。昔は物だけを相手にすればよかったのが、社会全体でサービス業が増え、第三次産業化したことが近年発達障害が増えた原因だと河合は見ている。なるほど。

てな具合で、人生そのものに悩みそして即物的に解答を求めようすれば何も得られない類いの本ではあるけれど、心とは何か、最相と一緒に考えたい者にとっては、キラキラ光る宝石の原石があちこちに転がっている。

本全体に一貫して流れる、淡く易しい文体がとても心地良かった。

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今日の一曲

心理カウンセリングは、psychotherapy、ということでpsychoつながりの、Love PsychedelicoでLady Maddona~憂鬱なるスパイダー



では、また。
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『遮断地区』ミネット・ウォルターズ

2014-03-10 | books
「氷の家」や「女彫刻家」のような猛烈に暗いのに心を打たれる作品を書く私の大好きなミネット・ウォルターズ。本作は、閉ざされた空間における暴動の発生過程と、女児失踪事件を描く。

パジンデール団地は貧困者が住む治安の悪い場所だった。そして10歳の女の子が行方不明になる。そこへ越してきた父と息子が小児性愛者であるという情報が流れ、それを心ない保健婦が地元の女性に話してしまう。そしてその話が広まり、小児性愛者がその女の子を誘拐したのだからそいつらを成敗してやるという動きが出て来た。そしてこの団地は簡単に外部から侵入できない空間だったので、警察が鎮圧するのが難しかった。並行して描かれるのは、女の子の母親、母親の同棲相手、その子の実の父親、父親のクライアント、それぞれの証言を聞き、そして段々と真相が浮かび上がってくる…

うーむ。うーむ。うーむ。まさか英国ミステリーの女王ウォルターズがこんな作品を書くとは。嫌な女を描く巧さ。何かが起こるぞと期待を盛り上げる巧さ。何が起こるかは冒頭にも書いてあるから予期できるにもかかわらず、感じる暗い色、群青色のドキドキ感。

暴動が発生していく様をこれほど克明に描き、そしてそれがすごく読ませるという作品はちょっと他にない。ドキュメントタッチノベルと言ってよいだろう。手にじっと汗をかいてしまうほどの緊迫感のあるシーンが続く。

しかししかし。そっちとは別の女児失踪事件。こっちがさらに読ませる。(たぶん、暴動の方がメインテーマだと思うので、やや邪道な見方なんだろうと想像する)嘘と真実。その境界線はどこにあるのか。

そして人間ドラマ。暴動の中、他人を助けようとする者たち。

結局、人間はとてつもなく邪悪で、とてつもなく善良なものなのだろうか。

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今日の一曲

なんも思いつかない、と書いたんだけど、後で突然思いついた。遮断地区、地区、ちく、ちく、ちくたく、ちくたく、時計。と言えば、ColdplayでClocks



では、また。
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『シスターズ・ブラザーズ』パトリック・デウィット

2014-03-08 | books
山師を殺せと命じられた、殺し屋のチャーリーとイーライのシスターズ兄弟。1851年ゴールドラッシュの最中のカリフォルニアへ。二人のアナーキーな珍道中を描く、ただそれだけの話。

ただそれだけの話。こんなB級クライム・ロード・ノベルなんて面白くない。こんな小説楽しんじゃいけない。そう言い聞かせながら読んでいたのに。

おおー。なんじゃこれは。面白いではないか。面白くないと思いながら読むと、さらに面白が増してしまった。

学があるとは言い難く、モラルがあるとも言い難い兄弟の行動、発言。オレゴンからサンフランシスコへと移動する過程で起こる出来事。そして意外なラスト。全体に漂うアナーキー感とシュールさは半端ではない。

シスターズ・ブラザーズというタイトルは、ドラマの「ブラザーズ&シスターズ」のような、兄弟姉妹の意味だと思っていたのだけれど、シスターズは苗字で、チャーリー・シスターズとイーライ・シスターズという名前。つまり、ソロモン・ブラザーズとかワーナー・ブラザーズとか阿佐ヶ谷シスターズみたいなもの。その意味のないおふざけがまたアナーキー。

何やら哲学すら感じてしまったりして、大いに楽しませてもらった。似たような芸風らしいコーク・マッカーシーの「ザ・ロード」を読んでみたくなった。

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今日の一曲

シスターズということで、ビジュアル良し・歌も上手しのLennon & MaisyのStellaシスターズで、Ho Hey



では、また。
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『帰ってきたヒトラー』ティムール・ヴェルメシュ

2014-03-06 | books
1945年に自殺したヒトラーがどういうわけか2011年のドイツに蘇る。しかし周囲にはヒトラーの真似をしている人としか思われない。本人はいたって真面目に言動しているつもりなのに、いつのまにかコメディアンとしてテレビに出ることになった。その過激な発言でドイツは揺れる…という誰も思いつかなかった設定。

設定そのものだけだと、単なるおふざけフィクションにしかならないし、方角を間違えるとヒトラー礼賛書として発禁処分になってしまう。「わが闘争」のように(何度か読もうとしたのだけれど、読みにくくて断念している)

この小説が只者ではないのは、もし本当にヒトラーが蘇ったら、何をどう考えるか、そしてどう発言するか徹底的に考えられているからだ。いかにもヒトラーらしい物事に対する見方や、発言の仕方、スピーチの天才と言われただけあるスピーチの巧さなどがあちこちにある。

決してヒトラーやナチス礼賛ではないのは、彼をコメディアンにしていることと、あくまでもヒトラー個人はユダヤ人虐殺に対して全く反省してないが、読む方がユダヤ人虐殺を正当化するような方向には決して物語が向かわないことで分かる。(私個人は、ナチス信奉者どころかかなり左寄りの政治思想を持っている(と自分では思っているので)そういう方向に進んでいく小説なら途中で読むのをやめる)

ヒトラー個人を人間的に描いた作品だとある程度言えるように思う。そしてそれプラス、現代社会に対するかなり強烈な批判

現代の新聞を読んでヒトラーはこう思う。

人びとの知識とは所詮、新聞から得たものにすぎない。だがその新聞とはいわば、目の見えない人間が話したことを、耳の聞こえぬ人間が書きとめ、村一番の間抜けがそれを書き直し、ららにそれをよその新聞社が丸写ししているだけのものだ。

うーむ。さすが総統。相当スルドイ。

毛沢東とかスターリンのような決して蘇って欲しいとは思わない歴史上の人物もいるけれど、吉田松陰とか、カール・マルクスとか、石橋湛山とか、ヒトラーとか、現代に一か月ほど蘇って、新鮮な視線で我々の暮らす社会をどう考えるか訊いてみたい人もいる。

ヒトラーは、ドイツ帝国の崩壊からワイマール共和国の時代にいたからああいう感じの奴になったけれど、もし1970年代に生まれていれば、どこかの巨大企業の経営者にでもなっていたのかも知れない。人間とは、遺伝子が人生を大きく左右するのか、それとも環境の方が大きく左右するのか。どちらなのだろうか。

そして、ラストの終え方がすごくいい。どう物語を収束させるのかと思っていたら、こう来たか。これ以上の終え方はないというぐらい好きな終え方だった。

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今日の一曲

ドイツという国家。ヒトラーにとって、最愛の恋人だったのではなかろうか。ヒトラーほど自国に恋した為政者はいないのかも知れない。大好きな人を歌うと言えば、Chris De BurghのLady In Red 今聴いても何かが胸を焦がす。命短し、恋せよ、若者たち。



では、また。
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『ゴーン・ガール』ギリアン・フリン

2014-03-04 | books
男は言う。

愛しあっているふりをし、愛しげな態度を示しつづけていると、それが愛だと錯覚しそうになるときすらある。

女は言う。

愛は無条件なもの、と教えられた。それがルールだと誰もが言う。でも、愛に限界も制約も条件もないのなら、正しくあろうとすることにも意味がない。なにをやっても愛されるとわかっているのなら、張り合いなどもない。愛には数多くの条件が必要なのだ。無条件な愛とはつまり、努力しない愛のことだ。そしてもうおわかりのように、努力しない愛は悲惨でしかない。

男の名は、ニック。女の名はエイミー。二人は夫婦。ニューヨークで成功していたのに、景気低迷を受けて二人とも仕事がうまくいかなくなり、彼の故郷のミズーリに引っ越すことになった。田舎で幸福に暮らしていたのに、突如エイミーが失踪した。誘拐か。彼女の日記と、彼の行動を交互に描くことで浮かび上がる二人の内面。そして意外な展開は。

うーむ。これはなかなか面白い。いなくなった妻を探す、かわいそうな夫の物語、と見せかけて、夫が嘘をついていたことがすぐに分かる。だとすれば、夫が妻を… とまたそう簡単な話でもなく。表紙裏には「全米で二百万部を記録した海外イヤミスの決定版上陸」とある。イヤミスと言うと、少女誘拐&惨殺のようなパターンを想像してしまうけれど、そっちとは違う。しかしネタバレを避けて、詳しいことは何も言えない。

個人的には、魂をえぐる夫婦小説と呼びたい。

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今日の一曲

ゴーン・ガールという言葉。これは、You've Should Be Goneという歌詞で始まるSteve PerryのOh Sherrie、これしかない。



最初の2分間ぐらい寸劇が続くので曲だけ聴きたい場合は飛ばしてしまおう。歌詞の内容も、この本の内容と奥深くつながっている。ちょっと背筋がぞくっとするほどに。

では、また。
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『ふしぎなキリスト教』橋爪大三郎・大澤真幸

2014-03-02 | books
キリスト教ってなんだかへんだなーと思っていた。山口さんちのツトムくんじゃないけど(古い古い) マリアは処女なのに、キリストを受胎した?なんで?キリストは復活した?人間じゃないの?超人?キリスト教はファンタジーなの?三位一体ってなに?神とキリストと聖霊は同じもの?なにそれ?聖霊ってなに?てなぐあいに。

昔むかし、あるところに、七人家族が暮らしていました。「戦後日本」と、表札が出ていました。家族は両親と、五人のきょうだい。「日本国憲法」「民主主義」「市場経済」「科学技術」「文化芸術」という名の、いい子たちでした。でもある日、五人とも、養子だったことがわかります。「キリスト教」という、よその家から貰われて来たのです。
そうか、どうりで、ときどき、自分でもおかしいなと思うことがあったんだ。そこできょうだいは相談して、「キリスト教]家を訪問することにしました。本当の親に会って、自分たちがどうやって生まれたか、教えてもらおう。忘れてしまった自分たちのルーツがわかったら、もっとしっかりできるような気がする…。

なるほど。本書では、二人の社会学者が対談形式で、最初の私の疑問に答えてくれるし、次に引用したような「日本人がキリスト教を理解するとどんないいことがあるのか」にも答えてくれる。

神がもともと姿もなく、世界の外にあって、世界を創造した絶対の存在であることと、人間に姿が似ていて、エデンの園を歩き回ったりしていることは、矛盾しないか。これを矛盾なく受け取るにはどうしたらいいか。私の提案ですが、人間は神に似ているが、神は人間に似ていない、と考えればいい。言ってること、わかります?たとえば神を、四次元の怪物みたいなものと考えるのです。それを三次元に射影すると、人間みたいなかたちになる。人間が神を見ると三次元だから、自分とおんなじだと思うかもしれないが、神の存在そのものは、人間より次元が高いから、目がいくつあっても、ヒンドゥ教の神みたいな怪物のかたちでもおかしくない。どう?

ほほー。なんとアクロバティックな解釈。面白い。

我々日本人はとかく「無宗教」であると言われたり、自分でそう思ったりしているけれど、

橋爪さんは、宗教社会学についての著書の中で、宗教とは何かということについて、抽象的な定義を与えていますね。宗教とは、行動において、それ以上の価値をもたない前提をおくことである、と。独特の証明されざる前提みたいなものを置いて、行動の前提にする。宗教をこのように広く捉えると、ほんとうの意味での無宗教とか、無神論というのは、ほとんど不可能ではないかと思ったりします。

なるほど。自分では、行動において、それ以上の価値をもたない前提の例として誰かに説明するときに、「好き嫌い」とか「味覚」をあげていた。論理的な説明ができないから。しかし、それをこんな風に考えることができるのか。ふむふむ。美味しい・不味いと宗教は根っこでは同じなのかな。

ユダヤ教の律法(守らねばならぬルール)については、

もし日本がどこかの国に占領されて、みながニューヨークみたいなところに拉致されるとする。百年経っても子孫が、日本人のままでいるにはどうしたらいいか。それには、日本人の風俗習慣を、なるべくたくさん列挙する。そして、法律にしてしまえばいいんです。正月にはお雑煮を食べなさい。お餅はこう切って、鶏肉と里イモとほうれん草を入れること。夏には浴衣を着て、花火大会を見物に行くこと…みたいなことが、ぎっしり書いてある本をつくる。そしてそれを天照大神との契約にする。これを守って暮らせば百年経っても、いや千年経っても、日本人のままでいられるのではないか。こういう考えで、律法はできているんですね。

おー、そういうことか。虐待されていた民、ユダヤ教徒はどこにいっても自分たちはユダヤ教徒であるというアイデンティティを担保するために、律法を必要としていたのか。日本では、花火大会でテンションが上がったり、神輿を担いだり、成人式で和服を着たりするのはだいたい「ヤンキー」な人たちが多いような気がするが、彼らは日本人であると言うアイデンティティを大切にする人たちということなのかも知れない。言い換えれば、そういうアイデンティティがないと、自分の存在証明ができないということも言えるかも知れないけれど。人は誰もがアイデンティティを必要とするのならば、ヤンキーじゃない人は何か別の方法で自らのアイデンティティを確保しているのだろうか。それは何なのだろう…

世界では多くの人たちが宗教を信じている。宗教なんて信じていないという人は、我々の多くは、ではいったい何を信じているのか、考えるいいヒントがあちこちにあった。(資本主義を信じているとか、民主主義とか、自分自身しか信じてないと言うのは簡単なのだけれど、それをさらに掘り進むと面白いと思う)

え?私が何を信じているかって?もちろん、愛と平和にきまってるじゃないですか、まったくもー。(嘘です)

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今日の一曲

キリストの弟子たちと言えば、やっぱりユダ。と言えばやはり、Judas Priestで、Dying To Meet Youというメタルバンドらしくないんだけど、好きな曲を。



では、また。
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