マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

沢渡温泉 まるほん旅館(秘湯へ その3)

2009年10月08日 | 秘湯へ

 2年前の4月、中学時代のミニクラス会総勢9名で上州の沢渡温泉「まるほん旅館」に出掛けました。
 上野から特急「草津3号」で中之条へ。中之条では昼食にクラスメイト I  さん推薦の「そば処 吾妻路」でお蕎麦を頂きました。この「吾妻路」知られざる名店です。喉ごしのよいもりそばと味わい深い田舎そばがウリで、何れも石臼で挽いた自家製粉が使用されているとの事。私は田舎そばを頂きました。 I さんの話の通り、密度濃い蕎麦湯も美味でした。中之条からはタクシー利用で直接宿に向かいました。

 実はこの「まるほん旅館」、10年ほど前、存亡の危機を迎えていたのでした。旅館店主の息子さんが交通事故で急逝されたのです。「温泉利用権」は相続によってのみ認めるとの温泉組合の規約があり、権利を売買する事は出来ない決まりになっています。跡取り息子さんを亡くされた店主さんは「温泉利用権」を譲るべき、その最愛の息子さんに先立たれてしまったのです。
 温泉廃業を覚悟する失意の日々に、”救世主”とも言うべき方が現れました。この湯治場的雰囲気が気に入り何度か足を運んでいて、実情を知るに至ったAさんが、養子になる事を承諾してくれたのです。某銀行の支店長代理の地位にあったAさんの家族は大反対。でもAさんは時間を掛けて家族を説得、漸く家族の皆さんに認めてもらって、目出度く養子縁組整い、家族の皆さんでこの地に移住、前店主は辛うじて「温泉利用権」を”息子”さんに相続出来たのでした。
 その現店主のAさんが、クラス会の一員 I さんの親戚。その縁で今回のミニクラス会は沢渡温泉「まるほん旅館」と決めたいたのでした。I さんから凡そのことは聞いていましたが、更にこの宿の常連客「嵐山光三郎」さんのエッセイからも上記事実を知りました。Aさんなどと書いてしまいましたが、嵐山さんはエッセイの中でサトシ君と呼んでいます。私はサトシさんと呼ばせて頂くことにして、そのサトシさんはじめ家族の皆さんで総力をあげて、この400年の歴史を持つ老舗温泉宿を盛り立ているとお見受けしました。

 沢渡温泉、昔ながらの有名な湯治場的温泉です。草津の湯が強力でその湯あたりを鎮める為にも、草津の帰り道にこの沢渡温泉が仕上げ湯として利用されたそうで、肌にやさしい美肌湯と言われています。草津と中之条を結ぶ旧道に代わって県道のバイパスが造られ、温泉街へは県道を逸れて旧道の細い道を行きます。その道筋に肩を寄せ合うように数件の宿があります。そのなかでも「まるほん旅館」は老舗。「秘湯を守る会」の会員でもあります。
 何と言っても湯が素晴らしい。内風呂入口から湯殿は見えませんが、木作りの階段を下り、折り返しの階段を下り始めると湯殿の全体が見渡せます。大きな浴槽が2つ。湯は無色透明で、源泉掛け流しの大きな浴槽に浸り、心ゆくまで温泉を味わえます。ミニクラス会の一行もその湯の素晴らしさを実感し、話題も弾み、夜の更け行くまでのお喋り三昧でした。 
 
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