マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

利根運河

2009年10月18日 | 身辺雑記

 10月から勤め始めた中学校、最終下車駅は東武「野田線」沿線にあります。少し興味を持って「野田線」の様子を眺めていました。不思議に思うことは、この野田線、船橋・大宮間を走っているのですが、仮に船橋から大宮へ行こうとすれば、柏で乗り換えなければなりません。この路線、船橋・柏間の往復電車と柏・大宮間の往復電車は走っていますが、船橋・大宮間の直通電車は走っていないのです。
 所謂スイッチバック形式を柏駅で採用すれば物理的には直通運転が可能と、素人眼には見えますが、何故かそうなっていません。柏駅でホームの向こう側に停車中の電車に乗り換えなければなりません。
(駅員さんに聞いてみましたら、一日に数本の電車はスイッチバックとの事でした)
 柏駅で野田線の路線版を見ていて、あ!と思いました。『運河』なる駅名に気が付いたのです。何か遥か昔に記憶した事柄と結びついた感じがしました。それはテレビで観た映像だったかも知れません。あるいはもう何年も前に千葉県を旅行中に見た、珍しい川の像で、何時か行きたいなと思った川だったかも知れません。帰宅してインターネットで調べてみました。
 この『運河』駅の直ぐ傍を『利根運河』が流れ、利根川と江戸川を結んでいる。近辺には東京理科大野田校舎がある、などが分かりしました。
 
 16日の授業終了後、出かけて見ました。運河駅は柏・大宮間にあり、柏から5つめの駅です。柏で乗り換えました。運河駅で下車して駅員さんに運河への道をお聞きします。すると一枚のパンフレットを手渡され、駅舎から出てきて、運河のある方向を指差しで案内してくれました。とても親切です。


          
(東武野田線 運河駅)


       (運河沿いの看板)


          (ふれあい橋)

 商店の脇を通り抜けると運河は直ぐそこにありました。大きな橋がかかり対岸には理科大らしき建物が。橋は「ふれあい橋」で歩行専用の橋。そこから運河を眺めました。水量が極端に少ないのです。想像していたより遥かに少ない水の流れです。ここに到着したのは5時過ぎ、辺りは暮れなずんで来ました。両岸を少し散歩しただけで今日のところは帰ってきました。帰りの電車内で、渡されたパンフレットを眺めました。


        (水量は少なかった)


    (こちらの岸沿いに理科大野田校舎)


      (野田線も見渡せました)

 「流山市観光協会」発行のこのパンフレット「利根運河絵図」と題され、表に運河の概略や運河沿いの名所が紹介され、裏には運河全体の地図が描かれていました。
 利根川と江戸川を結ぶこの運河、1890年(明治23年)に、東北からの物資を船で東京へ早く安全に運ぶ目的で、民間資本で開削し、最盛期には高瀬舟や外輪蒸気船が一日100艘ほど運航していた、とあります。東京ー銚子間を約18時間で結び、大正8年まで人々の往来手段として活躍後は、東京の水不足を補う暫定水路となっていた、とも書かれています。東京から江戸川と利根運河を経て利根川へ、利根川の流れに沿って銚子の太平洋へと抜けたのかなと想像します。物資は東北から太平洋を経て利根川へ。利根運河利用で東京へと運ばれたのでしょうか。
 沿岸に点在する数々の寺や公園や名所、日を改めて訪れて見たくなります。帰宅して妻に話すと、確か花の名所がここにあるのではとの話。更に詳しく眺めると、『運河』駅の近辺には「花の回廊」なるものがあり、秋には曼殊沙華が、春には桜のライトアップが、目を楽しませてくれるとも。千葉県は勝浦ばかりに出かけていましたが、縁あって出向いた房総の地、この利根運河や佐倉、伊能忠敬の出身地佐原にも出かけたいと思いは膨らみます。