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ゆうゆう職場

地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。

仏からの婿殿Cを揖斐川方面へ

2019-12-10 21:24:40 | Weblog
たまにふれるとおり、娘婿のCがフランスから休日を利用して娘に会いに来る。遠距離恋愛ならぬ遠距離結婚生活も2年を超えるし、そもそも知り合ってからは10年を軽く超えて居る (と、内心かぁるく嫉妬)。で、娘は仕事で不在もあってCは我が家から出歩くことも少なく、終日をゴロゴロ・煙草を吸うだけの寝たり起きたり が多い。夜食だけの食事で心配するのだが、カロリーは超絶乾燥=サントリーのスーパードライ500ml缶を8缶ほど/日 で十分と言っておる。
 そんな無聊気味の彼を少しでも慰めようと、ドライブに誘うことがある。幸い、パリの生活からすれば私が好む山岳方面へのドライブで癒される と言ってくれる。彼の起床が9時過ぎと遅くなったが、今日は岐阜・揖斐川方面、横蔵寺の木乃伊を訪ねる。一心に即身仏となられた方を木乃伊とは失礼やもしれん。横蔵寺以前に、15年以上も前に仙台での学会の流れで訪ねることができた山形県鶴岡市・月山の麓にある注連寺で即身仏を拝観したことがある。横蔵寺のことは第2職場の協会業務でお世話になった岐阜県のT事務局長が教えてくだするまで知らなかった。その後、中部地区の協会連絡業務の流れ?で3県の事務局長揃って拝観させていただいたので、今日は3度目となるのかな。ところでC、自宅冷蔵庫から3缶を車中に持ち込んであげたのだが、すぐに!大垣を過ぎた頃のコンビニで補完する。まったくよく飲む。それなのに・羨ましぃ~ ことにトイレ休憩をしなくても好い と云う。こちらはコンビニを見るとトイレに駆け込みたくなるほどに乏しい膀胱キャパ。(が、6缶がきいたのか帰路の大垣あたりではコンビニへ立ち寄って欲しいと云い、こやつも人間だな と一安心)

 行程中に紅葉は望むべくもなく、養老・揖斐の山々も緑の他は茶色一色と言えるほど。ただCはその風情にも癒されるようで連れだしてよかった。おまけに、横蔵寺で即身仏を安置するお堂への道傍に咲くヤマザクラ(でしょうなぁ?)まで見ることができた。



Cとはエジプト木乃伊は怖いけれど、日本のは怖さがないね と、これまた不謹慎な一致。2人ともあの包帯にまかれた姿が苦手。私には中学生の頃に妹と恐々見た白黒TV;恐怖のミイラ が刷り込まれていて、オープニングの女性の歌声?「嗚呼ぁあ~あ、ああっ~~♩」が響く。確かめてはいないが、ルーブルにたっぷりと展示されているミイラ関連を身近に育ったCは別の怖さが刷り込まれておるのかな。この後、6kmほど離れた谷汲寺を回って早めに帰宅の旅路に。5時頃には無事帰着、暖かな晴れ日和(まだ小春日和 と使ってよいのかな)◎今日好日。


干し芋用スライサー自作

2019-12-07 17:53:47 | Weblog
昨日からの曇天、寒そうで部屋にちぢ籠りがちになるので、小屋でみだしのモノを造ってみた。

畑で折角作ったサツマイモだが貯蔵が難しい。小屋に保管しても冬の低温を乗り切ることができず、毎年のように黒く腐らせてしまう。祖母や亡父母の元気な頃に在った小屋の半地下の”室;ムロ”に貯蔵すれば、越冬させて春には芋床で種イモにも使えた。しかし30年も以上前には木造小屋を鉄骨に建て直したし、芋床作りはそれよりもずっと前に止めている。

脱線する。庭先の芋床の作り方を父に教えてもらっておけばよかったと思う。母屋で飼っていた(同居?の)牛の排せつ物と敷き藁の”マヤ”や落ち葉・藁を上手く使って堆肥様にして熱を利用していたはず。記事にしておるように畜産団地にマヤを貰いにいくものの、籾殻堆肥作りには失敗するなど私の百姓仕事は下手である。よく知っていた父を頼ればよかったが、そんなことよりも大事に思うことで眼が回りそうだったのだろうな、当時は。

閑話休題;ムロ代わりに畑を掘り返して土中深く(といっても50cmほど)サツマイモを埋めてあるが、腐ればモノにならん。そこで干し大根同様に干し芋にすることとした。あ、また亭主の気まぐれが始まった と妻は渋い顔をしている。蒸したサツマイモをスライスしなければ干せないので、スライサー自作となった次第。昼前にここまでだったが(雑な仕事)案外と使えそうな気がする。丸棒2本を端に寄せることで張ったステンレス細線(φ0.4)にテンションを与えているが、ちょいと甘そうですな。



 妻の昼食帰宅が遅いため、芋を蒸かす”オムニ石油バーナー”の調子を見ようと、久しぶりに燃焼させた。調子好かったものを欲張りすぎて?未燃焼の灯油を垂らす失敗のおまけつきだった。
 
 

コケる (画、注意)

2019-12-01 21:45:53 | Weblog
夕刻散歩に出かけ、自宅近くになってから転けてしまった。ヒリヒリと掌、膝の表皮が痛い。我慢しての入浴ではシャンプー、石鹸がチョイとだけ余計にしみる。転倒原因;小川沿いの道が白いパイプガード(レール)で通せんぼになっている。足をかけ天辺のパイプから飛び降りたのは好いが、加齢により筋力・脳力も衰えたのかバランスを取れずに、たたらを踏む=踏鞴を踏む で、たららをふむ とか。たまらず手をつく、膝をつく。すぐに立ち上がることができ、膝の骨を悪くしたら隠居のオバちゃん;亡父の亡くなった弟の妻 のように歩行が不自由になり、元気だったのに気力がなくなるのが怖い。無茶しないよう、気をつけましょう


 グロ写真の口直しに、転倒前に通り過ぎた夜陰に浮かぶ?石上寺の石垣と、昨日今日とで30本を畑に植えたキャベツ苗。HCコメリで安価な10本パックを求め、移植時期が遅すぎるのでイロイロ検索情報に従い双葉まで植え込んで少しでも丈夫に育て と。
植え終わってから防虫ネットで風よけを作った。来年初夏のころにはモノになるかしら・・・













ピアノコンサートで

2019-12-01 14:37:22 | Weblog
昨日、Z市の県総文・大ホールでのピアノコンクールを聞きました。眼のご不自由な辻井信行さんのドビュッシー作品をメインな演奏で、久しぶりにピアノを愉しみました。
 が、佳く聴く耳をもたない所詮素人のかなしさ。演奏舞台には大型の画面が据えられ、作品にふさわしそうな絵画が流れるのです。むろん無音で、ルノワール、ドガ、ゴッホ、モネさらに北斎 と多彩です。中学生の頃に求めたはね橋の安いプリント画など想い出し、つい絵に心が奪われます。ピアノがスーッと遠くで流れておるようにBGMのように(パンフの一部にもBGMとありました)聴いてしまうのでした。少し残念です。ポジティブな妻は申しませんが、娘は少しは同意見で、舞台に佳いものを2つ出すべきでない と。
 でも佳かったです。好いピアノでした。

 あと、つまらんことをひとつ。
 演奏後のブラボー声と拍手です。ふと、日本での演奏なら、それこそ一流の耳を持った聴衆なら、中には「ありがとう!」との一声がないのかな と。帰宅して検索しますと、”ブラボー屋”サンの存在とかブラヴィーとかブラナンチャラとか男女、複数か単数かによって区別しなければならんのだ と。イタリアに対して敬意を払う必要がありそうです。日本語ではとんでもないのかな。
 拍手については、どこまで続けて拍手すべきか分からんです。なにかアンコールのための拍手の気がするのです。逆に言えば、なぜアンコール なんて私には訳の分からん余興(失礼!)が付いてくるのでしょう。奏者は作品に一生懸命取り組まれたのだから、それに対してだけ賛意を拍手すればいいのに とかって思うのです。音楽専科の妻や娘が笑いますので、小さく言っておきます。佳いピアノをまた聴きたくなりました。