崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「天皇生前退位」

2016年07月16日 05時16分39秒 | 旅行
 大学には教員同士の授業参観があり、昨日は私の授業に参観者が来られた。それは授業法など互いに見て参考にして改善するという趣旨である。それは規則や規制による参観であって自由意思によるものではない。校内では研究会や講演会を行っても関心は少ない。自ら研究会などで学ぼうという自由意識は弱いのではないかと思われる。昨日日本文化論の日本憲法の特徴の講義に経済学者と歴史学者の二人の同僚が授業参観に参加して嬉しかった。
 先週の「日韓の法比較」に参加した学生たちの感想文を読み上げ、学生自ら補助説明などからはじめた。私が「天皇と王」について天皇とは皇族という血縁による世襲heritage、そして即位という継承successionという二つのルールによって成り立っている伝統的な制度であると3分スピーチをし、日本語の理解、意見交換の時間を5分ほどおいてから学生たちの意見を聞いた。中国の学生は中国での「古い皇帝制」をなぜ日本がもっているのか、韓国の学生は「天皇は神か」と質問があった。象徴天皇といわれているのに天皇自身が「生前退位の意向」と言うニュース。いったいこれはどういうことなのか。天皇はの国民か、公務員か、定年退職か、辞職かなど。象徴天皇と巧みに言わせ戦争責任も逃れてきた天皇の象徴性が無くなるのか。日本国の最も基礎である天皇の規定の憲法改正も必要であろうか。宮内庁の山本信一郎次長が「そうした事実は一切ない。陛下は憲法上のお立場から、皇室典範や皇室の制度に関する発言は差し控えてこられた」と完全否定した。当然であろう。しかし真意を知らずメディアは先行して元号さえ考え騒いでいる。学生は「珍しい」「おかしい」という。

 

老人革命

2016年07月15日 05時01分11秒 | 日記
 昨日は早朝から夜まで体力限界の日であった。時々辛い唐辛子の苗や栽培の野菜をくださった教会員の老婦人が昨日86歳で亡くなられ、教会でお通夜があり夫婦で参列した。韓国から来られた教授が高齢者の私が朝から出勤し授業などを行っていることに感動したと賛辞を言ってくれた。彼は、定年後には好きな趣味生活をするか、病院に通う老人像をもっており、それとは異なるという。確かに老人は弱く、まともな仕事はでき難い印象があるが、強気老人も多い。老人は人生達観者としての判断力と勇気があり、改革する力があるのも事実である。鳥越俊太郎氏は私と同年、都知事選に出た。他の候補から高齢を指摘されて、がん闘病の病歴を生かし「都民に都政を取り戻す」と強気を見せている。世論を気にせず堂々と自分の考え方を披露している。老人でなければできないことである。
 

映像民俗学

2016年07月14日 05時26分58秒 | 旅行
 夏の日程が息苦しくなるほど続くようである。充実感がある。昨日東亜大学東アジア文化研究所の研究会で中国の東北財経大学の崔衛華氏が産業遺産の世界遺産登録をめぐる問題点について発表議論した。「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産登録へと進められてきたが日韓の政治問題化した。登録の普遍的価値について議論した。
 映像民俗学の会長から次のようなメールが届いた。

 事務所のはす向かいの新宿御苑の公園から初蝉の声が聞こえてきました。梅雨明けは間近かのようです。さて、本日は、「放浪と遊行芸人たち」を特集するドキュメンタリー映画三部作の上映と多彩なゲストをお招きしてのトークセッションのご案内です。この機会をご友人、知人に広く周知いただき、ぜひともお誘いあわせの上ご高覧くださいますようお願い申し上げます。             
●「見世物小屋」(1997)は封切以来再上映を重ねてきましたが、その度に今は消えてしまった不思議世界がますます懐かしく尊く思われる作品。トークでは、いとうせいこう氏が、最後の名泣きタンカ師、春子さんから語りの諸芸を引き出しつつ、見世物小屋の世界に迫ります。
★「ほかいびと」(2011)は初上映されるや俳句界で井月ブームが巻き起こり、海外でも好評を博しました。田中泯の異彩を放つ井月ぶりと相まって、伊那谷の四季折々の自然と風土、そこで繰り広げられる豊かな祭や行事の貴重な記録が井月の句の世界を実感させるユニークな作品です。トークゲストに俳人の石寒太氏を迎え、北村監督と井月に連なる「放浪の系譜」について語り合います。
▲「冥界婚」(新作:2016)は撮影から17年が過ぎていましたが、韓国の客船セウォル号沈没事故の悲劇を受けて完成させることになりました。韓国東海岸のムーダンが司祭した死者同士の結婚式で、受け入れ難い悲劇に直面した家族の心を救う儀礼と芸能者集団のパワー全開の貴重な記録となりました。ナレーションなし、全編現地音だけで構成した作品です。トークゲスト夢枕獏氏の質問に答えるのはムーダン研究の第一人者である崔吉城(チェ・キルソン)氏。
* 前売券は直接販売の他、上記メール、電話、ファクスからもお申し込みいただけます。
* 8月20日(土)、21日(日)、22日(月)は<上映+トークセッション>のセット券
* 8月23日(火)、24日(水)、25日(木)、26日(金)はタイトル指定の上映券です。
監督:北村皆雄 制作:三浦庸子  ヴィジュアルフォークロア
160-0022 東京都新宿区新宿1-12-12 オスカカテリーナ3F
Tel:03-3352-2291 Fax:03-3352-2291 Email:info@vfo.co.jp HP: www.vfo.co.jp

映画『八重子のハミング』試写会

2016年07月13日 05時29分32秒 | エッセイ
 映画『八重子のハミング』試写会に我が夫婦が招待された。地元出身監督の佐々部清氏作、出演者は升毅、高橋洋子、梅沢富美男、文音、中村優一、二宮慶多、安倍萌生、辻伊吹、朝加真由美、月影瞳、井上順ほかそうそうたるメンバー。高齢化社会の介護の実状を記録映画風に撮ったという。私は監督とは古川薫氏の紹介で面識があるだけである。下関では地元の出身ということでプライドをもっていていろいろな行事に彼は参加する。日韓交流をテーマとした映画『チルソクの夏』は住民に土着したようである。今度の映画は主に萩が舞台になっているが下関や小倉などでもロケし、協賛応援者も多い。その中には私の友人である穴見幹男氏と娘のめぐみ氏がいる。めぐみ氏は東京芸大出身のピアニスト・作曲家であり、主題曲を提供し、「ひまわり」(介護物品会社)が支援している。
 下関に長く住んでいて私の人脈は広がっていることを感ずる。しかしネットワークが切れることもある。それは切られるというより切るようなものである。私は恩返しという伝統倫理はあまり気にしてないが、私自身は恩は返すようにしている。ある人のことである。彼には協力し、人生で2度運命を変える大きな援助をしたことがあるが、いまだに知人であり友人になれない。一回も彼から感謝の言葉も恩返しのようなものも受けた覚えがない。私から積極的に声かけることをしないでいるうちに縁が切れたようになった。人は死ぬ前に情を切るという。深まらない人間関係は切る。それは切ることにより切り花のような美しさに表現することである。穴見氏とは延々と友人関係が続く。彼が関わっているので試写会に参加する。

永六輔氏死去

2016年07月12日 03時46分59秒 | 旅行
 2010年11月東京大学先端科学技術研究センターが開催した現代韓国研究センター(姜尚中)との共催の「第7回アジアがんフォーラム」で永六輔氏と死の問題をめぐって真鍋祐子(東京大学)教授らと議論した。永氏はパーキンソン病と前立腺がんを患っていることを公表してからも、「患者と家族は大きな孤独と不安を抱えている。その気持ちを理解できる医者が必要」と訴えた。中野義昭(東京大学)先端科学技術研究センター所長は、「アジアのがん発生率が他地域に比べて急増している。医学的、文化的研究を進めることは、大きな意義がある」と強調した。
永六輔氏が7月7日七夕の日に東京都内の自宅で肺炎で死去、享年83歳。「病院ではとにかく『家に帰りたい』と言い続けていたという。『大往生』の著者の「大往生」である。ご冥福をお祈りします。(写真の左は中野氏、中央は永氏、右は崔)高齢者の多くは「大往生」を念頭においていると思う。そこには人生観や死生観が宗教とも関わっている。あの世、天国、極楽、地獄などをシャーマニズム、仏教、キリスト教などの面から議論してみたい。その研究会を来年2月に行おうと企画している。

独脚鬼

2016年07月11日 05時41分10秒 | 旅行
 昨日大学のオープンキャンパスに参加してみた。来校者全員が説明会を終えてそれぞれの学科に分かれて説明会が行われた(写真)。参院選挙の投票をしてすぐに参加したが学科毎にテーブルを並べて記載する様子は投票会場とほぼ同様の風景であった。選挙のようなことはわれわれには身近なことであると感じた。投票の形式を問わず人を選び、選ばれることは日常茶飯事で行われている。一目ぼれで結婚して幸せな人も不幸な人もいる。もっとも重要な選びは人生を左右することもある。選ぶ基準はさまざまである。投票が国民の運を決めるのである。オーストラリア在住の韓国人の友人が韓国ではなく、平等な国に住む幸運を書いている。選挙も幸、不幸の運を決めるものであろうか。今参院選挙は自民党の圧勝となったと判明された。幸運か不幸かは運でもあろう。
 どいう人を選ぶか。トケビのような人を選ぶことを勧める。東洋経済日報に連載のエッセーの今回のテーマはトケビとした。今ごろ夏の蒸し暑い夜、陰気な森にはおばけのトケビが出る。トケビは韓国人であればとても親しみのあるお化けとして知られている。私は幼い頃、蛍が舞う夜には外出を控えたことを思い出す。使い減った箒や農具に血が付くと夜に化けてトケビになるとも言われており、脚が一つしかないので独脚鬼とも書かれる。人の姿と似ているが、一つの角がある。男性として「金書房」とも呼ばれる。プレゼントするなど気前がよい。面白いパーソナリティーを所有する霊的存在である。最も体力が旺盛な男性であり人の話を正直に受け取る真面目さ、悪戯もする。ある人はトケビに頼み一晩中金塊を運んでもらい急に大お金持ちになったという話もある。逆にトケビは人間が嘘つくことや真似することを嫌って、そのような人を失敗させる。私がトケビに関心を持つのは9尺の長身であり、角もあり霊的肉体的に強いが、弱点もあるという点である。脚が一つしかないのでバランスを取り難い、左側が弱いという。強い力を持っている人、つまりバカ正直の強さと弱点を同時に持っている人の性格が投影された人間像であろう。

研究報告会

2016年07月10日 05時41分22秒 | 旅行
 この夏すでに数人の方からお中元をいただいて感謝している。鹿児島の牛肉、夕張メロン、中国新疆の棗、東京からカレーやスープセットなど。特にメロンと棗は私の最近の嗜好を知って送ってくれる。ソウルの姉からは手作りのお味噌が送られてきた。姉は私の子供の頃の嗜好物を季節に合わせて栽培している。しかし私も高齢者になって味覚も大部変わってきているのを知らない。韓国の味噌やコチュウジャンでチゲを作ることも少くなっている。送られた材料が余っている。干し明太と荏胡麻油は愛用する。人からいただいたものを大切にする私は母からの大事な躾、いつも感謝しながら味わっている。昨日久しぶりにチゲを作ったが、成功作ではなかったのに家内は私の誠意を考えてよく食べてくれたようであった。
 お知らせがある。今週もまた研究会や授業が続いている。東アジア文化研究所の研究報告会を下記のとおり開催する。自由参加せある。
日時:7月13日(水)14時~
東亜大学13号館7階、国際交流学科教室
報告者:崔衛華氏(中国大連・東北財経大学研究員/東亜大学東アジア文化研究所客員研究員)
報告テーマ:「産業遺産の世界遺産化に関する考察ー『明治日本の産業革命遺産』をめぐって」
일본의 여름 감사절의 하나인 백중을 기해서 몇분으로부터 선물을 받고 감사하고 있다. 가고시마의 쇠고기, 유바리 멜론, 중국 신장의 대추, 도쿄에서 온 카레라이스 등. 특히 멜론과 대추는 나의 기호를 알고 있는 분들로부터 받은 것이다. 어제는 서울에서 누나가 직접 재배한 콩으로 만든 된장을 국제우편으로 보내왔다. 누나는 내 어린시설의 기호에 맞는 것을 재배해서 보내 준다. 그런데 나도 고령자가 되어 미각도 많이 바뀌었는데 그것을 모른다. 한국의 된장이나 고추장으로 찌개를 만드는 것도 적어졌다. 보내 온 재료가 남아 있다. 그러나 북어와 들깨기름은 애용한다. 사람에게서 받은 것을 소중히 하는 나는 어머니에게서의 받은 중요한 가정교육, 언제나 감사하면서 맛보고 있다. 어제 오래간만에 찌개를 만들었지만, 성공작이 아니었다. 그런데도 아내는 아마 내 성의를 생각해서 잘 먹어 준다.

二つの東亜大学の出会い

2016年07月09日 05時53分54秒 | 旅行
 昨日朝早く出勤して大型教室でPCや掃除、整理、整頓などをチェクし、発表準備をして、李学春、韓雄吉両教授が引率する韓国釜山の東亜大学の法学科学生30名、大学院10人が日本の東亜大学を訪問してくるのを待っていた。下関の観光バスの運転手が二つの大学が同名であることで戸惑ったようであり、電話があった。大学の事務時間前であるが大型バス通過のための開門などをお願いしながら学長に報告している内に私の研究室の前に30余名の学生たちが現れた。予定よりはるかに早く着いたのでその余裕の時間を利用して自己紹介、協力者、通訳の学生、大学の紹介、日程などを紹介した。本学の学生20余名と教員も参加し、定刻になって来られた学長を紹介し、学長の挨拶に続き、私が大学側の発表者として「韓日家族法の比較」という題で話をした。
私は日本語と韓国語で要旨を以て次のように発表した。日韓の現代の法はフランスとドイツなど英米の法を加味して形成された。そこには当然のことながら伝統的な法と西洋的な法が混合される。韓国の憲法裁判が違法とされても最近まで存続した姦通罪、同姓同本婚姻禁止や異性不養および再婚禁止、戸主制度などが法意識に強く関わっている。伝統的に日本ではいとこ同士の結婚も可能であり、社会構造が異なっている。現在のところ日本憲法の「平和憲法(9条)」と韓国のものとは全く異なる。日韓の法にも象徴や儀式などが共通している点がある。法には両社会の特徴が反映されている。
 続いて李学春教授の「不当労働行為制度の日韓比較」が発表された。日韓の比較にポイントがおかれた内容で解りやすかった。団結権保障構造は憲法上韓国と日本は原則的に同じである。労働紛争を予防するために国家が介入する政策を反映している。日韓において団結権行使の範囲が異なる。韓国ではその範囲を制限することができるが、日本は何の制約もない。日本の労組法は不当労働行為の救済命令の履行強行できるが韓国ではそうではない。つまり日本の方が規制や罰則が厳しいという。彼は日本は「法治」であるが韓国や中国は「人治、徳治」であると言った。午後4時まで院生たちの発表会は続いた。私は真摯な研究熱が羨ましく、別れのあいさつで観光より学術中心であったことに意外と感動したことを語った。
 

マクチャンドラマ

2016年07月08日 04時57分08秒 | エッセイ
私は留学生たちが日本のテレビをほぼ見ていないことに驚いた。私はテレビが日本語や日本文化の良い先生だと思っているからである。テレビを見ることを勧めた。昨日の講義では韓国のドラマで日韓関係が劇的に有効になった「冬のソナタ」の分析を行ってみた。まず私がある女子大学生たちに講義でそれをみせて感想を書かせた時の感想文を読ませた。20歳前後の女子学生たちが30代40代の女性たちが純愛ラブストリーにはまったことへの批判の内容であった。昨日私は逆に20代はなぜ劇的変化の富んだドラマには関心がないかと質問した。特に留学生たちは純愛とか懐かしさという多くの感想には否定的であった。それよりは現実性、つまりリアルリティのある格好良い男性像が好きといった。それはベヨンジュンのようなタイプではないという。また非現的な話には関心がないという。
 韓国のテレビのマクチャン(普通の生活では起き難い刺激的な状況や事がらが同時多発的に続く)ドラマのように交通事故、川での自殺未遂、産みの親のDNA鑑定などで簡単に劇的変化の多いドラマには関心がないという批判的な意見であった。通事故の素材から超音波診断、DNA判別が多く使われている。劇的変化の素材、それでも韓流ドラマのアジアへと、テレビは視聴率を誇張宣伝し、そのようなドラマに視聴者が吸い込まれているような現象はどういうことだろう。リアルリティ主張に十分納得して帰宅した私が韓国の連続ドラマをみていたのはなぜだろう。それも韓国社会を表しているのではないだろうか。

探査と観光

2016年07月07日 05時23分02秒 | 旅行
韓国では学者たちの学術観光が盛んである。私も数回参加した。見識を広げる観光であった。中には学術探査という名を借りての観光のものが多い。私が主導した時もあった。その時は調査と討論のハードスケージュルにした。参加者の中から観光ができないと不満の声が出たこともあった。しかし後に私との旅で勉強になったのでまた機会を与えて欲しいという声も数回聞こえてきて嬉しかった。日本でも学会などを場所を変えながら大会を開催することが多い。そして研究とゆかりのあるところをエクスカーションをする。企画者は研究と観光を混合するようにすることが多い。以前私は科研などの研究助成金でハワイ行っても観光地は控えたことがあった。しかし今観光人類学を講義しながら後悔している。観光と調査、探査などはどう違うのか。
 猛暑の中、研究会は続く。明日は釜山東亜大学校の先生と学生23人を迎えて日韓の法律をめぐる国際ゼミをする。有意義な時間にしたい。午前中は李学春教授の労働法の日韓比較、私は家族法の日韓比較について話をして二人の教員にコメントをしていただく予定である。午後は大学院生たちの自由発表になる。観光が目的か、研究が目的か、私としては成果をあげたい。来週水曜日は東亜大学東アジア文化研究所の客員研究員の中国・東北財経大学崔衛華氏の「産業遺産の保存の日中比較」について発表がある。また30日の講演会反田氏の「戦争と難民」には大阪市立大学の堀まどか氏がコメンテーターをされる。

『境界を越える沖縄』

2016年07月06日 05時30分52秒 | 日記
私が住んでいる下関は国際港である。港であり国境の町でもある。港には頻繁にお迎えやお見送りに行く。今週金曜日にも釜山東亜大学の23名を歓迎に行くつもりである。時には乗客4,5人しかいない。時には多くの団体が往来する。空港を持っていない下関港はただ廃れているように感じざるを得ない。それでも船で往来しながら商売をする商人が必ず数名は利用している。この辺鄙な田舎の小都市の港町が韓国第2の都市、釜山と姉妹関係を持って交流を続けている。その代表的なものが朝鮮通信使行列である。田舎から大都会の文化人を迎える、400年ほど前の希望と意識は今もそれほど変わっていないのだろうか。8月22日の行事を中村八重氏が調査に来るという。下関の人々の韓国人観光客への意識調査もあるようである。
 以前私が対馬で韓国からこられた観光客のおばさんたちが「日本がこんなに貧しいのか」と話しているのを聞いた。日本の中に下関と似ている地域が沖縄の石垣島や八重山である。小熊誠氏編の『境界を越える沖縄』(森話社)を読んでいる。上水流久彦氏の「八重山にみる日本と台湾の二重性」を読んで似て異なることを多く知った。彼は「姉妹校との交流で台湾に行った八重山の中学生たちは、台湾が発展していることを知って驚く。たがそのような直接的経験をしない限り、台湾は日本とは異なって発展途上国の遅れた場所として認識される」と書いている。下関にも戦前日朝を往来した歴史があり、戦後の発展の差が国家意識とされている点など似ている。しかし「在日」の存在と意味は大きく異なる。
 

「早く死ね」

2016年07月05日 05時33分34秒 | 旅行
昨日は定期受診、後期高齢者としてこの7月から初めて診療費が無料だった。麻生氏の「オイいつまでいきてるつもりか」という言葉が聞こえてくるようである。彼の言葉は現実的な政策的には面白い。しかし言葉の意味は広いが深くない。私は本欄でも数回触れたが老人差別は自分自身への差別でもあると思っている。その意味で女性差別とは異なる。人は動けないからといって死ねと言われる存在ではない。人間は科学を発展させてきたが、思想も発展させてきた。生存権や人権など価値観を発展させてきた。男女平等の投票も被選挙権も最近の歴史であることがそれを表す。ただの長生きではなく、生命尊重の意識を持つべきである。長生きは決して迷惑ではない。
 私が110歳の時は日本では100歳以上の人が68万人になるという。その中に入れるかと想像してみた。昨年は大病で死を覚悟していたのになんという欲心であろうか自責している。平素の生活では喜びや感動は少ないが若者への関心が増している。中国の留学生の博士課程の林楽青氏が富士ゼロックス財団から奨学金をいただくこととなり、彼の妻の孫氏は中国の国家プロジェクトの研究費を受けることになったという。私にはふたりの弟子夫婦の活躍が嬉しい。高齢者は年下の人に満足、嬉しく激励するだけでも大きい役目がある。「早く死ね」とは言われたくない。*写真は昨日雨雲と暴雨
세계 각처에서 테러가 간헐적으로 일어나고 있다. 사망자와 부상자가 생기고 있다. 그 뉴스를 어떻게 받을지 각양각색일 것이다. 가족이나 관계자에게는 큰 쇼크, 비참하게 느끼고 있어도 많은 사람들은 그저 남의 일로 생각할 것이다. 나는 6.25 고전장에서 살아 남은 사람으로서 별 다른 감정이 있다. 상이군인들이 거지처럼 구걸하던 것을 떠올린다. 전쟁 때에는 군인뿐만 아니라 여성이나 어린이들도 많이 희생되었다. 성폭행을 당한 다음에 살해된 여성도 있다. 살아 남은 것만으로 행운이라고 생각하는 사람도 많다. 생존권을 우선 확보하는 사회나 시대를 만들지 않으면 안된다. 그런데 매일처럼 사망자의 정보에 익숙해져버리고 있는 것 같다. 어떤 사람은 교통 사고에서는 부상보다 죽음이 처리가 간단하다고 한다.
 태어나는 권리, 살 권리의 생존권은 인권보다 우선해야 한다. 전쟁중의 부상자, 위안부 등도 어쨌든 살아 남아 있는 것은 죽은 사람에 비해 다행이다. 아무리 괴롭고, 어려운 삶이라도 살아 있는 것에의 감사의 기분을 가져야 한다. 나는 고전장에서 살아 남은 것만이 무엇보다 감사다. 생존한 다음에 비로소 인권이 성립한다. 묵도의 의미는 크다. 그것은 생존권에의 존중이기 때문이다.

人権より生存権

2016年07月04日 05時24分30秒 | エッセイ
 テロが間歇的に起きていている。死者と負傷者が報じられている。それをどう受け取るかさまざまであろう。家族や関係者には大きいショック、悲惨に感じていても多くの人は他人事になっている。しかし私は生死の最中から生き残っているものとして重く受け取らざるを得ない。戦争で負傷し生き残った人が乞食のような困難な生活をした時もあった。戦中軍人だけではなく女性や子供は多く犠牲になった。性暴行されて殺された女性もいた。生き残ったことだけで幸いと思って生きている人も多い。戦争やテロで私たちは命、生命を大事にするために生存権を優先確保する社会や時代を作らなければならない。しかし毎日のような死者の情報に慣れてしまっているのではないだろうか。ある人は交通事故では怪我より死が処理が簡単だという人がいてびっくりした。
 生まれる権利、生きる権利の生存権は人権より優先すべきであるという思想を確立しなければならない。戦争中の負傷者、慰安婦などもとにかく生き残っていることは幸いである。どんなに苦しく、辛いことがあっても生き残っていることへの感謝の気持ちを持つべきである。私は苦戦中から生き残ったことがなにより感謝である。生存して初めて人権が存在するということを改めて認識すべきである。死者祭りは過ぎたもので関心の外と思うわれそうである。黙祷の意味は大きい。それは生存権への尊重儀式である。死を以て解決しようとするいかなる犯罪や戦争テロは防ぐべきである。

日本植民地期の経済成長

2016年07月03日 05時31分54秒 | 旅行
久しぶりに一人旅のように京都へ、真夏の猛暑の京都駅に立って、現代美術館のようなの駅で戸惑った(写真)。何と気持ちが浮いていた。身体的なことか、精神的かな。京都のど真ん中の仏教大学の二条キャンパス、厳しいセキュリティを抜けて会場に余裕をもって着いた。いつもの懐かしい顔に対面嬉しい。日本帝国の物流と人流の研究会が開かれた。台湾中央研究院の方の発表に日本側のコメンテーターとなった。清朝の税関から日本統治期に日本化していくという書誌学的な制度史の話であった。私は制度史を通して、植民地期において税関が物流や人流の状況を知る上で重要なことと思ってあらかじめ72枚の論文を翻訳ソフトを通して概略を理解してから傾聴した。しかし書誌学的文献学的研究であって、問題と解決のいわばプロジェクト型の研究ではなかった。わたしはその研究について税関資料から何がわかるか議論したかった。終了予定時間になっても関係なく、通訳を挟んで発表者とコメンテーターとのやり取りが長く続いた。朝7時半に家を出て夜10時前に帰宅の日程が惜しかった。
 税関の研究として荒木一視氏の論文「新義州税関資料からみた戦間期の朝鮮・満洲間粟貿易~日本の食料供給システムの一断面」(『人文地理』2016:68-1)を研究メンバーに紹介したかった。税関の貿易統計資料を分析して①朝鮮から内地向けの米、②台湾からの内地向けの砂糖、米、③満洲から内地向けの大豆、朝鮮向けの粟について詳細に物流が明らかになった。日本は台湾に蓬莱米を改良栽培し輸入し、朝鮮米を日本へ輸入、韓国で言われる、いわば「米収奪」(?)。韓国の群山はその植民地米生産地として発展したところであり、研究メンバーたちが現地見物もされたのである。それを踏まえて植民地期の現状を事実として知り尽くすことが望ましい。
 東亜大学東アジア文化研究所主催で8月27日に金洛年氏による日本植民地期の経済成長について発表、3人のコメンテーター、参加者と共に議論をする研究会を行う予定である。私自身が司会し、なにより貴重な時間を参加者と有効に使いたい。

温もり

2016年07月02日 05時09分13秒 | エッセイ
 私は50年以上二十歳前後の学生に教えている。どの大学や学生も優秀であると思って教壇に立っている。教壇に立つのは後の方にいる人の顔も見えるからであって「上に立つ」という意味はない。昨日はある海外留学をしたことのある日本人青年の4年生と長く話を交わした。彼は有効な大学生活をしているが4年間で食堂などでも質の低下というよりは人の温もりが消えていきつつあるという。教師たちも注入式で説明をする。ネットで知れるものを一方的に語る古いタイプの講義をしていると批判した。
 昨日の講義では「失敗と成功」が一つの話題になった。成功モデルが単純な韓国に比べて日本では多様ではないかという話であった。大部分の学生が成功の基準は不確定、多様、あるいは自分に基準があり、名門校の学歴やよい職場を指すものではないという。私は失敗と成功は連続しているものであり、生きていくプロセスであると言った。それにある学生は先生は高齢になり、経験を通していう言葉であり、自分では失敗か成功か真摯に向きあって考えている。私はここまで学生が考えているなら講義は成功だと思った。