崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

温もり

2016年07月02日 05時09分13秒 | エッセイ
 私は50年以上二十歳前後の学生に教えている。どの大学や学生も優秀であると思って教壇に立っている。教壇に立つのは後の方にいる人の顔も見えるからであって「上に立つ」という意味はない。昨日はある海外留学をしたことのある日本人青年の4年生と長く話を交わした。彼は有効な大学生活をしているが4年間で食堂などでも質の低下というよりは人の温もりが消えていきつつあるという。教師たちも注入式で説明をする。ネットで知れるものを一方的に語る古いタイプの講義をしていると批判した。
 昨日の講義では「失敗と成功」が一つの話題になった。成功モデルが単純な韓国に比べて日本では多様ではないかという話であった。大部分の学生が成功の基準は不確定、多様、あるいは自分に基準があり、名門校の学歴やよい職場を指すものではないという。私は失敗と成功は連続しているものであり、生きていくプロセスであると言った。それにある学生は先生は高齢になり、経験を通していう言葉であり、自分では失敗か成功か真摯に向きあって考えている。私はここまで学生が考えているなら講義は成功だと思った。