崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

盗用

2016年07月24日 05時54分13秒 | 旅行
 トランプ氏の夫人のメラニア・トランプ氏はスロベニア生まれ、英語をはじめ何か国語も話すという。彼女の演説がオバマ大統領夫人のスピーチに酷似しており、盗用の疑惑があるといわれる。共和党全国委員会はこの問題に答えるつもりはないと語った。この例話はアメリカ選挙だけの泥喧嘩のことと簡単に無視することではない。我々の日常言語生活から執筆までつながる問題であるからである。オバマ氏の一句、普通の英語である Yes, we canはある子供の言葉を盗用したかと考えたくなる。言葉はアイディア、発想と人格によって生きるものである。深く考えてみよ。
 私を例にしたい。1936年の韓国農村を撮った映像を分析している内に麦わら帽子に映画フィルムがリボンとして使われたことを知り、フィルム消耗の利用という大発見と思い、2009年の本『映像が語る植民地朝鮮』(307-8)に詳しく説明し、10回以上の講演やコラムなどで話をし、書いた。その講演を聞いたある同学の研究者が今年(2016)岩波書店発行の『甦る民俗映像』に私が書き(192)、話したことを自分が発見したように書いたものが載っている(411)のを見付けて嫌な気持ちである。私のアイディアをすべて奪われた気がしてしょうがない。
 学問の本質を考えなければならない。私が学生時代ソウル大学図書館で見つけた古い英語の雑誌を分析して書いた論文が韓国の同学の学者に盗用されたが、それでもしっかりした研究者はそれを知り、批判するだろうと思った。しかし逆に日本人の韓国研究者が私の論文より盗用した論文を引用したので私は批判の文章を書いたことがある。また、盗用した彼に抗議したら私より先に考えたとか、結果がおなじであったという。唖然。