崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

生け花展

2015年03月23日 05時17分20秒 | 旅行
下関大丸で行っている池坊中心の生け花展を見た。ほぼ会員展であり、わが夫婦のようにチケットを買って入場する人は少ない。さらに私のような男性は少ない。写真で見るように男性は私だけである。先日見たイギリスガーデン展では男性観覧客が多少いたのと異なって、特に生け花は女性の趣味になっているようである。専業主婦の余暇趣味のようである。先日本欄でガーデン展の感想を書いたようにイギリスガーデンは「種の設計」、生け花は「花の設計」のように対比して、構造や感覚が異なると書いた。生け花展は華やかな花盛りや枝の美の展示である。ガーデンは自然に近いのに比して生け花は絵や写真に近い。
 日本文化として生け花が世界化している。韓国や中国、東南アジアの国々でも日本式の生け花が広がっている。韓国では生け花がなかったが日本からの影響で盛んになっている。しかし日本の影響とは言えないタブーがある。李王朝の屏風などの花の絵を集めて伝統的にあったという起源論が始まる。それは私も知っているが終戦後まもなくは韓国では生け花展などは見たことがない。ある韓国人がお茶の入れ方を説明しているのを聞いて日本の茶道を語っていると感じた。韓国でも茶、花の起源論的話は一般的であるが事実を説明する必要はない。日本から来たものだと言うと即ち親日派と言われるのは決まりである。
 私の恩師は日本人の人工的な松(剪定)の美に比べて、そのまま見て楽しむ朝鮮の赤松の自然美を称賛した。S字の日本松に、I字の朝鮮の松の美は対照的に言う。松の「曲線美」、赤松の「直線美」の日韓の対照は面白い。これから桜が咲く。戦後韓国の過激派愛国者が桜の木を切る「花テロ」が起きたことを苦笑。「愛」国の「憎」しみは怖い。あくまでも「花は花」である。今「花燃ゆ」も楽しく見ている。