崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「研究生活」とは

2015年03月18日 05時11分39秒 | 旅行
 今慰安所日記に関して執筆中である。その所蔵者呉氏から慰安婦問題の研究家、故文玉珠氏にインタービューして出した『文玉珠 ビルマ戦線盾師団の「慰安婦」だった私、教科書に書かれなかった戦争 (Part 22)』(梨の木舎1996年)の著者の森川 万智子氏(68歳)を紹介していただいた。さっそく電話で長く話を交わした。文氏は1942年7月10日釜山港を出てミャンマーとシンガポールなどで慰安婦だったという人であり、いま執筆中の慰安所帳場人の朴氏と同船でいかれたので日程など一致するところが多く研究者同士の対話になった。来る5月には文氏の故郷である大邱で記念館がオプーンするという。森川氏はそこに追跡旅行で撮った写真やビデオなどの資料を寄贈したという。その主催が女性会であり、生存中無料で治療を行った郭病院が支援するという。郭病院の理事長は私の親しい友人であり、オープニングには参加することとした。文氏の情報が初めて日本語で紹介されたのは1992年明石書店から金文淑氏著『朝鮮人軍隊慰安婦』である。森川氏はそれは知らず1996年に上掲書を出している。
 私はその金文淑氏を知って本欄でも紹介したことがあり、所蔵者、二人の著者、支援者などがつながりあっての出版になることを嬉しく思っている。私はこのような研究生活を楽しんでいる。昔の研究者は図書室や実験室の中、あるいはアカデミックの象牙の塔の中で研究をする人が多かった。しかし、現在は多くの学問は現地調査をし、現地や人とふれあい、出会って情報を得る。帰宅してからも人間関係を続けることがある。このように営むのが研究生活である。孔子は「行い余裕があれば学ぶ(行有余力、則以学文)」といったが、研究生活は余裕ではなく、研究を核心におかなければならない。