崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

鬼が城

2014年05月17日 05時53分32秒 | エッセイ

李陽雨氏が鬼が城でコンサートをするとチラシをもって来たとわがマンションの下で連絡があって入ってもらってお茶の時間を持った。彼の父が朝鮮半島から日本に仕事を求め、戦前600円で鬼が城の森林を買って(?)炭焼きをしたという。炭焼きの歌を歌い始め多くのフォークソングを歌う歌手として活躍している。下水道修理や土木業をしながら歌う。去年のコンサートは降雨のために鬼が城の野外コンサートが公民館に変わったが有料入場でありながらも超満員であった。彼が如何に住民たちに愛されるかを感じた。在日として差別され、自閉的になっている人がいる反面、彼は人気者のようである。
 在日の多くは表情が暗く、否定的な態度、消極的な生き方をしている。また周りに向けて悪い人ばかりいるという。周りがすべて悪く、自分ひとり正しいと思う人もいる。そのような人は大体孤独である。数日前ある人に協力者を探すように言い、参考までに私が挙名した人、一人、一人駄目だという。結局自分自身しかきちんとできる人はいないと言う。つまり、他人は信頼できないということだろうか。
 李氏は異なる。人柄で人に愛される人である。彼の歌には人の心に響くものがある。明日彼の歌を聴きに行く。
 

伝道集会「Love Sonata」

2014年05月16日 05時06分48秒 | エッセイ
 韓国・「セウォル号」事故調査が明らかにしたことによれば清海鎮海運が所属している兪炳彦元セモ会長一家がキリスト教福音浸礼会(救援派)と関連があり、汚職に関与していた疑いで捜査中であるという。救援派は1992年に大韓キリスト教長老会から「異端」と規定された。捜索に宗教弾圧だと信徒たちが反抗している。船沈没事故は実質的オーナーである実業家の兪氏が間接的原因になったとみている。長老会が「異端」と決めたことであり、それはキリスト教であればイエスキリストを否定するか、教主自身が同等な存在とかによって宗教的に決められるが、一般的にな反社会的犯罪性の宗教団体のように思われる。捜索は拡大しているようであるが宗教的な配慮は必要であろう。
 日本ではオウム真理教や韓国のキリスト教など宗教団体が犯罪集団のように思われる傾向がある。こんな状況の中で昨夜下関市民会館大ホールで韓国オンヌリ教会の伝道集会「Love Sonata」が行われた。ピンク色の名札を掛けている人たちが入口の両側に立って歓迎する。その列の中を照れくさく感じながら歩いて入室、超満員であった。三階の後ろ一番末席に座った。全景が見えてよかった。世界最大教会のソウルヨイド純福音教会の礼拝の様子を思い出した。有名歌手シンスボン、ベージェチョル、フルート演奏のソンソルナム、キムヨンミの蝶子夫人のアリアなど素晴らしい音楽にクリスチャンらしいコメントが少しずつ入った音楽会だった。そこに登場したのはオンヌリ教会の牧師の李氏、長い説教が始まった。近い人と関係が悪いのは壁がある。神様を通して日韓和解すべきであるという宣教説教である。簡単な話を感情をこめて繰り返し。その上通訳が同様なしぐさで繰り返す。バイリンガルの私には話し方のトーンの高音、速さ、繰り返しなどが耳さわりにも感じた。
 韓国キリスト教から見ると日本は宣教が一番難しいという。宣教上日本は問題地域とも思われる。そこにオンヌリ教会が思い切って伝道集会を行った。日本のキリスト教当事者にとって大きい意味がある。伝道にも消極的で引き籠るような聖職者が多く、宣教活動がうまくいってない人も多い。反省すべきであろう。日本の信者たちへ昨夜の伝道集会は刺激的であったと言える。その意味では成功的であったいえる。しかし日本に伝道しようとしたら日本的な説教方式も研究して来るべきである。ただ韓国式の熱情(?)の説教、感情的に盛り上げようとすることには反感を感じる人もいるに違いない。音楽会「Love Sonata」と思って参加した人たちにとって伝道集会は驚き、反感を起こしたのではないかと周囲の雰囲気からも気になった。日本では説教が感情的な雰囲気ではなく、理解が得られるようにしなければならない。
 

友人を作る秘訣

2014年05月15日 05時29分12秒 | エッセイ
朝起きてメールチェックなどをしてブログを書くのが一日の始まりである。この日常的なことは10年前から定着しているが、以前日記を書いた時点は憶えていない。日記は一日が終わり、寝る前に書くか、起きて一日のはじめに書くかは本人の生活のリズムである。しかし今、戦時中にシンガポールの慰安所で約2年間書かれた日記を読み終えるところであるが(写真)、その人が書いた時点を確定することは難しい。慰安所の帳場人が二人の妻に仕送りをしながら現在の市価に70万円の時計を買ったというところでは驚いてしまった。戦中、このような贅沢な生活ができたという話である。
 人の日記を読むことは人の私生活を覗いてみることになる。日記の多くにはどこで寝て起きて食べて買い物をしたということが繰り返される日常である。小説であれば書かれないことである。しかし私たち読書会メンバーは始めから終わりまで読んでいる。日記を書いた人は「室人」(内縁の妻)とか家族関係も書いており、私事や公の仕事についても触れている。この2年間の日記を読むと彼の性格が分かる。親しく感ずる。それはなぜであろうか。それは彼の多くのプライベートなこと柄を共有したということからであろう。
 他人との関係もプライベートなことも知ることにより、親しくなる。よそ行きの飾りやプライド、礼儀作法のレベルをはずして裸の私人になっていくと、嘘をつく必要もない関係になる。友人を作る秘訣は互いにプライベートな事柄を共有することであろう。

「日中韓の未来の話をしよう」

2014年05月14日 04時44分43秒 | エッセイ
 

 昨日の「日本文化論」の授業では2日前2014年5月11日(日)午後7時~午後8時50分ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の白熱教室BS1「日中韓の未来の話をしよう」の映像を見せながら進めた。日本、中国、韓国の大学生24名が、3ヶ国間のこれからの関係をめぐって英語の同時通訳による議論をした映像をみてマイケル・サンデル教授と学生たちによる講義であった。先生と学生もよく考えて話すのを聞いて未来の世代は健全であろうと思った。私自身が大きな感動を受けており、受講生たちも熱心に議論をしてくれた。
 「今の世代が、過去の出来事について謝罪する責任はあるのか?」を中心に私がそのサンデル教授の講義を再演するように、その問題を深め、私なりの講義をした。昔韓国のテレビに時々出演し、また広島被爆ドーム前で3時間特集番組の司会をしたことを思い出した。「植民地や戦争に今の世代には責任がない」という意見に私の持論をもって質問した。「日本人が縄文時代の文化に誇りを持ち、韓国人が高句麗など国史に誇りを持ちながらたった70年ほど前の歴史に責任がないと言えるのか」「親から富の財産を相続しても負の遺産は嫌だと言えるのか」学生たちに投げかけた。私の質問は今悪化している日中韓関係の民衆にも問いかけているものである。

日帝残滓

2014年05月13日 05時15分20秒 | エッセイ
 昨日民団山口県本部の献花台に参拝してきた。同席の事務局長、教育院長とお茶をしながら日韓関係について意見を交わした。日韓関係の悪化、韓国の大惨事以降、韓国語教室の受講生の数が減少し、特に東日本では半分以下になっているという。しかし下関にはその影響はいまのところないという。多くの人が安倍総理の右傾化を憂いていると言うが、彼の選挙区であり、出身地であるここの人たちは政治的にそれほど影響がないのであろうか。あるいは日韓関係は政治レベルとは異なって安定していることを意味するのだろうか。日韓関係は政治的ではなく、民間レベルでの交流を深めることが如何に重要であるかと考えた。
 今韓国では惨事の後処理ができず大変困っている。その矛先を日本へ向けて、「反日」を使ってはいけない。やはり心配すべき2点を指摘したい。国家報勲庁長を団長とする政府代表団が5月9日ハルビン市の安重根記念館を訪問したことである。安氏が伊藤を暗殺した。日本人から暗殺者を韓国では英雄化している。その反日的ニュースは韓国国内ではあまり反響がなかったようである。私はその記念館を作ることには反対しない。ただ一方的日本向けの政治的な道具や武器としてはいけないと考える。日本の近代化の中の伊藤博文の位置、その人物を安重根が殺したことをバランスをとった展示であればよろしい。つまり二人の英雄性、二人の罪人についてバランスがとれた展示をすべきであろう。広島原爆記念館も日本の侵略戦争と被爆をバランスを取るべきであろう。
 もう一つは国立顕忠院(国立墓地)の前の街路樹のカイヅカいぶきは日本が原産地である樹種であるということを恥ずかしいということで抜き植え替えるという。韓国伝統種の木に植え替えをする事業が施行される。韓国は‘日帝残滓清算’を進めてきた。桜の木を伐採する中、桜は戦前にもあった済州島原産説が広がり伐採が中断となった経緯がある。「国民学校」を「初等学校」へ変えたことは90年代半ばである。日本語の残滓、外来語などを排撃排他する政策をとっている。
 韓国はアイルランドの民族主義をうらやましく思っているが、反英民族主義者詩人のイエッツ(Yeats)は「イギリスという意識から完全に解放されない限り自由になれない」といった。この言葉に耳を傾けるべきである。

*追伸
 この文を読んだ読者から安重根、アイルランドを知らないので「文が難しい」という人がいる。どうすればよいか。

「母の日」

2014年05月12日 05時00分31秒 | エッセイ
韓国・国立民俗博物館からの事典に「孝」と「祖先崇拝」について原稿を依頼され、遅ればせながら原稿を送ったのが昨日、母の日であった。5月8日は韓国の「親の日」、昨日(5月11日)は日本の「母の日」であった。在日韓国教会では「親を敬う」という説教があった。韓国の一般人は祭祀を浮かべるだろう。キリスト教と儒教は長い葛藤の歴史がある。儒教では親への孝は死後まで、つまり祭祀を行うが、キリスト教はそれを偶像崇拝とみなす。1700年代後半では犠牲、殉教した人が多かった。日本の隠れキリシタンの歴史と似ている。それについて私は数年前に出した拙著『祖先崇拝と孝』に800ページくらいの長さで論じた。この母の日に原稿を脱稿し、一日を家内、友人たちと過ごした。花屋にも寄った。カーネーションなどを買う客で混雑していた。
 「孝」の基本は子の親への愛である。これは誰しも持っている普遍的な愛である。しかし社会によっては異なる。親からいただく「恩」と「報恩」の相互関係から考える儒教によれば父母からの恩は無限であり、また報恩も無限であるという。相互的な愛とは親から受けた恩の量によって報恩がなされるということを意味する。この論理では財産を多く受けた人たちが感謝と孝の義務が大きいことになる。その逆も同様であろう。儒教の倫理では「息子の父親」へというのが基本である。それが「孝道」である。しかし巫俗信仰では父母への愛は「孝心」といわれる。キリスト教の孝は相互的ではなく、普遍的な愛を強調している。
 車3台で下関美術博物館の堀研氏の個人展に再度鑑賞に行った。堀氏の娘のまどかさん家族が韓国と沖縄からくるということで会いたく、また友人にも堀先生の作品を見てほしかったのである。個展の最後の日でもあり、観客も多かったが私の知人、また紹介された人も多かった。フランス人のクリストファー氏、巨文島生まれの中村勲氏、下関問屋センターの理事長の夏川敬三氏、堀家の人たちで絵を鑑賞しながら談話をした。画廊は多く集まった人々で祭り風景であった。私が強く誘ってガイドした下関に生まれの在日の長老の方は初めて美術館に入ったと言い、感動して文化館など作りたいと話をしていた。

坂道を登る

2014年05月11日 04時50分48秒 | エッセイ

 坂道を散歩すると新緑の季節感が湧いてくる。坂道を若い時に山登りしたことを想起しながら歩く。名前も知らない草花、新しく芽生えた葉を毛虫などが食べている(写真は野バラ)。家内は毛虫はかなり苦手のようで道の真ん中を犬も抱っこしてして歩く。私はさらに子供の時を思い出す。母は毎年夏には蚕業をした。私は蚕に桑の葉を餌にやったり、蚕台の横で寝たりした。その時蚕が顔に這いあがってきても驚かず丁寧に蚕台に戻した。戦後母は蚕業を止めてわが桑畑は文字どおりに「桑田の変」(桑田碧海、中国の故事から廃墟になる変の意味)となった。
 数日前高峰を登っている人が遭難したとニュースがあった。好きで登るのだろう。登ることはきつく、辛いだろう。否、登るのは辛いものではないから登る。坂道を登る魅力は思索にあるのだろうか。ある人は登りは辛くても希望があり、下りは達成感があり楽しいが歩くときはやはり気をつけるという。人はそれぞれ坂道を登る。資産家に、権力者に、高層ビルへ登るだろう。静かに自己完成のために坂道を歩く。決して辛いことではない。
 昨朝、散歩から戻って舌を怪我して鮮血が止まらないハプニングが起きた。血液検査の2倍くらいの血が出た。看護師人生の家内も初症例だと驚く。私は舌の傷口を指で押さえながら話ができず書いて表現した。止血したら唾で治ると自分の生命力に任せるしかなかった。もう一回散歩、気持が落ち着くまでは一日かかった。自分のことにはこんなに大げさくらいに反応し、家内の看護により無事に過ごし、感謝である。、韓国の惨事にはもっと心を寄せて考えなければならない。

古代文明の発祥地

2014年05月10日 05時41分48秒 | エッセイ
 私は中国をしばしば訪問している。中国で会う多くの人は「歴史は歴史」「現在は現在」という話をする。国が大きくてか世論調査は難しいということは聞いても世論調査をしたという話はかあまり聞いたことがない。世論は必ずしも政府と同じとは思えない。中国政府は靖国参拝あるいは日本の植民地や戦争などの歴史を問題にしている。確かに中国は日本帝国によって戦争などの被害を多く受けたのは事実である。私は植民地研究の上「南京虐殺」という言葉を聞き流すことはできない。日中関係が悪い中に中国の訪問は相応しくないと思われるかもしれないが、今こそ行ってみたい。
 最近私がインタビュー調査から知っている日中戦争の激戦地であった南京をはじめ数か所を広島大学時代の教え子たちの協力によって訪問することとした。そして今日中関係の悪い時こそ民間交流をすべきだと思い大学間姉妹提携も実現させたい。中国は歴史的に古代文明の発祥地、漢字文化、儒教文化の国であり、文化の影響力は大きい。素晴らしい歴史と文化によって近隣へ、世界へ影響してほしい。今の中国は大きい国「大国」の軍事的なものよりは文化的に世界にその力を見せてほしい。個人的には小さくても民間交流を積極的に行なおうと思う。

ノートパソコン

2014年05月09日 05時34分37秒 | エッセイ

先日ある人の26年間の日記の実物の一部を見てきた。彼の日記を読みながら彼はなぜ日記を書いたのか、読まれることを前提にしたのか、ただ自分だけのメモ用であろうかが最大の疑問である。私もその年数の日記を書いている。いつから始めたかは覚えていないが習慣的に書いている。私の日記は自分だけの雑記帳のようなものであり、いつか文を書く時、記憶するためのものである。しかし先日見た日記は原稿のように書いている。私のものは韓国語に時々日本語が混じっている。現地調査のノートも相当あるが基本的には自分のためのものである。最近は文字通りに「ノートパソコン」があって感謝して使っている。先日沖縄石垣島での調査ノートもほぼPCを利用した。他にはディスケットなどに保存したものを間違ってなくしたり古くなって悪くなっているものも多い。初めて日本に来て電車の中で高齢者が鉛筆でノートするのをみてこれが先進国だと感嘆したことがある。しかし現在日本人もノートや日記を書く人は少なくなった。学生たちはプリントされたものがあり、書く機会も少ない。私は必ずパーワーポイントを見せても書かせてコメントをする。地図や絵も書かせる。絵で描くことが憶えやすく記憶にも良く残るという経験からである。
 小保方晴子氏のノートが公開されて話題を呼ぶ。ネズミの絵があって、親しさを強く感じている。実験ノートは公開あるいは半公開のもののようである。研究者のノートとしては足りないとか、研究者として失格だなどと言われているが、先日の彼女の同僚である研究者はノートは自分の研究のための自分のものだといったのでこのノートをみてその通りだと思った。彼はさらに言う。研究者のノートもPCノートなどを利用して筆記式のノートは少なくなったことを。私も実感できるコメントであった。ネズミの絵をどうみるべきか。画家のスケッチはどう見るべきか。評者たちはノートや日記をどのように、どのくらい書いているのか、考えてみてほしい。

合理化が近代化

2014年05月08日 05時10分31秒 | エッセイ
テレビの天気予報を聞いて冬用の服装から夏用に変えて出勤してとても寒く感じた。帰りに本屋に立ち寄って、店頭に目立つ『悪韓論』が無意味に感じた。毎日がそのようなニュースを聞いているからである。韓国の旅客船沈没から次々に過失、不正などが出る。韓国が世界一を目指すような反日的自信感に冷や水をかけられたような状態である。この大惨事に救助に何の手も出せず、不幸な事故に無能力な国家、社会への批判、そして反省が起きている。最悪の日韓関係の中の両国の「反日と悪韓」も休戦になってほしい。
 特に私のように日韓の狭間に生きる者としてショックは大きい。韓国人の欝憤払いの矛先が大統領に向けられているが、いつ日本に向けられるか不安がある。この事故は完全な人災であることは明確である。ただ潮流が速いといわれるが、それほどでもなく、また今に始まったことでもない。私にはこの惨事について韓国へ批判、非難の心はない。なぜなら私がその社会で生まれ育ったからである。
 周りには無理をして成功した人が多い。「無理」とは勇気や熱情のように見えるが、合理的ではない。合理化社会とは近代化の項目の中の重要なものである。それは先進国へ進む基礎である。ルールと規則は合理的であり、日本はその装置を作りすぎで「規制緩和」とよくいう。しかし韓国はその規制を作っても合理的に管理できなかった。このような多くのミスは私自ら持っているものと反省をしている。また決して規律を守ることに完ぺきではないことも。それは私だけではないはずである。
 

堀研氏の個人展へ

2014年05月07日 05時09分26秒 | エッセイ
 桜の花見前線はまだ北部に残っているが、ここ西南地方にはすでにシャクナゲ、サツキ、藤などに代わり新緑になっている。でも桜の花見の余勢はまだ残っている。昨日は家内と大きい桜の木の下で太い幹の力と花の美しさを満喫した。下関美術館での堀研氏の退任個人展を鑑賞した。数多くの大作の桜の木に圧倒される。遠くまで発散する花の美力、その花の羽根の下で「見てくれ」と誘われるような現場感が強く伝わった。小さな作品の絵をみると自分でも絵書きに挑戦してみたい心はあるが、これら大作の前ではただ圧倒されるだけである。厳しい自然の中で生きる木の力は幹であると強く感ずる。花鑑賞も加齢に連れて変わっていくようである。花弁に魅了され唇を寄せてキスをしたくなるような若者、そして枝も目に入るのは中年、さらに老熟すると根と幹と、芽生え、開花、花弁、落花とまで見てくる。堀研氏は力強く生きる樹木の美しさや人生を描いている。
 展示室では彼の奥さまが受け付けをされておられ、夫婦合作の展示会のように感ずる。私たちは自然に堀氏を囲んで輪を作っていた。堀氏の紹介で会った山口県の硯工芸の山口県指定無形文化財赤間硯保持者の堀尾信夫氏と、偶然にも東亜大学の学長の櫛田宏治氏とそのお嬢さんが来られていた。一列に並んで大作を背景に写真を撮り、輪を作り立ち話をした。花から世俗へ、絵から人生へと話題を変えながら楽しんだ。花は桜だけではない。草花、野バラ、ボタン、薔薇、千里香、紅葉、そして梅、桜にと永遠と繰り返される。そんな中で、登場人物は少しずつ変わっていく。(写真左から櫛田、堀、堀尾、私)


雀と親しくなる

2014年05月06日 05時44分37秒 | エッセイ
数日前わがマンションの家を訪問した人にベランダから関門海峡の全景を見るように勧めたら花はどこにあるかと聞かれた。彼らは本欄の愛読者であり、時々私がベランダに咲いている花を生けた話を書いたことを記憶していらっしゃるようであった。ベランダには花がいっぱいというイメージを持っていたようであり、申し訳なく思った。彼らは貧弱なベランダに失望しただろう。鉢は狭いベランダには20鉢弱、また玄関の外などに分散しておいているが、花が見ごろになると人に差し上げたり、記念にいただいたものだけを育てている。そのベランダで水を飲んでいるのは犬のミミ、そのオアシスが多用途の場であることが嬉しい。いつもいっぱいにしているミミちゃん用の水を入れた器が数日間半分以上減っている。なぜであろうか。ある日その水の器に雀が来てバタバタ水浴びをしているのを目撃した。嬉しい。どうして高層ビルのこのように小さいベランダの水器を見つけて水浴びを楽しんでいるか。その直後トンビが空を飛びまわった。雀保護策を考えなくては…と心配になった。
 このように雀の話を自慢ぽっく話をしたら同僚の山本氏が彼の部屋に雀が入ってえさを食べる写真をメールで送ってきた。雀は人の近くに住む鳥類ではあっても人を警戒する鳥である。人間にいたずらされた長い歴史が伺われる。その雀と親しくなったことはその人の人格の優しさを感ずる。山本氏は本当に純粋な心の方であると感じた(写真)。日韓の最悪のことについて趙甲済氏と長く放談した時、竹島を悪くさせたのは「李明博」、尖閣を悪くさせたのは「石原慎太郎」、二人が発端になったと言い切ってしまった。日中韓関係が雀と親しくなるように、良くなることを期待してみたい。


「美味」化する郷土料理

2014年05月05日 05時17分07秒 | エッセイ
 

 「西市」の「道の駅」に行ってきた。青木さんのお誘いで元市議員の友松氏ら5人であった。黒井から山道、展望台で豊田町の全景、海岸を背景に、京都から来られた若いカップルに記念写真のシャッターを押してもらった(写真向かって左から石川、友松、私、吉永、青木)。新緑の季節になっても寒さを感じていたが、車の窓を半開にして走った。漠然と電車の駅の近くの「市場」と想像したが着いてみて、温泉と蛍の街として有名だということを知った。温泉や店が開店する前に到着したが、すでに駐車場は車が満杯であり、人気の名所だと実感した。細い川に沿って、両側に赤いさつきが咲いている道を走った。環境美化の奨励賞などあげるべきではないかと思うほど、感嘆した。そして、藤の花の棚のトンネルを歩き、藤を浴びるように観賞した。ある人の墓の前を藤棚で公園化したと言う。韓国では墓の周りには根が広く張る木は植えないのに、墓などに風水信仰は入っていないようである。
 帰り道に通った川棚温泉のところでは瓦そばの食堂に入る客の車で混雑していた。瓦の上に茶そばと具を乗せた料理を食べるために待っている列ができている。西南戦争の際に兵士たちが野戦の合間に瓦を使って野草、肉などを焼いて食べたという話。食文化とは栄養、味だけではなく、美が加わって文字どおりに「美味しい」ということになる。それは「器より味」という韓国の諺とは対照的である。「味」を徹底化する韓国料理、「美味」化する日本料理は対象的になっていく。味より器、瓦まで登場した。その噂、伝説を求めて人が集まる。私には味を知らず噂や伝説によって放浪する群れのように感じた。その中に私自身がいた。

「伝統の創造」

2014年05月04日 05時20分25秒 | エッセイ
下関壇之浦に住んでから近くの赤間神宮を中心に行われる先帝祭見物が恒例的になっている。昨日は船合戦、上臈参拝、森昌子の歌、中尾市長のあいさつと閉会辞まで充分に楽しんだ。知り合いの人にも多く会えた。伝統芸能大賞を授賞したが29回目の最近作の祭り、つまりホッブスバムが言う「伝統の創造」(invention of tradition)の祭りである。多くの人は数百年もの歴史がある古いものとして見ているだろう。私は歴史や物語りのパフォーマンスとして赤間神宮における上臈道中の風景、華麗な伝統衣装を着て天橋を渡る、外八文字の足さばきをショーとして楽しんでいる。平家の女官達が遊女になって毎年、安徳天皇の命日には身を清め、参拝するという由来が分かる。しかし、いくつのか疑問がある。参拝とは言っても艶やかな遊女たちの真っ白な顔の化粧、デスマスクのような無愛想な女官、頭と帯と胸の飾りの盛装の美しい、その女性が中国や韓国の男性高官の威張った歩き方と似たように見える歩き、一度も微笑のない遊女をみながらリオのカーニバルとは対極であると思ったりした。
 たくさんの観衆の中で見ている私の後ろに曽田議員ご夫妻が立っていた。拙宅でのお茶に誘って放談した。彼らはここに住んで5年あまり、われらより新来者、下関での生活を楽しんでいる。昔私が民俗調査をした韓国のある村では新来者は祭りに数年間参加することで海苔養殖の共有海が配分されるとのことであった。人との付き合いの基本を教える大きいメッセージがある。下関に十年以上住んでいながら一度も祭りに参加したことがない、ここを、単なる仕事の場と思っている人も多い。ただ「群衆の中の孤独」と叫び、自ら孤独死に向かっている現象がある。祭りに参加しているのはただの田舎っぺではなく、人間社会の基本原理を知って実行しているのである。



蛍光灯の寿命

2014年05月03日 05時33分27秒 | エッセイ
研究室の蛍光灯の一組が一昨日切れ、昨日またもう一組が切れて消えた。数年前の商品であり、期限が同じのもののようである。期限があるとは知っていてもこのように一日の差しかない寿命であることが不思議な気がした。LEDなどは長持ち、つまり寿命が伸びたと宣伝されている。その数万時間という寿命のものもがほぼ同じ日に消えるだろう。電球の寿命が延びるだけではなく、人の寿命も延びて高齢化している。しかし人の寿命は機械的に一律ではない。そこに人の未来への希望が潜んでいる。
 人にもそれぞれ決まった寿命があり、生まれて死ぬ。宿命的な運命論者たちは人の貴賎、幸不幸や成功と失敗も決まっているという。そしてただ命の期間だけではなく、成し遂げる努力の限界や幸・不幸まで決まっているように信ずる人も多い。大きく考えると人間という条件では限界があるという認識ともいえる。死が決まっている死刑囚の場合、不幸な運命を受け入れやすく、諦めることができるなら多少の慰めになるのだろうか。また死を覚悟しなければならない戦場に出る兵士のように今では事件、事故も多く死を身近に感じ、心の準備をすべきかも知れない。
 命を無限に延長しようとするのが現代人の生命観である。「不老草」を探して永世しようとする道教や、永世を生きるというキリスト教の信仰が蔓延している。人は寿命が機械的に決まっていないということで明日への希望を持てるのである。 

写真は呉埰鉉氏彫刻(タイムカプセル博物館)