崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「伝統の創造」

2014年05月04日 05時20分25秒 | エッセイ
下関壇之浦に住んでから近くの赤間神宮を中心に行われる先帝祭見物が恒例的になっている。昨日は船合戦、上臈参拝、森昌子の歌、中尾市長のあいさつと閉会辞まで充分に楽しんだ。知り合いの人にも多く会えた。伝統芸能大賞を授賞したが29回目の最近作の祭り、つまりホッブスバムが言う「伝統の創造」(invention of tradition)の祭りである。多くの人は数百年もの歴史がある古いものとして見ているだろう。私は歴史や物語りのパフォーマンスとして赤間神宮における上臈道中の風景、華麗な伝統衣装を着て天橋を渡る、外八文字の足さばきをショーとして楽しんでいる。平家の女官達が遊女になって毎年、安徳天皇の命日には身を清め、参拝するという由来が分かる。しかし、いくつのか疑問がある。参拝とは言っても艶やかな遊女たちの真っ白な顔の化粧、デスマスクのような無愛想な女官、頭と帯と胸の飾りの盛装の美しい、その女性が中国や韓国の男性高官の威張った歩き方と似たように見える歩き、一度も微笑のない遊女をみながらリオのカーニバルとは対極であると思ったりした。
 たくさんの観衆の中で見ている私の後ろに曽田議員ご夫妻が立っていた。拙宅でのお茶に誘って放談した。彼らはここに住んで5年あまり、われらより新来者、下関での生活を楽しんでいる。昔私が民俗調査をした韓国のある村では新来者は祭りに数年間参加することで海苔養殖の共有海が配分されるとのことであった。人との付き合いの基本を教える大きいメッセージがある。下関に十年以上住んでいながら一度も祭りに参加したことがない、ここを、単なる仕事の場と思っている人も多い。ただ「群衆の中の孤独」と叫び、自ら孤独死に向かっている現象がある。祭りに参加しているのはただの田舎っぺではなく、人間社会の基本原理を知って実行しているのである。