崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

坂道を登る

2014年05月11日 04時50分48秒 | エッセイ

 坂道を散歩すると新緑の季節感が湧いてくる。坂道を若い時に山登りしたことを想起しながら歩く。名前も知らない草花、新しく芽生えた葉を毛虫などが食べている(写真は野バラ)。家内は毛虫はかなり苦手のようで道の真ん中を犬も抱っこしてして歩く。私はさらに子供の時を思い出す。母は毎年夏には蚕業をした。私は蚕に桑の葉を餌にやったり、蚕台の横で寝たりした。その時蚕が顔に這いあがってきても驚かず丁寧に蚕台に戻した。戦後母は蚕業を止めてわが桑畑は文字どおりに「桑田の変」(桑田碧海、中国の故事から廃墟になる変の意味)となった。
 数日前高峰を登っている人が遭難したとニュースがあった。好きで登るのだろう。登ることはきつく、辛いだろう。否、登るのは辛いものではないから登る。坂道を登る魅力は思索にあるのだろうか。ある人は登りは辛くても希望があり、下りは達成感があり楽しいが歩くときはやはり気をつけるという。人はそれぞれ坂道を登る。資産家に、権力者に、高層ビルへ登るだろう。静かに自己完成のために坂道を歩く。決して辛いことではない。
 昨朝、散歩から戻って舌を怪我して鮮血が止まらないハプニングが起きた。血液検査の2倍くらいの血が出た。看護師人生の家内も初症例だと驚く。私は舌の傷口を指で押さえながら話ができず書いて表現した。止血したら唾で治ると自分の生命力に任せるしかなかった。もう一回散歩、気持が落ち着くまでは一日かかった。自分のことにはこんなに大げさくらいに反応し、家内の看護により無事に過ごし、感謝である。、韓国の惨事にはもっと心を寄せて考えなければならない。