崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「美味」化する郷土料理

2014年05月05日 05時17分07秒 | エッセイ
 

 「西市」の「道の駅」に行ってきた。青木さんのお誘いで元市議員の友松氏ら5人であった。黒井から山道、展望台で豊田町の全景、海岸を背景に、京都から来られた若いカップルに記念写真のシャッターを押してもらった(写真向かって左から石川、友松、私、吉永、青木)。新緑の季節になっても寒さを感じていたが、車の窓を半開にして走った。漠然と電車の駅の近くの「市場」と想像したが着いてみて、温泉と蛍の街として有名だということを知った。温泉や店が開店する前に到着したが、すでに駐車場は車が満杯であり、人気の名所だと実感した。細い川に沿って、両側に赤いさつきが咲いている道を走った。環境美化の奨励賞などあげるべきではないかと思うほど、感嘆した。そして、藤の花の棚のトンネルを歩き、藤を浴びるように観賞した。ある人の墓の前を藤棚で公園化したと言う。韓国では墓の周りには根が広く張る木は植えないのに、墓などに風水信仰は入っていないようである。
 帰り道に通った川棚温泉のところでは瓦そばの食堂に入る客の車で混雑していた。瓦の上に茶そばと具を乗せた料理を食べるために待っている列ができている。西南戦争の際に兵士たちが野戦の合間に瓦を使って野草、肉などを焼いて食べたという話。食文化とは栄養、味だけではなく、美が加わって文字どおりに「美味しい」ということになる。それは「器より味」という韓国の諺とは対照的である。「味」を徹底化する韓国料理、「美味」化する日本料理は対象的になっていく。味より器、瓦まで登場した。その噂、伝説を求めて人が集まる。私には味を知らず噂や伝説によって放浪する群れのように感じた。その中に私自身がいた。