崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「母の日」

2014年05月12日 05時00分31秒 | エッセイ
韓国・国立民俗博物館からの事典に「孝」と「祖先崇拝」について原稿を依頼され、遅ればせながら原稿を送ったのが昨日、母の日であった。5月8日は韓国の「親の日」、昨日(5月11日)は日本の「母の日」であった。在日韓国教会では「親を敬う」という説教があった。韓国の一般人は祭祀を浮かべるだろう。キリスト教と儒教は長い葛藤の歴史がある。儒教では親への孝は死後まで、つまり祭祀を行うが、キリスト教はそれを偶像崇拝とみなす。1700年代後半では犠牲、殉教した人が多かった。日本の隠れキリシタンの歴史と似ている。それについて私は数年前に出した拙著『祖先崇拝と孝』に800ページくらいの長さで論じた。この母の日に原稿を脱稿し、一日を家内、友人たちと過ごした。花屋にも寄った。カーネーションなどを買う客で混雑していた。
 「孝」の基本は子の親への愛である。これは誰しも持っている普遍的な愛である。しかし社会によっては異なる。親からいただく「恩」と「報恩」の相互関係から考える儒教によれば父母からの恩は無限であり、また報恩も無限であるという。相互的な愛とは親から受けた恩の量によって報恩がなされるということを意味する。この論理では財産を多く受けた人たちが感謝と孝の義務が大きいことになる。その逆も同様であろう。儒教の倫理では「息子の父親」へというのが基本である。それが「孝道」である。しかし巫俗信仰では父母への愛は「孝心」といわれる。キリスト教の孝は相互的ではなく、普遍的な愛を強調している。
 車3台で下関美術博物館の堀研氏の個人展に再度鑑賞に行った。堀氏の娘のまどかさん家族が韓国と沖縄からくるということで会いたく、また友人にも堀先生の作品を見てほしかったのである。個展の最後の日でもあり、観客も多かったが私の知人、また紹介された人も多かった。フランス人のクリストファー氏、巨文島生まれの中村勲氏、下関問屋センターの理事長の夏川敬三氏、堀家の人たちで絵を鑑賞しながら談話をした。画廊は多く集まった人々で祭り風景であった。私が強く誘ってガイドした下関に生まれの在日の長老の方は初めて美術館に入ったと言い、感動して文化館など作りたいと話をしていた。