崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

武士刃

2013年08月31日 06時00分34秒 | エッセイ
 下関に住むようになり地方都市に生きる楽しみを覚えた。小都市の中を歩きながら遺跡物をみて、住民たちと出会うことである。松陰、晋作など日本近代史の重要人物、そして声楽家の藤原義江に関心を持っている。義江の伝記式の古川薫氏の小説を読み、トークショーもしたことがある。実は別に文学の専門家ではなくとも、文学作品や映画、ドラマをみて語る人は多い。私は文学評論家になろうとしたが脱線して民族学・文化人類学者になったが最近それほど逸れていないという感がある。人間の生き方に関心を持ち、それが研究テーマであるからである。
 古川氏から彼の米寿記念作の新著である『武道初心集~いにしえの教えに学ぶ組織人の心得~』が届いた。誰でも古い価値観の本であろうと思われる本を古川氏はなぜ関心を持ったのであろうか。最近会った時「武士道に夢中になっている」という話を思いだした。しかしひも解いてみると忠、孝、死、名など懐かしく、慣れた言葉ばかりである。日本留学から帰国して日本語の教師になった時読んだ本が『葉隠』であった。私は日本人の死生観から近代化論まで発展させて歴史学者と経営学者と3人で共著の論文を発表したことがある。その内容は身の回りの話ではなく、そこには生き方の重要な戒めがあることに注目したい。私は武士、サムライ、死を再認識した。
 最近、下関が生んだ偉大な作家を死んでから名前を目にした赤江瀑という作家に注目するようになった。彼は都会から遠く、地方に生まれ生きた人であり、地域性を超えた人物である。彼の作家と劇作家としての名高さはべつとして彼の作品に触れることが出来た。彼の作品の展示会が私が奉職している大学で行われる「12回しものせき映画祭」で彼の代表作である「オイディプスの刃」を上映することになった。早速映画を鑑賞した。秘蔵の名刀を研ぐ研ぎ師(渡辺裕之)の場面に圧倒される。刀、殺人、自殺、エロティシズム、香水などに、悲劇の要素が混ざって長いストリーを圧縮して画面が流れる。追いつくだけで必死で見る。単純な探偵物語りやハッピーエンディングの映像に慣れた人には重すぎる映画を「鑑賞」することになる。これを市民に見ていただきたい。