崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

教育は植民地を超える

2013年08月22日 05時35分28秒 | エッセイ
 猛暑の夏休み中であっても毎週の読書会は面白く続く。昨日は倉光氏が植民地朝鮮における民俗研究者たちの「朝鮮」特殊号の座談会の内容を読んだ。村山知順、秋葉隆、孫晋泰、宋錫夏など私にとって親しみのある人ばかりで植民地とは意識せず懐かしく興奮状態であった。私は村山著を2冊翻訳し、秋葉隆に関して翻訳完了して出版社では新刊予告にもなっている。孫と宋の二人は韓国民俗学の始祖のような人物としてその研究が受け継がれている。特に秋葉の研究を引き継いだ、秋葉の弟子の泉靖一と任宰・李杜鉉の3人の先生の影響で私の学問の骨組がなされたといえる。
 倉光氏は「植民地は敗北するか」という。少なくとも私には師弟関係は植民地とは無関係、超越した関係であると言った。先週亡くなられた李杜鉉先生は東大で教えたことがあり、その師弟関係が形成されている。しかし植民地期に日本人が当時朝鮮人の先生との師弟関係は耳にすることはなかった。それは事例が少ないからであろうか、日本人の先生の恩知らずの本性によるものであろうか。否、そうではない。韓国の全州の儒教式山寺小屋の漢文塾に訪ねた時、名刺を出すと「朝鮮人が日本人を教えることは民族の誇りだ」と大声で生徒に紹介されてびっくりしたことを思い出す。私は広島大学などで教鞭をとっており師弟関係を作れたと誇りを持っている。実は学生が偉いのである。やはり教育は植民地を超えると思う。

*写真は2013.8.22山口新聞掲載の「楽しい韓国文化論」記事