崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

広島大学で集中講義

2013年08月03日 04時54分42秒 | エッセイ
 東広島駅に早めに着いた。雨の後猛暑が一段下がったと女性のタクシー運転さんが言ってくれた。タクシー待たせて退職してから初めて昔大変お世話になった広島大学の総合科学部の地域コース事務室に立ち寄った。10年も近く通い使ったところなのに探せず、聞いて、久しぶりに懐かしい澤江直子さんに会った。サプライズ、懐かしさ、嬉しさ、済まなさの久しぶりの邂逅であった。
 国際協力研究科の名札を見ながら建物を上下しても知っている名前は少なく、しかも不在であった。ただ集中講義のホスト教授の外川昌彦先生が教室まで来てくれて、客員研究員の楊さんとも一緒に長く話をした。韓国の一般人は言うまでもなく、研究者さえ歴史を客観的な事実として認め判断する力があるのか、と何度も質問された。またアメリカで従軍慰安婦像を建てるのはどう言う意味だろうと。国際的に日韓の親善関係を傷つける結果になる憂いがあると意見が一致した。現在韓国では川嶋擁子氏の本が出版中止、呉善花氏の入国禁止など民主自由国家から独裁へ逆戻りの雰囲気である。その韓国から見ると、日本は自民党へ復帰、右傾化に走るように見えるようであり、その憂いを持っているようである。
 植民地遺産の問題を授業へそのまま持ち込んだ。イギリスの植民地であったアイルランドや南アフリカ、オランダ植民地であったインドネシアの現地調査の話と映像を見せながら植民地から解放された国々から旧植民地への姿勢の差を分析した。外川先生はインドではイギリスに反抗的な態度を保っているという。それはガンジーのような独立運動家の影響であろうと言い、上にあげた国々とは異なっている。東アジアでは日本に対する反感は最高である。
 最初の女性監督のレニ・シュダルフィド氏が撮ったヒットラーの映像を見せて議論した。外部からの聴講生の田川夢乃さんが既にFBに次のように書いてあり、そのまま引用する。

「何かを評価するって、実際かなり難しいことだよね〜。やはり主観ー客観の話になってしまうんだけども、何を持ってしてそれを評価するといいますか、発信者がいれば受信者がいる。発する側の意図通りに受信してくれる者もいれば、別の解釈でもって受信する者もいる。百人受信者がいれば百通りの評価が存在する。当たり前のことなんだけど、でもそれってあんまり意識しないよね。自分と誰かの評価のズレを認識したときだけ、まじまじとそれを感じるんだけど。歴史の評価にしてみても、その当時の文脈でもって現代人の我々が評価を下すことは不可能ですね。どんなにその背景を踏まえようとしたってそうして想像された背景はフィクションでしかなく、やはり根本的には我々の文脈でもって評価していることには変わりないのではないでしょうか。第二次大戦後のナチ党員の裁判で、“当時はそうすることが当たり前、それが正しかったんだ”っていう被告側の意見がありました。我々はそのような意見に対して、どのような判断、評価を下すことが出来るのでしょうか?集中講義楽しい…考える授業はわくわくするやね〜。」
 
 
 このようなコメントが載っている。今日も楽しく議論したい。